仏教やジャイナ教が説く生き物に対する慈悲の教えと死後における地獄の世界

パーリ仏典「ダンマパダ」(法句経)はパーリ五部のなかの「グッタカ・二カーヤ」に属する経典であるが、その経典は釈尊の教えを説いた数多い諸経典のうちから重要な詩句を選んで集めた詩集であり、仏教のバイブル(聖書)として世界各国に翻訳され読まれている。

その「ダンマパダ」(法句経)において釈尊(仏様)はこうお説きになられている。

 「悪しき(悪業)をなしてこの世(現世)に苦しみ、かの世(来世)に苦しみ両世(現世、来世)に苦しむ。

「我 悪しきをなせり」と思い苦しみ、難所(地獄など)に行きて、いよいよ苦しむ。

良き(善業)をなしてこの世(現世)に歓喜し、かの世(来世)に歓喜し、両世(現世、来世)に歓喜す。

「我 良きをなせり」と歓喜し、善処(天界)に行きて、いよいよ歓喜す。」とある。

また、仏教経典「スッタ・ニパータ」というお経がある。

そのお経は数多くある仏教経典のなかでも最も古い仏教経典として学問的(現代)にも認められており、後世の仏教経典にみられる煩瑣(はんさ)な教理は少しもなく人間として正しく生きる道が対話の中で詳しく語られている。

その仏典「スッタ・ニパータ」を翻訳した「ブッダのことば スッタ・ニパータ 中村元訳 岩波書店」という書籍がある。

この書籍のあとがきで、本書、スッタ・ニパータの訳者で、仏教学の世界的権威である、今は亡き、中村 元博士(1999年没)は次のように言及されている 。

「スッタ・ニパータは現代の学問的研究の示すところによると仏教の諸聖典のうちで最も古いものであり歴史的人物ゴータマブッダ(仏陀釈尊)の言葉に最も近い詩句を集成した一つの聖典であるとされている。」と。

その仏典「スッタ・ニパータ」において仏陀は次のようにお説きになられている。

「一度生まれる生き物(胎生つまり母胎から生まれる生き物)でも、二度生まれる生き物(卵生、つまり卵から生まれる生き物)でも、この世で生き物を害し、生き物に対する哀(あわ)れみのない人(慈悲心のない人)、彼を賤(いや)しい人であると知れ」

「母、父、兄弟、姉妹或いは義母を打ち、また言葉で罵(ののし)る人、彼を賤(いや)しい人であると知れ。」と。

次に 仏教とほぼ同時期に勃興したジャイナ教がある。

ジャイナ教の第2代祖師 ゴーマテーシュバラ像。

そのジャイナ教の教えの特長は、人間だけではなく動物や植物に対する不殺生戒を徹底的に重視する点にある。

そのジャイナ教の教えにこうある。

「わたしは説く。いかなる生物も傷つけてはならない。

これは霊的な生活を送るうえでの永遠の絶えざる不変の道である。」

「過去、現在、未来の敬われるべき聖者、尊師らはすべてこのように説き、このように語り、このように告げ、このように示す。

全ての生き物、全ての有情、すべての生命あるもの、すべての生存者を殺してはならぬ。虐待してはならぬ。

害してはならぬ。

苦しめてはならぬ。

悩ましてはならぬ。

これは清浄にして永遠、常恒なる理法である。」

「一切の生き物は、(自己の)生命を愛し、快楽に浸り、(自己の)苦痛を憎み、、(自己の)破滅を嫌い、(自己の)生きることを愛し、(自己が)生きようと欲する。一切の生き物は、(自己の)命が愛しいのである。」

次に、仏教経典には地獄という世界が説かれている。

地獄とは悪い事をした者が死後に生まれ赴く極めて苦しい、極めて残虐悲惨な世界。人や生き物を殺したり、いじめたり、苦しめたり、悩ませたり、悲しませたり、困らせたりした者、人の物を盗んだり、人をだましたりした者が死後に赴く世界。

仏教経典 雑阿含経第十九のなかに屠牛者経 屠羊者経 殺猪経 猟師経というお経がある。

例えば、屠牛者経を例に挙げると、そのお経の概要は釈尊の高弟の目連尊者がある日の托鉢中において鷲 烏 飢えた犬等の姿をした霊的な生き物にその内臓を食いつばまれ、すすり泣き苦しんでいる奇怪な姿をした霊的な生き物を見た。

その目連尊者はその奇怪な姿をした霊的な生き物について托鉢から帰った後に釈尊に尋ねると釈尊はこう説かれた。

「目連尊者のように正しい修行を行い正しい修行によりある一定のレベルに到達するとこのような存在を見る事が出来る。

また、その奇怪な姿をした霊的な生き物は生前(生きている間)において牛の屠殺を行っていた者であり死後その屠殺を行った罪の報いにより地獄に生まれ巨大な年数の間 様々な大きな苦しみ激痛を受け更に地獄における巨大な年数の間の多くの苦しみ激痛が終わってもなおその屠殺を行った余罪にて 鷲 烏 飢えた犬等の霊的な生き物達にその内臓を食いつばまれ、すすり泣き、泣き叫んで苦しんでいる。

   

また我(釈尊)もまたこの衆生(生き物)を見る」という内容の事が説かれている。

屠羊者経 殺猪経 猟師経も屠牛者経と同様、大体似た内容で説かれている。

仏教のお経の阿含経に「好戦経」というお経があります。

戦争を好み刀等の武器によって人々を悩まし、苦しめ、傷つけ、殺したりした者が死後その罪の報いにより膨大な期間、地獄に落ち、激烈な痛み、猛烈な苦しみに遭遇し、すすり泣き、号泣している悲惨な状況の姿が説かれている。

又「堕胎経」というお経もある。

その内容は胎児を中絶堕胎殺害した者、又させた者(男女を問わず)が死後その堕胎した又させた罪の報いにより膨大な期間、地獄で苦しんでいる状況が説かれている。

「好戦経」 「堕胎経」は「国訳一切経 印度撰述部 阿含部二 大東出版社」の中の雑阿含経 第十九に又「大正新脩大蔵経 第二巻 阿含部下 大蔵出版」の中の雑阿含経 第十九の中に説かれている。

「好戦経」「堕胎経」を一般の方々に対し非常に分かり易く解説した書籍に「間脳思考 桐山靖雄著 平河出版」という書籍がある。

  

 阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(1921年~2016年)  

その書籍の中において「好戦経」「堕胎経」を非常に分かり易く説かれている箇所がある。

仏教経典「国訳一切経 印度撰述部 阿含部二巻 大東出版社」という書籍の中の雑阿含経第十九に屠殺(殺生)に関するお経が書かれている。

書籍「国訳一切経 印度撰述部 阿含部二巻 大東出版社」 参照。

その経典には屠牛者経 屠羊弟子経 好戦経 堕胎経 猟師経 殺猪経 断人頭経 捕魚師経等の屠殺や殺生に関するお経が書かれている。

そのお経に共通する主な内容は生前(生きている間)において人間や動物達等の生き物の屠殺(殺す事)、殺生(生き物を殺す事)を行った者がその死後においてその屠殺、殺生を行った罪業(罪障)の報いにより非常に長い年月の間地獄(大きな悩み苦しみ憂い悲しみの世界 極めて苦しい激痛の世界 獄卒(地獄の鬼達)により責め立てられ苦しめられる極めて悲惨な世界)に赴き多くの様々な激しい苦しみを受け、その地獄より出てきた後にもその屠殺や殺生の余罪により様々な生き物達(カラス 狂暴な犬 キツネ ワシ等)に内臓をついばまれ食われ、その激痛に苦しみ泣き叫んでいる様子が書かれている。

また、殺人行為を犯した者の死後の業報、報いについて漢訳仏典、雑阿含経第十九巻(大正新修大蔵経 第二巻 阿含部下 大蔵出版 136ページ下段)、国訳一切経 阿含部2 大東出版 雑阿含経第十九巻の断人頭経というお経において次のように説かれている。

書籍「大正新修大蔵経 第二巻 阿含部下 大蔵出版」136ページ下段 参照。

「一時、仏、王舎城に住まり給えり、その時、我(目連尊者)は道中(路中)において、頭が無い一大身の衆生(生き物、霊体)を見た。その霊体は両肩に眼が生じ、胸に口があり、身体より常に血を流し、諸々の虫がその体をついばみ、獲食し、その生き物の身体は骨髄に徹する程の痛みを受け、苦しんでいるのを見た。」

仏陀釈尊は目連尊者の見聞した事の内容をお聞きになり、この衆生(生き物)について諸々の比丘(修行者)に次のようにお説きになられた。

「この衆生は生前(この世で生きている間)に、この王舎城において好んで人の頭(首)を切断し殺害した。この罪によるが故に、この衆生は既に百千歳、地獄の中に堕ちて無量の苦しみを受け、その後、更にこのような身体を受け、このようなひどい苦しみを受けるのである。

       

比丘よ。目連尊者の所見(見聞)は真実にして異ならず。まさにこれをよく受持すべし。」と。

次に、真言宗の開祖、弘法大師空海様の晩年の著作である「秘密曼荼羅十住心論第一巻」において中絶(ちゅうぜつ)、堕胎(だたい)の果報、業報について説かれている箇所がある。

 

真言宗開祖 弘法大師空海(774年~835年)

そのなかで空海様は雑宝蔵経(雑蔵経 大正新修大蔵経 第十七巻 経集部四 五五八頁)というお経を引用し次のようにお説きになられている。

そのお経の概要は

「一人の鬼あり、その鬼が仏弟子である目連尊者に対してこう問いかけた。「私(鬼)の身体は常に肉の塊(かたまり)にして手、脚、眼、耳、鼻等あること無し、つねに多くの鳥達に体をついばまれ、食べられ、耐えられない程苦しい。

何が原因でこういう苦しみに遭(あ)うのか」

目連尊者は答えて言った

「あなたは前世(前生)においてつねに他者に薬を与え他者の胎児(たいじ)を堕(おろ)した。

胎児を中絶させた。

胎児を殺害した。

このような行為、因縁、業報により死後、現在においてこのようなひどい苦しみを受けている。

これは(あなたが作った)果報、行為の報い、罪の報いであり、地獄の苦果、苦しみはまさに後身にあり(果報の報いはあとになって受ける)。」とある。

(鬼という言葉は死者を意味する。昔は死ぬ事を鬼籍に入ると言った。)

 

     書籍「日本思想大系5 空海  岩波書店」参照。 

次に、日本の浄土宗に大きな影響を与え鎌倉時代前に活躍した天台宗の僧侶、源信(慧心僧都源信、横川僧都源信)という僧侶により書かれた「往生要集」という書物がある。

この書物の前半では地獄界 餓鬼界などの状況等について各教典論書を引用し具体的に書かれている。

又どのような行為(例えば殺生、盗み、妄語、邪淫、飲酒など)によりどういう境涯(例えば地獄界、餓鬼界、畜生界など)に赴くのかが記載されている。

     書籍「日本思想大系6 源信 岩波書店」参照。 

日本において地獄の観念が多くの人々に弘まった大きな原因のひとつは天台宗の源信という僧侶が「往生要集」という書物を著しその書物が多くの人々に読まれたからであろう。

この「往生要集」は今から約千年程前に書かれた書物で現在に至るまで多くの人々に読まれている。

この「往生要集」で引用されている経典の種類は極めて多く、源信様がいかに多くの経典を読まれたかが分かる。

         源信僧都(942年~1017年)

特に阿含経、正法念処経、大智度論などの経典論書において地獄について詳しく解説した箇所がある。

また地獄の状況を絵で表現した地獄絵というものもある。

      

       

       

       

      

地獄絵は文字が読めない人々や子供達に対し仏教の教義を分かり易く解説する役割を果たし、多くの人々に倫理観、道徳意識、勧善懲悪の観念を植え付け、また地獄に対する恐怖心が凶悪犯罪の防止、犯罪抑止力の役割を果たしていたと考えられる。

また、仏典「スッタ・ニパータ」において釈尊は次のようにお説きになられている。

「何者の業も滅びる事はない。それは必ず戻ってきて業を作った本人がその報いを受ける。愚者は罪を犯して来世にあってはその身に苦しみを受ける。

地獄に落ちた者は鉄の串を突き刺される所に至り、鋭い刃のある鉄の槍に近づく。また灼熱した鉄丸のような食物を食わされるが、それは昔作った業にふさわしい当然な事である。

地獄の獄卒どもは「捕らえよ」「打て」などといって誰もやさしい言葉をかけることなく、温顔をもってむかってくることなく、頼りになってくれない。

地獄に落ちた者どもは敷き拡げられた炭火の上に臥し、あまねく燃え盛る火炎の中に入る。

またそこで地獄の獄卒どもは鉄の縄をもって地獄に落ちた者どもをからめとり鉄槌をもって打つ。

さらに真の暗黒である闇に至るがその闇は霧のように広がっている。

また、次に地獄に落ちた者どもは火炎あまねく燃え盛っている銅製の釜に入る。

火の燃え盛るそれらの釜の中で永い間煮られて浮き沈みする。

(中略)。

罪を犯した人が身に受けるこの地獄の生存は実に悲惨である。

だから人は、この世において余生のあるうちになすべきことをなし、おろそかにしてはならない。」と。

これらの仏教思想は作家、芥川龍之介の文学作品「蜘蛛の糸」などに大きな影響を与えている。

  書籍「国訳一切経 印度撰述部 阿含部七巻 大東出版社」 参照。

  書籍「国訳一切経 印度撰述部 阿含部七巻 大東出版社」 参照。

参考文献

「ブッダのことば スッタ・ニパータ 中村元訳 岩波書店」

「ブッダの真理のことば 感興のことば 中村元著 岩波文庫」

「往生要集 上  源 信 著  石田 瑞麿訳注 岩波文庫」
「往生要集 下  源 信 著  石田 瑞麿訳注 岩波文庫」

「羅生門 蜘蛛の糸 杜子春外十八編 文春文庫 現代日本文学館」

「間脳思考 霊的バイオホロ二クスの時代 桐山靖雄著 平河出版」

「思想の自由とジャイナ教 中村元著 春秋社」

「弘法大師著作全集 第一巻 弘法大師(著) 勝又俊教(編)山喜房仏書林」

「国訳一切経 印度撰述部 阿含部 二 大東出版社」

「国訳一切経 印度撰述部 阿含部 七 大東出版社」

「大正新修大蔵経第二巻 阿含部下 大蔵出版社」

「大正新修大蔵経第十七巻 経集部四 大蔵出版社」

「日本思想大系5 空海 岩波書店」

「日本思想大系6 源信 岩波書店」






ブッダが説く輪廻転生、因果応報、因縁果報の教え

仏教の開祖、ブッダ釈尊は輪廻転生、因果応報、因縁果報の教えを説いている。

仏教にとって人間に生まれてくる事は非常に良き生まれであると説く。

その大きな理由として、人間の境涯からのみブッダになる事が出来る事。

人間にとって神々に生まれる事は良き生まれであるといわれるが神々にとって、人間に生まれる事が良き生まれであるといわれている。

輪廻転生の世界では衆生(生き物達)は地獄界や畜生界に生まれ替わる方が人間界に生まれ替わるよりも圧倒的に多いと仏典では説きます。(阿含経 増支部経典 参照)

仏教の目的はこの苦に満ちた輪廻転生からの解脱、脱出を説きます。

本質的に仏教はこの六道輪廻の世界を苦しみの世界とみなしそこからの離脱を目指します。

仏典に修行を完成した表現として

「現法の中において、自身作證し、生死已に盡き、梵行已に立ち、所作すでに辨じ、自ら後生を受けざるを知る、すなわち阿羅漢果を得たり」

(阿含経 長部経典参照)(国訳一切経 印度撰述部 阿含部 7)

阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(西暦1921年~2016年)

その輪廻転生には分段生死(ぶんだんしょうじ)と変易生死(へんやくしょうじ)と云う種類の転生があります。

分段生死とは凡夫の輪廻転生を意味し、

六道輪廻つまり

地獄界(極めて苦しい残虐悲惨な境涯)

餓鬼界(飢え、乾きに苦しむ境涯)

畜生界(動物の境涯)、

修羅界(争いの境涯)、

人間界(人間の境涯)、

天界(天、神の境涯)

の六種類の境涯を衆生(生き物)が何回も何回も際限なく輪廻転生していく転生を意味します。

チベット仏教 六道輪廻図絵

チベット仏教 六道輪廻図絵

変易生死とは聖者の輪廻転生を意味し、聖者が仏陀の境涯に向かって修行していく過程、聖者としての境涯が後退せず上昇していく転生を意味します。

変易生死について詳しく解説すると、例えば聖者の境涯に預流(よる)という境涯があります。凡夫が仏道修行により修行の境涯が進むと先ず預流という聖者に成ります。

預流とは聖者の流れに入った者の意を表し、預流になると地獄界、餓鬼界、畜生界という最も苦しみの度合いが激しい三悪道の境涯には二度と生まれ変わらないとされています。

そして最高位の聖者である仏陀に成るまで三回~七回程度、人間界と天界への生死を繰り返し最後には必ず仏陀の境涯に至る事が出来るとされています。

先ほど、仏教では、人間に生まれてくる事は非常に良き生まれである。と説く。と説明したが、

その大きな理由として、人間の境涯からのみブッダになる事が出来る事。

また、修行が六道の中で一番し易い事と言われている。

事実、お釈迦様は兜率天(とっそつてん)という天界の境涯から下生し、人間に生まれ変わり、人間界において修行し完全解脱、無上等正覚を得られ、ブッダになられたとされています。

仏教では、将来、ブッダになる予定の方は、ブッダになるために人間に生まれ変わる直前に、兜率天(とっそつてん)という天界において待機しているとされている。(ジャータカ、漢訳経典 本生経 参照)。

パーリ仏典において仏陀(ブッダ)は次のようにお説きになられている。

「(修行者が修行により)心が安定し、清浄となり、浄化された、汚れの無い、小さな煩悩を離れた、柔軟で、活動的であって、(そのもの自身が)堅固不動のものになると、かれ(修行者)は生き物達の死と再生について知る事(死生通)に心を傾け、心を向けるのです。

そして、かれ(修行者)は、その清浄な、超人的な神の眼によって生き物達の死と再生を見、生き物達はその行為に応じて劣った者にもなり、優れた者にもなり、美しい者にも、醜い者にも、幸福な者にも、不幸な者にもなることを知るのです。

すなわち、生き物達は、身体による悪い行い、言葉による悪い行い、心による悪い行いをなし、聖者達を誹謗し、邪悪な考えを持ち、邪悪な考えによる行為を為す。

かれらは身体が滅びて死んだ後、悪い所、苦しい所、破滅のある所、地獄に再び生まれる。

一方、この者達は身体による良い行いを為し、言葉による良い行いを為し、心による良い行いを為し、聖者達を誹謗しないで、正しい見解による正しい行いを為している。

故に、かれらは身体が滅びで死んだ後、良い所である天界に生まれ変わった。とかれ(修行者)は知る。」

仏陀(釈尊)の覚醒の課程は三夜にわたる智の開眼、智慧の獲得で説明される。

第一夜(初夜 夜6時~夜10時頃)において釈迦(釈尊)は瞑想によって自らの百千の生涯、幾多の宇宙の成立期、破壊期、成立破壊期を残らず想起した。(宿明智の獲得)

第二夜(中夜 夜10時~夜中2時頃)において天眼(清浄で超人的、神的な透視力)により生き物達が無限の生死循環(輪廻転生)を繰り返す様を見透す。(天眼智の獲得)

第三夜(後夜 夜中2時~朝6時頃)において「一切(輪廻転生の本質)は苦である」という認識を得、縁起の法を悟って覚醒、漏尽解脱、智慧解脱の完成を得た。(漏尽智の獲得)

「わたし(釈尊)は最高の道を悟った。

私の悟りは揺るがず、壊れない。

私(釈尊)は解脱を果たした。

もう苦しみの世に生まれる事は決してない。」

仏道修行者は究極的にはこの三明智の体得、三明智の獲得を目指さなければならない。

チベット仏教 釈迦成道絵

釈迦 降魔成道像(インド)

パーリ仏典「サンユッタ・ニカーヤ」において仏陀は次のように説かれている。

「穀物も財産も金も銀も、またいかなる所有物があっても、奴僕も傭人も使い走りの者もまたかれに従属して生活する者どもでも、どれもすべて(死後の世界 来世に)連れて行く事は出来ない。

全てを捨てて(死後の世界 来世に)行くのである。

人が身体で行ったもの、つまり身体で行った善き行為の報い、身体で行った悪しき行為の報い、また言葉や心で行ったもの、つまり言葉で行った善き行為の報い 言葉で行った悪しき行為の報い  また心で行った善き行為の報い、心で行った悪しき行為の報い等

それこそが、その人自身のものである。

人はそれ(自己の為した身体と言葉と心でなした業)を受け取って(死後の世界 来世に)行くのである。

それは(死後の世界 来世で)かれに従うものである。影が人に従うように。

それ故に善い事をして功徳を積め。功徳は人々のよりどころとなる。」

書籍「国訳一切経 印度撰述部 経集部 第十四巻 大東出版社」参照。

書籍「国訳一切経 印度撰述部 経集部 第十四巻 大東出版社」

パーリ仏典サンユッタ・ニカーヤ及び漢訳仏典雑阿含経において ブッダ(仏陀、等正覚者)はこうお説きになられている。

「悪行(悪い行為)をした者は肉体が滅んだ死後に苦悩・災いの世界、不幸な状態、煉獄(劣った世界 地獄 餓鬼界、畜生界)に生まれる。」

「信仰もなく貪欲で利己的で悪い思いを抱き、誤った主義に生きて敬愛の心がなく、僧侶や托鉢をする人を嘲(ののし)り罵(あざけり)り心に怒り心を抱き食を乞う者に誰かが与えようとするのを邪魔する者。

このような人が死後恐ろしい煉獄(劣った世界 地獄 餓鬼界、畜生界)に生まれる。」とある。

地獄絵

パーリ仏典「ウダーナヴァルガ」において分かち合うことの大切さが説かれている。

「信ずる心あり、恥を知り、誡(いまし)めをたもち、また財を分かち与える、これらの徳行は、尊い人のほめたたえることがらである。

この道は崇高なものである とかれらは説く。

これによって、この人は天の神々におもむく。

もの惜しみする人々は、天の神々の世界におもむかない。

その愚かな人々は、分かち合うことをたたえない(賞賛しない)。

しかしこの信ある人は分かち合うことを喜んでいるので、このようにして来世には幸せとなる。」

パーリ仏典「ダンマパダ」及び「ウダーナヴァルガ」において仏陀はこうお説きになられている。

「悪の報いが熟しない間は悪人でも幸運にあうことがある。

しかし悪の報いが熟したときには、悪人は災い(わざわい)にあう。

善の報いが熟しない間には善人でも災い(わざわい)にあう事がある。

しかし善の果報が熟したときには善人は幸福にあう。」

「袈裟(けさ)を纏(まと)っていても、性質(たち)が悪く、つつしみのない者が多い、かれら悪人は悪いふるまいによって、悪いところ、地獄に堕ちる。」

(※袈裟とは一般的に仏教の僧侶、仏教修行者、仏教信仰者が首から掛ける長い布状のたすきのようなもの)

「南伝大蔵経 大蔵出版」参照

「南伝大蔵経 大蔵出版」参照

「南伝大蔵経 大蔵出版」参照

参考文献

「仏教(上)ベック著 岩波文庫」
「仏教(下)ベック著 岩波文庫」
「ブッダ 神々との対話 サンユッタ・二カーヤ1 中村元著 岩波文庫」
「ブッダ 悪魔との対話 サンユッタ・二カーヤ2 中村元著 岩波文庫」
「ブッダの真理のことば 感興のことば 中村元著 岩波文庫」
「大正新修大蔵経第1巻 阿含部上 大蔵出版社」
「大正新修大蔵経第2巻 阿含部下 大蔵出版社」
「国訳一切経 印度撰述部 阿含部 七 大東出版社」
「国訳一切経 印度撰述部 阿含部 九・十 大東出版社」

「南伝大蔵経 大蔵出版」

「原始仏典〈第1巻〉長部経典1  中村 元 (監修), 森 祖道 (翻訳), 橋本 哲夫 (翻訳), 浪花 宣明 (翻訳), 渡辺 研二 (翻訳) 春秋社」
「釈迦の本―永遠の覚者・仏陀の秘められた真実  NEW SIGHT MOOK Books Esoterica 9 」

「ブッダの真実の教えを説く(上巻)阿含経講義 桐山靖雄著 平河出版」
「ブッダの真実の教えを説く(中巻)阿含経講義 桐山靖雄著 平河出版」
「ブッダの真実の教えを説く(下巻)阿含経講義 桐山靖雄著 平河出版」
「輪廻する葦 阿含経講義 桐山靖雄著 平河出版」
「間脳思考 霊的バイオホロ二クスの時代 桐山靖雄著 平河出版」












断眠修行という荒行について考える。

宗教家や修行者の方々など、様々な宗教的修行をされている方々の中に、よく断眠行、夜中、徹夜で様々な行をされる方々がおられるが、これなどもあまり、度を過ぎると健康上、良くないように思われる。

また、日本の風習では、12月31日の大みそか、夜半から翌朝の元旦の朝方にかけて大勢の参拝者の方々が夜半、朝方まで寝ないで、様々な神社、仏閣をお詣りする風習があるが、これなども健康上の観点から考えるとあまり好ましくないように思える。

最近、発行されている睡眠に関する書籍において次のような内容が書かれている。

「眠りは単なる体や脳の機能停止だけの働きではない。

眠りは「サボり」と考えるような睡眠をネガティブ、マイナスに捉える方々でも、眠ることで回復することは疑わないであろう。

眠りが単なる機能停止ならば、なにも起こらない、回復もしない。

睡眠は体や脳の回復とともに、様々なメンテナンスの機能を持ち合わせている。

「寝る子は育つ。」「風邪は寝て治す。」これも睡眠の機能を端的に表している。

「寝る。」「眠る。」つまり活動を減らすことでエネルギーの消費を抑え、その分のエネルギーを成長や免疫活性化に充ててる。」

「限られたエネルギーの再分配の仕組みである脳は実に様々な働きをするが、その結果、大量の老廃物が生まれる。

それらは全て排除しなければならない。

老廃物を取り除く事で、文字通り、新たな成長や発達の余地が生まれるからだ。

死んだ細胞の除去やリサイクル、有害物質の排除、老廃物の排出は脳を機能するうえで絶対に欠かせない。

眠っている間の老廃物を除去する活動は目覚めている間の10倍以上老廃物を除去する活動が活発になるという。

目覚めているときの脳は学習や成長に勤め、脳の持ち主が活躍できるよう協力している。

ずっと動きっぱなしなので、たくさんの老廃物がたまっていくが、そのほとんどは睡眠が持つ修復の力で除去される。

例えば、自宅のごみを捨てるシステムがとどこおれば、家はあっという間に悲惨なことになる。

それと同じでように充分な睡眠をとらず、その老廃物を除去する働きがなければ脳内が大変なことになる。

具体的に言うと有害な老廃物を除去する事が無いことがアルツハイマー病を発症する根本的な原因の一つだと言われている。」

睡眠中は特に脳内の老廃物を排出する時間帯でもある。

充分な睡眠時間帯が取れないと脳の老廃物を除去する事が難しくなる。

充分な睡眠時間は我々に多くの利益をもたらすが睡眠不足は我々に多くの不利益をもたらす。

充分な睡眠時間を取る事は人間の健康を維持するには最も重要な事である。

特に、体全体の疲労を回復させるホルモン(疲労回復物質や成長ホルモン)などは全て睡眠中に最も分泌するしくみになっている。

また思春期の子供達にとって成長ホルモンは身長を伸ばすなど、思春期の二次性徴を促すホルモンとして有名です。

昔から「寝る子は育つ」ということわざがあります。

さらに睡眠は全身の細胞の修復と新陳代謝を促進し疲労を回復させるという大切な役割もあります。

また脳の疲れを取り、記憶力、集中力、ひらめき力、学習能力をアップする作用があります。

睡眠こそが最も強力な疲労回復の手段である。

逆に睡眠不足などが原因で体の免疫機能が低下し、風邪や感染症にかかりやすくなる。

ガンのリスクが高まる。

高血圧、糖尿病、脳梗塞、心臓病などの恐ろしい病気の原因になる。

また認知症などの原因になると考えられている。」

「マンガ家の水木しげる氏(1922年~2015年)(93歳没)は、ご自身の短編漫画「睡眠のチカラ」の中で

「私は徹夜2日目」「僕は徹夜3日目」と徹夜自慢をするマンガ家の手塚治虫氏と石ノ森章太郎氏に対して

「あんたたち、睡眠を馬鹿にしてはいけません。眠っている時間分だけ長生きするんです。

幸せなんかも睡眠力から湧いてくる。睡眠力こそが、すべての源(みなもと)です。」

と説教するシーンが描かれています。

手塚治虫氏は61歳で胃ガンによって亡くなられています。睡眠時間はつねに3~4時間で、漫画の締め切りが迫ると連続して徹夜することもあったといいます。

石ノ森章太郎氏も同じく血液のガンであるリンパ腫による心不全が原因でわずか60歳で亡くなっています。

睡眠時間は3時間ほどしか取らず、何本も連載を抱えハードワークをこなしていたそうです。

世間では「睡眠時間を削って仕事に邁進(まいしん)することが成功の道だ。」という風潮がありますが、

その結果、短命に終わる人が多いのも紛れもない事実であります。」

「過去に起きたチェルノブイリ原子力発電所の原発事故、

原始炉融解直前までいったスリーマイル島の事故、

大規模な環境破壊につながった石油輸送船エクソン・ヴァルディーズ号の石油流出事故、

そしてアメリカのスペースシャトル「チャレンジャー号」の爆発事故、

これらの事故はいずれも眠りが足りない人々によるミスが原因で起こったものだとされる。

睡眠不足は人の頭脳の働きや反応を鈍らせ事故を起こし易くする。

さらに眠りが少な過ぎると人は急死することもあれば健康を損なう。

さらに睡眠不足は人の気分を落ち込ませ深刻な鬱病(うつびょう)を引き起こす。また感情のコントロールが効きにくくなり怒り易くなる。

全米睡眠財団の発行する機関誌(Sleep Health)の発表によると20代~50代の推奨睡眠時間は7時間~9時間と発表されている。」

ところで、仏教の開祖であり、さとりを開かれたお方であるお釈迦さまは昼寝を日常的にされていた記録がある。

仏教学の世界的権威、今は亡き、中村元博士は仏教教団 阿含宗の機関紙「月刊アーガマ42号」においてお釈迦様が食事の後よく昼寝をされたことを微笑ましく指摘されている。

食後の休息をパーリ聖典で昼住(ちゅうじゅう)という。

この習慣は現在の東南アジアの僧院でよく見かける。

当時の厳格な修行者からすると昼寝をする事はダラシのない事であり、怠惰なふるまいであったと考えられた。

当然、釈尊に対しても次のような非難が向けられていた。

ある日、サッチャカという修行者が釈尊に次のように言った。

「ゴータマ(釈尊)よ。あなたは昼寝をする者である事を認識しているのですか。」

釈尊は、次のように答えた。

「私は托鉢から帰ってきて食事をし、その後、大衣を四つ折りにし、その上に、右脇を横たえ、自らの心の動きを観察しながら眠りに入る事があります。

だから自分が昼寝をする者である事をよく認識していますよ。」

サッチャカが言った。

「ゴータマ(釈尊)よ。修行者やバラモンのある者は迷っているから、そんな事を語るのです。」

釈尊は静かにこう答えた。

「食後の昼寝をした、しないだけで、迷っているとか、迷っていないだとか、言えませんよ。」

参考文献

「眠りをめぐるミステリー 睡眠の不思議から脳を読み解く 櫻井 武 著  NHK出版新書」

「月刊 アーガマ42号 阿含宗総本山出版局」

「一流の人はなぜ眠りが深いのか 奥田 弘美 著 知的生きかた文庫」

「Sleep(最高の身体と脳を作る技術)ショーン・スチーブンソン著 花塚 恵 訳  ダイヤモンド社」

「睡眠不足は危険がいっぱい スタンレー・コレン著 木村 博江 訳 文藝春秋」