日蓮宗(にちれんしゅう)の開祖、日蓮上人(にちれんしょうにん)の四箇格言(しかかくげん)を考える

鎌倉時代に日蓮上人(にちれんしょうにん)(西暦1222年~西暦1282年)という日蓮宗(にちれんしゅう)を開いた仏教の僧侶がおられた。

日蓮上人は当時、真言亡国(しんごんぼうこく)、禅天魔(ぜんてんま)、念仏無間(ねんぶつむげん)、律国賊(りつこくぞく)と説いて他の宗旨宗派を激しく批判した。

しかし、私が思うに、そもそも、仏教の開祖、お釈迦様は瞑想、禅定によって悟りをお開きになり真実に目覚め、仏陀(ブッダ)となられたことを考えると禅天魔といって当時の禅宗の方々や禅定そのものを批判の対象にするのはいかがなものであろうかと私は思う。

また、律国賊という言葉について考えると、本来、仏教の教えには様々な戒律が存在する。

例えば、生き物を殺してはいけない、生き物を傷つけてはいけない、両親を大切にし、労(いた)わらなければならない。病人や困窮者を大切にし労(いた)わらなければならない、他人の物を盗んではいけない、ウソ、偽りを言って他の者をだましてはいけない、性的放縦を厳に戒め、不倫をしてはいけない、お酒を飲んではいけない、などなど、仏教には様々な戒め戒律が存在するのであるが、仏教の大半の戒律は社会的な見地から見ても道徳的、かつ倫理的な要素を多分に含んだ戒律であるように思われる。

このような戒律を真面目に守っている人を国賊と言って批判するのはいかがなものであろうかと私は思う。

次に、念仏無間、念仏するものは無間地獄に堕ちるとも解釈出来るが、そもそも仏さまを念じる行為がなぜ無間地獄に堕ちる所業と批判するのかが私には理解できない。

また、真言亡国について考えると、当時の真言宗を批判する言葉ではあるが、真言という字面だけを見ると、真言、つまり真の言葉を意味するとも解釈できるが、その真の言葉を標榜する宗旨の存在が何故に亡国につながるのであろうかと私は疑問に思う。