霊の加持力と人間のおごり高ぶり慢心についての法話

密教には加持思想という思想が存在する。

加持思想とは、仏の不可思議な力が行者自身に加わり行者自身がその加持力により、ざまざまな神秘的な力が発揮出来るという思想のことをいう。

書籍『空海辞典 金岡秀友 編集 東京堂出版』の中で、加持、加持祈祷という意味について次のように解説されている。

加持=仏の不思議な力が我に加わり、我はその力を持つべく努めること。

実際には、さまざまな修法や儀式によって、仏の力を自分の上に得ること。

加持祈祷=加持とは、本来、仏の不思議な力によって加護されること。

仏の力の「下にたつ」ことをいう。

今は亡き政治評論家の竹村健一氏は自身の著書「竹村健一流 開き直りのすすめ 自分の弱さがバカらしくなる腹の据え方 竹村健一著 青春出版」の中の「うまくいったとき他人に感謝できないとダメになる」という章句の中で、竹村健一氏は密教の加持思想について書かれたとしか思えないような内容が書かれていたのでここで紹介したい。

「(竹村健一氏が)この間、霊の研究をしている人と話し合う機会があった。

なかなか面白いことを言っていたから、ここで紹介してみよう。

モーツァルトやベートーベンというような天才が死ぬ。

そいいう大天才でも、死ぬときに「もうオレはやりたいことを全部やり終えた」と思って死ぬ人は、大変に少ないという。

やっぱり、やり残した仕事がある。

それで、その霊が昇天して、今度は上の方から地上を見ていて「あっ、あいつに私のやり残した仕事をやらせてみよう」と思うというのである。

そうすると、たとえばベートーベンの霊が1人の男の後ろについてしまう。

もともとベートーベンの霊の目にかなった人物だから、ある程度の素質がある。

そこにベートーベンの霊がつくわけだから、たちまち素晴らしい演奏ができたり、コンクールで1位になったりする。

世間はベートーベンの生まれ変わりだ、という言葉でもてはやしたりする。

ところが、その霊の研究者が言うには、コンクールで優勝した男が、オレはやっぱり素晴らしい才能があるんだ。

天才なんだと思ったり、傲慢になると、とたんにその霊が去っていくという。

よく、昔は神童(しんとう)、いまはただの人、という言い方をするし、現実に、作家の世界でも芥川賞をとったのはいいが、その後、鳴かず飛ばずという人がいる。

コンクールで優勝しながらも、ダメになっていく演奏者もいる。

それは、せっかく後ろについてくれた天才の霊が、その人を見切って、どこかへ行ってしまうからだというのだ。

したがって、何かを目指して、それがたとえうまくいったとしても、それは自分だけの実力でできたと思わないで、ありがたい霊がオレの後ろについてくれているんだ。

ありがとう、ありがとうと、感謝しながらやっていくと、天才の霊はいつまでもついていてくれる。

それではじめて、長い期間にわたって素晴らしい仕事ができる、というわけだ。

これは本当か嘘かというのは誰にもわからないが、そう信じていたほうがいいと私は思う。

私(竹村健一氏)の話をテレビで聞いていたり、あるいは講演に来てくれた人も、私(竹村健一氏)がけっこう偉そうな態度でやっていると思うことがあるだろう。

しかしそれは、私(竹村健一氏)がこうしていられるのも、それは神様のお陰だといつも思っているからだ。

つまり、私(竹村健一氏)が勝手ながらもみんなの前で話ができるのは、神様がついていてくれるからだと思っている。

霊の研究者の話を聞いて、私(竹村健一氏)がこれまで神様と言ってきたが、それを霊と言い換えてもいいと思う。

いずれにしても、人間は自分ひとりでは生きていけない。

いろんな人の助けがあって、立派なことが初めてできる。

だからこれは霊に限らず、何かうまくいったときに、それを自分ひとりでできたと思わないで、友達だとか家族だとか、いろんな人の助けがあったからできたんだと、常に感謝の気持ちを忘れないことだ。

とにかく何をするのでも、いつも自分ひとりでできたんだと思わないで、感謝する気持ちを持ち続ければ、長い期間いい仕事ができると私(竹村健一氏)は思っている。

読者のみなさんも、ぜひそうして生きていったらいいと思う。」と書かれている。

さて、この竹村氏の話の中で傲慢や慢心についての話が出てきたが、仏教の教えには、慢心、おごり高ぶりの心を抑え、止滅すべきことが次のように説かれている。

「泥沼をわたりおわって、村の棘(とげ)を粉砕し、慢心を滅ぼすに至った人 ━ かれこそ修行僧と呼ばれるのである。」

(感興のことば 第三十二章 五十一 参照。書籍『ブッダの真理のことば 感興のことば 中村元訳 岩波文庫』290頁参照。)

また、お釈迦様は成道して間もない頃、次のような詠嘆の詩を説かれたと伝えられている。

「満足して、教えを聞き、真理を見るならば、孤独は楽しい。

人々に対して害心なく、生きとし生けるものに対して自制するのは、楽しい。

世間に対する貪欲を去り、もろもろの欲望を超越することは楽しい。

(おれがいるのだ)という慢心を制することは実に最上の楽しみである。

(感興のことば 第三十章 十八 十九 参照。)
(書籍『ブッダの真理のことば 感興のことば 中村元訳 岩波文庫』270頁参照。)

(パーリ文献 律蔵経典 サンスクリット文献 阿含経 『四衆経』)

(書籍『輪廻する葦 桐山靖雄著 平河出版』92頁~93頁 参照)

書籍『空海辞典 金岡秀友 編集 東京堂出版』25頁~27頁 参照。

書籍『竹村健一流 開き直りのすすめ 自分の弱さがバカらしくなる腹の据え方 竹村健一著 青春出版』207頁~210頁 参照。

書籍『ブッダの真理のことば 感興のことば 中村元訳 岩波文庫』270頁 290頁参照。

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仏教、ヨーガ、仙道の修行法について考える

仏教には単なる教理教学、哲学的な理論だけではなく実践的な修行法というものが説かれている。

例えば。摩訶止観(まかしかん)という瞑想の修行法がある。

摩訶(まか)とはサンスクリット語のマハー「偉大な」という言葉を漢語読みにした言葉。

止(し)とは怒り、恨み、慢心などの様々な煩悩を止滅し、精神を統一、集中し、その精神の状態を寂静にして、その精神状態を継続維持した状態をいう。(サンスクリット語で止をシャマタという)。

観(かん)とは止(シャマタ)で統一した心の中で様々な思考、考え、物事の観察、思いを巡らす事をいう。(サンスクリット語で観の事をヴィバシャナという)。

また、仏教以外の宗教、例えば仙道やヨーガにも様々な修行法が説かれている。

例えば、仙道には内部統覚法と外部統覚法という修行法が説かれている。

内部統覚法とは体の内部に意識を集中する修行法。

外部統覚法とは、外部の対象物に意識を集中する修行法。

例えば夜空に輝く月や、草花などの体と離れた対象物に意識を集中する修行法がある。

また、密教では曼荼羅(マンダラ)を前にした瞑想、また、阿字観(あじかん)や月輪観(がちりんかん)という座禅する位置の眼前に梵字の書かれた図絵や満月が描かれた絵を前にして瞑想する修行法があるが、これは仙道でいう外部統覚法にあたるといえる。

また、密教では護摩という、ご本尊の前に設置された護摩壇上に護摩木を複数本組み上げ、その護摩木に火を燃やし、その燃え上がる護摩の火を拝み、仏菩薩、さまざまな諸霊に対して御供養、お祈りをする儀式があるが、護摩修法は仏菩薩、さまざまな諸霊に対する供養法でもあるが、別の観点から考えると、火を対象にした修行法、外部統覚法になるといえるかもしれない。

また、ヨーガでは眉間の奥、額の奥に意識を集中する瞑想の修行法がある。

密教、ヨーガや仙道の教えの中に、額の奥に松果体、視床下部、間脳といった霊性を司る部位があるとされている。

密教の阿闍梨であり、阿含宗の開祖でもあられた桐山靖雄大僧正猊下は自身の著作『密教 超能力の秘密 桐山靖雄著 平河出版』や『間脳思考 桐山靖雄著 平河出版』等の著書において松果体、視床下部、間脳に対する意識集中法(修行法)の意義や効果について詳しく解説されている。

このような体の内部に意識を集中する修行法の事を仙道でいう内部統覚法ともいえる。

ヨーガでは瞑想の段階として凝念、静慮、三味という瞑想の段階がある。

また、仏教では、初禅、第ニ禅、第三禅、第四禅、滅尽定、また、数息観、慈悲観、さらにまた、五根法という修行法の中に念根、定根などの瞑想法が説かれている。

密教の阿闍梨、山崎泰廣師の書籍『密教瞑想法 -密教ヨーガ-・阿字観 永田文昌堂』の中で、著者の山崎泰廣師は瞑想について次のように言及されておられる。

「瞑想とは文字通り、瞑想して静かに考えることである。外見からは何の変哲もないこの瞑想が、一個の人間を全く変えてしまうのである。

菩提樹の大木の下で瞑想した1人の求道者釈迦は、遂に迷いの正体を見破り、一切の迷いを克服して、前人未踏の境地を切り開いて世界の一大光明になった。

菩提樹下瞑想の釈迦こそ仏教の原点であり、密教瞑想法の原点である。」

この中で前人未踏の境地とあるが、仏典には、釈迦の生まれるはるか大昔において瞑想によって釈迦と同様の悟りを開いた覚者たちが幾人もいたと伝えられている。

ところで、仏教には不邪婬戒(出家者は不淫戒)、不飲酒戒など、妻以外との性行為や飲酒行為を禁止する戒律が存在する。

また、ヨガ修行者の教科書、ヨーガの経典『ヨーガ・スートラ』の中に「禁欲の戒行に徹したならば巨大な力を得る事ができる」という章句が記載されている。

ヨーガの教えでは性的な禁欲を徹底すると体の内部の精液がオージャスという有益なエネルギーに変換されると説かれている。

また、仙道では「精唾を漏らさず」という言葉がある。

この言葉は弘法大師空海様の著作、『三教指帰』の中にも「精唾を漏らさず」という言葉が書かれている。

ヨーガや仙道の教えでは精液や唾液は本来、気(プラーナ)の凝縮したものであり、むやみやたらに過度に体外に放出し、捨て去ったりすると、体の老化が促進し寿命が短くなると説いている。

唾に関して一言書き添えると、よく競技中のスポーツ選手の中に、スポーツ選手が唾(つば)を吐く姿をよく見るが、唾液をむやみやたらに吐き散らすのは健康上よくないと観戦中に強く感じる。

実際に自身の唾液にはパロチンという若返りを司るホルモンが含まれていると医学的に証明されている。

唾液の中にパロチンという若返りを司るホルモンの存在を発見した人物は緒方知三郎氏といわれている。

緒方知三郎氏は江戸時代後期、天然痘の治療等で医学界に多大な貢献をした近代医学の祖、緒方洪庵(おがたこうあん)氏の孫である。

また、唾液について、江戸時代に広く読まれた、貝原益軒の著書、『養生訓』の中に次のように書かれている。

「津液(しんえき)(つばき)(=唾液)は一身のうるほひ也。

化して精血となる。

草木に精液なければ枯る。

大切な物なり。

津液は臓腑(ぞうふ)より口中に出づ。

おしみて吐くべからず。

ことに遠くつばき吐くべからず、気へる。

津液をばのむべし、吐くべからず。

痰(たん)をば吐くべし、のむべからず。

痰(たん)あらば紙にて取るべし、遠くはくべからず。

水飲津液すでに滞りて、痰となりて内にありては、再び津液とはならず。

痰うちにあれば、気をふさぎて、かへつて害あり。

此理をしらざる人、痰を吐かずしてのむは、ひが事也。

痰を吐くとき、気をもらすべからず。

酒多くのめば痰を生じ、気が上(のぼ)せ、津液をへらす。」と書かれている。

(書籍『養生訓・和俗童子訓 貝原益軒著 岩波文庫』51頁参照)

また、貝原益軒の著書、『養生訓』の中に「色欲を恣(ほしいまま)にすれば短命に終る(荒淫の長生きはない)」として次のような文章が書かれている。

「素問(そもん)に、「腎者(じんは)五臓の本」といへり。

然らば養生の道、腎を養う事をおもんずべし。

腎を養う事、薬補をたのむべからず。

只、精気を保ちて、へらさず、腎気をおさめて、動かすべからず。

論語に曰はく。

わかき時は血気まさに壮(さかん)なり。

「之を戒むること、色にあり」と。

聖人の戒(いまし)め、守るべし。

血気さかんなるにまかせ、色欲をほしいままにすれば、必ず先ず礼法をそむき、法外を行い、恥辱(ちじょく)を取りて、面目をうしなふ事あり。

時過ぎて、後悔すれどもかひなし。

かねて、後悔なからん事を思ひ、礼法をかたく慎むべし。

況や精気を費やし、元気を減らすは、寿命をみじかくする本なり。

おそるべし。

年若き時より、男女の欲深くして、精気を多くへらしたる人は、生まれつきさかんなれ共、下部の元気少なくなり、五臓の根本弱くして、必(ず)短命なり。

つつしむべし。

飲食・男女は人の大欲なり。

恣(ほしいまま)になりやすき故、此二事、尤(もっとも)かたく慎むべし。

是をつつしまざれば、脾腎の真気へり、薬補・食補のしるしなし。

老人は、ことに脾腎の真気を保養すべし。

補薬のちからをたのむべからず。」

(書籍『養生訓・和俗童子訓 貝原益軒著 岩波文庫』96頁~97頁参照)

また、飲酒について貝原益軒は自身の著書『養生訓』の中において、次のように書かれている。

「酒を多く飲んで、飯を少なく食ふ人は、命短し。

かくのごとく多く飲めば、天の美禄を以て、却って身を亡ぼすなり。

かなしむべし。」

(書籍『養生訓・和俗童子訓 貝原益軒著 岩波文庫』91頁~92頁参照)

太古の昔から、人が酒(大酒)と女色(淫乱)で身を持ち崩した。という話は世間ではよく聞く話である。

また、忍者の三禁という言葉がある。

つまり、忍者には三つの禁止事項があったと伝えられている。

つまり、色(女色)、酒、博打(ばくち)、これは身を亡ぼす元として忍者の世界では固く禁じられていたと伝えられている。

ところで、釈迦が仏教を開いてから、また、釈迦の死後、仏教教団は幾度となく分裂し様々な宗派、流派が出来たが、日本の真言宗の一派、真言立川流などの、性交を通じて悟りが開けるという流派も出来た。

チベットにも一部、タントラなどの飲酒、性交を肯定的に捉える流派も出来たが、本来の釈迦の教えと著しく相違している点から、一般的には邪道視されている。

 

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真実を言う事、嘘をつかない事の重要性について

真実を言う事、嘘をつかない事の重要性についてインド哲学の世界的権威、中村元博士は自身の著作『原始仏教の生活倫理 中村元著 春秋社』の中で次のように書かれている。

「ことばは人間にとって本質的なものである。

それだけにまた恐ろしいものである。

「人が生まれるとその口の中に斧が生じる。それによって自己を斬るのである。

愚者は悪口を語るのであるから」ことばを慎むべし。」

ということは繰返し説かれている。

また、社会生活において、相互信頼が大切であるから、偽りを言って人をだましてはならぬ。

「真実を語れ」ということはウパニシャッドにおいて説かれ、もしも真実を語るならば、その人は出身が賤しくてもバラモンに同じであるなどと言われていたが、仏教は特にこの徳を強調し、「真実を語れ」と教えている。

「虚言を避けよ」ともいう。

この文句は、おそらくバラモン教のほうの抒情詩における表現のようなものを受けているのであろう。

聖典のうちにはしばしば虚言(妄語)を戒めている。

それは「わざと意識して嘘を言うこと」を戒めているのである。

「虚言者は地獄に赴くともいい、また言行一致せよ」とも教えている。

・・・中略・・・

「集会所にいても、団体のうちにいても、何人も他人に向かって偽りを言ってはならぬ。また他人をして偽りを言わせてもならぬ。また、他人が(偽りを)語るのを容認してはならぬ。すべて虚妄を語ることを避けよ。」

偽りを言ってはならぬのみならず、他人が偽りを言うのを容認してはならぬ。

すべて虚妄を語ることを避けよ。」

偽りを言ってはならぬのみならず、他人が偽りを言うのを容認してはならぬ。というところに厳しい社会倫理を認めることができる。」

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仏教国チベットの方々の深い哀しみと、因果応報の観点から予測する中国の今後の悲観的な未来予測

チベットにおいては1949年、中国共産党によるチベット侵略によりチベットの法王ダライ・ラマが母国チベットを追われインドに亡命した。

また、チベット国内の多くの仏像が中国共産党により破壊された。

その後、チベット、中国はどうなっていくのだろうか?

現在、仏教国チベットの状況は悲惨な状況である。

『チベットの主張:チベットが中国の一部という歴史的根拠はない。(TIBET WAS NEVER A PART OF CHINA)』という書籍に現在のチベット、チベット人、及びチベット仏教の悲惨な状況について書かれている。

その書籍の前書きには次のように記されている。

「この度、集広舎より、『チベットの主張:チベットが中国の一部という歴史的根拠はない。(TIBET WAS NEVER A PART OF CHINA)』を日本語訳に出版できたことを嬉しく思います。

チベット亡命政権がチベット内に暮らすチベット人の情報源をもとに収集して真実を伝える貴重な報告書であります。

・・・中略・・・

世界中の方々が絶賛して下さるチベットの仏教文化を、私たちはなんとしても守らねば、と考えております。

特にチベット本土の若者たちのチベットの仏教文化を守ろうという思いは、以前にも増して強くなっております。

多くのチベット人の若者を焼身抗議に駆り立てているのは、中国政府によるチベット仏教文明、言語、アイデンティティの弾圧である。

中国政府はチベット仏教にまで介入しており、チベット仏教の指導者の認定まで行おうとしている。

中国共産党の下で働いたことのあるチベット人の多くが、中国共産党によるチベットの統治を以下のように評している。

最初の10年(1950年~1960年)で領土を失った。(中国共産党によるチベット侵略)。

次の10年(1960年~1970年)で政治的な力を失った(チベット政府は中国共産党に取って代わられた。

その次の10年(1970年~1980年)で文化を失った(文化大革命により、チベットの信仰は破壊された)。

その次の10年(1980年~1990年)で経済を失った(漢人移民がチベット人の職を奪った。)

上記の評価は、チベットの多くの若者が焼身抗議に駆られる理由を示している。

彼らは、日々、中国政府によるチベット仏教文明、言語、アイデンティへの止むことのない弾圧を目にし、経験しているのだ。

中国政府は、今、チベット仏教の指導者の任命にも介入している。

中国政府は、ダライ・ラマ法王を非難し、僧侶や尼僧に対し、ダライ・ラマ法王を非難するよう強要している。

漢人移民がチベットに流入し、チベット人の職、土地、未来を奪っている。

チベットの町は中国化している。

こうした状況に、チベット人は警戒と恐怖を覚えている。

遊牧民は家畜を奪われ、草原を追われ、都市に定住させられている。

その結果、遊牧民時代は自立していた世帯が、収入を失い、貧困にあえいでいる。

また、大規模開発もチベット人にはほとんど恩恵がない。

チベットの天然資源が、資源に乏しい中国東部に運ばれている。

チベットの中国化が進み、チベット人は先祖代々の土地で二流市民となりつつある。

中国政府による止むことのないチベットの弾圧、そして、それを見て見ぬふりをする世界について、研究者のデイヴィッド・スネルグローブとヒュー・リチャードソンが著書『チベット文化史』の中で述べている。

両氏は執筆に至った動機を次のように述べている。

今、私たちにはこの本を書く責任があります。

今、私たちの目の前で、チベットの文明が消えようとしているのです。

しかし、世界ではこのことに対して、ほとんど抗議の声があがっていません。

大多数の人が見て見ぬふりをしています。

かつて、多くの文明が衰退し、統合されてきました。

それと同じことが今まさに起きているのです。」

中国政府は、チベットに出入りする情報を遮断しており、その遮断具合は強まっている。

2016年のアメリカ国務省の人権報告書には次のように記されている。

ジャーナリストにとって、チベット自治区は北朝鮮よりも行きにくい場所だ。(ワシントンポスト、2016年9月)

中国政府は、チベットへの外国人ジャーナリストの立ち入りを厳しく規制している。さらに海外に情報を伝えようと外国人ジャーナリストと話をしたチベット人、電話、メール、インターネットで抗議に関する情報や中国政府への不満を伝えたチベット人は、嫌がらせを受けたり拘束されたりしている。

チベット自治区に立ち入ることができた外交官やジャーナリストはほとんどおらず、立ち入れたとしても現地当局の厳しい監視下に置かれる。

国境なき記者団は、習近平を「インターネットの敵」、「報道の自由を蝕む者」と位置付けており、「2012年に習近平が国家主席になってから、中国では自由が著しく後退した」と述べている

チベット難民が暮らすインドのダラムサラを毎年訪ねるようになってから10年がたつ。

この間、色々な人に会い、証言を聞いた。彼らは、ダライ・ラマ法王から、「証言をするときは、ありのままを話しなさい。

決して誇張してはならない。」

と言われているのだという。

そのようなダライ・ラマ法王の教えのためか、本書はチベット側の主張をまとめたにもかかわらず、チベットに過度に肩入れしていると思われる箇所はない。

事実に忠実に基づいて書かれている。

本書の意義の一つは、21世紀の出来事についても網羅的に書かれている点だ。

21世紀のチベットの出来事を包括的にまとめた書籍は世界的に珍しい。

これにより、本書は、今なおチベット人が苦しんでいるというメッセージになっている。

本書の情報源の多くは、チベットに暮らすチベット人だ。

しかし、彼らが世界に情報を届けるのは年々難しくなっている。

焼身抗議などの大きなニュースがあれば、中国当局は、その地域の通信をただちに遮断する。

海外に情報を送ると有罪になる。

それでも、チベットから命懸けで情報を送ってくれる人がいる。

そのような情報を私たちは決して無駄にしてはならない。

中国政府は、チベット人が発信する情報を遮断する傍ら、中国政府の立場の情報を発信し、真実を歪めている。

例えば、本書106ページに登場するテンジン・デレク・リンポチェは、「ダライ・ラマ一味による、 扇動で爆発事件を起こした」という罪を中国当局から着せられ、投獄された。

当時、テンジン・デレク・リンポチェは、中国当局からの厳しい監視下にあった。

そのような中で、爆発事件を引き起こすことはまず不可能といっていい。

動機もない。

また、テンジン・デレク・リンポチェの家族が選任した弁護団による弁護は裁判所から拒否された。

裁判所は、「テンジン。デレク・リンポチェが自分で弁護士を選任しており、本人が選任した弁護士が優先される。」と説明した。

しかし、この「テンジン・デレク・リンポチェが選任した」とされる弁護士がそもそも実在したのか、きわめて疑わしい。

そして、裁判は非公開で行われ、判決が下された。

テンジン・デレク・リンポチェの死の状況もはなはだ不審である。

後に亡命したテンジン・デレク・リンポチェの姪(めい)のニマ・ラモは、「遺体は唇も爪も真っ黒でした。

あんな遺体は見たことはありません。

自然死ではありません。

毒殺の可能性が高いです。

中立な国際機関に真実を調査してほしいです。」と涙ながらに語った。

ニマ・ラモは、高齢の母親と当時6歳の娘をチベットに残して亡命した。

「海外で証言すると、チベットに残してきた家族に危害が加えられるのではないですか?」と尋ねると、「家族の問題は小さな問題です。大事なのは、叔父の真実です。

叔父の真実を突き止めることが一番大事だと家族で決めたのです。」と彼女は語った。

チベット人が真実を伝えるには想像を絶するほどの困難が伴う。

チベット人に話を聞いた後、決まって言われることがある。

「私たちの話を一人でも多くの人に伝えてください。」と。

ところで、日本の安土桃山時代、日本国内で天下を取った織田信長は比叡山焼き討ちを挙行、また、同じく日本国内で天下を取った豊臣秀吉は高野山を攻めた、いわゆる高野攻めを敢行、織田信長や豊臣秀吉の末路はどのようなものだったか?

一方、徳川家康の家訓に「仏神を尊ぶべし」という家訓が徳川家の家訓の冒頭に書かれている。

その徳川家康は江戸幕府を開き、一代将軍の徳川家康から徳川十五代将軍まで徳川政権が264年続いた。いわゆる約260年以上にわたる徳川長期政権が誕生した。

その徳川政権時代、日本において、約260年にわたる平和な時代、世界ではミラクルピース(miracle peace)と言われるほど驚くべき長きにわたる平和な時代が続いた。

その後、江戸時代が終焉を迎え、明治時代が始まり、その明治の初め頃、日本において廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)という仏教弾圧があった。

廃仏毀釈とは、例えば、仏像を破壊したりする行為などの仏教を破壊する行為を意味する。

一説では、廃仏毀釈が起きた遠因として、当時の寺院の僧侶の甚だしい堕落に対する民衆の猛烈な反発心から廃仏毀釈が起きたという説もあるが。

1868年の廃仏毀釈政策を行った日本政府はその後、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、日中戦争、太平洋戦争(大東亜戦争)と次から次へと転げ落ちるように戦乱の渦に巻き込まれ最終的に、1868年から数えて約77年後の1945年、東京大空襲、広島、長崎への原子爆弾の投下など酷い目に遭っている。

私の個人的な結論としては、偽りを言わず真実を語り、仏神を尊ぶ国は最終的には栄え、偽りを語り、他人をだまし、仏神を粗末にする国は一時的に繫栄しても最終的には壊滅的な被害を被るように思う。

 

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シナ、中国による仏教国チベット弾圧について考え、思うこと

昔、かつてのシナ、中国は偉大なる仏教者を多く輩出した。

例えば、シナの天台大師智顗(てんだいだいしちぎ)(西暦538年~西暦598年)が著した瞑想、座禅のテキスト『摩訶止観』という古典的名著がある。

このテキストは後世の仏教者たちに多大な影響を与えた。

また、シナの玄奘三蔵(西暦602年~西暦664年)はシナに生まれ、シナからインドに渡り、インドから大量の仏典を持ち帰り、そのインドから中国に招来された大量の仏典を自国語に翻訳した。

そのシナから輩出した玄奘三蔵の業績は後世の日本の仏教者、一般の民衆に至るまで、また、世界の仏教者にも計り知れないほどの利益をもたらした。

その偉大なる仏典翻訳者、玄奘三蔵はシナから輩出した。

また、シナに生まれた鑑真(がんじん)(西暦688年~西暦763年)という僧侶は、日本に渡り、日本に初めて仏教の戒律を伝える為、自身が高齢にもかかわらず、何度も何度もシナから日本への航海に果敢に挑戦するも何度も失敗し、あまりにもの渡航の困難さ、渡航の失敗続きに、遂に鑑真は失明するという程の悲惨な状況に陥った。

しかし、鑑真はあきらめずに渡航に挑戦し、ついに日本への航海に成功し、ついに日本の地を踏み、そして、日本に初めて仏教の戒律を伝えた。

偉大な仏教者、鑑真、別名、渡航大師。

次に、日本の偉大なる密教の高僧、真言宗開祖の弘法大師空海(西暦774年~西暦835年)。その弘法大師空海の偉大なる師、シナの恵果和尚(西暦746年~西暦806年)がおられた。

シナの恵果和尚は日本から来た空海を一目見、空海の天才性、大器ぶりを即座に見抜き、恵果和尚が所有する密教の大法を日本の空海にすべての秘法を授けたとされる。

そして恵果は空海に対し、自分の唯一人の後継者として厚遇し、そして空海に対して次のように言ったとされる。

早く日本に帰り、この密教の法を日本の人々に弘め、日本の多くの人々を救うよう教え諭したとされる。

このように、かつてのシナ、中国はすぐれた仏教者を多く輩出した偉大なる歴史がある。

しかし、現在のシナ、中国はどうであろうか。

書籍「チベットの反論 チベットの史実を歪曲する中国共産党に挑む アダライ・ラマ法王日本代表部事務所 代表 アリヤ・ツェワン・ギャルポ 著 亀田浩史 訳 集広舎」という書籍に次のようにシナ(中国)のチベットに対する弾圧の状況が書かれている。

チベットの反論 チベットの史実を歪曲する中国共産党に挑む [ 亀田浩史 ]

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「チベットはかつて、中央アジアの軍事大国でした。

しかし、インドから仏教が伝来すると、チベットは他国への侵攻を停止し、心の平穏に目を向けるようになりました。

歴史的には、モンゴル、ゴルカ、満州、中国といった好戦的な隣国を鎮め、平和的交渉をするのに仏教は大きな役割を果たしました。

しかし、1949年に中国共産党が権力を掌握すると、平和的開放という口実の下、チベットを軍事侵攻しました。

チベットは国連や国際社会に支援を求めたが、好戦的な中国を鎮め、直接の衝突を避けることが優先され、チベットは見殺しにされたのです。

かつては最も平和的な国であったネパール、インド、ブータンは、中国から度重なる越境攻撃を受け、チベットは危険な軍事地域となりました。

<中略>

また、中国当局に二十七年間、投獄されたチベット人のアデ・タポンツワンという女性は次のように語っている。

「私が刑務所にいたとき、激しい拷問を受けました。

食べ物も十分に与えられず、同じ刑務所に収容された人のうち九割以上が餓死しました。

それでも、みな夢や希望をもって必死に生きようとしていました。

しかし、二十一世紀になって、若者が焼身抗議を行うようになりました。

チベットの若者は、夢や希望を断たれているのです。

チベットにとって、今が一番大変なときなのです。

現在のチベットの情報統制は歴史上最も厳しくなっています。

チベットのニュースが海外に伝わるのは数年の遅れがあります。

国境なき記者団が「報道の自由のない国、地域ランキング」を毎年発表していますが、チベットは一位の常連です。

チベットは北朝鮮よりも報道の自由がないのです。

外国人ジャーナリストがチベットで自由な取材を行うのは不可能です。

インターネットや電話もしばしば遮断されます。(中国政府により)

外部に情報を漏らした人は投獄されます。(中国政府により)

外国人がチベットの情報を入手するのは著しく困難になっています。

日本でチベットに関する情報がないからといって、チベットで何も起きていないわけではありません。

情報のない時こそ、情報統制が厳しい危険な時なのです。

中国政府は情報を遮断する傍ら、事実に基づかないプロパガンダを多数発信しています。

とるに足らない真っ赤な嘘も多いですが、放っておくと、中国政府の言い分ばかりが世界に広まってしまいます。

中国政府が誤った情報を流布した際には、反論することが大切です。

本書の著者であるアリヤ・ツェワン・ギャルポ博士は、近年の中国政府の誤った発言に対する反論を多数行ってこられました。

中国政府の誤った主張が続いているため、アリア氏も反論を続けなければならないのです。」

この書籍を読んで強く感じたことは、同じ仏教国である日本もチベットに対してもっと積極的に救済的措置を講じるべきではないだろうか?

かつて一時的にせよ仏教が盛んであったシナ、中国がなぜ、かくもこのような人権弾圧国に成り下がってしまったのであろうか?