仏教、ヨーガ、仙道の修行法について考える

仏教には単なる教理教学、哲学的な理論だけではなく実践的な修行法というものが説かれている。

例えば。摩訶止観(まかしかん)という瞑想の修行法がある。

摩訶(まか)とはサンスクリット語のマハー「偉大な」という言葉を漢語読みにした言葉。

止(し)とは怒り、恨み、慢心などの様々な煩悩を止滅し、精神を統一、集中し、その精神の状態を寂静にして、その精神状態を継続維持した状態をいう。(サンスクリット語で止をシャマタという)。

観(かん)とは止(シャマタ)で統一した心の中で様々な思考、考え、物事の観察、思いを巡らす事をいう。(サンスクリット語で観の事をヴィバシャナという)。

また、仏教以外の宗教、例えば仙道やヨーガにも様々な修行法が説かれている。

例えば、仙道には内部統覚法と外部統覚法という修行法が説かれている。

内部統覚法とは体の内部に意識を集中する修行法。

外部統覚法とは、外部の対象物に意識を集中する修行法。

例えば夜空に輝く月や、草花などの体と離れた対象物に意識を集中する修行法がある。

また、密教では曼荼羅(マンダラ)を前にした瞑想、また、阿字観(あじかん)や月輪観(がちりんかん)という座禅する位置の眼前に梵字の書かれた図絵や満月が描かれた絵を前にして瞑想する修行法があるが、これは仙道でいう外部統覚法にあたるといえる。

また、密教では護摩という、ご本尊の前に設置された護摩壇上に護摩木を複数本組み上げ、その護摩木に火を燃やし、その燃え上がる護摩の火を拝み、仏菩薩、さまざまな諸霊に対して御供養、お祈りをする儀式があるが、護摩修法は仏菩薩、さまざまな諸霊に対する供養法でもあるが、別の観点から考えると、火を対象にした修行法、外部統覚法になるといえるかもしれない。

また、ヨーガでは眉間の奥、額の奥に意識を集中する瞑想の修行法がある。

密教、ヨーガや仙道の教えの中に、額の奥に松果体、視床下部、間脳といった霊性を司る部位があるとされている。

密教の阿闍梨であり、阿含宗の開祖でもあられた桐山靖雄大僧正猊下は自身の著作『密教 超能力の秘密 桐山靖雄著 平河出版』や『間脳思考 桐山靖雄著 平河出版』等の著書において松果体、視床下部、間脳に対する意識集中法(修行法)の意義や効果について詳しく解説されている。

このような体の内部に意識を集中する修行法の事を仙道でいう内部統覚法ともいえる。

ヨーガでは瞑想の段階として凝念、静慮、三味という瞑想の段階がある。

また、仏教では、初禅、第ニ禅、第三禅、第四禅、滅尽定、また、数息観、慈悲観、さらにまた、五根法という修行法の中に念根、定根などの瞑想法が説かれている。

密教の阿闍梨、山崎泰廣師の書籍『密教瞑想法 -密教ヨーガ-・阿字観 永田文昌堂』の中で、著者の山崎泰廣師は瞑想について次のように言及されておられる。

「瞑想とは文字通り、瞑想して静かに考えることである。外見からは何の変哲もないこの瞑想が、一個の人間を全く変えてしまうのである。

菩提樹の大木の下で瞑想した1人の求道者釈迦は、遂に迷いの正体を見破り、一切の迷いを克服して、前人未踏の境地を切り開いて世界の一大光明になった。

菩提樹下瞑想の釈迦こそ仏教の原点であり、密教瞑想法の原点である。」

この中で前人未踏の境地とあるが、仏典には、釈迦の生まれるはるか大昔において瞑想によって釈迦と同様の悟りを開いた覚者たちが幾人もいたと伝えられている。

ところで、仏教には不邪婬戒(出家者は不淫戒)、不飲酒戒など、妻以外との性行為や飲酒行為を禁止する戒律が存在する。

また、ヨガ修行者の教科書、ヨーガの経典『ヨーガ・スートラ』の中に「禁欲の戒行に徹したならば巨大な力を得る事ができる」という章句が記載されている。

ヨーガの教えでは性的な禁欲を徹底すると体の内部の精液がオージャスという有益なエネルギーに変換されると説かれている。

また、仙道では「精唾を漏らさず」という言葉がある。

この言葉は弘法大師空海様の著作、『三教指帰』の中にも「精唾を漏らさず」という言葉が書かれている。

ヨーガや仙道の教えでは精液や唾液は本来、気(プラーナ)の凝縮したものであり、むやみやたらに過度に体外に放出し、捨て去ったりすると、体の老化が促進し寿命が短くなると説いている。

唾に関して一言書き添えると、よく競技中のスポーツ選手の中に、スポーツ選手が唾(つば)を吐く姿をよく見るが、唾液をむやみやたらに吐き散らすのは健康上よくないと観戦中に強く感じる。

実際に自身の唾液にはパロチンという若返りを司るホルモンが含まれていると医学的に証明されている。

唾液の中にパロチンという若返りを司るホルモンの存在を発見した人物は緒方知三郎氏といわれている。

緒方知三郎氏は江戸時代後期、天然痘の治療等で医学界に多大な貢献をした近代医学の祖、緒方洪庵(おがたこうあん)氏の孫である。

また、唾液について、江戸時代に広く読まれた、貝原益軒の著書、『養生訓』の中に次のように書かれている。

「津液(しんえき)(つばき)(=唾液)は一身のうるほひ也。

化して精血となる。

草木に精液なければ枯る。

大切な物なり。

津液は臓腑(ぞうふ)より口中に出づ。

おしみて吐くべからず。

ことに遠くつばき吐くべからず、気へる。

津液をばのむべし、吐くべからず。

痰(たん)をば吐くべし、のむべからず。

痰(たん)あらば紙にて取るべし、遠くはくべからず。

水飲津液すでに滞りて、痰となりて内にありては、再び津液とはならず。

痰うちにあれば、気をふさぎて、かへつて害あり。

此理をしらざる人、痰を吐かずしてのむは、ひが事也。

痰を吐くとき、気をもらすべからず。

酒多くのめば痰を生じ、気が上(のぼ)せ、津液をへらす。」と書かれている。

(書籍『養生訓・和俗童子訓 貝原益軒著 岩波文庫』51頁参照)

また、貝原益軒の著書、『養生訓』の中に「色欲を恣(ほしいまま)にすれば短命に終る(荒淫の長生きはない)」として次のような文章が書かれている。

「素問(そもん)に、「腎者(じんは)五臓の本」といへり。

然らば養生の道、腎を養う事をおもんずべし。

腎を養う事、薬補をたのむべからず。

只、精気を保ちて、へらさず、腎気をおさめて、動かすべからず。

論語に曰はく。

わかき時は血気まさに壮(さかん)なり。

「之を戒むること、色にあり」と。

聖人の戒(いまし)め、守るべし。

血気さかんなるにまかせ、色欲をほしいままにすれば、必ず先ず礼法をそむき、法外を行い、恥辱(ちじょく)を取りて、面目をうしなふ事あり。

時過ぎて、後悔すれどもかひなし。

かねて、後悔なからん事を思ひ、礼法をかたく慎むべし。

況や精気を費やし、元気を減らすは、寿命をみじかくする本なり。

おそるべし。

年若き時より、男女の欲深くして、精気を多くへらしたる人は、生まれつきさかんなれ共、下部の元気少なくなり、五臓の根本弱くして、必(ず)短命なり。

つつしむべし。

飲食・男女は人の大欲なり。

恣(ほしいまま)になりやすき故、此二事、尤(もっとも)かたく慎むべし。

是をつつしまざれば、脾腎の真気へり、薬補・食補のしるしなし。

老人は、ことに脾腎の真気を保養すべし。

補薬のちからをたのむべからず。」

(書籍『養生訓・和俗童子訓 貝原益軒著 岩波文庫』96頁~97頁参照)

また、飲酒について貝原益軒は自身の著書『養生訓』の中において、次のように書かれている。

「酒を多く飲んで、飯を少なく食ふ人は、命短し。

かくのごとく多く飲めば、天の美禄を以て、却って身を亡ぼすなり。

かなしむべし。」

(書籍『養生訓・和俗童子訓 貝原益軒著 岩波文庫』91頁~92頁参照)

太古の昔から、人が酒(大酒)と女色(淫乱)で身を持ち崩した。という話は世間ではよく聞く話である。

また、忍者の三禁という言葉がある。

つまり、忍者には三つの禁止事項があったと伝えられている。

つまり、色(女色)、酒、博打(ばくち)、これは身を亡ぼす元として忍者の世界では固く禁じられていたと伝えられている。

ところで、釈迦が仏教を開いてから、また、釈迦の死後、仏教教団は幾度となく分裂し様々な宗派、流派が出来たが、日本の真言宗の一派、真言立川流などの、性交を通じて悟りが開けるという流派も出来た。

チベットにも一部、タントラなどの飲酒、性交を肯定的に捉える流派も出来たが、本来の釈迦の教えと著しく相違している点から、一般的には邪道視されている。

 

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真実を言う事、嘘をつかない事の重要性について

真実を言う事、嘘をつかない事の重要性についてインド哲学の世界的権威、中村元博士は自身の著作『原始仏教の生活倫理 中村元著 春秋社』の中で次のように書かれている。

「ことばは人間にとって本質的なものである。

それだけにまた恐ろしいものである。

「人が生まれるとその口の中に斧が生じる。それによって自己を斬るのである。

愚者は悪口を語るのであるから」ことばを慎むべし。」

ということは繰返し説かれている。

また、社会生活において、相互信頼が大切であるから、偽りを言って人をだましてはならぬ。

「真実を語れ」ということはウパニシャッドにおいて説かれ、もしも真実を語るならば、その人は出身が賤しくてもバラモンに同じであるなどと言われていたが、仏教は特にこの徳を強調し、「真実を語れ」と教えている。

「虚言を避けよ」ともいう。

この文句は、おそらくバラモン教のほうの抒情詩における表現のようなものを受けているのであろう。

聖典のうちにはしばしば虚言(妄語)を戒めている。

それは「わざと意識して嘘を言うこと」を戒めているのである。

「虚言者は地獄に赴くともいい、また言行一致せよ」とも教えている。

・・・中略・・・

「集会所にいても、団体のうちにいても、何人も他人に向かって偽りを言ってはならぬ。また他人をして偽りを言わせてもならぬ。また、他人が(偽りを)語るのを容認してはならぬ。すべて虚妄を語ることを避けよ。」

偽りを言ってはならぬのみならず、他人が偽りを言うのを容認してはならぬ。

すべて虚妄を語ることを避けよ。」

偽りを言ってはならぬのみならず、他人が偽りを言うのを容認してはならぬ。というところに厳しい社会倫理を認めることができる。」

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