仏典が説く怒り、激怒の感情についての話、また、怒り、激怒の感情と日々の食生活との関連性について

仏教経典 漢訳大蔵経の中の阿含経及び南伝大蔵経において仏陀釈尊は次のようにお説きになられている。

「比丘(修行者)たちよ。まさに一法を断つがよい。

一法を断たば、汝ら必ず煩悩を滅し尽くして聖者たることを得るであろう。

その一法とはなんであろうか。

いわゆる瞋恚(しんに)(怒り)がそれである。

比丘(修行者)たちよ。まさに瞋恚(怒り)を断たば、汝ら必ず煩悩を滅し尽くして聖者たることを得るであろう」

「瞋恚(怒り)にかりたてられて、人は悪しき処におもむく。

まさにつとめて瞋恚(怒り)を捨つれば、すなわち煩悩滅尽して聖者たらん。」

「雑言と悪語とを語って愚かなる者は勝てリという。

されど誠の勝利は堪忍を知る人のものである。

怒る者に怒り返すは悪しきことと知るがよい。

怒る者に怒り返さぬ者は二つの勝利を得るのである。

他人の怒れるを知って正念に自分(自分の心、精神、感情)を静める人はよく己(自分)に勝つとともに他人に勝つのである。」

パーリ仏典「サンユッタ 二カーヤ」において仏陀(仏様)はこうお説きになっている。

「愚者(おろかもの)は荒々しい言葉を語りながら「自分が勝っているのだ」と愚者は考える。

しかし、真理を認知する人がそしり(悪口、中傷誹謗,罵詈雑言、罵倒)を耐え忍ぶならば、(耐え忍ぶ)その人にこそ勝利が存在する。

怒った人に対して怒りを返す人はそれによっていっそう悪をなすことになるのである。

怒った人に対して怒りを返さないならば勝ち難き戦にも勝つことになるのである。

他人が怒ったのを知って気をつけて静かにしているならばその人は自分と他人の両者の為になることを行っているのである。

理法(真理)に通じていない人々は「その者(怒りを返さない者)は愚者(おろかもの)だ」と考える。

さらに、パーリ仏典「スッタニパータ」において仏陀曰く

「罪がないのに罵(ののし)られ、殴(なぐ)られ、拘禁(こうきん)されるのを耐え忍び、忍耐の力あり、心の猛き人、彼を私はバラモンという。」

さらにまた、パーリ仏典「サンユッタ 二カーヤ」において仏陀は次のようにお説きになられている.。

「怒りを断ち切って安らかに臥す。

怒りを断ち切って悲しまない。

その根は毒であり、その頂きは甘味である怒りを滅ぼすことを聖者達は称賛する。
それを断ち切ったならば、悲しむことがない」

また、漢訳仏典の大正新修大蔵経第二巻阿含部下、雑阿含経第三十二巻において仏陀はつぎのような主旨の法話を説かれている。

「嗔恚(しんに)を離れるを善と成す。

嗔恚及び驕慢(きょうまん)を生じることがないようにせよ。」とある。

つまり、怒り、激怒,うぬぼれ,慢心の心を起こさないようにせよという主旨の内容が説かれている。

パーリ仏典「サンユッタ・二カーヤ」というお経においてブッダは次のようにお説きになられている。

「怒りを断ち切って安らかに臥す。怒りを断ち切って、悲しまない。その根は毒であり、その頂きは甘味である怒りを滅ぼすことを聖者達は賞賛(しょうさん)する。それ(怒り)を断ち切ったならば悲しむことがない。」

「人は利を求めて自分を与えてはならない。自分を捨て去ってははならない。
人は善い(優(やさ)しい)言葉を放つべきである。
悪い、粗暴(そぼう)な言葉を放ってはならない。
やさしい言葉を口に出し荒々(あらあら)しい言葉を口に出してはいけない。」

ところで、話が変わって、ことわざに「健全なる肉体には健全なる精神が宿る」ということわざがある。

健全な精神生活を過ごす為には充分な睡眠、健全な食生活、バランスの取れた栄養の摂取等が重要であると思われる。

暴力的、怒り易い、イライラし易い、キレ易いなどの精神状態に至る原因は様々であるがそのひとつの原因は乱れた食生活、アンバランスな栄養状態にその原因があると考えられる。

「食事で治す心の病 心・脳・栄養 新しい医学の潮流 大沢 博著 第三文明社」という書籍がある。

その書籍のなかでコーラが大好きで砂糖入り缶コーヒーを一日十本以上飲むような偏った食生活をしていた若者がいた。

以前から突発的な発作的暴力を起こしたりしていた。

それを心配したその若者の母親が著者(大沢 博)に電話で窮状を訴えたところバナナを食べさせなさいというアドバイスを与えられた。

母親はその若者にバナナを食べさせ、一時間後に母親から電話がありバナナを食べさせたら一応落ち着きを取り戻したという報告があったという。

またその他の事例で低血糖症、インスリン過剰分泌症の若者がひどい頭痛を訴えた.

しかし著者のアドバイスによりバナナの摂取をしたところ頭痛が収まった事が書かれている。

次に、「現世成仏 わが人生・わが宗教 桐山靖雄著 力富書房」という書籍の中において、日々の栄養がいかに精神生活に影響を与えるかが分かるある一つの事例が紹介されている。

「イギリスで、日本の少年鑑別所のような、非行少年を収容して矯正する強制施設での食べ物による実験の記録が紹介されていた。

まず収容された非行少年少女を二つのグループに分け、一つのグループには精白した材料を使った食べ物を与えた、精白すなわち白パン、白砂糖 その他、精白したものを与えた。そして野菜を少量にして肉を多く与えた。

与えられた連中はみんな大喜びであった。

すると、二、三日も経たないうちに喧嘩が起こる、いがみ合いはするなど大騒ぎになった。

収容がつかないほど騒然となってきた。

そういう素因をもった連中ばかりが集まっている施設であるから言う事を聞かなかったり反抗したりするのは、やむを得ないといえばいえるが、その度合いが日増しに激しくなっていった。

ところがもう一方のグループには、黒パン、黒砂糖、その他精白しないもの、あるいはヨーグルト、野菜、果物などを主とした食べ物を与えていた。

すると、こちらは一週間くらいでみんな行儀よくなって反抗しなくなった。

物事の道理が理解出来るようになった。その為みんな従順になってきた。」とある。

次に、「日本食長寿健康法 川島四郎著 新潮文庫」という書籍がある。

その書籍において著者は栄養学者の立場から「いじめとカルシウム」という章において子供達の校内暴力、いじめの原因のひとつにカルシウム不足をその原因として指摘されている。

「なかでも問題なのはカルシウムの不足で、実はこれこそが子供達の凶暴化の最大の原因なのである。

カルシウムは骨や歯を作るのに欠かせない栄養素であるがそればかりでなく哺乳動物では神経系統に対しても重要な働きをしているのである。

これが十分に補給されている哺乳動物は精神が安定していて気も穏やかであるが欠乏すると精神が不安定になり気性が荒くなる。

つまりカルシウムは精神安定剤の役割ももっているのである。

たとえば妊娠している女性はヒステリーになりやすい傾向があるが、これなどはまさにカルシウム不足のなせるわざなのだ。

胎児の骨の形成の為に母体のカルシウムを奪われてしまうために精神が不安定になるもので、医師はこうした患者には注射や薬剤でカルシウムを投与して治療している。」とある。

日本食長寿健康法 (新潮文庫)

現世成仏―わが人生・わが宗教

仏教が説く利他の教え、利他についてのお経

書籍「仏陀の真実の教えを説く阿含経講義(上)桐山靖雄著 平河出版」の中において阿含経の一切事経というお経が紹介されている。

一切事経の内容は、お釈迦様がお釈迦様の弟子のマカナン(お釈迦様の叔父)から優婆塞(在家信者)の修行法についての質問を受け、お釈迦様がマカナン(お釈迦様の叔父)からの質問に対して説かれたお経であります。

その主たる内容は、

ある時、弟子のマカナンがお釈迦様に対し、在家の仏教信者はどのような修行法をすればよいのかを質問したところ、お釈迦様は

先ず、正信を持つことが必要であると説かれた。つまり正しい信仰心を持つ事。

次に、正しい戒律を守る事。

次に、正しい布施を実践する事。

次に、正しい仏教を聴聞する事、つまり正法を聴聞する事。

次に、その正しい教えを保持する事。つまり正しい教えを聞いても聞いただけで直ぐに忘れたりしてはいけないという事。

次に、その正しい教えを観察、正しい教えについて観念工夫する事。つまり自分自身の頭の中でその教えについて深く考える事。例えば、その教えについてよく吟味(ぎんみ)する事。

次に、正しい教えに従い、正しい教えに向かっていく事である。

要約すると,信、戒、施、聞、持、観、法次、法向の八つの法があると説かれている。

すなわち八法の修行法である。

さらに、お釈迦様は、その八法の修行法、いわゆる自分の為だけにする修行法だけではなく、その八法の修行法を他者にも実践するように教え導きなさいという教えを説かれている。つまり、自分の為だけにする修行ではなく自分と他者の為の修行法の実践を提唱されている。

それが八法十六法である。

いわゆる、八法十六法とは以下の通り、

自分が正しい信仰心を持つだけではなく、他者にも正しい信仰を持つことを教え導きなさい。

また、自分だけではなく他者に対しても正しい戒律を保持する事を教え導きなさい。

また、自分だけではなく他者に対しても正しい教え、正しい法を聴聞する事を教え導きなさい。

また、自分だけではなく他者に対しても正しい教えを保持する事を教え導きなさい。

また、自分だけではなく他者に対しても正しい教えに対し観念工夫する事を教え導きなさい。

また、自分だけではなく他者に対しても正しい教えに従い、正しい教えに向かっていく事を教え導きなさい。と説かれている。

その八法十六法の修行法により、宗教的境涯において在家仏教修行者(優婆塞 優婆夷)が出家修行者(僧侶、沙門)を越えていく事が可能であるという内容が説かれている。

「仏陀の真実の教えを説く阿含経講義(上)桐山靖雄著 平川出版」の著者であり阿含宗の開祖である桐山靖雄大僧正猊下はこの阿含経の一切事経を引用し次のように説かれている。

阿含経というお経は日本仏教の歴史において千年以上の長きにわたり小乗経典であると蔑視され、また出家仏教であると批判され続けてきたが、その一切事経のお経の内容から阿含経は決して利己的な小乗経典、つまり、自分だけの救いを求めるお経ではなく、また出家仏教、つまり、出家しなければ救われないというお経では決してない事をこのお経を引用し、強く主張されている。

一切事経は 大正新脩大蔵経 第二巻 阿含部下 雑阿含経巻第三十三 大蔵出版 二百三十六頁下段~二百三十七頁中段、及び 国訳一切経 印度撰述部 阿含部三 大東出版社 雑阿含経 第四十六巻 四百五十頁~四百五十二頁に説かれている。

さらに桐山靖雄大僧正猊下は自身の著作「説法六十心 桐山靖雄著 平川出版」において次のようにお説きになられている。

「上求菩提下化衆生(じょうぐぼだい げけしゅじょう)ということばがあります。

自分より上(上の境涯)のものに向かっては菩提、悟りを求めて一心に修行をする。

自分より下(下の境涯)のものに向かっては親切に指導してあげる。

仏道修行者が必ず実践しなければならない事だと言われています。

またどんなに大知識、大学者であっても自分一人の力だけでそうなったのではなく社会や無数の方々のおかげがあったという事を忘れてはいけない。

そのためにその知識は社会の幸福の為、社会に役立てる為、社会に対してそのお返しをしなければならない。」

特に仏教徒は仏祖への報恩謝徳の為に又一般民衆の幸福の為に正しい仏教、正しい仏法を広めなければならない。

法話中の阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下

仏教のお経、真言をお唱えする事のご利益と意義と重要性

真言宗の開祖、弘法大師空海様の処女作「三教指帰」の中に

「谷響きを惜しまず明星来影す」という一文が説かれている。

具体的に説明すると、若き頃の弘法大師空海様が「虚空蔵菩薩求聞持法」という密教の修行法を修行中、四国の室戸岬の洞窟内で非常に特殊な神秘体験をした事は古来から有名な話です。

その特殊な神秘体験を「谷響きを惜しまず明星来影す」という表現でこの神秘体験を表現されています。

求聞持法を修行中の若き頃の弘法大師海様

求聞持法を修行中の若き頃の弘法大師海様

    虚空蔵菩薩様ご尊影

この「虚空蔵菩薩求聞持法」の正式名称は「虚空蔵菩薩能満所願最勝心陀羅尼求聞持法」とお唱えしますが、この修行が成就すると様々なご利益、霊験があると伝えられている。

この修行の主たる内容は、虚空蔵菩薩様のご真言

「のうぼう あきゃしゃぎゃらばや おんありきゃ まりぼり そわか」
というご真言を百日間の間に百万回唱えるという修行法であり、

大正新修大蔵経密教部にも「虚空蔵菩薩能満所願最勝心陀羅尼求聞持法」として詳しい修行方法が記載されています。

次に、阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(1921~2016)が若い頃、人生の苦悩の末、自殺をしようとした事が自身の著作「般若心経瞑想法 桐山靖雄著 平河出版社」に書かれている。

  阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下

そこから救われた体験談が「般若心経瞑想法」や「さあやるぞかならず勝つ⑩」という書籍に書かれている。

その書籍によると事業の失敗による莫大な借金と結核の再発に見舞われた事により前途を悲観し自殺を決意し自殺を決行しようとした直前、ふと目にした小経本で自殺を思いとどまり生きる事を決意した経緯が記されている。

その小教本には般若心経や準提観音経そして延命十句観音経等のお経が書かれており準提観音経には

「寂静にして心常に誦すれば一切諸々の大難能く是の人を侵すこと無し」という文言が書かれていた。

桐山管長はこのお経を信じ準提観世音菩薩様のご真言

「のうばさったなん さんみゃくさんぼだくち なんたにゃた おんしゃれい しゅれい じゅんてい そわか」

を何回も何回も毎日唱えていたそうです。

多い時には一日千回ちかくも唱えていたそうです。

そうするとだんだん自身の運気が変わっていき運勢や環境が 良くなっていき自殺する必要がなくなっていったそうです。

密教大辞典(法蔵館刊)という書籍に、この準提陀羅尼(準提観世音菩薩様のご真言を読誦 唱える事)の功能(功徳 ご利益)として次のように書かれている。

「準提陀羅尼経によれば薄福無善根(福徳が薄い)の衆生(生き物)もこの陀羅尼(準提陀羅尼)を誦すれば(唱えれば)菩提分(さとり 等正覚 完全解脱成仏)の根芽(種子 基礎)を生じ決定して菩提(さとり、等正覚、完全解脱成仏)を成就せん(出来る)と云い、

その他、聡明、勝諍論、夫婦敬愛、他人敬愛(他人から愛される)、求児、延命、治病、滅罪、降雨、脱禁鎖等を祈ると験(効験)を得。悪鬼悪賊の難を逃れる事(が出来る)を説く。後略」とある。

真言密教伝持八祖の内の第五祖 インドの高僧であった善無畏三蔵の伝記に次のように説かれている。

真言密教伝持 第五祖 

善無畏三蔵法師

「商人と善無畏三蔵が航海中、船上において商人が盗賊に襲われた際に善無畏三蔵が準提呪の黙誦をすると準提観世音菩薩様が全身のお姿を現され商人を盗賊の難から救った。」とある。

          仏母準提観世音菩薩様ご尊影

準提観世音菩薩様に関するお経は、大正新修大蔵経(密教部 大蔵出版)及び国訳一切経 (印度撰述部 密教部 大東出版社)の中に七倶提佛母所説準提陀羅尼経というお経が説かれている。

準提観世音菩薩様は密教の仏様であり別名準提如来ともお呼び致します。

密教の流派では如来部に属すると主張したりまた別の流派では観音部に属すると主張したりして解釈が分かれています。

さてこの仏様の密教での呼び名つまり密号は最勝金剛ともお呼び致します。
最勝金剛とは最も優れた仏という意味であります。

この仏様は別名を七倶提仏母(しちくていぶつぼ)ともお呼び致します。

七倶提(しちくてい)とは七億または七千万という意味でつまり無量無数を意味し仏母とは仏の母という意味つまり無量無数の仏の母という意味です。

「密教大辞典 法蔵館刊」によると「過去無量の諸仏の母たる清浄陀羅尼を司る尊を七倶提仏母と名ずく」

準提とは梵語のチュンディの音写で意味は清浄という意味でありこのご真言は清浄陀羅尼ともいわれます。

このご真言から過去無量無数の仏様が生まれたと伝えられています。

「龍神が翔ぶ―家運をよくする守護神・守護霊の持ちかた (単行本)桐山 靖雄 (著) 」という書籍でも準提観音様の事が記されています。

次に、延命十句観音経について説明すると、「白隠禅師法語全集 八重葎 延命十句経霊験記」という書籍に次のように説かれている。

「昔、ある男がいた。ところがある日処刑される事になった。 そして処刑前夜その男の夢に僧侶が現れ「延命十句経を千返唱えると命は助かる」と夢で教えられ明け方までこのお経を千編唱えた。

ところが同じ処刑前夜に別のある男の夢に観音様が現れ「この処刑を中止しなさい。そうすれば立派な徳行になるでしょう。

さもなくば大災厄がふりかかるであろう」というお告げを聞いた。

またその他の処刑実行者も同じような夢を見た人がおり処刑を中止した」という話がある。

延命十句経に関する霊験談がこの本では他にも書かれていて興味深い。

延命十句観音経(えんめいじゅっくかんのんきょう)
「観世音(かんぜおん)
南無仏(なむぶつ)
与仏有因(よぶつういん)
与仏有縁(よぶつうえん)
仏法僧縁(ぶっぽうそうえん)
常楽我浄(じょうらくがじょう)
朝念観世音(ちょうねんかんぜおん)
暮念観世音(ぼねんかんぜおん)
念々従心起(ねんねんじゅうしんき)
念々不離心(ねんねんふりしん)」
とお唱えし致します。

さて、ところで、仏教には般若心経というお経が有名であり、世間一般に広く知られており、様々な宗旨宗派においても盛んにお唱えされているが、

阿含宗開祖の桐山靖雄大僧正猊下は自身の著作「般若心経瞑想法 桐山靖雄著 平河出版社」の中で、その般若心経について次のようにお説きになられている。

「玄奘三蔵訳の般若心経は頭で考えて作った経典ではなく霊感によってほとばしり出た経典であり、ぱぁっと霊感によって出てきた文言をそのまま、文字にして放り出したという感じである。

ことに、さいごに突然、出てきている呪(マントラ)などをみると、強くそういう感じがする。

この経典は経典というより、全体がマントラではないかと思うのである。

この経典作者は観音信仰者だったのではなかろうか?

マントラ、ダラニは一心に、ただひたすらに、一心にとなえることによって偉大な力をさずけてくれるのである。

マントラ、ダラニに理くつはない。

人間の子賢(こざか)しい知慧を越えた不思議な力がある。

神秘としかいいようがない奇跡を起こす力がある。

ただ一心に心をこめて祈り、誦すればよいのだ。

あなたもそのようにして偉大な功徳をいただいてほしい。」

と解説されている。