精進料理(しょうじんりょうり)の健康効果について考える

和歌山県にある真言密教の聖地、高野山や福井県にある曹洞宗の総本山、永平寺などの禅宗のお寺で食されている精進料理は動物の肉を使わず植物性タンパクや山菜料理が中心の料理である。

仏教以外の他の宗教の肉食についての考え方を調べてみると、ヒンズー教は牛肉を食べてはいけないという戒律があり、イスラム教においては豚肉を食べてはいけないという戒律があるが、キリスト教についてはそのような肉食について特に禁止する戒律は存在しないようだ。

では、一体、肉食についてその健康上についての効果はどのようなものであろうか。

書籍「血管をよみがえらせる食事 コールドウェル・B・エセルスティン・Jr. 翻訳・日本語版監修=松田麻美子 株式会社ユサブル」の中で、著者は、動物性タンパク質、肉食は心臓病、特に冠静脈疾患、すなわち心臓の冠状動脈を詰まらせる原因になると数々の事例を挙げ、主張されている。

キリスト教が盛んな欧米諸国において肉食が盛んに食されている国の方々に心臓病が多い事を考えると、動物性タンパク質は何かしらの心臓病を引き起こしやすい原因になっているかもしれない。

ヒンズー教やイスラム教の戒律において豚肉や牛肉を食べる事について禁止する戒律を定めている一つの理由として考えられるのは豚肉や牛肉を食する事により脳梗塞や心筋梗塞などの病気になる事が経験的な知識、智慧により判明した事がその戒律が定められた一つの理由として考えられるかもしれない。

私事で誠に恐縮ですが、私自身の経験上、豚油が多分に含まれている味噌ラーメンを食べた後、たしかに味噌ラーメンそのものは非常に美味しいが、動物性油脂を多分に含まれる味噌ラーメンのスープを飲んでしばらく後、心臓の血流が悪くなるような感じがしたものだった。

一方、動物性の油脂を含まない昆布やシイタケなどのだしを使用したうどんやそばなどを食べた後、特に心臓の血流が悪くなったという事はなかった。

書籍「血管をよみがえらせる食事 コールドウェル・B・エセルスティン・Jr. 翻訳・日本語版監修=松田麻美子 株式会社ユサブル」参照。

また、納豆は脳梗塞や心筋梗塞の原因となる血栓を溶かす効果があると本で読んだり話を聞いた事がある。

血管事故の救世主とも言われる納豆には血栓を溶かすナットウキナーゼという成分が含有しているとも言われている。

さらにまた、精進料理には大豆とゴマから作った、ごま豆腐、大豆から作った高野豆腐など大豆を使用した食品が有名である。

特に、黒ゴマは古来から仙人のクスリ、不老長寿の食品と言われている。

また、大豆について、アメリカを代表する栄養学、衛生学の第一人者であるジーン・カーパー氏は自身の著書「食べるクスリ ジーン・カーパー著 丸本淑生 訳 ハルキ文庫」の中で次のように書かれている。

「大豆はいろいろな方法で健康を促進する。大豆は肉食者がとくに食事にとり入れなければならない食品である。

なんらかの大豆食品をいつもきまって食べるようにすると、血中コレステロール値が異常に高い人の血液の内容が改善され、すでにダメージが生じている動脈を元に戻す助けにもなることが証明されている。

大豆が血液中のインシュリンの量、血糖値、腸の機能を調整し、ある種のガン、特に胃ガンを予防するという証拠もある。」

書籍「食べるクスリ ジーン・カーパー著 丸本淑生 訳 ハルキ文庫」参照。

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日蓮宗(にちれんしゅう)の開祖、日蓮上人(にちれんしょうにん)の四箇格言(しかかくげん)を考える

鎌倉時代に日蓮上人(にちれんしょうにん)(西暦1222年~西暦1282年)という日蓮宗(にちれんしゅう)を開いた仏教の僧侶がおられた。

日蓮上人は当時、真言亡国(しんごんぼうこく)、禅天魔(ぜんてんま)、念仏無間(ねんぶつむげん)、律国賊(りつこくぞく)と説いて他の宗旨宗派を激しく批判した。

しかし、私が思うに、そもそも、仏教の開祖、お釈迦様は瞑想、禅定によって悟りをお開きになり真実に目覚め、仏陀(ブッダ)となられたことを考えると禅天魔といって当時の禅宗の方々や禅定そのものを批判の対象にするのはいかがなものであろうかと私は思う。

また、律国賊という言葉について考えると、本来、仏教の教えには様々な戒律が存在する。

例えば、生き物を殺してはいけない、生き物を傷つけてはいけない、両親を大切にし、労(いた)わらなければならない。病人や困窮者を大切にし労(いた)わらなければならない、他人の物を盗んではいけない、ウソ、偽りを言って他の者をだましてはいけない、性的放縦を厳に戒め、不倫をしてはいけない、お酒を飲んではいけない、などなど、仏教には様々な戒め戒律が存在するのであるが、仏教の大半の戒律は社会的な見地から見ても道徳的、かつ倫理的な要素を多分に含んだ戒律であるように思われる。

このような戒律を真面目に守っている人を国賊と言って批判するのはいかがなものであろうかと私は思う。

次に、念仏無間、念仏するものは無間地獄に堕ちるとも解釈出来るが、そもそも仏さまを念じる行為がなぜ無間地獄に堕ちる所業と批判するのかが私には理解できない。

また、真言亡国について考えると、当時の真言宗を批判する言葉ではあるが、真言という字面だけを見ると、真言、つまり真の言葉を意味するとも解釈できるが、その真の言葉を標榜する宗旨の存在が何故に亡国につながるのであろうかと私は疑問に思う。