仏教が説く因果応報についての法話

真言密教の開祖、弘法大師空海様の著作、「秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)」の中で弘法大師空海様は次のようにお説きになられている。

「三途の苦は劫を経ても免れがたし。如来の慈父この極苦を見てその因果を説きたもう。悪の因果を説いてその極苦を抜き、善の因果を示してその極果を授く。」

書籍 「大乗仏教の誕生 さとりと廻向 梶山雄一著 講談社学術文庫」の中にその因果応報について説かれている箇所がある。それをここで紹介したい。

西暦150年~250年頃、インドで活躍した大乗仏教の祖師、ナーガールジュナ、別名、龍樹菩薩様は自身の著作、「宝行王正論」に、悪業とその報いとの対応を説いている箇所がある。それによると、

殺生を行うと次の世に短命の生を受け、暴力を用いる者は苦悩多い者となり、盗みを行うと次の世には貧しく、ものに恵まれず、邪淫を犯すと人の怨恨を買う、妄言は争いを、中傷は友情の破壊を、悪口は不快なことばかり聞くことを、へつらいはいやな言葉を結果として引き起こす。貪る人は自分の願望の破滅をきたし、怒りは恐怖の因である。邪悪な考えをもつ人は誤った見解をもつにいたり、飲酒は理性を狂わせる。施しをしない人には貧困が、邪な生活をすれば欺瞞(ぎまん)に遭(あ)い、高慢な人には次の世に卑しい生まれが、嫉妬深い人には卑弱が結果する。怒ってばかりいると卑しいカーストに生まれ、賢者に質問しない人は愚鈍に生まれる、などなどである。

以上は人間の世界における因果応報であるが、もちろん無道を過ぎれば(つまり度を過ぎれば)、地獄、餓鬼、畜生に生まれる。

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   弘法大師空海様

また、仏教には三報という考え方がある。現報、生報、後報の三つである。
現報とは、人がこの世で善悪の行為を行い、この世で禍福の報いを受けるのをいう。
生報とは、この世で善悪の行為をして、次の世でその果報を受ける場合である。後報とは、この世での善悪業が、二世、三世を経たのちに報いられるものである。

だから、善人がこの世で不運にばかり遭い、悪人がこの世で栄華を極めても、それは過去世の善悪の業の果報がいまあらわれているだけで、いまの善悪の業は次の世、あるいはその次の世であらわれるのであるから、落胆するにはおよばない。
もちろん現報のばあいには、この世の業の報いがただちにこの世であらわれる。

ナーガールジュナの示した業と果報との対応例は、原始仏教経典に出ているのを彼が借用したものであり(パーリ中部経典、漢訳 中阿含 鸚鵡経を参照)、一般にも信じられていた。そこには悪業とその苦果だけが挙げられているが、善業の場合はその逆を考えればよい。たとえば、殺生をつつしめば長寿が、布施を常に行えば富豪に生まれるというようにである。

ナーガールジュナ(龍樹菩薩)

また、書籍「原始仏典Ⅰ 長部経典Ⅰ 中村元(監修) 森祖道(翻訳) 橋本哲夫(翻訳) 浪花宣明(翻訳) 渡辺研二(翻訳) 春秋社」の中に、ある修行者の瞑想体験について次のように説かれている。

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「(修行者が修行により)心が安定し、清浄となり、浄化された、汚れの無い、小さな煩悩を離れた、柔軟で、活動的であって、(そのもの自身が)堅固不動のものになると、かれ(修行者)は生き物達の死と再生について知る事(死生通)に心を傾け、心を向けるのです。

そして、かれ(修行者)は、その清浄な、超人的な神の眼によって生き物達の死と再生を見、生き物達はその行為に応じて劣った者にもなり、優れた者にもなり、美しい者にも、醜い者にも、幸福な者にも、不幸な者にもなることを知るのです。

すなわち、生き物達は、身体による悪い行い、言葉による悪い行い、心による悪い行いをなし、聖者達を誹謗し、邪悪な考えを持ち、邪悪な考えによる行為を為す。

かれらは身体が滅びて死んだ後、悪い所、苦しい所、破滅のある所、地獄に再び生まれる。

一方、この者達は身体による良い行いを為し、言葉による良い行いを為し、心による良い行いを為し、聖者達を誹謗しないで、正しい見解による正しい行いを為している。

故に、かれらは身体が滅びで死んだ後、良い所である天界に生まれ変わった。とかれ(修行者)は知る。」

書籍『国訳一切経 律部二 大東出版社』参照

さらに、書籍 「ブッダ 神々との対話 サンユッタ 二カーヤⅠ 中村元訳 岩波文庫」 の中で仏陀は次のように説かれている。

「生きとし生ける者どもは(寿命が尽きて)いつかは(必ず)死ぬであろう。

生命はいずれ死に至る。

かれらは死後に自己の作った業(自己の行った行為の内容)に従って各所に赴いてそれぞれ善悪の報いを受けるであろう。

悪い行いをした人々は死後において地獄(大いなる苦しみ悩み痛みに満ちた世界 悪い世界)に生まれ赴き
善い行いをした人々は(死後)善いところ(幸福、平和、快楽、安楽の世界 善い世界)に生まれ赴くであろう。

その為に来世(自分の魂が死後に生まれて変わって行く世界 死んでから自分が再び生まれ変わる世界)の幸福、平和、安楽の為に現世(現在生きているこの世界)で善い事をして功徳を積まなければならない。

人々が作ったその功徳はあの世で人々のよりどころとなる。」

さらに、

「穀物も財産も金も銀も、またいかなる所有物があっても、奴僕も傭人も使い走りの者もまたかれに従属して生活する者どもでも、どれもすべて(死後の世界 来世に)連れて行く事は出来ない。全てを捨てて(死後の世界 来世に)行くのである。

人が身体で行ったもの、つまり身体で行った善き行為の報い、身体で行った悪しき行為の報い、また言葉や心で行ったもの、つまり言葉で行った善き行為の報い 言葉で行った悪しき行為の報い  また心で行った善き行為の報い、心で行った悪しき行為の報い等 それこそが、その人自身のものである。

人はそれ(自己の為した身体と言葉と心でなした業)を受け取って(死後の世界 来世に)行くのである。

それは(死後の世界 来世で)かれに従うものである。影が人に従うように。

それ故に善い事をして功徳を積め。功徳は人々のよりどころとなる。」

  ブッダ釈尊の初転法輪像

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以上のことから、仏教の根本的な教え、ブッダ、真理に目覚めた等正覚者達の最も重要な教えとは「よいことをせよ。わるいことはするな」という倫理、道徳の実践の教えであると考えられる。

漢訳仏典において
「諸悪莫作(しょあくまくさ)
衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)
自浄其意(じじょうごい)
是諸仏教(ぜしょぶっきょう)」 という七仏通誡偈(しちぶつつうかいげ)がある。

またパーリ仏典の法句経(ダンマパダ)において

「一切の悪をなすことなく、善を具備実践し、自分の心を浄化すること、これが諸仏(真理に目覚め、ブッダとしての悟りをお開きになられた覚者達)の教えである」

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