布教伝道とホームページやインターネットについて考える

昔、インターネットがなかった時代、昔の僧侶たちは、お釈迦様もそうであるが、自らの足で長い距離を歩き、不便さ、不自由を忍び、一人一人に教えを説いたこともある事を考えれば、現代はインターネット、パソコン、google ,ホームページを作成するブログ、ワードプレスなどがあり、それで自分の意見、信条など世界に向けて自由に発信、発表できることは非常にありがたい。非常に恵まれた時代でもある。

インターネットはアメリカで当初、軍事目的で開発されたが、このように多くの人々に利便性を与え、特に、自分自身の信条、信仰などについて自由に発信、発表できることは非常にありがたい。

特に、欧米の科学者、技術者の貢献が大きいかもしれない。

過去、科学技術は軍事転用され焼夷弾、原子爆弾などを生み、多くの人々を殺戮したが、このように人間の科学技術が人々の幸福の為に使われるのは良いことだと思う。

宗教が重視する瞑想についての話

真言宗には阿字観という瞑想法があり、
天台宗には摩訶止観という瞑想法がある。

密教の修行法においては精神統一を表す言葉として三摩地(さんまじ)、定(じょう)という言葉がある。

さらにヨーガにおいては精神集中の高まり、瞑想の段階過程として

制感(せいかん)、

凝念(ぎょうねん)、

静慮(じょうりょ)、

三味(さんまい)という段階がある。

凝念、静慮、三味をまとめて綜制(そうせい)ともいう。

仙道においては精神集中、精神統一の修行法として内部統覚法、外部統覚法という修行法がある。

世界的に有名な歴史学者アーノルド・トインビー氏は

「現代西洋文明の危機を救う方法は東洋に伝わる瞑想である」という言葉を残されている。

その瞑想についての話であるが、1900年代、インドに住むゴーピ・クリッシュナという名前の在家の妻子ある男性が毎朝、17年間にわたり精神集中を主体としたヨガの瞑想の修業を積んできた。

その男性が1937年12月のある朝、瞑想中に突然クンダリニー覚醒というヨーガにおいてかなり高度な覚醒体験 神秘体験をした。

又、その後の自身の肉体的、精神的な変化及び、その後46才頃、詩人としての才能が突然芽生えた。

その体験が「Kundalini: The Evolutionary Energy in Man (English Edition) 」という書籍として出版された。

この書籍は、1967年頃に出版され、当時、欧米の人々の注目を集め、特に、心理学 生理学 、医学 哲学の専門家達の注目も集めた。

また、当時、この書籍はアメリカ、ヨーロッパでも話題になり、この書籍がきっかけで多くのアメリカやヨーロッパの若者たちがヨガや瞑想を志した。

この書籍は日本でも1980年代に「クンダリニー」という書名で平河出版社から出版されている。

次に、インドの哲学者であり政治家でもあり近代インドを代表する思想家でもあったラーダークリシュナン氏は著書「Eastern Religious and Western Thought」において次のように説かれている。

「孤独における魂は、宗教の誕生地である。

淋しいシナイ山のモーゼ、菩提樹のもとで禅定にふけったブッダ、

ヨルダン川のほとりで静かに祈ったイエス、

砂漠に独りとどまっていたパウロ、

メッカの孤立せる塚にあったマホメット、

アルヴェルノ高地の岩石のうちにあって祈ったアッシジのフランシスは実在する神の力と確信を見出したのであった。

宗教における偉大な新しい創造なるものは、ことごとく、静かなる祈り、孤独なる瞑想にふける魂の測り知れざる深淵から現れ出るのである。」と。

次に、仏教の開祖、仏陀釈尊は孤独で静寂なる環境での深い瞑想により大いなる悟りを得られたが、静かなる環境における孤独な祈り、孤独な瞑想が重視されているように思われる。

パーリ仏典のダンマパダ(法句経)において次のように説かれている。

「修行僧が人のいない空家に入って心を静め真理を正しく観ずるならば、人間を越えた楽しみが起こる。」

「実に心が統一されたならば、豊かな智慧が生じる。

心が統一されないならば豊かな智慧がほろびる。

生じることと滅びることの二種の道を知って豊かな智慧が生じるように自己をととのえよ。」

「憎む人が憎む人に対し、恨む人が恨む人に対してどのような事をしようとも、邪なことを目指している心はそれよりもひどい事をする。」

「母も父もそのほか親族がしてくれるよりもさらに優れた事を、正しく向けられた心がしてくれる。」

つまり禅定の完成と智慧の完成の重要性が説かれている。

また、仏陀釈尊は特に瞑想に入っていない日常の精神状態であっても禅定にあるのと同じように無念無想の精神統一を得られていたとされる。

阿含経に

「那伽(ナーガ)は常(つね)に定(じょう)に在(あ)り。」という一節がある。

実際に仏陀釈尊は禅定の熟達者であったと経典に伝えられている。

この経典の中で那伽(ナーガ)とは仏陀釈尊を意味する。

定とは瞑想、禅定を意味している。

また南伝大蔵経の増支部経典において

「那伽(ナーガ)は行(ゆ)くにも定(じょう)にあり、

那伽(ナーガ)は立(た)てるも定にあり、

那伽(ナーガ)は臥(ふ)すにも定にあり、

那伽(ナーガ)は座(ざ)せるにも定にあり」とある。

また漢訳仏典の中阿含経118の龍象経においても

「龍行止倶定、坐定臥亦定、龍一切時定、是謂龍常法」とある。

仏典中の龍(竜)とは優れた修行者を意味する事もある。

この経典の中の那伽(ナーガ)、龍(竜)とは仏陀釈尊を意味する。

龍(竜)をサンスクリット語でナーガと云う。

釈尊の覚醒の課程は三夜にわたる智の開眼、智慧の獲得で説明される。

第一夜(初夜 夜6時~夜10時頃)において釈尊は瞑想によって自らの百千の生涯、幾多の宇宙の成立期、破壊期、成立破壊期を残らず想起した。

第二夜(中夜 夜10時~夜中2時頃)において天眼、清浄で超人的、神的な透視力により生き物達が無限の生死循環、輪廻転生を繰り返す様を見透す。

第三夜(後夜 夜中2時~朝6時頃)において「一切、輪廻転生の本質は苦である」という認識を得、縁起の法を悟って覚醒、漏尽解脱、智慧解脱の完成を得た。

パーリ仏典において仏陀(ブッダ)は次のようにお説きになられている。

「(修行者が修行により)心が安定し、清浄となり、浄化された、汚れの無い、小さな煩悩を離れた、柔軟で、活動的であって、そのもの自身が堅固不動のものになると、

修行者は生き物達の死と再生について知る事、死生通に心を傾け、心を向ける。

そして、修行者は、その清浄な、超人的な神の眼によって生き物達の死と再生を見、生き物達はその行為に応じて劣った者にもなり、優れた者にもなり、美しい者にも、醜い者にも、幸福な者にも、不幸な者にもなることを知る。

すなわち、生き物達は、身体による悪い行い、言葉による悪い行い、心による悪い行いをなし、聖者達を誹謗し、邪悪な考えを持ち、邪悪な考えによる行為を為す。

かれらは身体が滅びて死んだ後、悪い所、苦しい所、破滅のある所、地獄に再び生まれる。

一方、この者達は身体による良い行いを為し、言葉による良い行いを為し、心による良い行いを為し、聖者達を誹謗しないで、正しい見解による正しい行いを為している。

故に、かれらは身体が滅びで死んだ後、良い所である天界に生まれ変わった。

と修行者は知る。」

また、書籍「禅定の研究 真宗学の諸問題 修山脩一 著 永田文昌堂」という書籍がある。

この書籍において、著者の修山脩一教授は本来、仏教は禅定を重視し、また、輪廻転生思想が土台になってその教義が成立している事に言及、特に禅定、輪廻転生に関する内容が多くの大蔵経を引用し、かなり専門的に書かれており学術的に非常に興味深く、示唆に富んだ内容に満ち溢れている。

書籍「禅定の研究 真宗学の諸問題 修山脩一 著 永田文昌堂」参照

書籍「禅定の研究 真宗学の諸問題 修山脩一 著 永田文昌堂」参照

書籍「禅定の研究 真宗学の諸問題 修山脩一 著 永田文昌堂」参照

書籍「禅定の研究 真宗学の諸問題 修山脩一 著 永田文昌堂」参照

書籍「禅定の研究 真宗学の諸問題 修山脩一 著 永田文昌堂」参照

さて、仏教にとって人間に生まれてくる事は非常に良き生まれであると説く。

人間にとって神々に生まれる事は良き生まれであるといわれるが、神々にとっては人間に生まれる事が良き生まれであるといわれている。

輪廻転生の世界では衆生(生き物達)は地獄界や畜生界に生まれ替わる方が人間界に生まれ替わるよりも圧倒的に多いと仏典では説く。

(阿含経 増支部経典)

仏教の目的はこの輪廻転生からの脱出を説きます。

本質的に仏教はこの六道輪廻の世界を苦しみの世界とみなしそこからの離脱を目指します。

仏典に修行を完成した表現として

「現法の中において、自身作證し、生死已に盡き、梵行已に立ち、所作すでに辨じ、自ら後生を受けざるを知る、すなわち阿羅漢果を得たり」とあります。

(阿含経 長部経典)

インドにはお釈迦様が出生される数千年も前よりヨーガという文化的宗教が存在します。
そのヨーガについて書かれたヨーガ根本経典の中に業(カルマ)について書かれた以下の章句があります。

「行為の結果には二種ありと知るべし。

天界と地獄とである。

天界はさまざまであり、地獄も同様である。

功徳ある行為の結果は天界であり、罪の行為の結果は地獄である。

万物の創生は行為の束縛によって成るもので、断じて他の何者でも無い。

天界においては生類は種々の楽を受け、地獄界においては耐え難い苦を受ける。

悪行の力で苦が生じ、善行の力で楽が生ずる。

それ故に、楽を望む者はいろいろな善行を励んで行う。」

ここで説かれている行為の束縛とは業、すなわちカルマのことである。

前生において行った行為の内容によって、必然的に今生の運命の内容が定まるという思想はインドの根本思想の一つで、仏教もまたこの思想を受け継いでいる。

天地創生(天地創造)もまた生物全体の業の集計した力によって成されると考えられている。

良い行いをする事を徳を積むといいます。

悪い行いをする事を不徳を積むという。

良い行いを積み重ねる、 善行を積み重ねる事。

その徳の積み重ねが自分自身の幸福の基、福徳の原因となります。

仏舎利(仏陀のご遺骨)を賛嘆、称賛する舎利礼文(しゃりらいもん)というお経に万徳円満 釈迦如来という文言があります。

万(よろず)の徳、全ての徳が完全円満に備わっている釈迦如来という意味であります。

如来とは真理(真如)の世界から来られた方、悟りを開かれた方、仏陀と同じ意味の事であります。

仏道修行者の究極の目標はその万徳円満である釈迦如来、つまり仏様、如来、仏陀に成ることです。

パーリ仏典サンユッタ 二カーヤにおいてブッダは次のように説かれている。

生きとし生ける者どもは(寿命が尽きて)いつかは(必ず)死ぬであろう。

生命はいずれ死に至る。

かれらは死後に自己の作った業(自己の行った行為の内容)に従って各所に赴いてそれぞれ善悪の報いを受けるであろう。

悪い行いをした人々は死後において地獄(大いなる苦しみ悩み痛みに満ちた世界 悪い世界)に生まれ赴き

善い行いをした人々は(死後)善いところ(幸福、平和、快楽、安楽の世界 善い世界)に生まれ赴くであろう。

その為に来世(自分の魂が死後に生まれて変わって行く世界 死んでから自分が再び生まれ変わる世界)の幸福、平和、安楽の為に現世(現在生きているこの世界)で善い事をして功徳を積まなければならない。

人々が作ったその功徳はあの世で人々のよりどころとなる。

仏教の根本的な教え、ブッダ、真理に目覚めた等正覚者達の最も重要な教えとは「よいことをせよ。わるいことはするな」という倫理、道徳の実践の教えであるといえる。

漢訳仏典において
「諸悪莫作(しょあくまくさ)
衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)
自浄其意(じじょうごい)
是諸仏教(ぜしょぶっきょう)」 という七仏通誡偈がある。

またパーリ仏典の法句経(ダンマパダ)には

「一切の悪をなすことなく、善を具備実践し、自分の心を浄化すること、これが諸仏(真理に目覚め、ブッダとしての悟りをお開きになられた覚者達)の教えである」

とある。

雑阿含経に爪甲経(そうこうきょう)というお経がある。その概要は

「ある日釈尊は釈尊自身の手で大地の土を拾い釈尊自身の手の爪と手の甲の上に土を乗せて諸々の比丘(修行者)に次のように尋ねられた。

「諸々の比丘(びく)よ。私のこの手の爪と手の甲の上に乗っている土の量とこの大地の土の量とでは土の量はどちらが多いか?」

諸々の比丘は次のように答えた。

「世尊(釈尊)よ。世尊(せそん)の手の爪と手の甲の上に乗っている土の量はこの大地の土の量と比べるならば比べものにならない程ごくわずかな量です。」

釈尊は続けてこのようにお説きになられた。

「諸々の比丘よ。もし肉眼で見える生き物たちの数をこの手の爪と手の甲の上にある土の量とするならば、その形が微細で肉眼では見えない生き物たちの数はこの大地の土の量のように膨大に存在する。

比丘たちよ。未だ無間等の悟り(仏陀の悟り)に到達しない者は努めて無間等(むけんとう)の悟りに至るよう努力せよ。」


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阿含経についての話

日本の仏教は千年以上の長きにわたり阿含経を劣った小乗経典つまり自分だけの悟りを求め自己のみが救われる事を目指す利己的でレベルの低い卑しい経典とみなされていた。

また、出家しなければ救われない出家仏教の経典ともいわれてきた。

その為、日本において阿含経に対する研究や信仰はほとんどなされなかった。

今から約1400年以上前の中国において、天台大師智顗が立てた五時教判という教相判釈があるが、その教相判釈によると法華経、涅槃経が最も高い大乗の教えであり阿含経は最も低い小乗の教えであると結論づけされている。

その天台大師智顗が立てた経典判尺はすべての漢訳仏典を釈迦一代で全て説いたものと考えた。

まず、釈迦が悟りを開いた後、人々に華厳経を説いた。

しかし、あまりにもその内容が純粋過ぎ人々には理解されなかったので、釈迦は最初は一番程度の低い卑近な阿含経の教えから説いていき、それから、年を経る程、順次、般若経などのお経を説いていき、釈迦の晩年の時代、一番内容の高い、最高の教えであり、真実のお経である、法華経、涅槃経を説いたと智顗は考えた。

この天台大師智顗が立てた経典判尺により、天台の最澄、日蓮が法華経を所依の経典として天台宗や日蓮宗という一宗を立てた。

        天台宗開祖 伝教大師 最澄

また、日本の仏教ではその影響を受け、法華経が広く信仰されるようになった。

最近では真言密教系の教団、真如苑も涅槃経は釈迦が最後に説いた真実で最高の教えであると涅槃経を所依の経典として重視している。

しかし、現在、世界の仏教学界においてはこの智顗の教相判釈は否定されている。

また、近年、文献学の目覚しい発展、パーリ語、サンスクリット語等の原語での仏典研究、著しい学術的進歩により阿含経典こそが仏教の開祖お釈迦様が実際にお説きになった内容、もしくは極めて近い内容の経典であると学問的に認められている。

このことについて、「地獄の思想―日本精神の一系譜 (中公文庫)」という書籍で梅原猛教授は

「釈迦の説法集が出来上がったのはむしろ釈迦の死後である。

釈迦の死後に様々な経典が作られた。

そしてその経典の中には釈迦の説というより弟子自身の説が混じるようになる。

後世の人々が釈迦の名において勝手に自己の学説を正当化する経典を作るようになる。

かくして仏滅後五百年も六百年も過ぎて、なお釈迦の名において多数の経典群が作られていく。

そして謎の人、釈迦の正体を解いたのは、ヨーロッパの近代文献学にもとずく仏教学であった。

文献学的な方法にもとずく仏教学は経典の成立年代を大体、考証的に明らかにした。

そして釈迦の正説は、従来、日本においては、小乗と卑しめられてきた阿含部経典や律部経典にあることが分かったのである。

これは伝統的な仏教家にとっては大きなショックであるはずであった。

なぜなら、彼らが千数百年来、崇拝してきた仏教の経典が、釈迦の説ではなく、後世の説であり、彼らが卑しんできた経典こそ釈迦の説であることが明らかになったからである。

もしこのことを知ったら、親鸞や日蓮や道元はどのように驚いたであろうか。」

また、仏教学者の平川彰博士は仏教経典の阿含経について自身の著作である「インド仏教史 上 〈新版〉」という書籍において以下のように書かれている。

「阿含経はアーガマ、つまり伝わったもの、伝承されたものとも呼ばれ、仏陀釈尊の直接の教えが伝承されたものであることを示している。

しかし、これらの経典(阿含経)は仏陀釈尊の死後、仏陀釈尊の直弟子、仏陀釈尊の高弟達の記憶によって仏陀釈尊の教えの内容がまとめられ、又、経典として書きとめられ伝来された為、伝承の間に仏陀釈尊の弟子の理解や解釈が付加され増広され、仏陀釈尊直説の教説が多少変化を蒙ったことは避けられなかったもしれない。

厳密に考察すると阿含経は仏陀釈尊の教えそのものではないかもしれない。

しかし、幾多の仏教諸経典の中で阿含経は仏陀釈尊の教えの内容を最も含んでいる経典であり仏陀釈尊の思想を求めるとすれば先ず阿含経の中に求められなければならない」とある。

さらに、パーリ仏典研究の世界的権威、(故)水野弘元博士は仏教経典の源流について自身の著作「経典はいかに伝わったか―成立と流伝の歴史」において次のように説かれている。

         パーリ仏典研究の世界的権威、水野弘元博士

「大乗仏教の般若の空思想や菩薩の波羅蜜の修道法もその源泉、源流は阿含経の中にあります。
インド大乗仏教の祖師と云われる龍樹菩薩や世親菩薩の著作において阿含経の教説は大乗の教説と並べて権威的な典拠として扱われ龍樹菩薩、世親菩薩の著作においてしばしば阿含経が引用されています。」

 

さらにまた、書籍「バウッダ[佛教] (講談社学術文庫)」の中で著者は次のように書かれている。

「現在のアーガマ(阿含経)をそのまま釈尊の教えに直結することはあまりにも短絡化しすぎており、今日の仏教学からすれば、むしろ誤りとみなされる。

 ただし釈尊の教えと佛弟子たちの言行録などは、そして、最初期、ないし、初期の仏教の資料はアーガマ(阿含経)にしか存在していないのであり、大乗経典(これを日本人は釈尊の教えそのものと誤解し受容してきた。)には求むべくもないことが明白である以上、何よりもまずアーガマ(阿含経)の解明に専念する仏教文献学が必要不可欠の前提とされる。

そして、それは近代学問として、すでに100年以上の年月を刻んで今日もなお継続している。」

さらに、

「現在の日本には、約7万5000余と言われる仏教寺院で読誦されるお経は、開祖の釈尊の阿含経典は全く顧みられず、開祖である釈尊とは異なる別の仏による大乗のお経の一節であり、そればかりか、その大部分は宗祖に準ずる特記すべき高僧の文がお経として敬われ、読誦され続けている。

 例えば、日本最大の宗派の浄土真宗の場合、大乗経典の浄土三部経、いわゆる無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経の一部のほか、宗祖である親鸞の主著、教行信証、行巻の末尾にある正信偈、もしくは、真宗中興の祖とされる蓮如の御文がその宗のお経であり、曹洞宗では大乗経典の般若心経や法華経の一部のほか、宗祖の道元の主著の正法眼蔵から、本来は明治時代に在家信者向きにダイジェスト化したテキストの修証義がお経として読誦されていて、それにより日々の勤行から諸種の行事、仏事、法事までの全てが進行する。

他の宗派においてもほぼこれに準ずる。

 親鸞、蓮如、道元、その他の諸宗祖などは、いずれも、ひときわ偉大な高僧であり、かつ学僧であるとはいえ、彼らは特定の論師であって仏ではない以上、厳密に言えば、これらの人々の著述は経に属するのではなくて、論のカテゴリーに入る。

 それでも日本では、それらがお経とされていて、何人も疑わず、異議を挟むものもいない。」と書かれている。

また、江戸時代に富永仲基という市井の学者がいた。

本居宣長も絶賛する程の学者であったが、この学者は漢訳仏典を全て読破した結果、加上説という説を唱えた。

つまり、漢訳仏典はすべて釈迦が説いたものではなくて、加上、つまり、後代にわたって書き加えられたものが最終的に現在の膨大な漢訳仏典になったという。

彼の説では、釈迦は自分自身、経典を書いたりはしなかった。

そして、釈迦の死後、多くの優れた弟子たちが釈迦の教えを文字に残しておくべきだと考え、弟子の摩訶迦葉が座長になり、約500人の仏弟子と共に、わたしはこのように聞いたという文言、すなわち、如是我聞という文言から始まった多くのお経が作られた。

その時にまとめられたのが阿含経であり、それから500年後に大乗仏教運動が興起し、法華経、般若経、阿弥陀経などのお経が作られ、そして釈迦の死後、約1000年後頃には大日経、金剛頂経などの密教経典が作られたという。

富永仲基氏の結論は釈迦が実際に説いた内容は阿含経のごく一部であったという。

ところで、昔の大蔵経の並ぶ順番は華厳経が先ず一巻目であった。

華厳経が一巻目の理由としては、おそらく天台大師智顗の五時教判に基づくものであると思われる。智顗の考えでは釈迦が最初に説いたお経は華厳経と考えている。

しかし、現代の大蔵経の順番は阿含経が一巻目になっている。

おそらく、五時教判より現代仏教学の見解が正しいと考え、並び方を変えたのではないかと思われる。

龍谷大学 大宮学舎などの仏教系大学の図書館に行けば昔の大蔵経の順番は華厳経が一巻目である事が確認できる。

近所に最新版の大蔵経が置いている大型書店があれば阿含経が一巻目であることを確認されてみたらいかがであろうか。

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キリスト教国と仏教国の言動を比較検証する

旧約聖書の中に、殺人、殺戮を肯定するような文章がある。

例えば、旧約聖書の「出エジプト記 22-18」に

「魔女を生かしておいてはいけない。」などの記載がある。

中世ヨーロッパにおいてキリスト教会が一般の人々を魔女に仕立て上げ、数十万人の人々が処刑された。

また、旧約聖書には羊などの動物を生贄にし神に捧げる儀式を解説した文章などもある。

哲学者のニーチェはキリスト教会の裕福な牧師の息子として生まれたが、ニーチェはキリスト教の残虐性を指摘、キリスト教を邪教として見ていた。

旧約聖書の中にはモーゼの十戒の中に

「汝、殺すなかれ」

という言葉、戒律がある反面、

聖絶思想、

いわゆる主のことばの中に

「根絶やしにしろ!」

「皆殺しにしろ!」というような過激で暴力的な言葉が出てくる。

ユダヤ教徒はその旧約聖書とタルムード(言行録)とトーラー(律法)を聖典としている。

キリスト教徒は新約聖書と旧約聖書を聖典として信仰している。

イスラム教徒は旧約聖書と新約聖書とコーランを聖典として信仰している。

世界にはキリスト教徒は約20億人、

イスラム教徒は約12億人、

ユダヤ教徒は2000万人いるとされている。

旧約聖書には過激な暴力性や残虐性に満ちた言葉がその聖典の中に出てくる。

その旧約聖書を聖典として信仰する信者が三十数億人もいるとすれば、かつて世界大戦で起きたような大量殺戮、大量虐殺、ホロコースト、ジェノサイド、いわゆる大量殺人が起きる可能性がまた出てくると思われ、心配でならない。

ところで、十字の形はキリスト教を象徴するものであるが、昔、キリスト教徒がエルサレムをイスラム教徒から取り戻す為に十字軍という軍隊を編成し、何度も遠征し戦争をし、何度も大量虐殺を行ったが、歴史を調べると、その十字軍の行ってきた蛮行、残虐な行為、虐殺行為はあまりにも凄まじく、ひど過ぎる。

特に女性や子供に対しての凌辱行為も酷い。

また、キリスト教会による組織的な魔女裁判による大量虐殺。

一般の普通の人々を魔女であると言いがかりをつけて多くの女性を殺した魔女裁判による大量虐殺も然り。

一説によると30万人とも言われる大量の人々が虐殺された。

さらに、ヨーロッパからやってきたキリスト教徒たちによる膨大な数のインディアンの大量虐殺。

キリスト教徒によるインディアン虐殺

一説には2000万人ものインディアンが殺されたと言われている。

キリスト教徒によるインディアン虐殺

キリスト教徒によるインディアン虐殺

かつて、欧米諸国は多くの国を植民地化し多くの数々の収奪、搾取、略奪行為を行っていた。

スペイン人によるインカ帝国の人々に対する残虐非道な大量虐殺、大量略奪。

「インカの反乱」という書物を読んで、人間がここまで残酷になれるものなのか?

人の面をかぶった悪魔の仕業である。とこの書籍を読んで強く感じた。

インドネシアはオランダから約350年間、オランダの植民地として長い期間、収奪、略奪されてきた。

また、欧米諸国はアフリカ諸国などの数多くの国々から奴隷として多くの人々を連行し人身売買をしてきた。

イギリスには大英博物館があるが、イギリスはかつての多くの国々を搾取し収奪していた植民地時代に、多数の国々から略奪、強奪したが、大英博物館にはその略奪品、盗難品を展示している感がある。

次に、第二次世界大戦の末期、イタリアが降伏し、日本の敗戦も決定的になろうとした1945年8月9日、突如、ソ連が日ソ不可侵条約を一方的に破り、日本に宣戦布告。

多くの日本人がソ連の兵士から虐殺、略奪を受け、終戦後にはシベリアへの強制労働に従事させられ多くの日本人が亡くなっている。

また、これはあまり知られていないが、ソ連についでイタリアも日本に宣戦布告している。

1945年8月15日の敗戦後、宣戦布告してから数日程度しか経っていないのにも関わらずイタリアは日本に対して賠償金の請求をしている。

そのような行為はある意味、火事場泥棒的な印象を受ける。

そのイタリアにキリスト教の本家本元であるバチカン市国がある。

これら欧米列強の国々はほとんどキリスト教国で仏教を信仰する国ではない。

さらにまた、悪魔の兵器のような原子爆弾を日本に投下し、多くの人々、女子供を含む人々を無差別に大量虐殺したのもキリスト教国である。

原子爆弾の爆発

1945年8月6日にアメリカ軍の戦闘機B29は日本の広島にウラン型原子爆弾を投下した。

また、1945年8月9日にもアメリカ軍は日本の長崎にプルトニウム型原子爆弾を投下した。

それにより女、子供などの非戦闘員を含む数十万人の人々が突然、無差別に、一瞬のうちに、焼け死んだ。

建物の殆どが崩壊し跡形も無く、消え去った。

また、数十年にわたり原爆の後遺症に苦しむ人々が多数いた。

原子爆弾による大やけど

原子爆弾による死者

原子爆弾による死者

原子爆弾による死者

原子爆弾による死者

原子爆弾によって殺された日本の子供の死体

原子爆弾によって大やけどをした

日本の少女の体にできた全身のケロイド

最近、私は著名なジャーナリスト、ベンジャミン・フルフォード氏が書いた書籍「マネーカースト 世界経済がもたらす「新・貧富の階級社会」という書籍を読んだ。

その書籍の中に、欧米系ハザールマフィアが郵政民営化やプラザ合意を強引に、力ずくで日本に押し付け、それにより日本国民が所有する何百兆円という莫大な資産を収奪、略奪したことが書かれていた。

ちなみに1兆円がどの程度のお金かというと、日本国民の人口1億人とすると1人当たり1万円を徴収すると1兆円になる大きなお金。

ところで、日本の予算、会計には一般会計という会計とそれとは別に特別会計という一般会計の何倍もの予算のあるお金が日本の予算にはある。

かつて民主党の石井紘基議員がその日本国民にはほとんど知られていない特別会計の莫大なお金が不正に流れている事、一説にはその莫大なお金が海外に流れている事を発見し、石井紘基議員はその事を国会で発表しようとした。

その数日前に何者かによって殺されたという話を本で読んだり、話を聞いたことがある。

また、アメリカからの様々な要求に大変従順であった小泉純一郎元内閣総理大臣、

同じようにアメリカの要求に大変従順であった中曽根康弘元内閣総理大臣、

同じようにアメリカの要求に大変従順である安倍晋太郎現内閣総理大臣

彼らの政権は非常に長期に渡り安泰を保っていた。

2019年11月3日現在の安倍政権もかなりの長期政権になっている。

しかし、一方、アメリカからの要求に対し反発したり拒否した政治家はどうか?

例えば、アメリカ国債の押し売りの購入を拒んだ中川昭一元財務大臣

「アメリカ国債を売りたい衝動に駆られる。」と言ってアメリカの怒りに触れた橋本龍太郎元内閣総理大臣

アメリカから要求されたプラザ合意に反対した竹下登元内閣総理大臣

アメリカとは別に独自の日本の石油購入ルートを開拓しようとした田中角栄元内閣総理大臣

毎年アメリカから日本に突き付けられている年次改革要望書を拒否した鳩山由紀夫元内閣総理大臣など、

これら、アメリカの方針に逆らう政治家は政権期間が極端に短かったり、その政治家が失脚したり、急死したりしている事がわかる。(暗殺の疑い)

アメリカが日本に毎年要求している年次改革要望書には郵政民営化がトップ項目として突き付けられていた。

つまり、日本の政治家を脅し、日本の政治家に圧力をかけ、日本国民の財産、資産を奪い日本国民を貧困状態に陥れている存在がいる。

つぎに、最近の戦争で、アメリカやイギリスが中心となって行ったイラクの石油の略奪が目的のイラクへの爆撃、イラク人の大虐殺、大殺戮がある。

爆撃により戦車の中で焼け死んだイラクの兵隊

この戦争は大量破壊兵器の開発や保有、フセイン政権とアルカイダとの結びつきなど、アメリカは戦争を正当化する嘘を言って戦争を始め、多くの国々を巻き込み、その戦争に協力させた。

 イラクは戦後「経済制裁」が行われ恩恵に預かれなかったが湾岸戦争以降、石油は一気に値上がり、アメリカを始めとする大国は多額の利益を得た。

 1991年の第一次湾岸戦争時、アメリカ政府もメディアも、イラク攻撃の世論作りのために捏造と情報操作をした。

たとえば、ナイラという名前のクウェートの少女が、アメリカの公聴会で「イラクの兵士がクウェートの産院の乳飲み子を保育器から出して、次々と床に叩きつけ殺したのを見た。」と涙ながらに証言した。

しかし、後になって、この少女は、駐米クウェート大使の娘で、ずっとアメリカにいたことが分かった。

この証言はウソである事が判明した。

アメリカの広告代理店がシナリオを作り演出したものでリハーサルもしていた。

スポンサーはアメリカ政府以外にないと考えられる。

捏造がニューヨークタイムズで暴かれたのは1年3ヶ月後。

この「ナイラ証言」が出るまでは、アメリカの世論は戦争反対が多数を占めていた。

しかし、この証言で世論は一気に戦争賛成へと転じた。

たったひとつの捏造が、世論を完璧に逆転させた。

つぎに、この湾岸戦争の「油まみれの水鳥」の映像でもアメリカ政府は世界を騙した。

フセイン大統領が原油を海に流出させたという証拠はなかった。

アメリカ軍の爆撃による可能性も十分考えられた。

しかし、米政府はサダム・フセインの暴挙だと非難。

「油まみれの水鳥」の映像はフセインの「環境テロ」として世界を駆け巡った。

「極悪フセイン」のイメージが、世界の人々の脳裏に焼きついた。

しかし、今では、この原油流出の原因は、米軍の爆撃であるとされている。

この湾岸戦争後に湾岸戦争症候群という放射能汚染の影響と考えられる病気が多数現れている。

アメリカ軍が使用した劣化ウラン弾による影響と言われている。

劣化ウラン弾の準備をするアメリカを

中心とした多国籍軍の戦闘機とその兵隊

アメリカを中心とした多国籍軍による爆撃で

廃墟になったイラク国内の建物

劣化ウラン弾の影響によるものと

考えられるイラクの子供の奇形

劣化ウラン弾の影響によるものと

考えられるイラクで生まれた赤子の奇形

劣化ウラン弾の影響によるものと

考えられるイラクの子供の奇形

劣化ウラン弾の影響によるものと

考えられる湾岸戦争から帰った

アメリカ帰還兵の子供の奇形

劣化ウラン弾の影響によるものと

考えられるイラクで生まれた赤子の奇形

しかし、アメリカ政府はその因果関係を否定し、その政府による賠償責任を拒否している。

さらにまた、約10年後の2003年、イラク戦争開始の直前、アメリカのパウエル国務長官は、イラクの「大量破壊兵器の保有」の確固たる証拠を持って、世界の首脳に説明して回った。

しかし、イラク戦争開始後の翌年2004年に、パウエル長官は大量破壊兵器について

「いかなる備蓄も見つかっておらず、この先も発見されることはないだろう。」と証言。

今までの経緯から見ると、アメリカ政府は最初からイラクに大量破壊兵器は無かったと分かっていたのではないか?

と思われる。

寝ている時にアメリカ軍のミサイルが当たり左目を失明したイラク人の少年

アメリカ軍の銃撃で左目を失明したイラク人の少年

アメリカ軍の銃撃により5人の子供を殺され悲嘆にくれるイラク人の母親

また、2011年、欧米各国、NATO軍によるリビアへの空爆、爆撃があり、リビアのガダフィ大佐が殺害された。

NATO軍により惨殺されたリビアのガダフィ大佐

リビアのガダフィ大佐の殺害後、欧米諸国、NATO軍はリビアが所有する石油利権の略奪。

また、リビアが所有する60億ドル(日本円で6000億円)相当の金塊の略奪、

さらに、リビアが所有する720憶ドル(日本円で7兆円相当)の現金や債券の欧米諸国、NATO軍による強奪があった。

そもそも、リビアのガダフィ大佐はリビアのすべての国民に家を持たせると宣言し、結婚したリビア人のカップルが家を購入する際、5万ドル、いわゆる日本円で約500万円ものお金を結婚したカップルに支給し、さらに、家のローンの金利はすべて0、医療や大学を含む全ての教育費は全て無料、電気代も無料にするなど、政治家として一定の成果をあげておりリビアの国民からの信頼も厚かったといわれている。

リビアのガダフィ大佐は欧米各国が指摘するような狂暴な人間ではなく、温厚で誠実な人間であった。

リビアのガダフィ大佐

このように歴史を見てみると、アメリカやイギリスなどのキリスト教国の大殺戮、大虐殺、略奪と搾取、虚偽と偽証の連続。

アメリカやイギリスなどのキリスト教国は道徳的に見ても、倫理的に見ても、人道的に見ても極めて深刻な過失、過ち、問題があるように感じる。

一方、仏教を信仰する国々、例えば、タイ、ビルマ、スリランカ、チベット、ブータンなどのような仏教に対する信仰心が特に極めて篤い国で、はたして、そのような他国に侵略し、他国の人々の富を収奪強奪したり、他国の人々を奴隷として自分の国に強制的に連行したりしたという話はあったであろうか。

私は寡聞にしてそんな話は聞いたことがない。

例えば、生粋の仏教国スリランカの話をすると、第二次世界大戦が終わりサンフランシスコ講和条約が締結され、世界の諸国は敗戦国の日本に賠償を要求したが、その時にスリランカ国は、サンフランシスコ条約には参加したが、日本に対する全ての賠償権を放棄した。

その時のスリランカの政府首脳達は声明の中で、仏典「ダンマパダ」の次の言葉を引用し次のように言った。

「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以ってしたならば、ついに怨みの止むことがない。怨みを捨ててこそ怨みが止む。これは永遠の真理である。」

「戦いは終わったのだ。もはや怨みに報いるに怨みを以ってすることはやめよう。

この精神でセイロン(スリランカの旧国名)は世界の平和に貢献したい。」と。

また、会議の際、日本の敗戦後、日本を4分割して占領統治するという案が浮上した。

おおまかに説明すると、

北海道がソ連(現在のロシア)

本州がアメリカ

四国が中国

四国 九州がイギリスで占領統治するという案である。

日本の占領とはいわゆる日本の国家財産の収奪、略奪、日本の植民地化である。

これに異議を唱えたのがインド スリランカなどのアジア諸国であり、特に反対したのは、後にスリランカの大統領に就任するスリランカのジャヤワルダナ氏であった。

ジャヤワルデナ氏は日本の分割統治に強く反対し、日本は独立国として認めることを各国の代表に強く訴える名演説を行った。

この長時間にわたる名演説は各国の首脳の心を強く打ち、日本の分割統治、分割占領が無くなったと言われている。

日本のことわざに「困ったときに助けてくれるのが本当の友達である。」ということわざがあるが、これらの事柄を見ても、真の友好国はどの国かが分かると思う。

これらを見ても、同じ宗教としてどちらが平和的で温情的で倫理的、道徳的に優れているかは一目瞭然として分かると思う。

どちらの宗教が魂のふるさとのような宗教であるか、

どちらの宗教が魂の安息所のような宗教であるか

どちらの宗教に真の魂の救済力があるか一目瞭然だと思う。

真の宗教、正しい宗教は、信仰しない人々に対し懲罰や殺戮の命令を下すような神様を信仰することでは無い。と思う。

 真の宗教、本当に正しい宗教とは、「万人に対する愛と慈悲」、「全ての生物に対する愛と慈悲」を説く宗教であると思う。

新新宗教のゲリー・ボーネル氏は、将来、仏教が全ての宗教の代わりになり、キリスト教もイスラム教も無くなっていくでしょう。と書籍の中において言及されている。

また、インド哲学、仏教学の世界的権威である今は亡き、中村元博士は次のように述べられていた。

インド哲学 仏教学の世界的権威 中村元博士

「世界には多くの宗教が存在するが、仏教は武力によらずして広まった数少ない宗教のひとつである。」

仏教の平和主義について高く評価されていた。

さらにまた、日本仏教の祖師、聖徳太子の「和を以て貴しとなす」という言葉は有名である。

そういう風に言うと、戦時中、日本は朝鮮人の方々を日本に連行したではないか?

中国はチベット人の方々を侵略、虐殺したではないか?

といわれるかもしれない。

しかし、厳密に言えば、日本は神道の国で、中国は儒教の国であるので、純粋な、生粋の仏教国とは言えないと思う。

ところで、仏教経典の増壱阿含経第七巻の五戒品第十四において盗み、泥棒、窃盗、略奪行為の報いについて説かれているお経が存在する。

その主な主旨内容は、盗み、泥棒、窃盗行為を多く行った者はその罪の報いにより未来、将来、死後、来世において地獄界、餓鬼界、畜生界に生まれ赴くと説かれている。

また、人間に生まれ変わっても極めて貧しく、衣服や食事に極めて事欠く境涯に生まれ赴くと説かれている。

仏教では六道輪廻を説きます。

六道輪廻とは生き物達が天界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界の六道つまり六つの境涯を途方もない膨大な期間、途方もなく膨大な回数、何度も何度も生まれ変わり死に変わりしている。

輪廻転生している。

その六道のうち畜生界、いわゆる動物の境涯、餓鬼界いわゆる飢えや渇きに苦しむ境涯、地獄界いわゆる地獄の鬼達に残虐に責め立てられ痛めつけられ苦しめられる極めて残虐悲惨な境涯は三悪道、三悪趣といって六道輪廻の中では最も苦しい境涯であると説きます。

ところで、仏教の見解では神を絶対の存在として考えていない。

神々も人間と同じように六道輪廻をする存在である。

たとえば、いかに偉大な神といえども、はるかに長い寿命を誇っている神も寿命が尽きると地獄界や餓鬼界、畜生界に堕ちることもある。

日本の神道史学の最高権威である元東大教授(故)宮地直一博士は自身の書籍「神道史 上巻」のなかで次のように解説されている。

「神という階級は絶対にあらず、もとより人間より上に位せるも、仏にあらず、覚者にあらず、それ以下の限られた能力の持ち主にて宿世の宿業によって神の身を得たるものなるがゆえに輪廻転生を免れず六道輪廻の中にいる存在である。」と書かれ

神の絶対性を否定している。

つまり、神でも死後に地獄や餓鬼界、畜生界などに転生する可能性もあるということである。

その神を超えた覚者であるとされている仏陀はパーリ仏典サンユッタ・ニカーヤ、雑阿含経において次のように説かれている。

「他人から奪った人が他人から奪われるのである。

愚か者は悪の報いが実らない間は悪の報いがない事を当然のことだと考える。

しかし、悪の報いが実ったときには愚か者は苦悩を受ける。

殺す者は殺され、怨む者は怨みを買う、

また罵りわめく者は他の人から罵りを受ける、

怒りたける者は他の人から怒りを受ける、・・後略」

さらに法句経においてブッダは

「悪業の報いはたとえ大空においても大海においても奥深い山中に隠れても悪業の報いからは逃れることが出来ない」と。

さらにまた、パーリ仏典サンユッタ・ニカーヤ及び漢訳仏典雑阿含経において ブッダはこうお説きになられている。

「穀物も財産も金も銀も、またいかなる所有物があっても、奴僕も傭人も使い走りの者もまたかれに従属して生活する者どもでも、どれもすべて連れて行く事は出来ない。

全てを捨てて行くのである。

人が身体で行ったもの、つまり、身体で行った善き行為の報い、身体で行った悪しき行為の報い、また、言葉や心で行ったもの、つまり、言葉で行った善き行為の報い 言葉で行った悪しき行為の報い  また、心で行った善き行為の報い、心で行った悪しき行為の報い等

それこそが、その人自身のものである。

人はそれを受け取って行くのである。

それはかれに従うものである。

影が人に従うように。

それ故に善い事をして功徳を積め。

功徳は人々のよりどころとなる。」

次に、仏典パーリ中部経典の中の賢愚経(けんぐきょう)、漢訳仏典 中阿含経の癡慧地経(ちえぢきょう)というお経がある。

そのお経において仏陀は次のように説かれている.

「極悪非道な行いをした者は死後、地獄に堕ち極めて残虐悲惨な苦しみを受ける」と仏典に説かれている。

最古の仏典スッタニパータやパーリ中部経典の中の賢愚経、漢訳仏典中阿含経の癡慧地経において仏陀はこのように説かれている

「仮に賭博(とばく)や博打(ばくち)に負け自分の妻や子供や財産を全て失い,自分も囚(とら)われの身になるという不運があったとしても、罪、悪事を犯し、その罪、悪事の報いにより死後、地獄へ堕ち、膨大な年数、極めて残虐悲惨な苦しみを受ける地獄での大苦痛大苦悩に比べれば賭博、博打に負け自分の妻や子供や財産を全て失い,自分も囚(とら)われの身になるという不運などはとるに足らない僅(わず)かな不運である。」

つまり「罪、悪事を犯しその罪、悪事の報いにより死後地獄へ堕ち、膨大な年数、残虐で極めて悲惨な苦しみに遭遇する地獄へと堕ちる不運こそが最悪の大不幸、大不運である。」という内容が説かれている。

また地獄にも種類があり阿鼻地獄、無間地獄という地獄がある。

阿鼻地獄(無間地獄)は最も極悪非道な行為をした者が赴(おもむ)く地獄であり、最も痛み苦しみの激しい、極めて残虐極めて悲惨な地獄であると仏典に説かれている。

仏教経典には地獄という世界が説かれている。

地獄とは悪い事をした者が死後に生まれ赴く極めて苦しい、極めて残虐悲惨な世界。人や生き物を殺したり、いじめたり、苦しめたり、悩ませたり、悲しませたり、困らせたりした者、人の物を盗んだり、人をだましたりした者が死後に赴く世界。

特に阿含経、正法念処経、大智度論などの経典論書において地獄について詳しく解説した箇所がある。

日本において地獄の観念が多くの人々に弘まった大きな原因のひとつは天台宗の源信という僧侶が「往生要集」という書物を著しその書物が多くの人々に読まれたからであろう。

この「往生要集」は今から約千年程前に書かれた書物で現在に至るまで多くの人々に読まれている。

この「往生要集」で引用されている経典の種類は極めて多く、源信様がいかに多くの経典を読まれたかが分かる。

また地獄の状況を絵で表現した地獄絵というものもある。

地獄絵は文字が読めない人々や子供達に対し仏教の教義を分かり易く解説する役割を果たし、多くの人々に倫理観、道徳意識、勧善懲悪の観念を植え付け、また地獄に対する恐怖心が凶悪犯罪の防止、犯罪抑止力の役割を果たしていたと考えられる。

次に、真言宗開祖、弘法大師空海様の晩年の著作である「秘密曼荼羅十住心論第一巻」において盗み、窃盗、泥棒、収奪の業報について説かれている箇所がある。

そのなかで空海様は雑宝蔵経というお経を引用し次のようにお説きになられている。

そのお経の概要は

「ある一人の鬼(死者)がいた。

その鬼が仏弟子である目連尊者に対しこのように質問した。

「私の腹は極度に大きく、のど、手足は極度に細くて食べ物や飲み物を取ること、食事をする事が出来ない。何が原因でこのような苦しみを受けるのか。」

目連尊者は答えて言った。

「あなたは前世において高い地位にあり富貴、裕福で、さまざまな食事、お酒を大いに楽しんだが、他の人々を軽視し、侮り、見下し他の人々の飲食を奪い取り、他人を飢えさせ、他人を困らせた。

このような他の人々の飲食を奪い取り、他人を飢えさせ、他人を困らせた行い、行為、因縁、業報、罪の報いによりこのようなひどい苦しみを受けている。

これは果報、業報であり、このような罪の報いによる地獄の苦しみは後になって受けるのである。」

次に、仏教経典「国訳一切経 (印度撰述部 阿含部 2)」という書籍の中の雑阿含経第十九に屠殺(殺生)に関するお経が書かれている。

その経典には屠牛者経 屠羊弟子経 好戦経 堕胎経 猟師経 殺猪経 断人頭経 捕魚師経等の屠殺や殺生に関するお経が書かれている。

例えば、屠牛者経を例に挙げるとそのお経の概要は釈尊の高弟の目連尊者がある日の托鉢中において鷲 烏 飢えた犬等の姿をした霊的な生き物にその内臓を食いつばまれ、すすり泣き苦しんでいる奇怪な姿をした霊的な生き物を見た。

目連尊者はその奇怪な姿をした霊的な生き物について托鉢から帰った後に釈尊に尋ねると釈尊はこう説かれた。

「目連尊者のように正しい修行を行い正しい修行によりある一定のレベルに到達するとこのような存在を見る事が出来る。

また、その奇怪な姿をした霊的な生き物は生前において牛の屠殺を行っていた者であり死後その屠殺を行った罪の報いにより地獄に生まれ巨大な年数の間 様々な大きな苦しみ激痛を受け更に地獄における巨大な年数の間の多くの苦しみ激痛が終わってもなお、その屠殺を行った余罪にて 鷲 烏 飢えた犬等の霊的な生き物達にその内臓を食いつばまれ、すすり泣き、泣き叫んで苦しんでいる。

また我(釈尊)もまたこの衆生(生き物)を見る」という内容の事が説かれている。

屠羊者経 殺猪経 猟師経も屠牛者経と同様、大体似た内容で説かれている。

そのお経に共通する主な内容は、生きている間において、人間や動物達等の生き物の屠殺、殺生を行った者がその死後において、その屠殺、殺生を行った罪業の報いにより非常に長い年月の間地獄において苦しめられる極めて悲惨な世界に赴き、多くの様々な激しい苦しみを受け、その地獄より出てきた後にもその屠殺や殺生の余罪により様々な生き物達、カラス 狂暴な犬 キツネ ワシ等に内臓をついばまれ食われその激痛に苦しみ泣き叫んでいる様子が書かれている。

 書籍「間脳思考―霊的バイオ・ホロニクスの時代」という書籍の中において一般の方々には難解と思われる国訳一切経(阿含部)の中の好戦経と堕胎経その他のお経について非常に分かり易く解説されている。

 ところで、仏教教団 阿含宗の開祖 今は亡き、桐山靖雄猊下の著作である
「人間改造の原理と方法―原始仏教から密教まで」
のあとがきで、

桐山靖雄猊下は次のように説かれている。

阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(1921年~2016年)

「我々は仏陀にはなれないかもしれないが、仏陀の残された教法を修行することにより賢者にはなれる。

いかなる場合にも、殺し合い、傷つけ合い、奪い合うような愚かな行為を演じない賢者に・・・。

 そうしてまた、そういう愚かな行為を絶滅させ、限りない愛と慈悲に満たされた高度で豊かな社会を作り出す賢者に・・・。」

1986年4月、当時のスリランカのジャヤワルダナ大統領は阿含宗の開祖 桐山靖雄猊下をスリランカに招待し釈迦のご遺骨である仏舎利を授けられた。

この仏舎利は西暦1898年に、インド ブッダガヤの金剛宝座の下から発掘されたとされている。

金剛宝座とは釈迦が悟りを開くため、正覚を得る為、ブッダになる為に瞑想した場所、悟りを開くための瞑想の際に座った場所。

これについての話は書籍 「守護霊の系譜―こうして守護霊を持てに詳しく書かれている。

また、1986年4月にジャヤワルデナ大統領から仏舎利を授けられる約2年程前の1984年1月、阿含宗の開祖、桐山靖雄猊下は「間脳思考」という書籍を著した。

その書籍の中で著者の桐山猊下は阿含経の好戦経というお経を解説されている。

そのお経の主な内容は生前、戦争を好み、刀や武器などで多くの人々を殺傷し、傷つけた者が死後、その人を殺し傷つけた罪障により地獄に堕ち、極めた長い期間、地獄の苦しみを受け、その地獄の余罪によりカラスなどの多くの鳥獣により体を啄まれ酷い苦しみ、苦痛にあえぐ霊体をお釈迦様と高弟子の目連尊者が霊視した話が説かれている。

地獄の余罪でこのような苦しみを受けるのであれば本当の地獄の苦しみは物凄い苦痛である事であると桐山猊下はこの書籍の中で解説されている

ファイナル・ウォー アメリカが目論む最後の「日本収奪計画」

泥棒国家の完成

「ヤクザ・リセッション さらに失われる10年 (光文社ペーパーバックス)

「日本がアルゼンチン・タンゴを踊る日 (光文社ペーパーバックス)

国富」喪失 (詩想社新書)

拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる (文春新書)

「ゆうちょマネー」はどこへ消えたか: “格差”を生んだ郵政民営化の真実

真実を聞いてくれ―俺は劣化ウランを見てしまった

書籍「劣化ウラン弾―湾岸戦争で何が行われたか

【Amazon.co.jp 限定】M9.0東京直撃の日ー日本列島激マップ

「魔女狩り (岩波新書)

「インディアスの破壊についての簡潔な報告 (岩波文庫)

世界から戦争がなくならない本当の理由

広島・長崎の原爆災害 (1979年)

昭和の戦争の真実 (扶桑社BOOKS)

インカの反乱―被征服者の声 (岩波文庫)

「キリスト教は邪教です! 現代語訳『アンチクリスト』 (講談社+α新書)

「ブッダのレクイエム」―血塗られた人類史は、宗教の投影だ! 

キリスト教の悲惨 (りぶらりあ選書)

図説 魔女狩り (ふくろうの本/世界の歴史)絵で見る十字軍物語

敗戦後の日本を慈悲と勇気で支えた人ースリランカのジャヤワルダナ大統領ー (ジュニアノンフィクション)

人類アカシャ全史―アカシックレコードから読み解く人類の起源と歴史、そして驚愕の近未来

旧約聖書 出エジプト記 (岩波文庫 青 801-2)

弘法大師著作全集 (第1巻)

日本の美術 no.271 六道絵

ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫)

「間脳思考―霊的バイオ・ホロニクスの時代

人間改造の原理と方法―原始仏教から密教まで

守護霊の系譜―こうして守護霊を持て

国訳一切経 (印度撰述部 阿含部 2)」

「大正新脩大蔵経 (第2巻) (普及版大正新脩大蔵経)

書籍「国訳一切経 (印度撰述部 阿含部 8)

インド哲学 仏教学の世界的権威 中村元博士

聖徳太子

幼少期の聖徳太子

チベット仏教 生死輪図

ブッダ釈尊

閻魔大王

死後、瑠璃鏡で生前の行いを見せられる亡者

地獄絵

地獄絵

弘法大師 空海

阿含宗開祖 桐山靖雄猊下 

1986年4月7日 スリランカのジャヤワルダナ大統領から

阿含宗の開祖、桐山靖雄猊下に仏舎利が授けられる。

釈尊成道の聖地 インド ブッダガヤ 

菩提樹下の金剛宝座

b」



日本がアルゼンチン・タンゴを踊る日 (光文社ペーパーバックス)













浄土真宗の開祖の親鸞聖人が説く悪人正機説は仏説と相矛盾する危険な邪説であると私は考える。

浄土真宗の親鸞聖人の悪人正機説は仏説と相矛盾する外道の説であると私は考える。

特に、仏教や倫理、道徳教育をほとんど受けていない子供たち、青少年たち、一般的に、大人に比べると思慮分別が乏しいと考えられる子供たち、青少年たち、この言葉をそのまま文字通りに、彼ら、彼女たちに教えると、彼ら、彼女たちの多くは「仏教では悪人は正しいと説いている。」と解釈し、仏教に対し誤った解釈、いわゆる誤解や混乱を招く恐れが多いにある。

悪人正機説は危険な言葉、危険な文言であると思う。

凶悪犯罪の原因になりかねない言葉であるように思われてならない。

完全に間違っている説であると私は考える。

そもそも、仏教の根本的な教え、ブッダ、真理に目覚めた等正覚者達の最も重要な教えと、根本的な教えは

「良いことをしなさい。悪いことはしてはいけない。」

という倫理、道徳の実践の教えであるといえる。

漢訳仏典においても

諸悪莫作(しょあくまくさ)
衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)
自浄其意(じじょうごい)
是諸仏教(ぜしょぶっきょう)」 という

七仏通誡偈(しちぶつつうかいげ)という有名な言葉がある。

七仏とは過去7人の偉大なブッダがいたとされている。

すなわち、

毘婆尸仏、 尸棄仏、毘舎浮仏、倶留孫仏、倶那含牟尼仏、 迦葉仏、釈迦牟尼仏

お釈迦様はその中の一人である。

その方々の共通する教えが先に述べた通り

諸悪莫作(しょあくまくさ)
衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)
自浄其意(じじょうごい)
是諸仏教(ぜしょぶっきょう)

という七仏通誡偈(しちぶつつうかいげ)なのである。

またパーリ仏典の法句経(ダンマパダ)においてブッダは次のように説かれている。

「一切の悪をなすことなく、善を具備実践し、自分の心を浄化すること、これが諸仏の教えである」

諸仏とは真理に目覚め、ブッダとしての悟りをお開きになられた覚者達の事。

確かに、中には

「親鸞聖人の悪人正機説はそのような悪人が正しいという意味で説いたのではない!」

「悪人にも正しい所はあるという意味だ!」

「もっと教学を勉強しろ!」

「もっと深い意味を読み取れ!」

と立腹、お叱りを受けるかもしれない。

しかし、明らかに、この言葉そのものは普通に解釈すれば「悪人は正しい。」と解釈してしまう危険性を秘めた言葉であると考えざるを得ない。

さらに、大人に比べると思慮分別が乏しいと考えられる子供たち、青少年たち、この言葉をそのまま文字通り、彼ら、彼女たちに教えると、彼ら、彼女たちは「悪人こそ正しい。」と解釈して仏教に対し誤解や混乱を招きかねない。

そもそも、浄土真宗の親鸞聖人の悪人正機説という言葉自体、釈迦牟尼世尊、ゴータマブッダ、過去に現れた多くのブッダ達の言葉の内容と相矛盾する外道の説、邪道の説であると考えざるを得ない。

確かに、親鸞聖人は仏教を一部の特権階級のものから一般大衆のものにしたという偉大な功績がある、つまり、仏教の教えを民衆が使う言葉で初めて布教しだしのは日本では鎌倉時代、日蓮上人や法然上人、親鸞聖人だとされている。

また、親鸞聖人の宗教的な情熱は素晴らしいものであり、尊敬に値するものと思う。

しかし、仏教徒は仏祖への報恩謝徳の為、一般民衆の幸福の為、誤りのない、誤解のない、わかりやすい、正しい仏教、正しい仏法を社会に広めなければならない。と思う。

それが義務であると思う。

確かに私自身、不勉強の部分はあるかもしれないが、私のその意見について是正、叱正して下さる方がいれば幸いです。

最後に、書籍「バウッダ[佛教] (講談社学術文庫)」の中で次のように書かれている。

「現在のアーガマ(阿含経)をそのまま釈尊の教えに直結することはあまりにも短絡化しすぎており、今日の仏教学からすれば、むしろ誤りとみなされる。

ただし釈尊の教えと佛弟子たちの言行録などは、そして、最初期、ないし、初期の仏教の資料はアーガマ(阿含経)にしか存在していないのであり、大乗経典(これを日本人は釈尊の教えそのものと誤解し受容してきた。)には求むべくもないことが明白である以上、何よりもまずアーガマ(阿含経)の解明に専念する仏教文献学が必要不可欠の前提とされる。

そして、それは近代学問として、すでに100年以上の年月を刻んで今日もなお継続している。」

さらに、

「現在の日本には、約7万5000余と言われる仏教寺院で読誦されるお経は、開祖の釈尊の阿含経典は全く顧みられず、開祖である釈尊とは異なる別の仏による大乗のお経の一説であり、そればかりか、その大部分は宗祖に準ずる特記すべき高僧の文がお経として敬われ、読誦され続けている。

例えば、日本最大の宗派の浄土真宗の場合、大乗経典の浄土三部経、いわゆる無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経の一部のほか、宗祖である親鸞の主著、教行信証、行巻の末尾にある正信偈、もしくは、真宗中興の祖とされる蓮如の御文がその宗のお経であり、曹洞宗では大乗経典の般若心経や法華経の一部のほか、宗祖の道元の主著の正法眼蔵から、本来は明治時代に在家信者向きにダイジェスト化したテキストの修証義がお経として読誦されていて、それにより日々の勤行から諸種の行事、仏事、法事までの全てが進行する。

他の宗派においてもほぼこれに準ずる。

親鸞、蓮如、道元、その他の諸宗祖などは、いずれも、ひときわ偉大な高僧であり、かつ学僧であるとはいえ、彼らは特定の論師であって仏ではない以上、厳密に言えば、これらの人々の著述は経に属するのではなくて、論のカテゴリーに入る。

それでも日本では、それらがお経とされていて、何人も疑わず、異議を挟むものもいない。」

写真と絵で見る仏教

    釈尊自身の何代も前の前々々世、はるか大昔、釈尊の過去世においてスメーダ(善慧)という名前の人間であった時、スメーダは燃灯仏(ねんとうぶつ、ディーパンカラ)に対する心からの尊敬心と憧憬心から泥道を歩こうとしている燃灯仏が少しでも足が汚れないよう、スメーダ自身の結んでいた髪を解きほどき、泥の上に体をうつぶせにして自らの長い髪を投げ出し「私の背中を踏んでいって下さい。」と言い、燃灯仏(ディーパンカラ)を心から拝んでいる姿が見てとれる。

そして、燃灯仏(ディーパンカラ)はそのスメーダの心の中を読み取りスメーダに「遠い将来、あなたは必ずブッダになる。」と予言されたとされる。

これが、いわゆる、燃灯仏授記本生図の話である。

また、この釈尊のはるか遠い前世のスメーダが燃灯仏に対して行った全身をかけた礼拝が、今現在、チベットで盛んに行われている仏様への礼拝、いわゆる五体投地に似ており、五体投地の原点のように私自身、その思えてならない。

過去現在因果経 参照。

書籍「国訳一切経 印度撰述部 本縁部四 大東出版社」参照。

インドで釈迦として人間に生まれ変わる直前、

兜率天で修行する釈迦の前世の姿。

釈迦の直前の前世は兜率天の善慧菩薩。

託胎霊夢

マーヤ夫人の釈尊懐妊 釈尊降誕像

マーヤ夫人の釈尊降誕

釈尊の降誕(チベット仏画)

釈尊の実母 マーヤ夫人

産まれたばかりの釈尊の体に産湯をかける従者たち

産まれたばかりの釈尊の将来をアシタ仙人が王宮に来て占い、

釈尊が将来、王の地位を継承するならば転輪聖王になり、また、

出家をすれば世界を救うブッダになります。と予言した。

青年時代の釈尊

仙人を訪ねる釈尊

禅定の達人であるアーラーラ・カーラーマの

弟子になる釈尊

釈尊苦行像

断食修行を終え、新たな瞑想修行を始める

為、体力、気力を付けるため、スジャータという娘から

乳粥の供養を受ける釈尊

瞑想中の釈迦が悟りを開こうとするのを妨害する為

釈迦の元に集まってきた悪魔の群勢。

瞑想中の釈迦が悟りを開こうとするのを妨害する為

釈迦の元に集まってきた悪魔の群勢。

瞑想中の釈迦が悟りを開こうとするのを妨害する為

釈迦の元に集まってきた悪魔の群勢。

釈尊降魔成道仏画(チベット仏教)

釈尊降魔成道仏画(チベット仏教)

過去現在因果経 参照。

書籍「国訳一切経 印度撰述部 本縁部四 大東出版社」参照。

仏教の開祖である仏陀釈尊自身の瞑想体験として、修行を完成し仏陀に成られた釈尊は、仏陀としての最高の悟りを開く直前、非常に深い瞑想中において、無量無数の生き物達がそれぞれの業、それぞれのカルマに応じて無限に近い膨大な時間、無量無数とも例えられる程の回数、生き替わり死に替わりを繰り返している情景をその超人的透視力で実際に透視したという釈尊自身の体験が仏典に説かれている。

以下は釈尊自身の瞑想の体験談である。

「このように 私(釈尊)は四神足(仏教の修行法、瞑想法)が修練され豊かにされたときに、種々なる過去の生涯を想い起こした。

すなわち一つの生涯、二つの生涯、三つの生涯、四つの生涯、五つの生涯、十の生涯、二十の生涯、三十の生涯、四十の生涯、五十の生涯、百の生涯、千の生涯、百千の生涯を、また幾多の宇宙成立期、幾多の宇宙破壊期、幾多の宇宙成立破壊期を。

我はそこにおいて、これこれの名であり、これこれの姓であり、これこれのカースト(階級)であり、これこれの食を取り、これこれの苦楽を感受し、これこれの死にかたをした。

そこで死んでから、かしこに生まれた。

このように形や名称とともに種々なる過去の生涯を想い起こしたのである。

このように私(釈尊)は四神足(仏教の修行法、瞑想法)が修練され豊かにされたときに、清浄で超人的な天眼をもって、もろもろの生存者が死に、また生まれるのを見た。

すなわち、卑賤なるものと高貴なるもの、美しいものと醜いもの、幸福なものと不幸なもの、そしてもろもろの生存者がそれぞれの業に従っているのを明らかに知った。

実にこれらの生存者は身に悪行を行い、言葉に悪行を行い、心に悪行を行い、もろもろの聖者をそしり、誤った見解を抱き、誤った見解にもとずく行為を行う。

かれらは身体が破壊して死んだ後に悪しき所、堕ちた所、地獄に生まれた。

また、他のこれらの生存者は、身に善行を行い、言葉に善行を行い、心に善行を行い、諸々の聖者をそしらず、正しい見解にもとずく行為を行う。

かれらは身体が破壊して死んだ後、善い所、天の世界に生まれた。

このように清浄で超人的な天眼をもって、もろもろの生存者が死に、また生まれるのを見た。

すなわち、卑賤なるものと高貴なるもの、美しいものと醜いもの、幸福なものと不幸なもの、そしてもろもろの生存者がそれぞれの業に従っているのを明らかに知った。」

また、インドの古代文献であるウパニシャッド(奥義書)の教えに、悟りを得たときには過去の生涯を明らかに思い起こすという思想がある。

そして、ジャイナ教の教えにおいても、修行者が悟りを開いたときには世界、神々、人間、悪魔のありさま、彼らがどこから出てきてどこへ行くか、という詳しい姿を見透したという。

(書籍「思想の自由とジャイナ教 中村元撰集決定版  第10巻 春秋社」参照。)

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以上の事から要約すると、仏陀釈尊の覚醒の課程は三夜にわたる智の開眼、智慧の獲得で説明される。

すなわち、第一夜(初夜 夜6時~夜10時頃)において釈迦(釈尊)は瞑想によって自らの百千の生涯、幾多の宇宙の成立期、破壊期、成立破壊期を残らず想起した。(宿明智の獲得)

次に、第二夜(中夜 夜10時~夜中2時頃)において天眼(清浄で超人的、神的な透視力)により生き物達が無限の生死循環(輪廻転生)を繰り返す様を見透す。(天眼智の獲得)

最後に、第三夜(後夜 夜中2時~朝6時頃)において「一切(輪廻転生の本質)は苦である」という認識を得、縁起の法を悟って覚醒、漏尽解脱、智慧解脱の完成を得た。(漏尽智の獲得)

そして、「わたし(釈尊)は最高の道を悟った。私の悟りは揺るがず、壊れない。私は解脱を果たした。もう苦しみの世に生まれる事は決してない。」とある。

また、釈尊はこの瞑想法だけで仏陀に成られたのではなく釈尊自身の過去世からの無量無数ともいうべき積徳の行為、功徳を積んだ行為より生じた福徳の力、福力により仏陀に成る事が出来たとされる。

仏教では福徳の力で成仏するという教えがあり、

舎利禮門というお経の文言に「万徳円満、釈迦如来」という言葉がある、

つまり万(よろず)の徳、全ての徳が完全に備わっている釈迦如来という意味であるがブッダに成るには大きな徳が必要とされる。

『四分律経典 第三十一巻』 『国訳一切経 律部二 大東出版社』

参照。

『四分律経典 第三十一巻』 『国訳一切経 律部二 大東出版社』

参照。

『四分律経典 第三十一巻』 『国訳一切経 律部二 大東出版社』

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釈尊成道像(インド)

釈尊成道後、ムチャリンダ龍王の護仏

民衆に対して説法するのを躊躇していた釈尊に対し、

説法するよう懇願する梵天

釈尊初転法輪像

火神堂内毒龍調伏

拝火教の指導者、迦葉三兄弟の釈尊への帰依

拝火教の帰仏

ブッダ説法像

ブッダ説法像

ブッダの説法を聞き入る聴衆

在家信者のスダッタ長者が

釈尊に祇園精舎を布施寄進する様子

ブッダに対する供養

ブッダに布施する職人

ブッダに布施する子供

セイロン島(スリランカ)に上陸するブッダ

ブッダ シュラヴァスティの神変

(舎衛城の神変)

ブッダ シュラヴァスティの神変

(舎衛城の神変)

ブッダ シュラヴァスティの神変

(舎衛城の神変)

ブッダ シュラヴァスティの神変

(舎衛城の神変)

ブッダ シュラヴァスティの神変

(舎衛城の神変)

ブッダ シュラヴァスティの神変

(舎衛城の神変)

洞窟内で瞑想するブッダ

涅槃入滅する前の釈尊(チベット仏画)

釈尊涅槃図絵(日本 高野山 金剛峯寺)

釈尊涅槃

釈尊涅槃

釈尊涅槃像(インドネシア アジャンター石窟)

釈尊の遺骨を祀る仏舎利塔(ストゥーパ)を礼拝供養する人々

釈尊の遺骨を祀る仏舎利塔(ストゥーパ)

仏足石(ネパール)

仏足石を礼拝する女性たち

ブッダ釈尊が悟りを開いた地とされているインド ブッダガヤ

ブッダ釈尊が悟りを開いた地とされているインド ブッダガヤ。

釈尊がこの聖菩提樹の木の下で悟りを開いた際、正覚を得た際に

座った地とされている金剛宝座。

チベット仏教 生死輪図(生き物が天界、人間界、修羅界、

畜生界、餓鬼界、地獄界の六つの境涯を輪廻転生、

すなわち、何度も何度も生まれ変わりを

繰り返す様を描いた仏画)(チベット)

チベット仏教 生死輪図(生き物が天界、人間界、修羅界、

畜生界、餓鬼界、地獄界の六つの境涯を輪廻転生、

すなわち、何度も何度も生まれ変わりを

繰り返す様を描いた仏画)(チベット)

熾盛光曼荼羅(しじょうこうまんだら)(天台密教)(日本)

 大日如来

    薬師如来

  準提観世音菩薩

  準提観世音菩薩

  準提観世音菩薩

   如意輪観世音菩薩

  十一面観世音菩薩

   地蔵菩薩

 弥勒菩薩

   如意輪観音

     文殊菩薩

   不動明王

 不動明王

    降三世明王

  降三世明王

五大力菩薩像 龍王吼菩薩

五大力菩薩像 金剛吼菩薩

五大力菩薩像 無畏十力吼菩薩

大元帥明王(だいげんすいみょうおう)像

(大元帥法(だいげんすいほう)は玉体安穏(ぎょくたいあんのん)や怨敵降伏(おんてきこうふく)のために修せられる国家的修法であるが大元帥明王は大元帥法のご本尊になる。)

閻魔大王(えんまだいおう)

  死後の裁判状況

死後の裁判状況

死後の裁判状況

死後の裁判状況

死後、生前に行った悪い行為の一部始終を浄玻璃鏡(じょうはりのかがみ)

で見せられる亡者

獄卒に連行される亡者、その状況を見る、亡者の子供

地獄 獄卒絵

地獄の獄卒と罪人

地獄の獄卒

地獄絵

地獄絵

       地獄絵

       地獄絵

  地獄絵

   地獄絵

地獄の獄卒が罪人たちを苦しめる。

獄卒が罪人の生前の悪行為を浄玻璃鏡で見せる。

地獄の獄卒と罪人

  地獄絵

  地獄絵

  地獄絵

死後の世界において、親がいない孤児、子供たちを救う地蔵菩薩

死後の世界、賽の河原において、親がいない孤児、子供たちを救う地蔵菩薩

地蔵菩薩

     地蔵菩薩

餓鬼たちに食物を分け与える僧侶たち

飢えに苦しむ餓鬼と対面する仏弟子の阿難尊者

餓鬼界に堕ちていた母に食物を与えるも

罪業が深く、食物を口に入れようとするも

口から火を噴き食べ物が食べられない母を見て号泣する目連尊者

大乗仏教の創始者 龍樹菩薩(チベット仏画)

真言密教伝持 第一祖 龍猛菩薩(インド)

釈迦牟尼仏像(チベット)

インドネシア ボロブドゥール遺跡

インドネシア ボロブドゥール遺跡

スリランカ 大仏像

タイ 大仏像

中国 大仏像

中国 大仏像

中国 雲崗の大仏像

日本仏教の始祖 聖徳太子(西暦574年〜西暦622年)

日本仏教の祖 聖徳太子(西暦574年〜622年)

日本仏教の祖 聖徳太子(西暦574年〜西暦622年)

法隆寺 夢殿 救世観音像

法隆寺 夢殿 救世観音像

玄奘三蔵法師(中国)(西暦602年〜西暦664年)

求法の為、インドへの旅の途上、

砂漠で遭難し行き倒れになっている

玄奘三蔵法師を助けに現れた深沙大将

箕面の滝(現在の大阪)での修行中、龍樹菩薩の霊体と遭遇する役行者(えんのぎょうじゃ)(役行者 22歳 西暦656年頃)(役行者絵巻参照。)

役行者(えんのぎょうじゃ)の強い祈りに感応して出現された蔵王権現(ざおうごんげん)(役行者 41歳 西暦675年頃)吉野山(奈良県)山中にて。)

蔵王権現(ざおうごんげん)

日本 奈良 東大寺 大仏像(西暦745年制作開始、西暦752年完成及び開眼供養。)

 日本 奈良 東大寺 大仏像 御尊顔

 日本 奈良 東大寺 大仏像 御尊顔

 日本 奈良 東大寺 大仏像 御尊顔

日本 奈良 東大寺 大仏像 御手

真言密教 開祖 弘法大師空海(西暦774年〜西暦834年)

土佐の室戸岬において求聞持法を修行する若き頃の弘法大師空海

四国、土佐の室戸岬において求聞持法を修行する若き頃の弘法大師空海

四国、土佐の室戸岬において求聞持法を修行する若き頃の弘法大師空海

四国の室戸岬で求聞持法を修行する若き日の弘法大師空海

写真は(DVD(映画)空海(空海役=北大路欣也)東映株式会社)より引用。

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弘法大師空海様は更なる求法の為、遣唐使船に乗船し唐の国に渡った。

尚、当時の航海技術は現代の航海技術と比較して著しく貧弱であった。

そのことについて書籍「竹取物語(全)角川ソフィア文庫」に次のように説明されている。

「遣唐使は、唐の文化を輸入するために、7世紀から8世紀にかけて、日本から公式に派遣された使節をいう。

西暦630年に始まり、西暦894年に停止するまで、およそ20回計画されたが、うち4回は中止されたという。

人員は、場合によって200名から500名に及んだ。

航路のうち南島路あるいは五島列島を通って、東シナ海を横断するために、漂流・遭難の危険性は非常に高かった。

実際、6回もの遭難記録が残っている。

自然の猛威にさらされるばかりか、海賊に襲われたり、漂着した島では島民に殺されたりすることもあった。

平安王朝の華麗な文化は、こうした先人の苦難のうえに花開いたのである。」

さらに

「(この当時の)遣唐使の派遣は危険な航海を伴い、事実、派遣回数の三分の一は遭難している。」

「竹取物語(全)角川ソフィア文庫」参照。

求法の為、唐の国に向かう遣唐使船に乗船する若き頃の弘法大師空海

求法の為、唐の国に向かう遣唐使船に乗船する若き頃の弘法大師空海

求法の為、唐の国に向かう遣唐使船に乗船する若き頃の弘法大師空海

密教を学ぶ為、船で唐の国に渡る弘法大師空海、その弘法大師の乗船する遣唐使船に現れたとされる湧現観音

密教を学ぶ為、船で唐の国に渡る弘法大師空海、その弘法大師の乗船する遣唐使船に現れたとされる湧現観音

密教を学ぶ為、船で唐の国に渡る弘法大師空海、その弘法大師の乗船する遣唐使船に現れたとされる湧現観音

真言密教伝持第七祖 恵果和尚(唐)(西暦746年〜西暦805年)

突如、彗星の如く恵果和尚の前に現れた異国の僧侶、空海、その空海に対し、恵果和尚が恵果の高弟を含む多くの弟子達(約1000人以上の弟子達)を差し置き、恵果の持つ全ての密教の大法を空海に授けることに対し、また、空海を極めて厚遇する事に対し、激しく恵果に抗議する恵果の高弟、珍賀。

その夜、四天王に叱責、痛めつけられる夢を見た珍賀。

恵果が空海に密教の大法を授け、空海を極めて厚遇することに激しく抗議する恵果の高弟、珍賀。その夜、四天王に叱責、痛めつけられる夢を見た珍賀。翌朝、空海に対し今までの非礼を詫びる珍賀。

真言密教伝持第七祖 恵果和尚(唐)(西暦746年〜西暦805年)から、ただ一人、真言密教伝持 第八祖、伝承者として指名された真言密教の開祖 弘法大師 空海(日本)(西暦774年〜西暦834年)

弘法大師空海様が唐において恵果和尚から密教の大法を授かった後、日本への帰国の途上、航海中、突如、船を荒波が襲い、あわや荒波が船を飲み込もうとした時、突如、海上に巨大な不動明王が現れ、不動明王の持つ剣でその荒波を切り裂いたと伝えられている。

その時の不動明王が和歌山県にある真言密教の総本山、高野山(こうやさん)において波切不動尊としてお祀りされている。

清涼殿において即身成仏の姿を現した弘法大師空海。

清涼殿において即身成仏の姿を現した弘法大師空海。

各宗旨宗派の高僧との仏教討論の際、他の宗旨宗派の高僧が来世成仏を説く中、弘法大師空海様ただ一人だけが即身成仏を説き、各宗旨宗派の高僧からその論拠を示せと迫られ、嵯峨天皇及び各宗旨宗派の高僧達の御前で即身成仏の境地に入り大日如来の姿に変化した弘法大師空海様(清涼殿において)

この現象について、書籍「密教誕生 桐山靖雄著 平河出版」の中で弘法大師空海様が現した奇瑞について著者である阿含宗開祖、桐山靖雄大僧正猊下は次のように説かれている。

「朕、空海の最尊最上の教を深く信ず。さりながら、朕、密教にて説く即身成仏の現証を未(い)まだ見ず。」と(帝が空海に問うと)

御声のもとに、空海は、静かに南面して結跏趺坐し、手に智拳印をむすんで口に密言(みつごん)を誦す。心は六大平等観に住すると見る間(ま)に、身はたちまち紫磨黄金(しまおうごん)の膚(はだえ)となって、五色遍照の光明を放ち、頭(こうべ)に五智の宝冠を現じて、座は八葉の蓮華となった。

帝は、畏くも玉座から下り給うて、南無遍照金剛と御拝あらせられた。各宗の賢哲たちも、居ならぶ朝臣等も、ひとしく平伏して、随喜讃仰の手を合わせた。

ややあって、空海は、ふたたび元の体にかえり、ここに、生仏(しょうぶつ)不二、凡身即仏の妙諦を如実に示したのである。」

天暦十年(九五六年)に著された「孔雀経音義」は、つぎのように述べている。

「仍(よ)って大師智拳印を結び、南方に向うに南門俄(にわ)かに開けて、金色の毘盧遮那を成じ、眉間に白毫相(びゃくごうそう)の光を放つ。

爰(ここ)に一人(天皇のこと)諸臣七宗の衆徒は驚いて地に下り、皆ことごとく礼拝す。即ち本体に還帰す。

入我我入の諍、即身頓証の疑いはこの日より釈然たり。

真言瑜伽宗秘密曼荼羅之道は彼の時より建立す・・・・・。」

書籍「密教誕生 桐山靖雄著 平河出版」442頁~443頁参照。

     胎蔵界曼荼羅

金剛界曼荼羅 大日如来

胎蔵界種字曼荼羅

胎蔵界曼荼羅 釈迦院 釈迦如来

胎蔵界曼荼羅 観音院(蓮華部院) 聖観音

胎蔵界曼荼羅 遍知院 準提仏母

胎蔵界曼荼羅 遍知院 大勇猛菩薩

胎蔵界曼荼羅 持明院 般若菩薩

  金剛界八十一尊大曼荼羅

さて、次は座禅中の神秘体験の話であるが、天台密教の智証大師円珍は座禅中、目の前に忽然と金人が現れ、自分の姿を描いて懇ろに帰仰するよう勧め、帰依するならば汝を守護する。と言った。

  天台密教 智証大師円珍(西暦814年〜891年)

円珍が何者であるのかと問うと、

金人は「自分は金色不動明王で、和尚を愛するがゆえに常にその身を守っている。」答えた。

さらに、その金色不動明王は次のように言った。

黄不動明王

「仏法の真髄を伝える汝を守護するために示現するものなり。

仏の教えを究めて迷える衆生を導くべし。」と。

その姿は魁偉奇妙、威光熾盛で手に刀剣をとり、足は虚空を踏んでいた。

円珍はこの体験が印象に残ったので、その姿を画工に銘じて写させたという。

鎌倉大仏(西暦1238年制作開始 西暦1243年完成 開眼供養)

次に、鎌倉時代に活躍した日蓮宗の開祖である日蓮上人様(西暦1222年〜西暦1282年)の霊験談に龍ノ口の奇跡という話がある。

日蓮上人様が当時の幕府や諸宗を批判したとして、佐渡流罪の名目で、鎌倉の松葉谷草庵にいた日蓮上人様を捕縛し連行。

翌日の西暦1271年9月13日子丑の刻(午前2時前後)、日蓮上人様を土牢から引き出し日蓮聖人様は、はだか馬に乗せられ、江ノ島片瀬 龍の口(たつのくち)刑場へと引かれていった。

途中、鶴ヶ岡八幡宮にさしかかったとき、日蓮聖人様は大声で

「八幡大菩薩はまことの神か・・・」と、法華経の行者を守る役目を果たすよう叱りつけました。

源氏の氏神を叱りつけたから、役人はびっくりし、あわてて馬を引き立てた。

鎌倉を引き回された後、日蓮聖人様は龍の口の刑場で敷物に座らされ、とうとうその首が刎ねられようとしていた。

いよいよ首を斬ろうと、役人が刀をかまえたその瞬間、江ノ島の南東から満月のように大きな光る不思議な光の玉が飛んできて北西へと飛び、日蓮聖人様の上に現れた。

そして頸を刎ねようとして太刀を大きく振りかざした武士を直撃し、役人は驚いて逃げ去り、太刀は三つに折れてしまい、その手足は動かなくなってしまった。

処刑どころではなかった。


「日蓮の首は斬れません。」と早馬が鎌倉に向かい、鎌倉からは「日蓮の首を斬るな!」との連絡があり、何かの理由により刑は中止されたという。(西暦1271年9月13日)

この竜ノ口の奇蹟の話を本で読んだり、人の話で聞いたりすると、『観音経』の中の観世音菩薩普門品偈(かんぜおんぼさつふもんぼんげ)に説かれている次の経文を思い浮かべる。

「或値怨賊繞(わくちーおんぞくにょう)

各執刀加害(かくしゅーとーかーがい)

念彼観音力(ねんぴーかんのんりき)

咸即起慈心(げんそくきーじーしん)

或遭王難苦(わくそーおーなんくー)

臨刑欲壽終(りんぎょーよくじゅーじゅー)

念彼観音力(ねんぴーかんのんりき)

刀尋段段壊(とーじんだんだんねー)

或執禁伽鎖(わくしゅーきんかーさー)

手足被杻械(しゅーそくひちゅーかい)

念彼観音力(ねんぴーかんのんりき)

釈然得解脱(しゃくねんとくげーだつ)」

ちなみに、『観音経』というお経は『法華経』の第二十五巻目に説かれているが、もともとインドにおいて観音信仰が盛んにおこなわれている地域があり、法華経の編集者がこの観音信仰に基づく「観音経」を取り入れたという説があります。

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臨済宗中興の祖、白隠禅師(日本)(西暦1686年〜西暦1769年)

江戸時代、禅宗の中の一つ、臨済宗に白隠禅師という高僧がいた。白隠禅師は臨済宗中興の祖と言われ、また、500年間不出の高僧とも言われた程の高僧であった。

白隠禅師は自身の説く教えの中に、布施を強く勧める教えを歌にして多くの人々に布施の重要性を説いた。

以下、白隠禅師が説いたとされている施行歌を紹介する。


施行歌(白隠禅師作)

今生富貴する人は

前世に蒔きおく種がある

今生ほどこしせぬ人は

未来は極めて貧なるぞ

利口で富貴がなるならば

鈍なる人はみな貧か

利口で貧乏するを見よ

この世は前世の種次第

未来はこの世の種次第

富貴に大小あることは

蒔く種大小あるゆえぞ

この世はわづかのものなれば

よい種えらんでまきたまえ

たねを惜しみてうえざれば

穀物とれたるためしなし

田畑に麦稗(むぎひえ)まかずして

麦稗取ったるためしなし

麦稗一升まきおけば

五升や一斗はみのるぞや

しかればすこしの施しも

果報は倍倍あるものぞ

いわんやほどこし多ければ

果報も多しと計り知れ

それゆえお釈迦も観音も

施しせよとすすめたり

さすれば乞食非人まで

救うこころを発すべし

おのおの富貴で持つ宝

有ればあるほどたらぬもの

多くの宝を譲るとも

持つ子が持たねば持たぬもの

少しも田畑ゆずらねど

持つ子はあっぱれ持つものぞ

我が子の繁昌祈るなら

人を倒さず施行せよ

人を倒して持つ宝

我が子にゆづりて怨となる

人の恨みのかかるもの

ゆづる我が子に沈みきる

枡や秤や算盤や

筆の非道をし給うな

つねづね商いするひとも

あまり非道な利をとるな

死んで三途に入ることぞ

その身は三途に落ち入れて

屋敷は草木が生い茂る

非道は子孫の害となる

親の悪事が子に報う

世間に数々あるものぞ

一門繁昌することは

親が悪事をせぬゆえぞ

もし又親にはなれなば

ますます重恩思い知れ

子を慈しむ親心

あらい風をも厭ひしぞ

それほど親に思われて

親を思わぬ愚かさよ

親に不幸な人々は

鳶やカラスに劣りたり

娘むすこをしつけるに

惜しむ宝はなきものぞ

親の後生のためならば

その金出して施行せよ

飢え死ぬ人を助けなば

これに勝れる善事なし

たとえ満貫長者でも

死んで身につく物はなし

妻も子供も銭金も

捨てて冥途の旅立ちぞ

冥途の旅立ちするときは

耳も聞こえず目も見えず

ゆくえしらずに門をいで

闇を闇路に入ることぞ

その時後悔限りなし

兎に角命ある限り

菩提の種をうえたまえ

命は脆きものなれば

露の命と名づけたり

今宵頭痛がし始めて

九死一生なるもあり

強い自慢をする人も

暮れに頓死をするもあり

今日は他人を葬礼し

明日は我が身の葬礼ぞ

然らば頼み無き娑婆に

金銀蓄え何にする

富貴幸いある人は

貧者に施しせらるべし

貧者に施しせぬ人は

富貴で暮らすかいもなし

狗でも口は過ぐるぞや

飢饉貧者を助くべし

慈悲善根はそのままに

家繁栄の御祈祷ぞ

慈悲善根をする人は

神や仏にまもられて

天魔外道はよりつかず

然れば祈祷になるまいか

よくよく了見せらるべし

恵み施しならぬとは

余りどうよく目に余る

飢え死ぬ貧者を見ぬふりに

暮らす心は鬼神か

慈悲善根のなき人は

子孫繁栄長からじ

宝はあまりなきものぞ

施行で借銭し初めよ

それこそ真の信心よ

上たる人をはじめとし

頭立ったる人々は

われもわれもと共々に

厚く施行に身を入れよ

貧者の命救うなら

広大無辺の善事なり

平生貧者に敬われ

身につく果報はあるまいか

人に食い物すつるのを

好んで拾って食う者は

前世に種まきたらぬゆえ

是非なく袖乞いすることぞ

かかる有様見ながらも

おのおの仁心起こらぬか

とにもかくにも人として

信心なければ人でなし

この節信心おこらねば

まったく牛馬にことならず

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慈雲尊者(日本)(西暦1718年〜西暦1805年)

インド哲学 仏教学の世界的権威 中村元(なかむら はじめ)博士(西暦1912年〜西暦1999年)

インド哲学 仏教学の世界的権威 中村元(なかむら はじめ)博士(西暦1912年〜西暦1999年)

インド哲学 仏教学の世界的権威

中村元(なかむら はじめ)博士(西暦1912年〜1999年)

阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(西暦1921年〜西暦2016年)

真言事相の碩学、小田慈舟大僧正猊下から

伝法を受ける阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(1970年、当時49歳)

京都市山科区北花山大峰にある阿含宗総本山建立中の地に立つ

阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下

阿含宗道場内において法話中の阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下

瞑想中の阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下

京都市山科区北花山大峰において

大柴燈護摩修法中の阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下。

お護摩の火炎の左上側に菩薩のお顔らしき姿が映っている。(霊写真)

阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下が大導師となって修する大柴燈護摩供(京都市山科区北花山大峰において)

阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下が大導師となって修する大柴燈護摩供(京都市山科区北花山大峰において)

阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下が大導師となって修する大柴燈護摩供(京都市山科区北花山大峰において)

今から約2500年前、ブッダ釈尊が約18年間、人々を説法、教化した土地、場所とされているインド サヘト・マヘト(祇園精舎)。

1980年11月、インド サヘト・マヘトへの仏跡巡拝をされた阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下。当時、59歳)

今から約2500年前、ブッダ釈尊が多くの人々の前で大神変力を現わしたとされているインド サヘト・マヘト ミラクルの池の跡地において強烈な仏勅、強烈な霊的バイブレーションを受けた阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(1980年11月8日、当時59歳)

インド サヘト・マヘト ミラクルの池の跡地

今から約2500年前、ブッダ釈尊が多くの人々の前で大神変力を現わしたとされているインド サヘト・マヘト ミラクルの池の跡地において強烈な仏勅、強烈な霊的バイブレーションを受けた阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(1980年11月8日、当時59歳)

含宗道場において法話をされる阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下

阿含宗道場において法話をされる阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下

阿含宗道場において法話をされる阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下

阿含宗道場において法話をされる阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下

阿含宗道場において法話をされる阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下

1983年8月、チベット仏教ニンマ派より高い僧位(法位)、法号を授かるに相応しい高い霊格を持った人物と判断され、外国人として初めて一切萬霊守護金剛という高い僧位(法位)法号を授かった阿含宗開祖、桐山靖雄大僧正猊下(当時62歳)

1983年8月、チベット仏教ニンマ派より高い僧位(法位)、法号を授かるに相応しい高い霊格を持った人物と判断され、外国人として初めて一切萬霊守護金剛という高い僧位(法位)法号を授かった阿含宗開祖、桐山靖雄大僧正猊下(当時62歳)

1986年4月 スリランカのジャヤワルデナ大統領より真正仏舎利を拝受される阿含宗開祖、桐山靖雄大僧正猊下(当時65歳)

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1990年1月 スリランカの古刹、マハー・マティンダ・ピリベナ寺から真正仏舎利を拝受される阿含宗開祖、桐山靖雄大僧正猊下(当時69歳)

1992年11月2日、スリランカ仏教シャム派総本山より「輝く平和の大王」という法号を授けられる阿含宗開祖、桐山靖雄大僧正猊下(当時71歳)

1996年6月、モンゴルのガンダン寺境内において十一面観世音菩薩様を本尊として桐山靖雄大僧正猊下、率いる阿含宗による国立十一面観音開眼法要、世界平和祈願護摩法要が厳修された。

この年の2月~6月上旬、モンゴルは大旱魃で雨がほとんど降らず、モンゴル全土で山火事が200箇所以上で燃え広がり数ヶ月間燃え続けていた。

1996年、モンゴル全土で数ヶ月間続いている広大な面積の山火事で、北海道と四国を合わせた程の極めて広大な面積のモンゴルの山林、草原が焼失し、まさにモンゴルは国家的な危機状況の中、阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下がモンゴルのジャスライ首相に対し、「明後日のガンダン寺での法要の際、観世音菩薩様に雨が降るようにお祈りします。観世音菩薩様は必ず雨を降らせて下さります。必ず雨が降ります。」と祈りによって雨を降らす事を約束。

そして、モンゴル国ガンダン寺での護摩修法当日未明、ウランバートル市全域に一大雷鳴がとどろき、全市民を驚愕させた。同時に、豪雨が大地を叩き、全市民を歓喜させた。待望の雨の第一陣であった。

さらに、護摩修法後、桐山靖雄大僧正猊下は参拝者の方々の前で、十一面観世音菩薩様がこのように雨を降らせて下さったと語り、十一面観世音菩薩様の偉大なる神通力、お力を称賛された。

モンゴル国ガンダン寺十一面観世音菩薩像

モンゴル国ガンダン寺十一面観世音菩薩図絵

その護摩修法後、モンゴル全土ですさまじい雨が降った。

このモンゴルの奇跡について阿含宗開祖、桐山靖雄大僧正猊下は自身の著作「阿含仏教 超奇跡の秘密 桐山靖雄著 平河出版社」の中で次のように書かれている。

「当時、モンゴルでは昨年末からほとんど雨が降らず、大旱魃に陥っていた。

そこへ、2月から山火事、草原の火事が各地で起こり始め、5月には北海道と四国を合わせたほどの面積が消失し、なおも延焼中という状況であった。

国境を越えて中国領内にもかなりの被害が出ていたようであった。

7月に入らなければ本格的な雨季にならず、この大火災を消すほどの豪雨は望めなかった。

また、降ったとしても鎮火には最低1ヶ月はかかるだろうと報道され、周辺の諸国から憂慮されていた。

6月3日、首相官邸を表敬訪問した私(桐山靖雄氏)は沈痛な面持ちで「雨が降らないので困る。」と話されるジャスライ首相(モンゴル国)に対し「5日の日に行われる国立十一面観音の開眼法要に豪雨を祈るからきっと雨が降りますよ。」と言った。

ごく自然にその言葉が口から出たのである。

別に何の意気込みも気張りもなかった。

気の毒だなと思うと同時に「よし、雨を降らせてあげよう!」という気持ちになったのである。

「私が祈れば必ず雨が降る。」そういう確信があった。

彼(ジャスライ首相(モンゴル国))に「火事は必ず消えますよ。」帰りしなにそう付け加えた。

その夜、深夜、私(桐山靖雄氏)はホテルの一室に籠り、一人、定(瞑想)に入った。

法要の当日までおよそ30分ずつ続けるのである。

法力集中のためである。

その翌日から定(瞑想)に入っていると法が動き出していることを感じた。

実際に草原の彼方に厚い雲が集まり出し始めたのである。

6月5日、法要当日未明に雷鳴が轟き、豪雨が大地を叩いた。

続いて各地に大豪雨が降り続き、法要から5日後、日本の国土の4倍以上もあるモンゴル百数十箇所の大火災が全て完全消火した。

私のモンゴル訪問は前年の11月に決定し、すべてのスケジュールが組まれていたのである。

スケジュールになかったのは雨を降らせることだけだった。

また、モンゴルの文化大臣がこの状況を目の当たりに見、「祈りの力がいかに偉大なものであるかを目のあたりに見て、心から驚嘆しました。」と述べた事を当時の現地の新聞記事が伝えた。

最終的に1ヶ月間は消えないであろうとされていたモンゴル全土の山火事が護摩修法後、モンゴル全土の大雨により6月5日から5日後の6月10日に山火事は完全鎮火した。

また、桐山靖雄大僧正猊下は自身の著作「阿含仏教 超奇跡の秘密 桐山靖雄著 平河出版社」の中でこのような奇跡、このような神変力について仏教語大辞典を引用され、次のように解説されている。

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「神変=仏、菩薩が衆生の教化のため、超人的な力によって種々のすがたや動作を現すことをいう。

神通に同じ。奇跡、あるいは奇跡を行なうこと。

奇瑞=古代インドでは、宗教的に高い境地に達した修行者は、しばしば超人的能力を現したという。

仏教では六通、三明とよび、これらの能力は、禅定とよばれる精神統一の副作用として得られるものと考えられていた。

また、神通は、「信仰の厚い、立派な男によって、奮闘の持続によって、不抜の意力によって、人間の力によって、人間の精神・人間の努力・人間の忍耐によって得られるべきもの」と経典に説かれている。

そういう心構えをもった者が、努力を重ねていくとき、その人間自身でも思いがけないほどの力を現すことがある。」と。

以上ような神通奇跡談について、仏教学者の水野弘元博士はその著書「原始仏教」の中で神通奇跡談について次のように書いておられる。

「今日の合理主義的な考え方からすれば仏陀及び原始仏教が三明六通という奇跡的神通力を説いたことはいかにも仏教の合理性を没却したものであり、おそらく原始仏教では説かれていなかったものを新たに加えられた挿入の不純物に過ぎない。と考える学者がいる。

しかし、仏教を単なる科学や倫理や修養ではなくして宗教であると考える限り、このような神通奇跡の存在は仏教の宗教的要素として極めて価値があり、かつ必要なものである。

2500年の昔において仏教は今日の科学時代にも劣らない合理性や倫理性を有したのであるが、しかし、単なる合理性や倫理性だけではそれは宗教とはなり得ないであろう。

宗教である限り、自らの実践だけではなく、他をも絶対信に導き入れなければならない。

宗教を他の方々に対し教化救済する利他的な宗教面は三明六通というような神通奇跡によって得られるのである。

宗教が多くの人々に信じられていくのは神通奇跡によってである。

また仏教各宗の祖師と言われるような人々も多かれ少なかれ常人を超えた不思議な力を持った人であったに相違ない。」とある。

さらにまた、修験道研究の碩学、五来重(ごらいしげる)博士は阿含宗の機関紙、月刊アーガマ(昭和55年5月号)紙上において次のように説かれている。

「修験道に関する説話や文学には、よく山伏の法験や「験競」(げんくらべ)がかたられている。

今ではそのようなことはありえない超人間的な事跡が伝えられるのは、禅定が真剣に実行された時代には、十分可能だったことをものがたるものであろう。

私は奇蹟がなければ宗教はありえないものと考えている。

奇蹟を否定して、ただ人生観と倫理観の問題を信仰だというのは、哲学であり道徳ではあっても宗教ではない。

宗教の近代化と称して、奇蹟を否定した理性的宗教を正信とし、奇蹟を信じるのを迷信とするのは、宗教の自殺である。」と説かれている。

1996年6月、モンゴル国ガンダン寺境内において十一面観世音菩薩様を本尊として世界平和護摩法要を修せられる阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(当時75歳)

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1996年6月、モンゴル国ガンダン寺境内において十一面観世音菩薩様を本尊として世界平和護摩法要を修せられる阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(当時75歳)

1996年、モンゴル全土が約1ヶ月間、山火事で国家的な危機状況の中、阿含宗開祖 桐山靖雄管長がモンゴルのジャスライ首相に対し、祈りによって雨を降らす事を約束。

そして、モンゴル国ガンダン寺での護摩修法後、大雨が降った。

また、モンゴルの文化大臣が桐山靖雄管長の祈りの力の凄さに非常に驚いていた事を当時の現地の新聞記事が伝えている。

書籍「密教 超能力の秘密 桐山靖雄著 平河出版社」(1972年初版)参照

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1999年3月6日 インドにおいて印度聖地大柴燈護摩法要を修せられる阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(当時78歳)

インド聖地大柴燈護摩法要のご本尊、釈迦如来像と真正仏舎利尊。

1999年3月6日 インドにおいて印度聖地大柴燈護摩法要を修せられる阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(当時78歳)

1999年3月6日 1999年3月6日の印度聖地大柴燈護摩供の修法中、真正仏舎利尊から発するご霊光。「一九九九年七の月よ、さらば! 桐山靖雄著 平河出版」参照。

1999年3月6日の印度聖地大柴燈護摩供の修法中、真正仏舎利尊から発するご霊光。「一九九九年七の月よ、さらば! 桐山靖雄著 平河出版」参照。

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1999年3月6日 インドにおいて印度聖地大柴燈護摩法要を修せられる阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(当時78歳)

仏舎利とはブッダのご遺骨、いわゆる悟りを開いた方のご遺骨を意味するが、世間一般ではお釈迦様のご遺骨の事を意味する。

約900年前頃の日本で活躍した僧侶、臨済宗の開祖、栄西禅師様(1141年~1215年)も宋の国に留学中、阿育王山  広利禅寺に参拝した折、仏舎利尊から発するご霊光を目撃した体験記が栄西禅師様の著書「興禅護国論」に記載されている。

また、今から約1100年前頃に活躍した日本の僧侶、天台宗 慈覚大師円仁様(794年~864年)は、自身の唐への巡礼紀行体験を記した書籍「入唐求法巡礼記」の中において、仏舎利尊から発するご霊光にまつわる体験記が次のように記されている。

「長年、法華経を読誦していた一人の僧があった。

最近、いくつかの仏陀の遺品が彼に授かった。町中の人々は来て捧げものをした。

寺は僧俗であふれた。どれくらい大勢来たか分からないほどであった。

遺品を発見した由来は、経を読む僧が夜中に彼の部屋に座って経を読んでいると、三本の光が射し込み、部屋全体を輝かせ、寺全体を明るくした。

光りのもとを探すとそれは寺の西の崖のふもとから来たものであった。

毎晩、光はその部屋と寺を照らした。

数日後、僧は光を辿って崖に行き、地面を十フィート以上も掘り下げると、そこには仏陀の遺品を納めた三つの壺があった。

青い瑠璃の中には七粒の舎利があり、白い瑠璃の壺には五粒、金の壺には三粒あった。

彼はそれらを持ち帰り、仏堂に安置して供養を捧げた。

太原府と近郊の貴賤男女や役人たちは位の高いものも低いものもすべて来て尊敬を捧げ、供養した。

誰もがいった、これこそ僧の法華経に対する熱心さがもたらした不思議な力によるものである。と。

町から山へ来る人々は道を埋め、大群衆は礼拝し、驚嘆した。」

書籍『円仁 唐代中国への旅 入唐求法巡礼行記の研究 エドウィン・O・ライシャワー著 田村完誓訳 講談社学術文庫』299頁~300頁 引用。

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さらにまた、今から約1400年前頃に唐の国やインドにおいて活躍した玄奘三蔵法師様(604年~662年)もインドにおいて仏舎利尊から発するご霊光を目撃した体験記が次のように伝えられている。

「さて、ちょうどこのときは正月のはじめであった。

西国の法として、毎年この月にボードガヤの菩提寺では仏舎利を出し、諸国の道俗の人々はみなやってきて来観するならわしであった。

法師(玄奘三蔵)もその年は師のジャヤセーナとともに、舎利骨(しゃりこつ)を見に行った。

あるいは大きくあるいは小さく、大きいのは真珠ぐらいで紅白色に光り輝き、肉舎利は豌豆(えんどう)大で、赤色で光沢があった。

無数の人々が香花を奉献し、礼拝が終わると、その舎利は塔中に還しておくことになっていた。

その日の夜半、ジャヤセーナは法師(玄奘三蔵)とともに見た舎利が大小さまざまであったのを論じ

「私がほかの所で見た舎利は、みな大きさは米粒ぐらいのものであった。

ところがここで見たのは、非常に大きいものだ。

そなたはあれを見て疑わなかったか?」といった。

法師(玄奘三蔵)も、

「いや、じつは私も果たして本当の舎利かどうか、疑わしいと思っていました」と答えた。

するとしばらくして室内に灯火がないのに部屋の内外が非常に明るくなった。

怪しんで外に出てみると、舎利塔の中から空高く光を発し、飛炎天に沖して五彩に輝いていた。

そしてあたりには香気がみなぎった。そこで二人は人々に

「舎利に大神変が起こった。」と言った。

書籍『玄奘三蔵 西域・インド紀行 慧立 長澤和俊訳 講談社学術文庫』205頁~206頁 引用。

玄奘三蔵法師(西暦602年~664年)

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仏舎利を祀る霊験功徳は多くの経典に説かれているが、その多くの経典のうち、代表的な経典、大般涅槃経と悲華経と蓮華面経において、仏舎利について次のように説かれている。

大般涅槃経にいはく、

『天界に住む神々と、僧侶、在家の仏教徒は、仏舎利を得たら七つの宝で出来ている瓶に盛り、これを都城の内なる道地において七宝でできている塔を建立して仏舎利を供養するならば、生きとし生ける一切衆生に大いなる功徳をもたらし、三界に生存する三有の苦しみを離脱し、涅槃の安楽に至らせるであろう。

仏舎利を供養するということは、まさに生ける仏を供養することなのである。』

悲華経にいはく、

『衆生の福尽きて、三災(刀兵、飢饉、悪疫の三つの難)まさに現れ、経巻地に没して、衆生みな死に瀕する時が来る。

この時にあたって、仏舎利、金剛際より出でて、大虚空に昇って、種々の花を雨らす。

その花の中にもろもろの珍宝、名衣、百味の飲食を雨らす。その花の中に声を発して、法を説く。衆生、聞いてみな菩提心を発(おこ)す。』

蓮華面経にいはく、

『舎利の光明はるかに奈利(地獄)を照らす。

罪業の衆生、この光を受けて抜苦与楽すること、称計するべからず。』

書籍『守護仏の奇蹟 桐山靖雄著 平河出版社』参照。

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『守護霊の系譜 桐山靖雄著 平河出版社』参照。

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真言密教の第五祖、不空三蔵様(705年~774年、生地はインドもしくは唐国)が釈尊の仏舎利を禮敬する意を述べた文章に舎利禮門(しゃりらいもん)という経文があります。

この舎利禮門は真言宗や曹洞宗などの法要、日々の勤行において読経する場合がよくあります。

参考までに、その舎利禮門の経文の全文は以下の通りです。

舎利禮門(しゃりらいもん)

一心頂禮(いっしんちょうらい)
萬徳園満(まんとくえんまん)
釈迦如来(しゃかにょらい)
真身舎利(しんじんしゃり) 
本地法身(ほんじほっしん)  
法界塔婆(ほうかいとうば)  
我等禮敬(がとうらいきょう)   
爲我現身(いがげんしん)  
入我我入(にゅうががにゅう) 
佛加持故(ぶつかじこ) 
我請菩提(がしょうぼだい)   
以佛神力(いぶつじんりき)  
利益衆生(りやくしゅじょう)  
発菩提心(ほつぼだいしん)  
修菩薩行(しゅぼさつぎょう) 
同入園寂(どうにゅうえんじゃく)  
平等大智(びょうどうだいち)  
今将頂礼(こんじょうちょうらい) 

とお唱え致します。

中国の阿育王寺にある真正仏舎利を祀る舎利殿

仏教篤信者の夢の神秘体験

インドの古代奥義書、ウパニシャッドの中に「深い睡眠と真実の自己はつながっている。」という言葉がある。

確かに、思い起こせば、篤信の仏教信仰者、いわゆる信心深い仏教信仰者にある種の夢の啓示を受けた方が何人かおられる。

たとえば、真言宗の開祖、弘法大師空海は若い頃の修行時代、夢の中に毘盧遮那仏が現れ、「汝の求めているお経は久米寺の東塔の下にある。」と教えられ、久米寺に行くと空海の求めていたお経、大日経、いわゆる大毘盧遮那神変加持経を発見したという話がある。

         奈良 東大寺 毘盧遮那仏像 

 

       真言密教開祖 弘法大師空海

また、弘法大師空海が求法の為、密教の奥義を求め、唐(今の中国)に渡り、唐の大阿闍梨、いわゆる密教の専門家、密教の大導師、密教の大家である恵果和尚に会った。

 

        遣唐使船に乗船する弘法大師空海

       遣唐使船に乗船する弘法大師空海

         遣唐使船に乗船する弘法大師空海

                         恵果和尚

そして、恵果和尚は空海を一目見、言葉を交わすごとに、恵果和尚は空海の持つ天性のずば抜けた学問、識見、才能、仏性、人格、仏器、なによりも密教の師匠としての器の非凡さ、凄さに大変惚れ込み、今まで恵果和尚の高弟たちにさえも金剛界法、胎蔵界法の両部の大法をほとんどの弟子たちに授けることはなかったが弘法大師空海に対しては特別に両部の大法を惜しげもなく授けた。

       恵果和尚から伝法を受ける弘法大師空海様

恵果は空海に対し、恵果のお弟子、3000人以上いる弟子の中の特に優れた弟子、いわゆる高弟以上の処遇対応、指導教化をした。

そして、インドから中国へと代々続く密教の祖師の系譜があり、恵果和尚はその七代目であり、弘法大師空海を恵果に次ぐ真言密教の第八代目の祖師に指名、任命した。

そして空海に遍照金剛(へんじょうこんごう)という称号を授けた。

遍照金剛とは大日如来を意味する。

恵果和尚は空海に対し、全ての密教の大法秘法を授け、空海に対し、早く日本に帰り、日本にこの密教の秘法を広く弘め、民衆を益するよう空海に託した。

             大日如来

それを見た恵果和尚の高弟の珍賀が恵果和尚に対し強く抗議し、

「たかだか三ケ月程前に突然現れた異国の僧に対して、我々を差し置いて、これほどまでに破格の厚遇、指導をするのは、おかしいのではないか?」と恵果和尚をたしなめた。

しかし、その夜、珍賀の夢の中に仏教の外護神、四天王たちが現れ、夢の中で珍賀は仏教の外護神の四天王たちに囲まれ、凄い叱責を受け、殴られ、蹴られたりする夢を見た。

翌朝、目覚めた珍賀は弘法大師空海に対し今までの非礼を詫び、恵果和尚の考えに間違いは無いと考えを改め、他の門下生にも恵果和尚の考えに間違いがないことを説きまわったとされている。

恵果和尚の高弟の珍賀が師匠の恵果和尚に対し「たかだか三ケ月程前に突然現れた異国の空海に対し、我々を差し置いて、これほどまでに破格の厚遇と指導をするのは、おかしいのではないか?」と師匠の恵果和尚をたしなめ、抗議する様子。

「空海が破格の厚遇と指導を受けるのはおかしい」として、師匠の恵果和尚をたしなめ、恵果和尚に強く抗議した珍賀はその夜、珍賀の夢の中に仏教の外護神の四天王たちが現れ、外護神に囲まれ、外護神に凄い叱責を受け、殴られ、蹴られたりする夢を見た。

珍賀は夢の中で外護神に凄い叱責を受け、殴られ、蹴られたりする夢を見た翌朝、空海に対し、今までの非礼を詫びた。

次の夢に関する話として、霊友会4代目の会長の大形市太郎氏は昭和20年8月に原子爆弾の被害を受け、その原子爆弾の熱線で全身大やけどをしたが、ある夜、信心深い市太郎氏の母親の夢の中に先祖が現れ、「おまえの息子の大やけどは私が教える場所の薬屋で私が教える薬を買い、その薬を全身に塗ればきれいに治る。」といわれた。

母親は市太郎氏にその話をして市太郎氏は「原爆で跡形もないであろう。」と思いながらも母が夢の中で見た先祖が言われた通りの道を行くと不思議にもその薬屋は原爆で破壊されていなかった。

そして、市太郎氏はその薬屋で先祖が言われた通りの薬を買い、母親にやけどをした全身の皮膚にその薬を塗ってもらった。

のちに、市太郎氏の友人たちは病院で治療を受けたが原爆のケロイドは残った。

しかし、市太郎氏にはケロイドは残らなかったという。

そのことが契機となり無宗教、無信心、無信仰者であった市太郎氏は「信仰の力、目に見えない力というものは確かにあるんだ。」と考え、その信心深い母親にお経の読み方を一から教えて欲しいと頼んだ。という。

(雑誌 一個人 仏教を愉しむ旅 2005年 No.56  KKベストセラーズ参照)

次の夢に関する話として、瑜伽師地論という論書は仏教の百科全書ともいわれている大部の論書であるが、昔、インドにおいてその瑜伽師地論を修めたインドの戒賢という僧侶がいた。

戒賢はある時期から重い病に伏し、苦しみのあまり食を断って死を覚悟する状態であった。

ある夜、病に伏す戒賢は夢の中に文殊菩薩、弥勒菩薩、観音菩薩、3人の菩薩が現れ、戒賢にこう言った。

 

「3年後に中国から一人の青年が瑜伽師地論を学びにこの寺にやってくる。その青年に汝の修めた瑜伽師地論を教え導くと誓うならば汝の病は速やかに癒えるであろう。」

と言われた。

戒賢は「そのようにします。」と答えると3人の菩薩は姿を消し、戒賢は目を覚ました。

そして、しばらくすると戒賢の重い病も次第に悉く癒えてしまった。

そして、戒賢がその夢を見た3年後にこの寺にやってきた青年が玄奘三蔵法師であったという。

玄奘三蔵法師

その玄奘三蔵が戒賢から瑜伽師地論を学び、また、大般若経600巻という大部のお経も中国に持ち帰り、中国において梵語(インドの言語)から漢語(中国の言語)に翻訳する作業をしていた時、大般若経の翻訳量があまりにも膨大過ぎ、かつ、同じ文言の繰り返しが非常に多いので、繰り返しの箇所は省略して翻訳するように決めた。

しかし、そのように決めたその夜、玄奘三蔵は虎に襲われる夢や崖から突き落とされる夢を見たりし、物凄い恐ろしい思いをし、翌朝目を覚ました。

玄奘三蔵は、これは「翻訳は一切省略せずに全てを翻訳しろ!」という御仏の意思に違いないと考え、翌朝、同じ文章が重複するところも一切、省略せずに翻訳しようとした。

そのように全て省略せずに全翻訳を心に決めたその夜、玄奘三蔵は天国のような、まるで極楽浄土にいるかのような快楽に溢れた誠に心地のよい夢を見た。

翌朝、目覚めた玄奘三蔵は大般若経は一切省略せずに訳すことが御仏の意思であると確信し、大般若経600巻を全て省略せずに全翻訳することにした。

そして数年の歳月をかけ、玄奘三蔵は600巻もある大部の大般若経の完全翻訳を完遂したのであった。

さて、次の仏教信仰者と夢に関する話として、浄土真宗の開祖である親鸞聖人も京都にある観音ゆかりのお寺、頂法寺の六角堂に長期間、籠もり95日目に夢の中に観音様が現れ観音様からお告げを得たと言われている。

さて、次は夢の話ではなく、座禅中の神秘体験の話であるが、天台密教の高僧、智証大師円珍は座禅中、目の前に忽然と金人が現れ、自分の姿を描いて懇ろに帰仰するよう勧め、帰依するならば汝を守護する。と言った。

  天台密教 智証大師円珍

円珍が何者であるのかと問うと、

金人は「自分は金色不動明王で、和尚を愛するがゆえに常にその身を守っている。」答えた。

さらに、その金色不動明王は次のように言った。

黄不動明王

「仏法の真髄を伝える汝を守護するために示現するものなり。

仏の教えを究めて迷える衆生を導くべし。」と。

その姿は魁偉奇妙、威光熾盛で手に刀剣をとり、足は虚空を踏んでいた。

円珍はこの体験が印象に残ったので、その姿を画工に銘じて写させたという。

仏教が説く地獄の世界と慈悲の精神

仏教経典には地獄という世界が説かれている。

地獄とは悪い事をした者が死後に生まれ赴く極めて苦しい、極めて残虐で悲惨な世界。

人や生き物を殺したり、いじめたり、苦しめたり、悩ませたり、悲しませたり、困らせたりした者、人の物を盗んだり、人をだましたりした者が死後に赴く世界。

特に、阿含経、正法念処経、大智度論などの経典論書において地獄について詳しく解説した箇所がある。

日本において地獄の観念が多くの人々に弘まった大きな原因のひとつは今から約1000年ほど前、天台宗の源信という僧侶が「往生要集」という書物を著し、その書物が多くの人々に読まれたからであろう。

この「往生要集」は今から約千年程前に書かれた書物で現在に至るまで多くの人々に読まれている。

この「往生要集」で引用されている経典の種類は極めて多く、源信様がいかに多くの経典を読まれたかが分かる。

往生要集は浄土宗に大きな影響を与えた書籍である。

この往生要集は宗(約千年前の中国の国名)の国に贈呈され台州の周文徳という方が往生要集を国清寺に収められた。また周文徳は源信を小釈迦源信如来として賛嘆、褒め称えた。

          源信僧都

また、シナ(中国)の真宗皇帝も源信を賛賞する事切なるものがあったという。

日本国においても今迦葉、迦葉とはお釈迦様の在世当時の十大弟子の一人 優秀な高弟の名前と呼ばれ、源信を賛賞する事切なるものがあったという。

この書物の前半では地獄界 餓鬼界などの状況等について各教典論書を引用し具体的に書かれている。

又、どのような行為によりどういう境涯(例えば地獄界、餓鬼界、畜生界など)に赴くのかが記載されている。

                   書籍「日本思想大系6 源信 岩波書店」参照。

また仏の三十二相についても具体的に説かれている。

どういう種類の良い行いにより良き報い、良き境涯、優れた仏の外観相形などを得られるのかという事も書かれている。

   書籍「日本思想大系6 源信 岩波書店」参照。

地獄絵は文字が読めない人々や子供達に対し仏教の教義を分かり易く解説する役割を果たし、多くの人々に倫理観、道徳意識、勧善懲悪の観念を植え付け、また地獄に対する恐怖心が凶悪犯罪の防止、犯罪抑止力の役割を果たしていたと考えられる。

また、仏教経典 雑阿含経第十九のなかに屠牛者経 屠羊者経 殺猪経 猟師経というお経がある。

例えば屠牛者経を例に挙げると、そのお経の概要は、釈尊の高弟の目連尊者がある日の托鉢中において鷲 烏 飢えた犬等の姿をした霊的な生き物にその内臓を食いつばまれ、すすり泣き苦しんでいる奇怪な姿をした霊的な生き物を見た。

目連尊者はその奇怪な姿をした霊的な生き物について托鉢から帰った後に釈尊に尋ねると釈尊はこう説かれた。

「目連尊者のように正しい修行を行い正しい修行によりある一定のレベルに到達するとこのような存在を見る事が出来る。

また、その奇怪な姿をした霊的な生き物は生前(生きている間)において牛の屠殺を行っていた者であり死後その屠殺を行った罪の報いにより地獄に生まれ巨大な年数の間 様々な大きな苦しみ激痛を受け更に地獄における巨大な年数の間の多くの苦しみ激痛が終わってもなおその屠殺を行った余罪にて 鷲 烏 飢えた犬等の霊的な生き物達にその内臓を食いつばまれ、すすり泣き、泣き叫んで苦しんでいる。

また、わたくし(釈尊)もまたこの衆生(生き物)を見る」という内容の事が説かれている。

さらに、屠羊者経 殺猪経 猟師経も屠牛者経と同様、大体似た内容で説かれている。

さらにまた、仏教のお経の阿含経の中に「好戦経」というお経があります。

書籍「国訳一切経 阿含部2 大東出版」参照。

戦争を好み刀等の武器によって人々を悩まし、苦しめ、傷つけ、殺したりした者が死後その罪の報いにより膨大な期間、地獄に落ち、激烈な痛み、猛烈な苦しみに遭遇し、すすり泣き、号泣している悲惨な状況の姿が説かれている。

又「堕胎経」というお経もある。

  書籍「国訳一切経 阿含部2 大東出版」参照。

内容は胎児を中絶堕胎殺害した者、又させた者(男女を問わず)が死後その堕胎した又させた罪の報いにより膨大な期間、地獄で苦しんでいる状況が説かれている。
「好戦経」 「堕胎経」は「国訳一切経 (印度撰述部 阿含部 2)」の中の雑阿含経 第十九に又「大正新脩大蔵経 (第2巻) (普及版大正新脩大蔵経)」の中の雑阿含経 第十九の中に説かれている。

国訳一切経、大正新脩大蔵経は内容がかなり専門的であり一般の方々、特に仏教書をあまり読まれた事がない方々にとって読んで理解するのに困難な一面があると思われる。

「好戦経」「堕胎経」を一般の方々に対し非常に分かり易く解説した書籍に「間脳思考―霊的バイオ・ホロニクスの時代」という書籍がある。

その書籍の中において「好戦経」「堕胎経」を非常に分かり易く説かれている箇所がある。

仏教経典「国訳一切経 (印度撰述部 阿含部 2)」という書籍の中の雑阿含経第十九に屠殺(殺生)に関するお経が書かれている。

その経典には屠牛者経 屠羊弟子経 好戦経 堕胎経 猟師経 殺猪経 断人頭経 捕魚師経等の屠殺や殺生に関するお経が書かれている。

そのお経に共通する主な内容は生前、生きている間において人間や動物達等の生き物の屠殺、殺す事、殺生、生き物を殺す事を行った者がその死後においてその屠殺、殺生を行った罪業、罪障の報いにより非常に長い年月の間地獄、すなわち、大きな悩み苦しみ憂い悲しみの世界 極めて苦しい激痛の世界 獄卒、地獄の鬼達により責め立てられ苦しめられる極めて悲惨な世界に赴き多くの様々な激しい苦しみを受け、その地獄より出てきた後にもその屠殺や殺生の余罪により様々な生き物達、カラス 狂暴な犬 キツネ ワシ等に内臓をついばまれ食われその激痛に苦しみ泣き叫んでいる様子が書かれている。

真言宗開祖、弘法大師空海様の晩年の著作である「秘密曼荼羅十住心論第一巻」において中絶(ちゅうぜつ)、堕胎(だたい)の果報、業報について説かれている箇所がある。

そのなかで空海様は雑宝蔵経(雑蔵経)( 大正新脩大蔵経 (第17巻) の五五八頁)というお経を引用し次のようにお説きになられている。そのお経の概要は

「一人の鬼あり、その鬼が仏弟子である目連尊者に対してこう問いかけた。「私(鬼)の身体は常に肉の塊(かたまり)にして手、脚、眼、耳、鼻等あること無し、つねに多くの鳥達に体をついばまれ、食べられ、耐えられない程苦しい。何が原因でこういう苦しみに遭(あ)うのか」

目連尊者は答えて言った「あなたは前世(前生)においてつねに他者に薬を与え他者の胎児(たいじ)を堕(おろ)した。胎児を中絶させた。胎児を殺害した。このような行為、因縁、業報により死後、現在においてこのようなひどい苦しみを受けている。これは(あなたが作った)果報、行為の報い、罪の報いであり、地獄の苦果、苦しみはまさに後身にあり(果報の報いはあとになって受ける)」とある。

(鬼という言葉は死者を意味する。昔は死ぬ事を鬼籍に入ると言った。)

真言宗開祖、弘法大師空海様の晩年の著作である「秘密曼荼羅十住心論第一巻」において盗み、窃盗、泥棒、収奪の業報について説かれている箇所がある。

そのなかで空海様は雑宝蔵経(雑蔵経) 大正新脩大蔵経 (第17巻) 五五七頁)というお経を引用し次のようにお説きになられている。

そのお経の概要は  「ある一人の鬼(死者)がいた。その鬼が仏弟子である目連尊者に対しこのように質問した。

「私の腹は極度に大きく、のど、手足は極度に細くて食べ物や飲み物を取ること、食事をする事が出来ない。何が原因でこのような苦しみを受けるのか。
目連尊者は答えて言った.

「あなたは前世(前生)において高い地位にあり富貴、裕福で、さまざまな食事、お酒を大いに楽しんだが、他の人々を軽視し、侮り(あなどり)、見下し他の人々の飲食を奪(うば)い取り、他人を飢(う)えさせ、他人を困らせた。

このような他の人々の飲食を奪い取り、他人を飢えさせ、他人を困らせた行い、行為、因縁、業報、罪の報いによりこのようなひどい苦しみを受けている。

これは(あなたが作った)果報、業報であり、このような罪の報いによる地獄の苦しみは後になって受けるのである」

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次に、比較的初期の仏教経典とされる「法句経」(ダンマパダ)において閻魔王(えんまおう)という名前が出てくる。

閻魔王とは死後の世界における人間を中心とした生き物達が生前、つまり生きていた時に行った悪事を裁く存在、すなわち死後の裁判官のような存在。

 

法句経(ダンマパダ)において仏陀はその存在についてこのようにお説きになられている。

「汝はいまや枯葉のようなものである。

閻魔王(えんまおう)の従卒もまた汝に近づいた。

汝はいま死出の門路に立っている。

しかし汝には旅の資糧さえも存在しない。

だから自己のよりどころをつくれ、すみやかに努めよ。

賢明であれ、汚れをはらい、罪過がなければ天の尊い処に至るであろう。

汝の生涯は終わりに近づいた。

汝は、閻魔王の近くにおもむいた。

汝にはみちすがら休らう宿もなく、旅の資糧も存在しない。

だから自己のよりどころをつくれ。

速やかに努めよ。

賢明であれ。

汚れをはらい、罪過(つみとが)がなければ、汝はもはや生と老いとに近づかないであろう」とある。

また、「スッタニパータ」において釈尊は次のようにお説きになられている。

「何者の業も滅びる事はない。それは必ず戻ってきて業を作った本人がその報いを受ける。愚者は罪を犯して来世にあってはその身に苦しみを受ける。

地獄に落ちた者は鉄の串を突き刺される所に至り、鋭い刃のある鉄の槍に近づく。

また灼熱した鉄丸のような食物を食わされるが、それは昔作った業にふさわしい当然な事である。

地獄の獄卒どもは「捕らえよ」「打て」などといって誰もやさしい言葉をかけることなく、温顔をもってむかってくることなく、頼りになってくれない。

地獄に落ちた者どもは敷き拡げられた炭火の上に臥し、あまねく燃え盛る火炎の中に入る。

また、そこで地獄の獄卒どもは鉄の縄をもって地獄に落ちた者どもをからめとり鉄槌をもって打つ。さらに真の暗黒である闇に至るがその闇は霧のように広がっている。

また、次に地獄に落ちた者どもは火炎あまねく燃え盛っている銅製の釜に入る。火の燃え盛るそれらの釜の中で永い間煮られて浮き沈みする。(中略)。

罪を犯した人が身に受けるこの地獄の生存は実に悲惨である。

だから人は、この世において余生のあるうちになすべきことをなし、おろそかにしてはならない。」

パーリ仏典サンユッタ・ニカーヤ及び漢訳仏典雑阿含経において ブッダ(仏陀、等正覚者)はこうお説きになられている。

 

 

「悪行(悪い行為)をした者は肉体が滅んだ死後に苦悩・災いの世界、不幸な状態、煉獄(劣った世界 地獄 餓鬼界、畜生界)に生まれる。」

「信仰もなく貪欲で利己的で悪い思いを抱き、誤った主義に生きて敬愛の心がなく、僧侶や托鉢をする人を嘲(ののし)り罵(あざけり)り心に怒り心を抱き食を乞う者に誰かが与えようとするのを邪魔する者。

このような人が死後恐ろしい煉獄(劣った世界 地獄 餓鬼界、畜生界)に生まれる。」とある。

つぎに、「白隠禅師法語全集 第1冊 邊鄙以知吾・壁訴訟」という本がある。

白隠禅師法語全集 第1冊 邊鄙以知吾・壁訴訟

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この書籍は江戸時代に活躍された臨済宗の白隠禅師が書かれた書籍である。

その内容は江戸時代の一部の殿様や将軍達の農民に対する貪欲かつ暴利を貪るが如き年貢の要求、冷酷な年貢の取立て、またその冷酷無慙な取立てにより農民達が苦しめられ、追いつめられ、ついには農民一揆という行動をとらざるを得なくなり、最後には農民達が死罪に追い込まれていった詳しい事情経緯がこの本に書かれている。

また、この本で白隠禅師は苦しめられ追いつめられていく農民の姿を見てお殿様や将軍達にこう批判した。

「あまり農民達を冷酷、過酷な取り立てで苦しめ追いつめると来世(死後)には農民達を過酷な取り立てで追いつめ苦しめた罪、悪事、悪業の報いによってお殿様や将軍様が死後において過酷で残虐、悲惨な地獄の苦しみを受けることになりますよ」と忠告及び批判をしている。

この本は江戸時代には一時発禁処分の書籍であったという。

現代の世相にも相通ずるものがあり、考えさせられる。

次に、「極悪非道な行いをした者は死後、地獄に堕ち極めて残虐悲惨な苦しみを受ける」と多くの仏典に説かれている。

最古の仏典スッタニパータやパーリ中部経典の中の賢愚経、漢訳仏典中阿含経の癡慧地経において仏陀はこのように説かれている。

「仮に賭博(とばく)や博打(ばくち)に負け自分の妻や子供や財産を全て失い,自分も囚(とら)われの身になるという不運があったとしても、罪、悪事を犯し、その罪、悪事の報いにより死後、地獄へ堕ち、膨大な年数、極めて残虐悲惨な苦しみを受ける地獄での大苦痛大苦悩に比べれば賭博、博打に負け自分の妻や子供や財産を全て失い,自分も囚(とら)われの身になるという不運などはとるに足らない僅(わず)かな不運である。」

つまり、「罪、悪事を犯しその罪、悪事の報いにより死後地獄へ堕ち、膨大な年数、残虐で極めて悲惨な苦しみに遭遇する地獄へと堕ちる不運こそが最悪の大不幸、大不運である。」という内容が説かれている。

また、地獄にも種類があり阿鼻地獄、無間地獄という地獄がある。

阿鼻地獄(無間地獄)は最も極悪非道な行為をした者が赴(おもむ)く地獄であり、最も痛み苦しみの激しい、極めて残虐極めて悲惨な地獄であると仏典に説かれている。

書籍「国訳一切経 印度撰述部 阿含部 七 大東出版社」

長阿含経 第十九巻 地獄品 参照。

書籍「国訳一切経 印度撰述部 阿含部 七 大東出版社」

長阿含経 第十九巻 地獄品 参照。

 

書籍「国訳一切経 印度撰述部 阿含部 三 大東出版社」

書籍「国訳一切経 印度撰述部 阿含部 三 大東出版社」

仏教にとって人間に生まれてくる事は非常に良き生まれであると説く。

人間にとって神々に生まれる事は良き生まれであるといわれるが神々にとっては人間に生まれる事が良き生まれであるといわれている。

輪廻転生の世界では衆生(生き物達)は地獄界や畜生界に生まれ替わる方が人間界に生まれ替わるよりも圧倒的に多いと仏典では説きます。(阿含経 増支部経典参照)

仏教の目的はこの輪廻転生からの脱出を説きます。

本質的に仏教はこの六道輪廻の世界を苦しみの世界とみなしそこからの離脱を目指します。

 

仏典に修行を完成した表現として
「現法の中において、自身作證し、生死已に盡き、梵行已に立ち、所作すでに辨じ、自ら後生を受けざるを知る、すなわち阿羅漢果を得たり」とあります。
(阿含経 長部経典参照)
国訳一切経 (印度撰述部 阿含部 7)

仏教 下 (岩波文庫 青 324-2)」という書籍がある。
この書籍において著者は仏陀の教理を五つの章に分類して解説している。

すなわち信仰 戒律 瞑想 英知 解脱である。特に瞑想の章では仏陀の最高の悟りに至るまでの具体的な心理的、霊的進行状態を各経典群を引用し更に詳しく解説しており瞑想実践者にとっては非常に興味深い。

著者は近代ヨーロッパの仏教学者であるが、主にパーリ仏典の文献を引用している。
つまり大乗仏典ではなく日本の仏教界では長年小乗経典と蔑まれてきた阿含経典群を主に引用されている。

仏陀釈尊は特に禅定(瞑想)に入っていない日常の精神状態であっても定(禅定)にあるのと同じように無念無想の精神統一を得られていたとされる。

阿含経に「那伽(ナーガ)は常(つね)に定(じょう)に在(あ)り。」という一節がある。実際に仏陀釈尊は禅定の熟達者であったと経典に伝えられている。この経典の中で那伽(ナーガ)とは仏陀釈尊を意味する。定とは瞑想、禅定を意味している。

また南伝大蔵経の増支部経典において「那伽(ナーガ)は行(ゆ)くにも定(じょう)にあり、那伽(ナーガ)は立(た)てるも定にあり、那伽(ナーガ)は臥(ふ)すにも定にあり、那伽(ナーガ)は座(ざ)せるにも定にあり」とある。

また、漢訳仏典の中阿含経118の龍象経においても「龍行止倶定、坐定臥亦定、龍一切時定、是謂龍常法」とある。仏典中の龍(竜)とは優れた修行者を意味する事もある。この経典の中の那伽(ナーガ)、龍(竜)とは仏陀釈尊を意味する。 龍(竜)をサンスクリット語でナーガと云う。

また仏教の禅定は外学(仏教以外の宗教)の主定主義者(つまり禅定そのものが目的の学派)と異なり般若の智慧を得る手段としての禅定でなければならないとされる。

「阿含経 長部経典」の「迦葉獅子吼経」の中で仏陀は苦行者の迦葉に向かってこう説かれた。

「外面的な規定を守ることによってではなく、倫理的行為と霊的自制と智とを完成させることにより、さらに内面的な憎しみとあらゆる敵意を克服し慈愛深い心をもつ者のみが解脱に到達する見込みがある」と説かれた。

仏典「スッタニパータ」において仏陀は次のようにお説きになられている。

「一度生まれる生き物(胎生つまり母胎から生まれる生き物)でも、二度生まれる生き物(卵生、つまり卵から生まれる生き物)でも、この世で生き物を害し、生き物に対する哀(あわ)れみのない人(慈悲心のない人)、彼を賤(いや)しい人であると知れ」

「母、父、兄弟、姉妹或いは義母を打ち、また言葉で罵(ののし)る人、彼を賤(いや)しい人であると知れ。」

「一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏(あんのん)であれ、安楽であれ。いかなる生き物(いきもの)生類(しょうるい)であっても、怯(おび)えているものでも強剛(きょうごう)なものでも、悉(ことごと)く、長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。」

「あたかも、母が己(おの)が独り子を命を賭けても護(まも)るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈(いつく)しみの心を起こすべし。

また全世界に対して無量の慈しみの心を起こすべし。

上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき慈しみを行うべし。

立ちつつも、歩みつつも、座しつつも、臥(ふ)しつつも、眠らないでいる限りは、この慈しみの心づかいをしっかりたもて。

この世では、この状態を崇高(すうこう)な境地と呼ぶ。」

お釈迦様ご自身の瞑想により体験して説かれた輪廻転生と因果応報の思想

仏教の根本的な教え、ブッダ、真理に目覚めた等正覚者達の最も重要な教えとは

「善いことをせよ。悪いことはするな」

という倫理、道徳の実践の教えであるといえる。

漢訳仏典において

諸悪莫作(しょあくまくさ)

衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)

自浄其意(じじょうごい)

是諸仏教(ぜしょぶっきょう)

という七仏通誡偈(しちぶつつうかいげ)がある。

また、パーリ仏典の法句経(ダンマパダ)において

「一切の悪をなすことなく、善を具備実践し、自分の心を浄化すること、これが諸仏の教えである」

という仏教の古い言葉がある。

その仏教の開祖であるお釈迦様という方は紀元前五世紀頃、つまり、今から約2500年程前に現在のネパール領でお産まれになった方である。

お釈迦さまは王族の出身という高貴な家柄出身であり、また物質的にも非常に恵まれた身分でありました。

しかし、様々な苦悩を解決するため29才で出家修行者として修行を重ねました。

   

最終的には35才で瞑想によって悟りをお開きになって、覚者、つまり、ブッダ、いわゆる、真理に目覚めた方になったと語り継がれています。

  

釈尊は35才で悟りをお開きになり、ブッダになられてから80才でお亡くなりになるまでの約45年間、広大なインドの大地を旅して歩き、多くの方々に仏教の教えを説き、仏の教え、仏の法を弘めました。

  

 

死後、その教えは優れた弟子達により仏教経典としてまとめられ、現在に至るまでその教えは仏教経典として伝えられています。

 

  

その仏教の教義の中に瞑想法、精神統一、禅定といった極めて重要な修行法があります。

その精神統一、瞑想、禅定の修練、 熟逹により豊かな智慧が獲得出来るとされます。

   

その瞑想修行に関して、仏陀(ブッダ)はパーリ仏典において次のようにお説きになられています。

「修行者が修行により心が安定し、清浄となり、浄化された、汚れの無い、小さな煩悩を離れた、柔軟で、活動的であって、そのもの自身が堅固不動のものになると、修行者は生き物達の死と再生について知る事(死生通)に心を傾け、心を向けるのです。

そして、修行者は、その清浄な、超人的な神の眼によって生き物達の死と再生を見、生き物達はその行為に応じて劣った者にもなり、優れた者にもなり、美しい者にも、醜い者にも、幸福な者にも、不幸な者にもなることを知るのです。

すなわち、生き物達は、身体による悪い行い、言葉による悪い行い、心による悪い行いをなし、聖者達を誹謗し、邪悪な考えを持ち、邪悪な考えによる行為を為す。

かれらは身体が滅びて死んだ後、悪い所、苦しい所、破滅のある所、地獄に再び生まれる。

 

 

一方、この者達は身体による良い行いを為し、言葉による良い行いを為し、心による良い行いを為し、聖者達を誹謗しないで、正しい見解による正しい行いを為している。

故に、かれらは身体が滅びで死んだ後、良い所である天界に生まれ変わった。修行者は知る。」

と説かれています。

また、仏陀(釈尊)になられた時の瞑想による真理の覚醒の課程は三夜にわたる智の開眼、智慧の獲得で説明されます。

最初に、第一夜(初夜 夜6時~夜10時頃)において釈迦(釈尊)は瞑想によって自らの百千の生涯、幾多の宇宙の成立期、破壊期、成立破壊期を残らず想起した。

いわゆる宿明智の獲得。

次に、第二夜(中夜 夜10時~夜中2時頃)において天眼(清浄で超人的、神的な透視力)により生き物達が無限の生死循環(輪廻転生)を繰り返す様を見透す。

いわゆる天眼智の獲得。

最後に、第三夜(後夜 夜中2時~朝6時頃)において「一切(輪廻転生の本質)は苦である」という認識を得、縁起の法を悟って覚醒、漏尽解脱、智慧解脱の完成を得た。

いわゆる漏尽智の獲得。

また、その輪廻転生には分段生死(ぶんだんしょうじ)と変易生死(へんやくしょうじ)と云う種類の転生があります。

分段生死とは凡夫の輪廻転生を意味し、六道輪廻つまり

地獄界(極めて苦しい残虐悲惨な境涯)、

餓鬼界(飢え、乾きに苦しむ境涯)、

畜生界(動物の境涯)、

修羅界(争いの境涯)、

人間界(人間の境涯)、

天界(天、神の境涯)の六種類の境涯を衆生(生き物)が何回も何回も際限なく輪廻転生していく転生を意味します。

  

一方、変易生死とは聖者の輪廻転生を意味し、聖者が仏陀の境涯に向かって修行していく過程、聖者としての境涯が後退せず上昇していく転生を意味します。

変易生死(へんにゃくしょうじ)について詳しく解説すると、例えば聖者の境涯に預流(よる)という境涯があります。凡夫が仏道修行により修行の境涯が進むと先ず預流という聖者に成ります。預流とは聖者の流れに入った者の意を表し、預流になると地獄界、餓鬼界、畜生界という最も苦しみの度合いが激しい三悪道の境涯には二度と生まれ変わらないとされています。

そして最高位の聖者である仏陀に成るまで三回~七回程度、人間界と天界への生死を繰り返し最後には必ず仏陀の境涯に至る事が出来るとされています。

輪廻転生の世界では衆生(生き物達)は地獄界や畜生界に生まれ替わる方が人間界に生まれ替わるよりも圧倒的に多いと仏典では説きます。(阿含経 増支部経典参照)

仏教にとって人間に生まれてくる事は非常に良き生まれであると説きます。

人間にとって神々に生まれる事は良き生まれであるといわれるが神々にとっては人間に生まれる事が良き生まれであると説きます。

仏教の目的はこの輪廻転生からの脱出を説きます。

本質的に仏教はこの六道輪廻の世界を苦しみの世界とみなしそこからの離脱を目指します。

お釈迦さまの教えはお釈迦さまの死後、多くの方々の努力により、主に中国  朝鮮  日本 ネパール チベット  タイ スリランカ  ビルマ ブータン ラオス ミャンマーなどのアジア諸国を中心に広まり、近年では欧米各国にも広まりつつあります。

燃燈仏

釈尊の何世代も前の前の前のはるか大昔の釈尊の前世において、釈尊がスメーダという名前の若者であったときに帰依したブッダが燃燈仏という名前のブッダであった。

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釈尊の母、マーヤ夫人の懐胎(インド彫像)

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釈尊の母が釈尊を出産する光景(チベット仏画)

釈尊の母、マーヤ夫人(チベット仏画)

釈尊の母、釈尊を出産(インド彫像)

産まれたばかりの釈尊に産湯をかける従者たち

釈尊の将来を占うアシタ仙人

青年時代、物質的に恵まれた生活を過ごした釈尊

修行時代、仙人のもとを訪ねる釈尊

禅定の達人者、アーラーラ・カーラーマの弟子になる若き頃の釈尊

苦行する釈尊。

断食修行を終え、瞑想修行に入る前、体力と気力を回復するため、

スジャータという名前の若い娘から乳粥の供養を受ける釈尊。

悟りを開く前、数々の悪魔が来襲し、

釈尊の悟りを開く修行の妨害をする悪魔の軍勢。

悟りを開く前、数々の悪魔が来襲し、

釈尊の悟りを開く修行の妨害をする悪魔の軍勢。

瞑想する釈尊

悟りを開いた釈尊

釈迦成道仏画(チベット仏教)

釈尊降魔成道像(インド)

釈尊降魔成道像(インド)

釈尊が悟りを開いた場所とされている金剛宝座と菩提樹(インド ブッダガヤ)

書籍『国訳一切経 律部二 大東出版社』参照。

書籍『国訳一切経 律部二 大東出版社』参照。

阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(西暦1921年~2016年)

悟りを開いた釈尊に対し、

人々に説法して下さるよう釈尊にお願いをする梵天

釈尊の初めての説法

釈尊初転法輪像(サールナート)

ムチャリンダ龍王の守護

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ムチャリンダ龍王の守護

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三迦葉の帰仏

(釈尊在世当時、3人の大修行者、大仙人が釈尊に帰依した様子。)

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拝火教徒たちの釈尊への帰仏

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釈尊の説法に聞き入る聴衆。

釈尊の説法

ブッダへの供養

洞窟内で瞑想するブッダ

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酔って暴れる象が、釈尊の威徳に打たれ平伏する様子。

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子供からの布施、供養を受けるブッダ

釈尊の在家信者で大富豪のスダッタ長者が釈尊、及び、釈尊の弟子、僧侶達の生活、修行する場所として広大な土地、後の祇園精舎と呼ばれる広大な土地を釈尊に寄進する様子。(写真をクリックすると大画面に表示されます。)

舎衛城の神変(シュラヴァスティの神変)

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舎衛城の神変(シュラヴァスティの神変)

釈尊が病人を看護する様子。

釈尊の入滅直前の様子(死去前)(チベット仏画)

釈尊入滅、釈尊のご遷化(せんげ)(死去)

釈尊涅槃図絵(高野山 金剛峯寺)

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釈尊涅槃絵  釈尊ご遷化(せんげ)図絵

(釈尊涅槃図絵 日本国 和歌山県 高野山 金剛峯寺)

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釈尊のご遷化(せんげ)、ご逝去の時のご尊顔

(日本 高野山 金剛峯寺)

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釈尊の十大弟子の一人である

阿難尊者が釈尊の死を悲しむ様子(スリランカ石像)

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釈尊の御遺骨(仏舎利)を祀るストゥーパ(仏舎利塔)を礼拝する人々

釈尊の御遺骨(仏舎利)を祀るストゥーパ(仏舎利塔)を守護する龍王

地蔵菩薩

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チベット仏教 生死輪図

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閻魔大王

死後、閻魔王の御前において生前の悪い行いの様子を

瑠璃鏡で見せられる亡者

我が子の前で地獄の獄卒に引かれていく罪人

地獄の獄卒

地獄絵

地獄絵

地獄絵

地獄絵

地獄絵

地獄絵

地獄絵

地獄絵

餓鬼界に堕ちていた母に食べ物を与え、母がその食べ物を食べようとするも

母の口から火が噴き食物が食べられない様子を見て号泣する仏弟子の目連尊者

餓鬼と対面する仏弟子の阿難尊者

餓鬼たちに食物を分け与える僧侶たち

飢えに苦しむ餓鬼たちに食べ物を分け与える仏様

チベット仏教 生死輪図

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竜樹菩薩(南インド)(チベット仏教図絵)

竜樹菩薩(南インド)(日本仏教絵)

釈尊が悟りを開いたとされているブッダガヤ(インド)

仏足石(ネパール)

釈迦牟尼仏像(チベット)

大仏像(スリランカ)

ボロブドゥール遺跡 仏像(インドネシア)

大仏像(タイ)

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カクラク壁画(アフガニスタン)

大仏像(中国)

大仏像(中国)

大仏像(中国)

 

玄奘三蔵法師(中国)     

     

玄奘三蔵法師が中国からインドへの求法の旅の途上、砂漠で遭難しそうになり、精魂尽き果て倒れこみ、死を覚悟した際、助けに現れる深沙大将

(深沙大将は後の「西遊記」の沙悟浄のモデルになる。)

奈良 東大寺 毘盧遮那仏像(日本)

奈良 東大寺 毘盧遮那仏像 御尊顔(日本)

奈良 東大寺 毘盧遮那仏像 御尊顔(日本)

奈良 東大寺 毘盧遮那仏像 御尊顔(日本)

奈良 東大寺 毘盧遮那仏像の御手(日本)

弘法大師空海(真言宗開祖)(日本)

遣唐使船に乗船する弘法大師空海

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遣唐使船に乗船する弘法大師空海

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湧現観音(遣唐使船に乗船する空海の前に現れた湧現観音)

湧現観音(遣唐使船に乗船する空海の前に現れた湧現観音)

黄不動明王

中村元博士(インド哲学、仏教学の世界的権威)(日本)

桐山靖雄師(阿含宗開祖)(日本)

桐山靖雄師(阿含宗開祖)(日本)

チベット仏教 第十四世 ダライ・ラマ法王猊下(チベット)