仏教篤信者の夢の神秘体験

インドの古代奥義書、ウパニシャッドの中に「深い睡眠と真実の自己はつながっている。」という言葉がある。

確かに、思い起こせば、篤信の仏教信仰者、いわゆる信心深い仏教信仰者にある種の夢の啓示を受けた方が何人かおられる。

たとえば、真言宗の開祖、弘法大師空海は若い頃の修行時代、夢の中に毘盧遮那仏が現れ、「汝の求めているお経は久米寺の東塔の下にある。」と教えられ、久米寺に行くと空海の求めていたお経、大日経、いわゆる大毘盧遮那神変加持経を発見したという話がある。

         奈良 東大寺 毘盧遮那仏像 

 

       真言密教開祖 弘法大師空海

また、弘法大師空海が求法の為、密教の奥義を求め、唐(今の中国)に渡り、唐の大阿闍梨、いわゆる密教の専門家、密教の大導師、密教の大家である恵果和尚に会った。

 

        遣唐使船に乗船する弘法大師空海

       遣唐使船に乗船する弘法大師空海

         遣唐使船に乗船する弘法大師空海

                         恵果和尚

そして、恵果和尚は空海を一目見、言葉を交わすごとに、恵果和尚は空海の持つ天性のずば抜けた学問、識見、才能、仏性、人格、仏器、なによりも密教の師匠としての器の非凡さ、凄さに大変惚れ込み、今まで恵果和尚の高弟たちにさえも金剛界法、胎蔵界法の両部の大法は授けることはなかったが弘法大師空海に対しては特別に両部の大法を惜しげもなく授けた。

       恵果和尚から伝法を受ける弘法大師空海様

恵果は空海に対し、恵果のお弟子、3000人以上いる弟子の中の特に優れた弟子、いわゆる高弟以上の処遇対応、指導教化をした。

そして、インドから中国へと代々続く密教の祖師の系譜があり、恵果和尚はその七代目であり、弘法大師空海を恵果に次ぐ真言密教の第八代目の祖師に指名、任命した。

そして空海に遍照金剛(へんじょうこんごう)という称号を授けた。

遍照金剛とは大日如来を意味する。

             大日如来

それを見た恵果和尚の高弟の珍賀が恵果和尚に対し強く抗議し、

「たかだか三ケ月程前に突然現れた異国の僧に対して、我々を差し置いて、これほどまでに破格の厚遇、指導をするのは、おかしいのではないか?」と恵果和尚をたしなめた。

しかし、その夜、珍賀の夢の中に仏教の外護神、四天王たちが現れ、夢の中で珍賀は仏教の外護神の四天王たちに囲まれ、凄い叱責を受け、殴られ、蹴られたりする夢を見た。

翌朝、目覚めた珍賀は弘法大師空海に対し今までの非礼を詫び、恵果和尚の考えに間違いは無いと考えを改め、他の門下生にも恵果和尚の考えに間違いがないことを説きまわったとされている。

恵果和尚は空海に対し、全ての密教の大法秘法を授け、空海に対し、早く日本に帰り、日本にこの密教の秘法を広く弘め、民衆を益するよう空海に託した。

恵果和尚の高弟の珍賀が師匠の恵果和尚に対し「たかだか三ケ月程前に突然現れた異国の空海に対し、我々を差し置いて、これほどまでに破格の厚遇と指導をするのは、おかしいのではないか?」と師匠の恵果和尚をたしなめ、抗議する様子。

「空海が破格の厚遇と指導を受けるのはおかしい」として、師匠の恵果和尚をたしなめ、恵果和尚に強く抗議した珍賀はその夜、珍賀の夢の中に仏教の外護神の四天王たちが現れ、外護神に囲まれ、外護神に凄い叱責を受け、殴られ、蹴られたりする夢を見た。

珍賀は夢の中で外護神に凄い叱責を受け、殴られ、蹴られたりする夢を見た翌朝、空海に対し、今までの非礼を詫びた。

次の夢に関する話として、霊友会4代目の会長の大形市太郎氏は昭和20年8月に原子爆弾の被害を受け、その原子爆弾の熱線で全身大やけどをしたが、ある夜、信心深い市太郎氏の母親の夢の中に先祖が現れ、「おまえの息子の大やけどは私が教える場所の薬屋で私が教える薬を買い、その薬を全身に塗ればきれいに治る。」といわれた。

母親は市太郎氏にその話をして市太郎氏は「原爆で跡形もないであろう。」と思いながらも母が夢の中で見た先祖が言われた通りの道を行くと不思議にもその薬屋は原爆で破壊されていなかった。

そして、市太郎氏はその薬屋で先祖が言われた通りの薬を買い、母親にやけどをした全身の皮膚にその薬を塗ってもらった。

のちに、市太郎氏の友人たちは病院で治療を受けたが原爆のケロイドは残った。

しかし、市太郎氏にはケロイドは残らなかったという。

そのことが契機となり無宗教、無信心、無信仰者であった市太郎氏は「信仰の力、目に見えない力というものは確かにあるんだ。」と考え、その信心深い母親にお経の読み方を一から教えて欲しいと頼んだ。という。

(雑誌 一個人 仏教を愉しむ旅 2005年 No.56  KKベストセラーズ参照)

次の夢に関する話として、瑜伽師地論という論書は仏教の百科全書ともいわれている大部の論書であるが、昔、インドにおいてその瑜伽師地論を修めたインドの戒賢という僧侶がいた。

戒賢はある時期から重い病に伏し、苦しみのあまり食を断って死を覚悟する状態であった。

ある夜、病に伏す戒賢は夢の中に文殊菩薩、弥勒菩薩、観音菩薩、3人の菩薩が現れ、戒賢にこう言った。

「3年後に中国から一人の青年が瑜伽師地論を学びにこの寺にやってくる。その青年に汝の修めた瑜伽師地論を教え導くと誓うならば汝の病は速やかに癒えるであろう。」

と言われた。

戒賢は「そのようにします。」と答えると3人の菩薩は姿を消し、戒賢は目を覚ました。

そして、しばらくすると戒賢の重い病も次第に悉く癒えてしまった。

そして、戒賢がその夢を見た3年後にこの寺にやってきた青年が玄奘三蔵法師であったという。

玄奘三蔵法師

その玄奘三蔵が戒賢から瑜伽師地論を学び、また、大般若経600巻という大部のお経も中国に持ち帰り、中国において梵語(インドの言語)から漢語(中国の言語)に翻訳する作業をしていた時、大般若経の翻訳量があまりにも膨大過ぎ、かつ、同じ文言の繰り返しが非常に多いので、繰り返しの箇所は省略して翻訳するように決めた。

しかし、そのように決めたその夜、玄奘三蔵は虎に襲われる夢や崖から突き落とされる夢を見たりし、物凄い恐ろしい思いをし、翌朝目を覚ました。

玄奘三蔵は、これは「翻訳は一切省略せずに全てを翻訳しろ!」という御仏の意思に違いないと考え、翌朝、同じ文章が重複するところも一切、省略せずに翻訳しようとした。

そのように全て省略せずに全翻訳を心に決めたその夜、玄奘三蔵は天国のような、まるで極楽浄土にいるかのような快楽に溢れた誠に心地のよい夢を見た。

翌朝、目覚めた玄奘三蔵は大般若経は一切省略せずに訳すことが御仏の意思であると確信し、大般若経600巻を全て省略せずに全翻訳することにした。

そして数年の歳月をかけ、玄奘三蔵は600巻もある大部の大般若経の完全翻訳を完遂したのであった。

さて、次の仏教信仰者と夢に関する話として、浄土真宗の開祖である親鸞聖人も京都にある観音ゆかりのお寺、頂法寺の六角堂に長期間、籠もり95日目に夢の中に観音様が現れ観音様からお告げを得たと言われている。

さて、次は夢の話ではなく、座禅中の神秘体験の話であるが、天台密教の智証大師円珍は座禅中、目の前に忽然と金人が現れ、自分の姿を描いて懇ろに帰仰するよう勧め、帰依するならば汝を守護する。と言った。

  天台密教 智証大師円珍

円珍が何者であるのかと問うと、

金人は「自分は金色不動明王で、和尚を愛するがゆえに常にその身を守っている。」答えた。

さらに、その金色不動明王は次のように言った。

黄不動明王

「仏法の真髄を伝える汝を守護するために示現するものなり。

仏の教えを究めて迷える衆生を導くべし。」と。

その姿は魁偉奇妙、威光熾盛で手に刀剣をとり、足は虚空を踏んでいた。

円珍はこの体験が印象に残ったので、その姿を画工に銘じて写させたという。

参考文献


仏教が説く地獄の世界と慈悲の精神

仏教経典には地獄という世界が説かれている。

地獄とは悪い事をした者が死後に生まれ赴く極めて苦しい、極めて残虐で悲惨な世界。

人や生き物を殺したり、いじめたり、苦しめたり、悩ませたり、悲しませたり、困らせたりした者、人の物を盗んだり、人をだましたりした者が死後に赴く世界。

特に、阿含経、正法念処経、大智度論などの経典論書において地獄について詳しく解説した箇所がある。

日本において地獄の観念が多くの人々に弘まった大きな原因のひとつは今から約1000年ほど前、天台宗の源信という僧侶が「往生要集」という書物を著し、その書物が多くの人々に読まれたからであろう。

この「往生要集」は今から約千年程前に書かれた書物で現在に至るまで多くの人々に読まれている。

この「往生要集」で引用されている経典の種類は極めて多く、源信様がいかに多くの経典を読まれたかが分かる。

往生要集は浄土宗に大きな影響を与えた書籍である。

この往生要集は宗(約千年前の中国の国名)の国に贈呈され台州の周文徳という方が往生要集を国清寺に収められた。また周文徳は源信を小釈迦源信如来として賛嘆、褒め称えた。

源信僧都

また、シナ(中国)の真宗皇帝も源信を賛賞する事切なるものがあったという。

日本国においても今迦葉、迦葉とはお釈迦様の在世当時の十大弟子の一人 優秀な高弟の名前と呼ばれ、源信を賛賞する事切なるものがあったという。

この書物の前半では地獄界 餓鬼界などの状況等について各教典論書を引用し具体的に書かれている。

又、どのような行為によりどういう境涯(例えば地獄界、餓鬼界、畜生界など)に赴くのかが記載されている。

また仏の三十二相についても具体的に説かれている。

どういう種類の良い行いにより良き報い、良き境涯、優れた仏の外観相形などを得られるのかという事も書かれている。

また、地獄の状況を絵で表現した地獄絵というものもある。

地獄絵は文字が読めない人々や子供達に対し仏教の教義を分かり易く解説する役割を果たし、多くの人々に倫理観、道徳意識、勧善懲悪の観念を植え付け、また地獄に対する恐怖心が凶悪犯罪の防止、犯罪抑止力の役割を果たしていたと考えられる。

また、仏教経典 雑阿含経第十九のなかに屠牛者経 屠羊者経 殺猪経 猟師経というお経がある。

例えば屠牛者経を例に挙げると、そのお経の概要は、釈尊の高弟の目連尊者がある日の托鉢中において鷲 烏 飢えた犬等の姿をした霊的な生き物にその内臓を食いつばまれ、すすり泣き苦しんでいる奇怪な姿をした霊的な生き物を見た。

目連尊者はその奇怪な姿をした霊的な生き物について托鉢から帰った後に釈尊に尋ねると釈尊はこう説かれた。

「目連尊者のように正しい修行を行い正しい修行によりある一定のレベルに到達するとこのような存在を見る事が出来る。

また、その奇怪な姿をした霊的な生き物は生前(生きている間)において牛の屠殺を行っていた者であり死後その屠殺を行った罪の報いにより地獄に生まれ巨大な年数の間 様々な大きな苦しみ激痛を受け更に地獄における巨大な年数の間の多くの苦しみ激痛が終わってもなおその屠殺を行った余罪にて 鷲 烏 飢えた犬等の霊的な生き物達にその内臓を食いつばまれ、すすり泣き、泣き叫んで苦しんでいる。

また、わたくし(釈尊)もまたこの衆生(生き物)を見る」という内容の事が説かれている。

さらに、屠羊者経 殺猪経 猟師経も屠牛者経と同様、大体似た内容で説かれている。

さらにまた、仏教のお経の阿含経の中に「好戦経」というお経があります。

戦争を好み刀等の武器によって人々を悩まし、苦しめ、傷つけ、殺したりした者が死後その罪の報いにより膨大な期間、地獄に落ち、激烈な痛み、猛烈な苦しみに遭遇し、すすり泣き、号泣している悲惨な状況の姿が説かれている。

又「堕胎経」というお経もある。

内容は胎児を中絶堕胎殺害した者、又させた者(男女を問わず)が死後その堕胎した又させた罪の報いにより膨大な期間、地獄で苦しんでいる状況が説かれている。
「好戦経」 「堕胎経」は「国訳一切経 (印度撰述部 阿含部 2)」の中の雑阿含経 第十九に又「大正新脩大蔵経 (第2巻) (普及版大正新脩大蔵経)」の中の雑阿含経 第十九の中に説かれている。

国訳一切経、大正新脩大蔵経は内容がかなり専門的であり一般の方々、特に仏教書をあまり読まれた事がない方々にとって読んで理解するのに困難な一面があると思われる。

「好戦経」「堕胎経」を一般の方々に対し非常に分かり易く解説した書籍に「間脳思考―霊的バイオ・ホロニクスの時代」という書籍がある。

その書籍の中において「好戦経」「堕胎経」を非常に分かり易く説かれている箇所がある。

仏教経典「国訳一切経 (印度撰述部 阿含部 2)」という書籍の中の雑阿含経第十九に屠殺(殺生)に関するお経が書かれている。

その経典には屠牛者経 屠羊弟子経 好戦経 堕胎経 猟師経 殺猪経 断人頭経 捕魚師経等の屠殺や殺生に関するお経が書かれている。

そのお経に共通する主な内容は生前、生きている間において人間や動物達等の生き物の屠殺、殺す事、殺生、生き物を殺す事を行った者がその死後においてその屠殺、殺生を行った罪業、罪障の報いにより非常に長い年月の間地獄、すなわち、大きな悩み苦しみ憂い悲しみの世界 極めて苦しい激痛の世界 獄卒、地獄の鬼達により責め立てられ苦しめられる極めて悲惨な世界に赴き多くの様々な激しい苦しみを受け、その地獄より出てきた後にもその屠殺や殺生の余罪により様々な生き物達、カラス 狂暴な犬 キツネ ワシ等に内臓をついばまれ食われその激痛に苦しみ泣き叫んでいる様子が書かれている。

真言宗開祖、弘法大師空海様の晩年の著作である「秘密曼荼羅十住心論第一巻」において中絶(ちゅうぜつ)、堕胎(だたい)の果報、業報について説かれている箇所がある。

そのなかで空海様は雑宝蔵経(雑蔵経)( 大正新脩大蔵経 (第17巻) の五五八頁)というお経を引用し次のようにお説きになられている。そのお経の概要は

「一人の鬼あり、その鬼が仏弟子である目連尊者に対してこう問いかけた。「私(鬼)の身体は常に肉の塊(かたまり)にして手、脚、眼、耳、鼻等あること無し、つねに多くの鳥達に体をついばまれ、食べられ、耐えられない程苦しい。何が原因でこういう苦しみに遭(あ)うのか」

目連尊者は答えて言った「あなたは前世(前生)においてつねに他者に薬を与え他者の胎児(たいじ)を堕(おろ)した。胎児を中絶させた。胎児を殺害した。このような行為、因縁、業報により死後、現在においてこのようなひどい苦しみを受けている。これは(あなたが作った)果報、行為の報い、罪の報いであり、地獄の苦果、苦しみはまさに後身にあり(果報の報いはあとになって受ける)」とある。

(鬼という言葉は死者を意味する。昔は死ぬ事を鬼籍に入ると言った。)

真言宗開祖、弘法大師空海様の晩年の著作である「秘密曼荼羅十住心論第一巻」において盗み、窃盗、泥棒、収奪の業報について説かれている箇所がある。

そのなかで空海様は雑宝蔵経(雑蔵経) 大正新脩大蔵経 (第17巻) 五五七頁)というお経を引用し次のようにお説きになられている。

そのお経の概要は  「ある一人の鬼(死者)がいた。その鬼が仏弟子である目連尊者に対しこのように質問した。

「私の腹は極度に大きく、のど、手足は極度に細くて食べ物や飲み物を取ること、食事をする事が出来ない。何が原因でこのような苦しみを受けるのか。
目連尊者は答えて言った.

「あなたは前世(前生)において高い地位にあり富貴、裕福で、さまざまな食事、お酒を大いに楽しんだが、他の人々を軽視し、侮り(あなどり)、見下し他の人々の飲食を奪(うば)い取り、他人を飢(う)えさせ、他人を困らせた。

このような他の人々の飲食を奪い取り、他人を飢えさせ、他人を困らせた行い、行為、因縁、業報、罪の報いによりこのようなひどい苦しみを受けている。

これは(あなたが作った)果報、業報であり、このような罪の報いによる地獄の苦しみは後になって受けるのである」

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次に、比較的初期の仏教経典とされる「法句経」(ダンマパダ)において閻魔王(えんまおう)という名前が出てくる。

閻魔王とは死後の世界における人間を中心とした生き物達が生前、つまり生きていた時に行った悪事を裁く存在、すなわち死後の裁判官のような存在。

 

法句経(ダンマパダ)において仏陀はその存在についてこのようにお説きになられている。

「汝はいまや枯葉のようなものである。

閻魔王(えんまおう)の従卒もまた汝に近づいた。

汝はいま死出の門路に立っている。

しかし汝には旅の資糧さえも存在しない。

だから自己のよりどころをつくれ、すみやかに努めよ。

賢明であれ、汚れをはらい、罪過がなければ天の尊い処に至るであろう。

汝の生涯は終わりに近づいた。

汝は、閻魔王の近くにおもむいた。

汝にはみちすがら休らう宿もなく、旅の資糧も存在しない。

だから自己のよりどころをつくれ。

速やかに努めよ。

賢明であれ。

汚れをはらい、罪過(つみとが)がなければ、汝はもはや生と老いとに近づかないであろう」とある。

また、「スッタニパータ」において釈尊は次のようにお説きになられている。

「何者の業も滅びる事はない。それは必ず戻ってきて業を作った本人がその報いを受ける。愚者は罪を犯して来世にあってはその身に苦しみを受ける。

地獄に落ちた者は鉄の串を突き刺される所に至り、鋭い刃のある鉄の槍に近づく。

また灼熱した鉄丸のような食物を食わされるが、それは昔作った業にふさわしい当然な事である。

地獄の獄卒どもは「捕らえよ」「打て」などといって誰もやさしい言葉をかけることなく、温顔をもってむかってくることなく、頼りになってくれない。

地獄に落ちた者どもは敷き拡げられた炭火の上に臥し、あまねく燃え盛る火炎の中に入る。

また、そこで地獄の獄卒どもは鉄の縄をもって地獄に落ちた者どもをからめとり鉄槌をもって打つ。さらに真の暗黒である闇に至るがその闇は霧のように広がっている。

また、次に地獄に落ちた者どもは火炎あまねく燃え盛っている銅製の釜に入る。火の燃え盛るそれらの釜の中で永い間煮られて浮き沈みする。(中略)。

罪を犯した人が身に受けるこの地獄の生存は実に悲惨である。

だから人は、この世において余生のあるうちになすべきことをなし、おろそかにしてはならない。」

パーリ仏典サンユッタ・ニカーヤ及び漢訳仏典雑阿含経において ブッダ(仏陀、等正覚者)はこうお説きになられている。

「悪行(悪い行為)をした者は肉体が滅んだ死後に苦悩・災いの世界、不幸な状態、煉獄(劣った世界 地獄 餓鬼界、畜生界)に生まれる。」

「信仰もなく貪欲で利己的で悪い思いを抱き、誤った主義に生きて敬愛の心がなく、僧侶や托鉢をする人を嘲(ののし)り罵(あざけり)り心に怒り心を抱き食を乞う者に誰かが与えようとするのを邪魔する者。

このような人が死後恐ろしい煉獄(劣った世界 地獄 餓鬼界、畜生界)に生まれる。」とある。

つぎに、「白隠禅師法語全集 第1冊 邊鄙以知吾・壁訴訟」という本がある。

白隠禅師法語全集 第1冊 邊鄙以知吾・壁訴訟

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この書籍は江戸時代に活躍された臨済宗の白隠禅師が書かれた書籍である。

その内容は江戸時代の一部の殿様や将軍達の農民に対する貪欲かつ暴利を貪るが如き年貢の要求、冷酷な年貢の取立て、またその冷酷無慙な取立てにより農民達が苦しめられ、追いつめられ、ついには農民一揆という行動をとらざるを得なくなり、最後には農民達が死罪に追い込まれていった詳しい事情経緯がこの本に書かれている。

また、この本で白隠禅師は苦しめられ追いつめられていく農民の姿を見てお殿様や将軍達にこう批判した。

「あまり農民達を冷酷、過酷な取り立てで苦しめ追いつめると来世(死後)には農民達を過酷な取り立てで追いつめ苦しめた罪、悪事、悪業の報いによってお殿様や将軍様が死後において過酷で残虐、悲惨な地獄の苦しみを受けることになりますよ」と忠告及び批判をしている。

この本は江戸時代には一時発禁処分の書籍であったという。

現代の世相にも相通ずるものがあり、考えさせられる。

次に、「極悪非道な行いをした者は死後、地獄に堕ち極めて残虐悲惨な苦しみを受ける」と多くの仏典に説かれている。

最古の仏典スッタニパータやパーリ中部経典の中の賢愚経、漢訳仏典中阿含経の癡慧地経において仏陀はこのように説かれている。

「仮に賭博(とばく)や博打(ばくち)に負け自分の妻や子供や財産を全て失い,自分も囚(とら)われの身になるという不運があったとしても、罪、悪事を犯し、その罪、悪事の報いにより死後、地獄へ堕ち、膨大な年数、極めて残虐悲惨な苦しみを受ける地獄での大苦痛大苦悩に比べれば賭博、博打に負け自分の妻や子供や財産を全て失い,自分も囚(とら)われの身になるという不運などはとるに足らない僅(わず)かな不運である。」

つまり、「罪、悪事を犯しその罪、悪事の報いにより死後地獄へ堕ち、膨大な年数、残虐で極めて悲惨な苦しみに遭遇する地獄へと堕ちる不運こそが最悪の大不幸、大不運である。」という内容が説かれている。

また、地獄にも種類があり阿鼻地獄、無間地獄という地獄がある。

阿鼻地獄(無間地獄)は最も極悪非道な行為をした者が赴(おもむ)く地獄であり、最も痛み苦しみの激しい、極めて残虐極めて悲惨な地獄であると仏典に説かれている。

 

仏教にとって人間に生まれてくる事は非常に良き生まれであると説く。

人間にとって神々に生まれる事は良き生まれであるといわれるが神々にとっては人間に生まれる事が良き生まれであるといわれている。

輪廻転生の世界では衆生(生き物達)は地獄界や畜生界に生まれ替わる方が人間界に生まれ替わるよりも圧倒的に多いと仏典では説きます。(阿含経 増支部経典参照)

仏教の目的はこの輪廻転生からの脱出を説きます。

本質的に仏教はこの六道輪廻の世界を苦しみの世界とみなしそこからの離脱を目指します。

 

仏典に修行を完成した表現として
「現法の中において、自身作證し、生死已に盡き、梵行已に立ち、所作すでに辨じ、自ら後生を受けざるを知る、すなわち阿羅漢果を得たり」とあります。
(阿含経 長部経典参照)
国訳一切経 (印度撰述部 阿含部 7)

仏教 下 (岩波文庫 青 324-2)」という書籍がある。
この書籍において著者は仏陀の教理を五つの章に分類して解説している。

すなわち信仰 戒律 瞑想 英知 解脱である。特に瞑想の章では仏陀の最高の悟りに至るまでの具体的な心理的、霊的進行状態を各経典群を引用し更に詳しく解説しており瞑想実践者にとっては非常に興味深い。

著者は近代ヨーロッパの仏教学者であるが、主にパーリ仏典の文献を引用している。
つまり大乗仏典ではなく日本の仏教界では長年小乗経典と蔑まれてきた阿含経典群を主に引用されている。

仏陀釈尊は特に禅定(瞑想)に入っていない日常の精神状態であっても定(禅定)にあるのと同じように無念無想の精神統一を得られていたとされる。

阿含経に「那伽(ナーガ)は常(つね)に定(じょう)に在(あ)り。」という一節がある。実際に仏陀釈尊は禅定の熟達者であったと経典に伝えられている。この経典の中で那伽(ナーガ)とは仏陀釈尊を意味する。定とは瞑想、禅定を意味している。

また南伝大蔵経の増支部経典において「那伽(ナーガ)は行(ゆ)くにも定(じょう)にあり、那伽(ナーガ)は立(た)てるも定にあり、那伽(ナーガ)は臥(ふ)すにも定にあり、那伽(ナーガ)は座(ざ)せるにも定にあり」とある。

また、漢訳仏典の中阿含経118の龍象経においても「龍行止倶定、坐定臥亦定、龍一切時定、是謂龍常法」とある。仏典中の龍(竜)とは優れた修行者を意味する事もある。この経典の中の那伽(ナーガ)、龍(竜)とは仏陀釈尊を意味する。 龍(竜)をサンスクリット語でナーガと云う。

また仏教の禅定は外学(仏教以外の宗教)の主定主義者(つまり禅定そのものが目的の学派)と異なり般若の智慧を得る手段としての禅定でなければならないとされる。

「阿含経 長部経典」の「迦葉獅子吼経」の中で仏陀は苦行者の迦葉に向かってこう説かれた。

「外面的な規定を守ることによってではなく、倫理的行為と霊的自制と智とを完成させることにより、さらに内面的な憎しみとあらゆる敵意を克服し慈愛深い心をもつ者のみが解脱に到達する見込みがある」と説かれた。

仏典「スッタニパータ」において仏陀は次のようにお説きになられている。

「一度生まれる生き物(胎生つまり母胎から生まれる生き物)でも、二度生まれる生き物(卵生、つまり卵から生まれる生き物)でも、この世で生き物を害し、生き物に対する哀(あわ)れみのない人(慈悲心のない人)、彼を賤(いや)しい人であると知れ」

「母、父、兄弟、姉妹或いは義母を打ち、また言葉で罵(ののし)る人、彼を賤(いや)しい人であると知れ。」

「一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏(あんのん)であれ、安楽であれ。いかなる生き物(いきもの)生類(しょうるい)であっても、怯(おび)えているものでも強剛(きょうごう)なものでも、悉(ことごと)く、長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。」

「あたかも、母が己(おの)が独り子を命を賭けても護(まも)るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈(いつく)しみの心を起こすべし。

また全世界に対して無量の慈しみの心を起こすべし。

上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき慈しみを行うべし。

立ちつつも、歩みつつも、座しつつも、臥(ふ)しつつも、眠らないでいる限りは、この慈しみの心づかいをしっかりたもて。

この世では、この状態を崇高(すうこう)な境地と呼ぶ。」