真言密教の開祖、弘法大師空海様が説いた虐殺、屠殺、殺生、殺戮、殺害の果報、業報について

弘法大師空海

仏教やジャイナ教の教えに屠殺、殺生、殺戮、殺害を戒める教え、戒律が存在する。

真言密教の開祖、弘法大師空海様の晩年の著作「秘密曼荼羅十住心論」の中で殺生の果報として次のように説かれている。

「地持論」にいわく、「殺生の罪はよく衆生をして、三悪道に堕せしむ。

もし人中に生ずれば、二種の果報を得。

一には短命。二には多病なり。」

と。かくのごとくの十悪は、一一にみな五種の果報を備う。

一には、殺生は何が故にか地獄の苦を受くるや。

その殺生は衆生を苦しむをもっての故に、故に身壊し命終すれば、地獄の衆苦、みな来たりて己れを切(せ)む。

二には、殺生は何が故にか出でて畜生となるや。

殺生は慈惻あることなくて、行い人倫に背くをもっての故に、地獄の罪おわりて畜生の身を受く。

三には、殺生は何が故にかまた餓鬼となるや。

その殺生は必ず慳心によりて、滋味を貪著するをもってまた餓鬼となる。

四には、殺生は何が故にか人に生じて短寿を得るや。

その殺生は物の命を残害するをもっての故に短命を得。

五には、殺生は何が故にか兼ねて多病を得るや。

殺生は遺適して衆患競い集まるをもっての故に多病を得るなり。

まさに知るべし、殺生はこれ大苦なり。

また、「雑宝蔵経」にいわく、

「時に一人の鬼ありて、目連に申して曰く、われ常に両肩に目あり、胸に口鼻ありて、常に頭あることなし、何の因縁の故ぞと。

目連答えて曰く、汝、前世の時、恒に、魁膾(かいかい)(屠殺者の主)の弟子となりき。

もし、人を殺す時には、汝常に歓喜の心ありて、縄をもって髻に著けてこれを挽く。

この因縁をもっての故に、かくのごとく罪を受くと。

これはこれ悪行の華報なり。

地獄の苦果はまさに後世にあるなり。

また、一人の鬼ありて、目連に申していわく。我が身は常に塊の如くの肉にして、手、脚、眼、耳、鼻あることなし。

常に蟲鳥の為に食せられて、罪苦耐え難し。

何の因縁の故ぞと、答えていわく、汝、前世の時に、常に他に薬を与えて他の児胎を堕とす。この故にかくのごとくの罪を受くと。

これは華報なり、地獄の華報はまさに後身にあり。といえり。

秘密曼荼羅十住心論 書き下し文

書籍「日本思想大系  空海 川崎庸之 (校注者)岩波書店」参照。

秘密曼荼羅十住心論 原文(弘法大師空海 著)

書籍「日本思想大系 空海   川崎庸之 (校注者) 岩波書店」参照。

さらに、因果の道理を知る事の重要性について弘法大師空海様は自身が著された「秘蔵宝鑰」(ひぞうほうやく)の中において次のように説かれている。

「三途の苦は劫を経ても免れがたし。如来の慈父この極苦を見てその因果を説きたもう。

悪の因果を説いてその極苦を抜き、善の因果を示してその極果を授く。

その教えを修するものに略して二種あり。

一には出家、二には在家なり。

出家とは頭を剃り衣を染むる比丘・比丘尼等これなり。

在家とは冠を頂き縷(えい)を絡(まと)える優婆塞(うばそく)・優婆夷(うばい)これなり。

上、天子に達し、下、凡庶に及ぶまで、五戒、十善戒を持(たも)って仏法に帰依するものみなこれなり。

菩薩といっぱ、かくのごとくの在家の人、十善戒を持(たも)って六度の行を修するものこれなり。

出家して大心を発するものもまたこれなり。

悪を断ずるが故に苦を離れ、善を修するが故に楽を得。

下、人天より上、仏果に至るまでみなこれ断悪修善の感得するところなり。

この両趣を示さんがために、大聖教を設けたもう。

仏教すでに存せり。

弘行人に在り。

この故に法を知るものは出家し燈(ともしび)を伝え、道を仰ぐものは道に入って形を改む。(この文章の中での燈とは仏の教法を意味する)

・・・・・・後略・・・・・」

ちなみに真言密教における十善戒とは

不殺生戒

不偸盗戒

不邪淫戒

不偸盗戒

不両舌戒

不悪口戒

無義語戒

不貪欲戒

不瞋恚戒

不邪見戒

を意味する。

書籍「弘法大師著作全集 第一巻 弘法大師(著) 勝又俊教(編)山喜房仏書林」参照。

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