布教伝道とホームページやインターネットについて考える

昔、インターネットがなかった時代、昔の僧侶たちは、お釈迦様もそうであるが、自らの足で長い距離を歩き、不便さ、不自由を忍び、一人一人に教えを説いたこともある事を考えれば、現代はインターネット、パソコン、google ,ホームページを作成するブログ、ワードプレスなどがあり、それで自分の意見、信条など世界に向けて自由に発信、発表できることは非常にありがたい。非常に恵まれた時代でもある。

インターネットはアメリカで当初、軍事目的で開発されたが、このように多くの人々に利便性を与え、特に、自分自身の信条、信仰などについて自由に発信、発表できることは非常にありがたい。

特に、欧米の科学者、技術者の貢献が大きいかもしれない。

過去、科学技術は軍事転用され焼夷弾、原子爆弾などを生み、多くの人々を殺戮したが、このように人間の科学技術が人々の幸福の為に使われるのは良いことだと思う。

宗教が重視する瞑想についての話

真言宗には阿字観という瞑想法があり、
天台宗には摩訶止観という瞑想法がある。

密教の修行法においては精神統一を表す言葉として三摩地(さんまじ)、定(じょう)という言葉がある。

さらにヨーガにおいては精神集中の高まり、瞑想の段階過程として

制感(せいかん)、

凝念(ぎょうねん)、

静慮(じょうりょ)、

三味(さんまい)という段階がある。

凝念、静慮、三味をまとめて綜制(そうせい)ともいう。

仙道においては精神集中、精神統一の修行法として内部統覚法、外部統覚法という修行法がある。

世界的に有名な歴史学者アーノルド・トインビー氏は

「現代西洋文明の危機を救う方法は東洋に伝わる瞑想である」という言葉を残されている。

その瞑想についての話であるが、1900年代、インドに住むゴーピ・クリッシュナという名前の在家の妻子ある男性が毎朝、17年間にわたり精神集中を主体としたヨガの瞑想の修業を積んできた。

その男性が1937年12月のある朝、瞑想中に突然クンダリニー覚醒というヨーガにおいてかなり高度な覚醒体験 神秘体験をした。

又、その後の自身の肉体的、精神的な変化及び、その後46才頃、詩人としての才能が突然芽生えた。

その体験が「Kundalini: The Evolutionary Energy in Man (English Edition) 」という書籍として出版された。

この書籍は、1967年頃に出版され、当時、欧米の人々の注目を集め、特に、心理学 生理学 、医学 哲学の専門家達の注目も集めた。

また、当時、この書籍はアメリカ、ヨーロッパでも話題になり、この書籍がきっかけで多くのアメリカやヨーロッパの若者たちがヨガや瞑想を志した。

この書籍は日本でも1980年代に「クンダリニー」という書名で平河出版社から出版されている。

次に、インドの哲学者であり政治家でもあり近代インドを代表する思想家でもあったラーダークリシュナン氏は著書「Eastern Religious and Western Thought」において次のように説かれている。

「孤独における魂は、宗教の誕生地である。

淋しいシナイ山のモーゼ、菩提樹のもとで禅定にふけったブッダ、

ヨルダン川のほとりで静かに祈ったイエス、

砂漠に独りとどまっていたパウロ、

メッカの孤立せる塚にあったマホメット、

アルヴェルノ高地の岩石のうちにあって祈ったアッシジのフランシスは実在する神の力と確信を見出したのであった。

宗教における偉大な新しい創造なるものは、ことごとく、静かなる祈り、孤独なる瞑想にふける魂の測り知れざる深淵から現れ出るのである。」と。

次に、仏教の開祖、仏陀釈尊は孤独で静寂なる環境での深い瞑想により大いなる悟りを得られたが、静かなる環境における孤独な祈り、孤独な瞑想が重視されているように思われる。

パーリ仏典のダンマパダ(法句経)において次のように説かれている。

「修行僧が人のいない空家に入って心を静め真理を正しく観ずるならば、人間を越えた楽しみが起こる。」

「実に心が統一されたならば、豊かな智慧が生じる。

心が統一されないならば豊かな智慧がほろびる。

生じることと滅びることの二種の道を知って豊かな智慧が生じるように自己をととのえよ。」

「憎む人が憎む人に対し、恨む人が恨む人に対してどのような事をしようとも、邪なことを目指している心はそれよりもひどい事をする。」

「母も父もそのほか親族がしてくれるよりもさらに優れた事を、正しく向けられた心がしてくれる。」

つまり禅定の完成と智慧の完成の重要性が説かれている。

また、仏陀釈尊は特に瞑想に入っていない日常の精神状態であっても禅定にあるのと同じように無念無想の精神統一を得られていたとされる。

阿含経に

「那伽(ナーガ)は常(つね)に定(じょう)に在(あ)り。」という一節がある。

実際に仏陀釈尊は禅定の熟達者であったと経典に伝えられている。

この経典の中で那伽(ナーガ)とは仏陀釈尊を意味する。

定とは瞑想、禅定を意味している。

また南伝大蔵経の増支部経典において

「那伽(ナーガ)は行(ゆ)くにも定(じょう)にあり、

那伽(ナーガ)は立(た)てるも定にあり、

那伽(ナーガ)は臥(ふ)すにも定にあり、

那伽(ナーガ)は座(ざ)せるにも定にあり」とある。

また漢訳仏典の中阿含経118の龍象経においても

「龍行止倶定、坐定臥亦定、龍一切時定、是謂龍常法」とある。

仏典中の龍(竜)とは優れた修行者を意味する事もある。

この経典の中の那伽(ナーガ)、龍(竜)とは仏陀釈尊を意味する。

龍(竜)をサンスクリット語でナーガと云う。

釈尊の覚醒の課程は三夜にわたる智の開眼、智慧の獲得で説明される。

第一夜(初夜 夜6時~夜10時頃)において釈尊は瞑想によって自らの百千の生涯、幾多の宇宙の成立期、破壊期、成立破壊期を残らず想起した。

第二夜(中夜 夜10時~夜中2時頃)において天眼、清浄で超人的、神的な透視力により生き物達が無限の生死循環、輪廻転生を繰り返す様を見透す。

第三夜(後夜 夜中2時~朝6時頃)において「一切、輪廻転生の本質は苦である」という認識を得、縁起の法を悟って覚醒、漏尽解脱、智慧解脱の完成を得た。

パーリ仏典において仏陀(ブッダ)は次のようにお説きになられている。

「(修行者が修行により)心が安定し、清浄となり、浄化された、汚れの無い、小さな煩悩を離れた、柔軟で、活動的であって、そのもの自身が堅固不動のものになると、

修行者は生き物達の死と再生について知る事、死生通に心を傾け、心を向ける。

そして、修行者は、その清浄な、超人的な神の眼によって生き物達の死と再生を見、生き物達はその行為に応じて劣った者にもなり、優れた者にもなり、美しい者にも、醜い者にも、幸福な者にも、不幸な者にもなることを知る。

すなわち、生き物達は、身体による悪い行い、言葉による悪い行い、心による悪い行いをなし、聖者達を誹謗し、邪悪な考えを持ち、邪悪な考えによる行為を為す。

かれらは身体が滅びて死んだ後、悪い所、苦しい所、破滅のある所、地獄に再び生まれる。

一方、この者達は身体による良い行いを為し、言葉による良い行いを為し、心による良い行いを為し、聖者達を誹謗しないで、正しい見解による正しい行いを為している。

故に、かれらは身体が滅びで死んだ後、良い所である天界に生まれ変わった。

と修行者は知る。」

また、書籍「禅定の研究 真宗学の諸問題 修山脩一 著 永田文昌堂」という書籍がある。

この書籍において、著者の修山脩一教授は本来、仏教は禅定を重視し、また、輪廻転生思想が土台になってその教義が成立している事に言及、特に禅定、輪廻転生に関する内容が多くの大蔵経を引用し、かなり専門的に書かれており学術的に非常に興味深く、示唆に富んだ内容に満ち溢れている。

書籍「禅定の研究 真宗学の諸問題 修山脩一 著 永田文昌堂」参照

書籍「禅定の研究 真宗学の諸問題 修山脩一 著 永田文昌堂」参照

書籍「禅定の研究 真宗学の諸問題 修山脩一 著 永田文昌堂」参照

書籍「禅定の研究 真宗学の諸問題 修山脩一 著 永田文昌堂」参照

書籍「禅定の研究 真宗学の諸問題 修山脩一 著 永田文昌堂」参照

さて、仏教にとって人間に生まれてくる事は非常に良き生まれであると説く。

人間にとって神々に生まれる事は良き生まれであるといわれるが、神々にとっては人間に生まれる事が良き生まれであるといわれている。

輪廻転生の世界では衆生(生き物達)は地獄界や畜生界に生まれ替わる方が人間界に生まれ替わるよりも圧倒的に多いと仏典では説く。

(阿含経 増支部経典)

仏教の目的はこの輪廻転生からの脱出を説きます。

本質的に仏教はこの六道輪廻の世界を苦しみの世界とみなしそこからの離脱を目指します。

仏典に修行を完成した表現として

「現法の中において、自身作證し、生死已に盡き、梵行已に立ち、所作すでに辨じ、自ら後生を受けざるを知る、すなわち阿羅漢果を得たり」とあります。

(阿含経 長部経典)

インドにはお釈迦様が出生される数千年も前よりヨーガという文化的宗教が存在します。
そのヨーガについて書かれたヨーガ根本経典の中に業(カルマ)について書かれた以下の章句があります。

「行為の結果には二種ありと知るべし。

天界と地獄とである。

天界はさまざまであり、地獄も同様である。

功徳ある行為の結果は天界であり、罪の行為の結果は地獄である。

万物の創生は行為の束縛によって成るもので、断じて他の何者でも無い。

天界においては生類は種々の楽を受け、地獄界においては耐え難い苦を受ける。

悪行の力で苦が生じ、善行の力で楽が生ずる。

それ故に、楽を望む者はいろいろな善行を励んで行う。」

ここで説かれている行為の束縛とは業、すなわちカルマのことである。

前生において行った行為の内容によって、必然的に今生の運命の内容が定まるという思想はインドの根本思想の一つで、仏教もまたこの思想を受け継いでいる。

天地創生(天地創造)もまた生物全体の業の集計した力によって成されると考えられている。

良い行いをする事を徳を積むといいます。

悪い行いをする事を不徳を積むという。

良い行いを積み重ねる、 善行を積み重ねる事。

その徳の積み重ねが自分自身の幸福の基、福徳の原因となります。

仏舎利(仏陀のご遺骨)を賛嘆、称賛する舎利礼文(しゃりらいもん)というお経に万徳円満 釈迦如来という文言があります。

万(よろず)の徳、全ての徳が完全円満に備わっている釈迦如来という意味であります。

如来とは真理(真如)の世界から来られた方、悟りを開かれた方、仏陀と同じ意味の事であります。

仏道修行者の究極の目標はその万徳円満である釈迦如来、つまり仏様、如来、仏陀に成ることです。

パーリ仏典サンユッタ 二カーヤにおいてブッダは次のように説かれている。

生きとし生ける者どもは(寿命が尽きて)いつかは(必ず)死ぬであろう。

生命はいずれ死に至る。

かれらは死後に自己の作った業(自己の行った行為の内容)に従って各所に赴いてそれぞれ善悪の報いを受けるであろう。

悪い行いをした人々は死後において地獄(大いなる苦しみ悩み痛みに満ちた世界 悪い世界)に生まれ赴き

善い行いをした人々は(死後)善いところ(幸福、平和、快楽、安楽の世界 善い世界)に生まれ赴くであろう。

その為に来世(自分の魂が死後に生まれて変わって行く世界 死んでから自分が再び生まれ変わる世界)の幸福、平和、安楽の為に現世(現在生きているこの世界)で善い事をして功徳を積まなければならない。

人々が作ったその功徳はあの世で人々のよりどころとなる。

仏教の根本的な教え、ブッダ、真理に目覚めた等正覚者達の最も重要な教えとは「よいことをせよ。わるいことはするな」という倫理、道徳の実践の教えであるといえる。

漢訳仏典において
「諸悪莫作(しょあくまくさ)
衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)
自浄其意(じじょうごい)
是諸仏教(ぜしょぶっきょう)」 という七仏通誡偈がある。

またパーリ仏典の法句経(ダンマパダ)には

「一切の悪をなすことなく、善を具備実践し、自分の心を浄化すること、これが諸仏(真理に目覚め、ブッダとしての悟りをお開きになられた覚者達)の教えである」

とある。

雑阿含経に爪甲経(そうこうきょう)というお経がある。その概要は

「ある日釈尊は釈尊自身の手で大地の土を拾い釈尊自身の手の爪と手の甲の上に土を乗せて諸々の比丘(修行者)に次のように尋ねられた。

「諸々の比丘(びく)よ。私のこの手の爪と手の甲の上に乗っている土の量とこの大地の土の量とでは土の量はどちらが多いか?」

諸々の比丘は次のように答えた。

「世尊(釈尊)よ。世尊(せそん)の手の爪と手の甲の上に乗っている土の量はこの大地の土の量と比べるならば比べものにならない程ごくわずかな量です。」

釈尊は続けてこのようにお説きになられた。

「諸々の比丘よ。もし肉眼で見える生き物たちの数をこの手の爪と手の甲の上にある土の量とするならば、その形が微細で肉眼では見えない生き物たちの数はこの大地の土の量のように膨大に存在する。

比丘たちよ。未だ無間等の悟り(仏陀の悟り)に到達しない者は努めて無間等(むけんとう)の悟りに至るよう努力せよ。」


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阿含経についての話

日本の仏教は千年以上の長きにわたり阿含経を劣った小乗経典つまり自分だけの悟りを求め自己のみが救われる事を目指す利己的でレベルの低い卑しい経典とみなされていた。

また、出家しなければ救われない出家仏教の経典ともいわれてきた。

その為、日本において阿含経に対する研究や信仰はほとんどなされなかった。

今から約1400年以上前の中国において、天台大師智顗が立てた五時教判という教相判釈があるが、その教相判釈によると法華経、涅槃経が最も高い大乗の教えであり阿含経は最も低い小乗の教えであると結論づけされている。

その天台大師智顗が立てた経典判尺はすべての漢訳仏典を釈迦一代で全て説いたものと考えた。

まず、釈迦が悟りを開いた後、人々に華厳経を説いた。

しかし、あまりにもその内容が純粋過ぎ人々には理解されなかったので、釈迦は最初は一番程度の低い卑近な阿含経の教えから説いていき、それから、年を経る程、順次、般若経などのお経を説いていき、釈迦の晩年の時代、一番内容の高い、最高の教えであり、真実のお経である、法華経、涅槃経を説いたと智顗は考えた。

この天台大師智顗が立てた経典判尺により、天台の最澄、日蓮が法華経を所依の経典として天台宗や日蓮宗という一宗を立てた。

        天台宗開祖 伝教大師 最澄

また、日本の仏教ではその影響を受け、法華経が広く信仰されるようになった。

最近では真言密教系の教団、真如苑も涅槃経は釈迦が最後に説いた真実で最高の教えであると涅槃経を所依の経典として重視している。

しかし、現在、世界の仏教学界においてはこの智顗の教相判釈は否定されている。

また、近年、文献学の目覚しい発展、パーリ語、サンスクリット語等の原語での仏典研究、著しい学術的進歩により阿含経典こそが仏教の開祖お釈迦様が実際にお説きになった内容、もしくは極めて近い内容の経典であると学問的に認められている。

このことについて、「地獄の思想―日本精神の一系譜 (中公文庫)」という書籍で梅原猛教授は

「釈迦の説法集が出来上がったのはむしろ釈迦の死後である。

釈迦の死後に様々な経典が作られた。

そしてその経典の中には釈迦の説というより弟子自身の説が混じるようになる。

後世の人々が釈迦の名において勝手に自己の学説を正当化する経典を作るようになる。

かくして仏滅後五百年も六百年も過ぎて、なお釈迦の名において多数の経典群が作られていく。

そして謎の人、釈迦の正体を解いたのは、ヨーロッパの近代文献学にもとずく仏教学であった。

文献学的な方法にもとずく仏教学は経典の成立年代を大体、考証的に明らかにした。

そして釈迦の正説は、従来、日本においては、小乗と卑しめられてきた阿含部経典や律部経典にあることが分かったのである。

これは伝統的な仏教家にとっては大きなショックであるはずであった。

なぜなら、彼らが千数百年来、崇拝してきた仏教の経典が、釈迦の説ではなく、後世の説であり、彼らが卑しんできた経典こそ釈迦の説であることが明らかになったからである。

もしこのことを知ったら、親鸞や日蓮や道元はどのように驚いたであろうか。」

また、仏教学者の平川彰博士は仏教経典の阿含経について自身の著作である「インド仏教史 上 〈新版〉」という書籍において以下のように書かれている。

「阿含経はアーガマ、つまり伝わったもの、伝承されたものとも呼ばれ、仏陀釈尊の直接の教えが伝承されたものであることを示している。

しかし、これらの経典(阿含経)は仏陀釈尊の死後、仏陀釈尊の直弟子、仏陀釈尊の高弟達の記憶によって仏陀釈尊の教えの内容がまとめられ、又、経典として書きとめられ伝来された為、伝承の間に仏陀釈尊の弟子の理解や解釈が付加され増広され、仏陀釈尊直説の教説が多少変化を蒙ったことは避けられなかったもしれない。

厳密に考察すると阿含経は仏陀釈尊の教えそのものではないかもしれない。

しかし、幾多の仏教諸経典の中で阿含経は仏陀釈尊の教えの内容を最も含んでいる経典であり仏陀釈尊の思想を求めるとすれば先ず阿含経の中に求められなければならない」とある。

さらに、パーリ仏典研究の世界的権威、(故)水野弘元博士は仏教経典の源流について自身の著作「経典はいかに伝わったか―成立と流伝の歴史」において次のように説かれている。

         パーリ仏典研究の世界的権威、水野弘元博士

「大乗仏教の般若の空思想や菩薩の波羅蜜の修道法もその源泉、源流は阿含経の中にあります。
インド大乗仏教の祖師と云われる龍樹菩薩や世親菩薩の著作において阿含経の教説は大乗の教説と並べて権威的な典拠として扱われ龍樹菩薩、世親菩薩の著作においてしばしば阿含経が引用されています。」

 

さらにまた、書籍「バウッダ[佛教] (講談社学術文庫)」の中で著者は次のように書かれている。

「現在のアーガマ(阿含経)をそのまま釈尊の教えに直結することはあまりにも短絡化しすぎており、今日の仏教学からすれば、むしろ誤りとみなされる。

 ただし釈尊の教えと佛弟子たちの言行録などは、そして、最初期、ないし、初期の仏教の資料はアーガマ(阿含経)にしか存在していないのであり、大乗経典(これを日本人は釈尊の教えそのものと誤解し受容してきた。)には求むべくもないことが明白である以上、何よりもまずアーガマ(阿含経)の解明に専念する仏教文献学が必要不可欠の前提とされる。

そして、それは近代学問として、すでに100年以上の年月を刻んで今日もなお継続している。」

さらに、

「現在の日本には、約7万5000余と言われる仏教寺院で読誦されるお経は、開祖の釈尊の阿含経典は全く顧みられず、開祖である釈尊とは異なる別の仏による大乗のお経の一節であり、そればかりか、その大部分は宗祖に準ずる特記すべき高僧の文がお経として敬われ、読誦され続けている。

 例えば、日本最大の宗派の浄土真宗の場合、大乗経典の浄土三部経、いわゆる無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経の一部のほか、宗祖である親鸞の主著、教行信証、行巻の末尾にある正信偈、もしくは、真宗中興の祖とされる蓮如の御文がその宗のお経であり、曹洞宗では大乗経典の般若心経や法華経の一部のほか、宗祖の道元の主著の正法眼蔵から、本来は明治時代に在家信者向きにダイジェスト化したテキストの修証義がお経として読誦されていて、それにより日々の勤行から諸種の行事、仏事、法事までの全てが進行する。

他の宗派においてもほぼこれに準ずる。

 親鸞、蓮如、道元、その他の諸宗祖などは、いずれも、ひときわ偉大な高僧であり、かつ学僧であるとはいえ、彼らは特定の論師であって仏ではない以上、厳密に言えば、これらの人々の著述は経に属するのではなくて、論のカテゴリーに入る。

 それでも日本では、それらがお経とされていて、何人も疑わず、異議を挟むものもいない。」と書かれている。

また、江戸時代に富永仲基という市井の学者がいた。

本居宣長も絶賛する程の学者であったが、この学者は漢訳仏典を全て読破した結果、加上説という説を唱えた。

つまり、漢訳仏典はすべて釈迦が説いたものではなくて、加上、つまり、後代にわたって書き加えられたものが最終的に現在の膨大な漢訳仏典になったという。

彼の説では、釈迦は自分自身、経典を書いたりはしなかった。

そして、釈迦の死後、多くの優れた弟子たちが釈迦の教えを文字に残しておくべきだと考え、弟子の摩訶迦葉が座長になり、約500人の仏弟子と共に、わたしはこのように聞いたという文言、すなわち、如是我聞という文言から始まった多くのお経が作られた。

その時にまとめられたのが阿含経であり、それから500年後に大乗仏教運動が興起し、法華経、般若経、阿弥陀経などのお経が作られ、そして釈迦の死後、約1000年後頃には大日経、金剛頂経などの密教経典が作られたという。

富永仲基氏の結論は釈迦が実際に説いた内容は阿含経のごく一部であったという。

ところで、昔の大蔵経の並ぶ順番は華厳経が先ず一巻目であった。

華厳経が一巻目の理由としては、おそらく天台大師智顗の五時教判に基づくものであると思われる。智顗の考えでは釈迦が最初に説いたお経は華厳経と考えている。

しかし、現代の大蔵経の順番は阿含経が一巻目になっている。

おそらく、五時教判より現代仏教学の見解が正しいと考え、並び方を変えたのではないかと思われる。

龍谷大学 大宮学舎などの仏教系大学の図書館に行けば昔の大蔵経の順番は華厳経が一巻目である事が確認できる。

近所に最新版の大蔵経が置いている大型書店があれば阿含経が一巻目であることを確認されてみたらいかがであろうか。

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キリスト教国と仏教国の言動を比較検証する

旧約聖書の中に、殺人、殺戮を肯定するような文章がある。

例えば、旧約聖書の「出エジプト記 22-18」に

「魔女を生かしておいてはいけない。」などの記載がある。

中世ヨーロッパにおいてキリスト教会が一般の人々を魔女に仕立て上げ、数十万人の人々が処刑された。

また、旧約聖書には羊などの動物を生贄にし神に捧げる儀式を解説した文章などもある。

哲学者のニーチェはキリスト教会の裕福な牧師の息子として生まれたが、ニーチェはキリスト教の残虐性を指摘、キリスト教を邪教として見ていた。

旧約聖書の中にはモーゼの十戒の中に

「汝、殺すなかれ」

という言葉、戒律がある反面、

聖絶思想、

いわゆる主のことばの中に

「根絶やしにしろ!」

「皆殺しにしろ!」というような過激で暴力的な言葉が出てくる。

ユダヤ教徒はその旧約聖書とタルムード(言行録)とトーラー(律法)を聖典としている。

キリスト教徒は新約聖書と旧約聖書を聖典として信仰している。

イスラム教徒は旧約聖書と新約聖書とコーランを聖典として信仰している。

世界にはキリスト教徒は約20億人、

イスラム教徒は約12億人、

ユダヤ教徒は2000万人いるとされている。

旧約聖書には過激な暴力性や残虐性に満ちた言葉がその聖典の中に出てくる。

その旧約聖書を聖典として信仰する信者が三十数億人もいるとすれば、かつて世界大戦で起きたような大量殺戮、大量虐殺、ホロコースト、ジェノサイド、いわゆる大量殺人が起きる可能性がまた出てくると思われ、心配でならない。

ところで、十字の形はキリスト教を象徴するものであるが、昔、キリスト教徒がエルサレムをイスラム教徒から取り戻す為に十字軍という軍隊を編成し、何度も遠征し戦争をし、何度も大量虐殺を行ったが、歴史を調べると、その十字軍の行ってきた蛮行、残虐な行為、虐殺行為はあまりにも凄まじく、ひど過ぎる。

特に女性や子供に対しての凌辱行為も酷い。

また、キリスト教会による組織的な魔女裁判による大量虐殺。

一般の普通の人々を魔女であると言いがかりをつけて多くの女性を殺した魔女裁判による大量虐殺も然り。

一説によると30万人とも言われる大量の人々が虐殺された。

さらに、ヨーロッパからやってきたキリスト教徒たちによる膨大な数のインディアンの大量虐殺。

キリスト教徒によるインディアン虐殺

一説には2000万人ものインディアンが殺されたと言われている。

キリスト教徒によるインディアン虐殺

キリスト教徒によるインディアン虐殺

かつて、欧米諸国は多くの国を植民地化し多くの数々の収奪、搾取、略奪行為を行っていた。

スペイン人によるインカ帝国の人々に対する残虐非道な大量虐殺、大量略奪。

「インカの反乱」という書物を読んで、人間がここまで残酷になれるものなのか?

人の面をかぶった悪魔の仕業である。とこの書籍を読んで強く感じた。

インドネシアはオランダから約350年間、オランダの植民地として長い期間、収奪、略奪されてきた。

また、欧米諸国はアフリカ諸国などの数多くの国々から奴隷として多くの人々を連行し人身売買をしてきた。

イギリスには大英博物館があるが、イギリスはかつての多くの国々を搾取し収奪していた植民地時代に、多数の国々から略奪、強奪したが、大英博物館にはその略奪品、盗難品を展示している感がある。

次に、第二次世界大戦の末期、イタリアが降伏し、日本の敗戦も決定的になろうとした1945年8月9日、突如、ソ連が日ソ不可侵条約を一方的に破り、日本に宣戦布告。

多くの日本人がソ連の兵士から虐殺、略奪を受け、終戦後にはシベリアへの強制労働に従事させられ多くの日本人が亡くなっている。

また、これはあまり知られていないが、ソ連についでイタリアも日本に宣戦布告している。

1945年8月15日の敗戦後、宣戦布告してから数日程度しか経っていないのにも関わらずイタリアは日本に対して賠償金の請求をしている。

そのような行為はある意味、火事場泥棒的な印象を受ける。

そのイタリアにキリスト教の本家本元であるバチカン市国がある。

これら欧米列強の国々はほとんどキリスト教国で仏教を信仰する国ではない。

さらにまた、悪魔の兵器のような原子爆弾を日本に投下し、多くの人々、女子供を含む人々を無差別に大量虐殺したのもキリスト教国である。

原子爆弾の爆発

1945年8月6日にアメリカ軍の戦闘機B29は日本の広島にウラン型原子爆弾を投下した。

また、1945年8月9日にもアメリカ軍は日本の長崎にプルトニウム型原子爆弾を投下した。

それにより女、子供などの非戦闘員を含む数十万人の人々が突然、無差別に、一瞬のうちに、焼け死んだ。

建物の殆どが崩壊し跡形も無く、消え去った。

また、数十年にわたり原爆の後遺症に苦しむ人々が多数いた。

原子爆弾による大やけど

原子爆弾による死者

原子爆弾による死者

原子爆弾による死者

原子爆弾による死者

原子爆弾によって殺された日本の子供の死体

原子爆弾によって大やけどをした

日本の少女の体にできた全身のケロイド

最近、私は著名なジャーナリスト、ベンジャミン・フルフォード氏が書いた書籍「マネーカースト 世界経済がもたらす「新・貧富の階級社会」という書籍を読んだ。

その書籍の中に、欧米系ハザールマフィアが郵政民営化やプラザ合意を強引に、力ずくで日本に押し付け、それにより日本国民が所有する何百兆円という莫大な資産を収奪、略奪したことが書かれていた。

ちなみに1兆円がどの程度のお金かというと、日本国民の人口1億人とすると1人当たり1万円を徴収すると1兆円になる大きなお金。

ところで、日本の予算、会計には一般会計という会計とそれとは別に特別会計という一般会計の何倍もの予算のあるお金が日本の予算にはある。

かつて民主党の石井紘基議員がその日本国民にはほとんど知られていない特別会計の莫大なお金が不正に流れている事、一説にはその莫大なお金が海外に流れている事を発見し、石井紘基議員はその事を国会で発表しようとした。

その数日前に何者かによって殺されたという話を本で読んだり、話を聞いたことがある。

また、アメリカからの様々な要求に大変従順であった小泉純一郎元内閣総理大臣、

同じようにアメリカの要求に大変従順であった中曽根康弘元内閣総理大臣、

同じようにアメリカの要求に大変従順である安倍晋太郎現内閣総理大臣

彼らの政権は非常に長期に渡り安泰を保っていた。

2019年11月3日現在の安倍政権もかなりの長期政権になっている。

しかし、一方、アメリカからの要求に対し反発したり拒否した政治家はどうか?

例えば、アメリカ国債の押し売りの購入を拒んだ中川昭一元財務大臣

「アメリカ国債を売りたい衝動に駆られる。」と言ってアメリカの怒りに触れた橋本龍太郎元内閣総理大臣

アメリカから要求されたプラザ合意に反対した竹下登元内閣総理大臣

アメリカとは別に独自の日本の石油購入ルートを開拓しようとした田中角栄元内閣総理大臣

毎年アメリカから日本に突き付けられている年次改革要望書を拒否した鳩山由紀夫元内閣総理大臣など、

これら、アメリカの方針に逆らう政治家は政権期間が極端に短かったり、その政治家が失脚したり、急死したりしている事がわかる。(暗殺の疑い)

アメリカが日本に毎年要求している年次改革要望書には郵政民営化がトップ項目として突き付けられていた。

つまり、日本の政治家を脅し、日本の政治家に圧力をかけ、日本国民の財産、資産を奪い日本国民を貧困状態に陥れている存在がいる。

つぎに、最近の戦争で、アメリカやイギリスが中心となって行ったイラクの石油の略奪が目的のイラクへの爆撃、イラク人の大虐殺、大殺戮がある。

爆撃により戦車の中で焼け死んだイラクの兵隊

この戦争は大量破壊兵器の開発や保有、フセイン政権とアルカイダとの結びつきなど、アメリカは戦争を正当化する嘘を言って戦争を始め、多くの国々を巻き込み、その戦争に協力させた。

 イラクは戦後「経済制裁」が行われ恩恵に預かれなかったが湾岸戦争以降、石油は一気に値上がり、アメリカを始めとする大国は多額の利益を得た。

 1991年の第一次湾岸戦争時、アメリカ政府もメディアも、イラク攻撃の世論作りのために捏造と情報操作をした。

たとえば、ナイラという名前のクウェートの少女が、アメリカの公聴会で「イラクの兵士がクウェートの産院の乳飲み子を保育器から出して、次々と床に叩きつけ殺したのを見た。」と涙ながらに証言した。

しかし、後になって、この少女は、駐米クウェート大使の娘で、ずっとアメリカにいたことが分かった。

この証言はウソである事が判明した。

アメリカの広告代理店がシナリオを作り演出したものでリハーサルもしていた。

スポンサーはアメリカ政府以外にないと考えられる。

捏造がニューヨークタイムズで暴かれたのは1年3ヶ月後。

この「ナイラ証言」が出るまでは、アメリカの世論は戦争反対が多数を占めていた。

しかし、この証言で世論は一気に戦争賛成へと転じた。

たったひとつの捏造が、世論を完璧に逆転させた。

つぎに、この湾岸戦争の「油まみれの水鳥」の映像でもアメリカ政府は世界を騙した。

フセイン大統領が原油を海に流出させたという証拠はなかった。

アメリカ軍の爆撃による可能性も十分考えられた。

しかし、米政府はサダム・フセインの暴挙だと非難。

「油まみれの水鳥」の映像はフセインの「環境テロ」として世界を駆け巡った。

「極悪フセイン」のイメージが、世界の人々の脳裏に焼きついた。

しかし、今では、この原油流出の原因は、米軍の爆撃であるとされている。

この湾岸戦争後に湾岸戦争症候群という放射能汚染の影響と考えられる病気が多数現れている。

アメリカ軍が使用した劣化ウラン弾による影響と言われている。

劣化ウラン弾の準備をするアメリカを

中心とした多国籍軍の戦闘機とその兵隊

アメリカを中心とした多国籍軍による爆撃で

廃墟になったイラク国内の建物

劣化ウラン弾の影響によるものと

考えられるイラクの子供の奇形

劣化ウラン弾の影響によるものと

考えられるイラクで生まれた赤子の奇形

劣化ウラン弾の影響によるものと

考えられるイラクの子供の奇形

劣化ウラン弾の影響によるものと

考えられる湾岸戦争から帰った

アメリカ帰還兵の子供の奇形

劣化ウラン弾の影響によるものと

考えられるイラクで生まれた赤子の奇形

しかし、アメリカ政府はその因果関係を否定し、その政府による賠償責任を拒否している。

さらにまた、約10年後の2003年、イラク戦争開始の直前、アメリカのパウエル国務長官は、イラクの「大量破壊兵器の保有」の確固たる証拠を持って、世界の首脳に説明して回った。

しかし、イラク戦争開始後の翌年2004年に、パウエル長官は大量破壊兵器について

「いかなる備蓄も見つかっておらず、この先も発見されることはないだろう。」と証言。

今までの経緯から見ると、アメリカ政府は最初からイラクに大量破壊兵器は無かったと分かっていたのではないか?

と思われる。

寝ている時にアメリカ軍のミサイルが当たり左目を失明したイラク人の少年

アメリカ軍の銃撃で左目を失明したイラク人の少年

アメリカ軍の銃撃により5人の子供を殺され悲嘆にくれるイラク人の母親

また、2011年、欧米各国、NATO軍によるリビアへの空爆、爆撃があり、リビアのガダフィ大佐が殺害された。

NATO軍により惨殺されたリビアのガダフィ大佐

リビアのガダフィ大佐の殺害後、欧米諸国、NATO軍はリビアが所有する石油利権の略奪。

また、リビアが所有する60億ドル(日本円で6000億円)相当の金塊の略奪、

さらに、リビアが所有する720憶ドル(日本円で7兆円相当)の現金や債券の欧米諸国、NATO軍による強奪があった。

そもそも、リビアのガダフィ大佐はリビアのすべての国民に家を持たせると宣言し、結婚したリビア人のカップルが家を購入する際、5万ドル、いわゆる日本円で約500万円ものお金を結婚したカップルに支給し、さらに、家のローンの金利はすべて0、医療や大学を含む全ての教育費は全て無料、電気代も無料にするなど、政治家として一定の成果をあげておりリビアの国民からの信頼も厚かったといわれている。

リビアのガダフィ大佐は欧米各国が指摘するような狂暴な人間ではなく、温厚で誠実な人間であった。

リビアのガダフィ大佐

このように歴史を見てみると、アメリカやイギリスなどのキリスト教国の大殺戮、大虐殺、略奪と搾取、虚偽と偽証の連続。

アメリカやイギリスなどのキリスト教国は道徳的に見ても、倫理的に見ても、人道的に見ても極めて深刻な過失、過ち、問題があるように感じる。

一方、仏教を信仰する国々、例えば、タイ、ビルマ、スリランカ、チベット、ブータンなどのような仏教に対する信仰心が特に極めて篤い国で、はたして、そのような他国に侵略し、他国の人々の富を収奪強奪したり、他国の人々を奴隷として自分の国に強制的に連行したりしたという話はあったであろうか。

私は寡聞にしてそんな話は聞いたことがない。

例えば、生粋の仏教国スリランカの話をすると、第二次世界大戦が終わりサンフランシスコ講和条約が締結され、世界の諸国は敗戦国の日本に賠償を要求したが、その時にスリランカ国は、サンフランシスコ条約には参加したが、日本に対する全ての賠償権を放棄した。

その時のスリランカの政府首脳達は声明の中で、仏典「ダンマパダ」の次の言葉を引用し次のように言った。

「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以ってしたならば、ついに怨みの止むことがない。怨みを捨ててこそ怨みが止む。これは永遠の真理である。」

「戦いは終わったのだ。もはや怨みに報いるに怨みを以ってすることはやめよう。

この精神でセイロン(スリランカの旧国名)は世界の平和に貢献したい。」と。

また、会議の際、日本の敗戦後、日本を4分割して占領統治するという案が浮上した。

おおまかに説明すると、

北海道がソ連(現在のロシア)

本州がアメリカ

四国が中国

四国 九州がイギリスで占領統治するという案である。

日本の占領とはいわゆる日本の国家財産の収奪、略奪、日本の植民地化である。

これに異議を唱えたのがインド スリランカなどのアジア諸国であり、特に反対したのは、後にスリランカの大統領に就任するスリランカのジャヤワルダナ氏であった。

ジャヤワルデナ氏は日本の分割統治に強く反対し、日本は独立国として認めることを各国の代表に強く訴える名演説を行った。

この長時間にわたる名演説は各国の首脳の心を強く打ち、日本の分割統治、分割占領が無くなったと言われている。

日本のことわざに「困ったときに助けてくれるのが本当の友達である。」ということわざがあるが、これらの事柄を見ても、真の友好国はどの国かが分かると思う。

これらを見ても、同じ宗教としてどちらが平和的で温情的で倫理的、道徳的に優れているかは一目瞭然として分かると思う。

どちらの宗教が魂のふるさとのような宗教であるか、

どちらの宗教が魂の安息所のような宗教であるか

どちらの宗教に真の魂の救済力があるか一目瞭然だと思う。

真の宗教、正しい宗教は、信仰しない人々に対し懲罰や殺戮の命令を下すような神様を信仰することでは無い。と思う。

 真の宗教、本当に正しい宗教とは、「万人に対する愛と慈悲」、「全ての生物に対する愛と慈悲」を説く宗教であると思う。

新新宗教のゲリー・ボーネル氏は、将来、仏教が全ての宗教の代わりになり、キリスト教もイスラム教も無くなっていくでしょう。と書籍の中において言及されている。

また、インド哲学、仏教学の世界的権威である今は亡き、中村元博士は次のように述べられていた。

インド哲学 仏教学の世界的権威 中村元博士

「世界には多くの宗教が存在するが、仏教は武力によらずして広まった数少ない宗教のひとつである。」

仏教の平和主義について高く評価されていた。

さらにまた、日本仏教の祖師、聖徳太子の「和を以て貴しとなす」という言葉は有名である。

そういう風に言うと、戦時中、日本は朝鮮人の方々を日本に連行したではないか?

中国はチベット人の方々を侵略、虐殺したではないか?

といわれるかもしれない。

しかし、厳密に言えば、日本は神道の国で、中国は儒教の国であるので、純粋な、生粋の仏教国とは言えないと思う。

ところで、仏教経典の増壱阿含経第七巻の五戒品第十四において盗み、泥棒、窃盗、略奪行為の報いについて説かれているお経が存在する。

その主な主旨内容は、盗み、泥棒、窃盗行為を多く行った者はその罪の報いにより未来、将来、死後、来世において地獄界、餓鬼界、畜生界に生まれ赴くと説かれている。

また、人間に生まれ変わっても極めて貧しく、衣服や食事に極めて事欠く境涯に生まれ赴くと説かれている。

仏教では六道輪廻を説きます。

六道輪廻とは生き物達が天界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界の六道つまり六つの境涯を途方もない膨大な期間、途方もなく膨大な回数、何度も何度も生まれ変わり死に変わりしている。

輪廻転生している。

その六道のうち畜生界、いわゆる動物の境涯、餓鬼界いわゆる飢えや渇きに苦しむ境涯、地獄界いわゆる地獄の鬼達に残虐に責め立てられ痛めつけられ苦しめられる極めて残虐悲惨な境涯は三悪道、三悪趣といって六道輪廻の中では最も苦しい境涯であると説きます。

ところで、仏教の見解では神を絶対の存在として考えていない。

神々も人間と同じように六道輪廻をする存在である。

たとえば、いかに偉大な神といえども、はるかに長い寿命を誇っている神も寿命が尽きると地獄界や餓鬼界、畜生界に堕ちることもある。

日本の神道史学の最高権威である元東大教授(故)宮地直一博士は自身の書籍「神道史 上巻」のなかで次のように解説されている。

「神という階級は絶対にあらず、もとより人間より上に位せるも、仏にあらず、覚者にあらず、それ以下の限られた能力の持ち主にて宿世の宿業によって神の身を得たるものなるがゆえに輪廻転生を免れず六道輪廻の中にいる存在である。」と書かれ

神の絶対性を否定している。

つまり、神でも死後に地獄や餓鬼界、畜生界などに転生する可能性もあるということである。

その神を超えた覚者であるとされている仏陀はパーリ仏典サンユッタ・ニカーヤ、雑阿含経において次のように説かれている。

「他人から奪った人が他人から奪われるのである。

愚か者は悪の報いが実らない間は悪の報いがない事を当然のことだと考える。

しかし、悪の報いが実ったときには愚か者は苦悩を受ける。

殺す者は殺され、怨む者は怨みを買う、

また罵りわめく者は他の人から罵りを受ける、

怒りたける者は他の人から怒りを受ける、・・後略」

さらに法句経においてブッダは

「悪業の報いはたとえ大空においても大海においても奥深い山中に隠れても悪業の報いからは逃れることが出来ない」と。

さらにまた、パーリ仏典サンユッタ・ニカーヤ及び漢訳仏典雑阿含経において ブッダはこうお説きになられている。

「穀物も財産も金も銀も、またいかなる所有物があっても、奴僕も傭人も使い走りの者もまたかれに従属して生活する者どもでも、どれもすべて連れて行く事は出来ない。

全てを捨てて行くのである。

人が身体で行ったもの、つまり、身体で行った善き行為の報い、身体で行った悪しき行為の報い、また、言葉や心で行ったもの、つまり、言葉で行った善き行為の報い 言葉で行った悪しき行為の報い  また、心で行った善き行為の報い、心で行った悪しき行為の報い等

それこそが、その人自身のものである。

人はそれを受け取って行くのである。

それはかれに従うものである。

影が人に従うように。

それ故に善い事をして功徳を積め。

功徳は人々のよりどころとなる。」

次に、仏典パーリ中部経典の中の賢愚経(けんぐきょう)、漢訳仏典 中阿含経の癡慧地経(ちえぢきょう)というお経がある。

そのお経において仏陀は次のように説かれている.

「極悪非道な行いをした者は死後、地獄に堕ち極めて残虐悲惨な苦しみを受ける」と仏典に説かれている。

最古の仏典スッタニパータやパーリ中部経典の中の賢愚経、漢訳仏典中阿含経の癡慧地経において仏陀はこのように説かれている

「仮に賭博(とばく)や博打(ばくち)に負け自分の妻や子供や財産を全て失い,自分も囚(とら)われの身になるという不運があったとしても、罪、悪事を犯し、その罪、悪事の報いにより死後、地獄へ堕ち、膨大な年数、極めて残虐悲惨な苦しみを受ける地獄での大苦痛大苦悩に比べれば賭博、博打に負け自分の妻や子供や財産を全て失い,自分も囚(とら)われの身になるという不運などはとるに足らない僅(わず)かな不運である。」

つまり「罪、悪事を犯しその罪、悪事の報いにより死後地獄へ堕ち、膨大な年数、残虐で極めて悲惨な苦しみに遭遇する地獄へと堕ちる不運こそが最悪の大不幸、大不運である。」という内容が説かれている。

また地獄にも種類があり阿鼻地獄、無間地獄という地獄がある。

阿鼻地獄(無間地獄)は最も極悪非道な行為をした者が赴(おもむ)く地獄であり、最も痛み苦しみの激しい、極めて残虐極めて悲惨な地獄であると仏典に説かれている。

仏教経典には地獄という世界が説かれている。

地獄とは悪い事をした者が死後に生まれ赴く極めて苦しい、極めて残虐悲惨な世界。人や生き物を殺したり、いじめたり、苦しめたり、悩ませたり、悲しませたり、困らせたりした者、人の物を盗んだり、人をだましたりした者が死後に赴く世界。

特に阿含経、正法念処経、大智度論などの経典論書において地獄について詳しく解説した箇所がある。

日本において地獄の観念が多くの人々に弘まった大きな原因のひとつは天台宗の源信という僧侶が「往生要集」という書物を著しその書物が多くの人々に読まれたからであろう。

この「往生要集」は今から約千年程前に書かれた書物で現在に至るまで多くの人々に読まれている。

この「往生要集」で引用されている経典の種類は極めて多く、源信様がいかに多くの経典を読まれたかが分かる。

また地獄の状況を絵で表現した地獄絵というものもある。

地獄絵は文字が読めない人々や子供達に対し仏教の教義を分かり易く解説する役割を果たし、多くの人々に倫理観、道徳意識、勧善懲悪の観念を植え付け、また地獄に対する恐怖心が凶悪犯罪の防止、犯罪抑止力の役割を果たしていたと考えられる。

次に、真言宗開祖、弘法大師空海様の晩年の著作である「秘密曼荼羅十住心論第一巻」において盗み、窃盗、泥棒、収奪の業報について説かれている箇所がある。

そのなかで空海様は雑宝蔵経というお経を引用し次のようにお説きになられている。

そのお経の概要は

「ある一人の鬼(死者)がいた。

その鬼が仏弟子である目連尊者に対しこのように質問した。

「私の腹は極度に大きく、のど、手足は極度に細くて食べ物や飲み物を取ること、食事をする事が出来ない。何が原因でこのような苦しみを受けるのか。」

目連尊者は答えて言った。

「あなたは前世において高い地位にあり富貴、裕福で、さまざまな食事、お酒を大いに楽しんだが、他の人々を軽視し、侮り、見下し他の人々の飲食を奪い取り、他人を飢えさせ、他人を困らせた。

このような他の人々の飲食を奪い取り、他人を飢えさせ、他人を困らせた行い、行為、因縁、業報、罪の報いによりこのようなひどい苦しみを受けている。

これは果報、業報であり、このような罪の報いによる地獄の苦しみは後になって受けるのである。」

次に、仏教経典「国訳一切経 (印度撰述部 阿含部 2)」という書籍の中の雑阿含経第十九に屠殺(殺生)に関するお経が書かれている。

その経典には屠牛者経 屠羊弟子経 好戦経 堕胎経 猟師経 殺猪経 断人頭経 捕魚師経等の屠殺や殺生に関するお経が書かれている。

例えば、屠牛者経を例に挙げるとそのお経の概要は釈尊の高弟の目連尊者がある日の托鉢中において鷲 烏 飢えた犬等の姿をした霊的な生き物にその内臓を食いつばまれ、すすり泣き苦しんでいる奇怪な姿をした霊的な生き物を見た。

目連尊者はその奇怪な姿をした霊的な生き物について托鉢から帰った後に釈尊に尋ねると釈尊はこう説かれた。

「目連尊者のように正しい修行を行い正しい修行によりある一定のレベルに到達するとこのような存在を見る事が出来る。

また、その奇怪な姿をした霊的な生き物は生前において牛の屠殺を行っていた者であり死後その屠殺を行った罪の報いにより地獄に生まれ巨大な年数の間 様々な大きな苦しみ激痛を受け更に地獄における巨大な年数の間の多くの苦しみ激痛が終わってもなお、その屠殺を行った余罪にて 鷲 烏 飢えた犬等の霊的な生き物達にその内臓を食いつばまれ、すすり泣き、泣き叫んで苦しんでいる。

また我(釈尊)もまたこの衆生(生き物)を見る」という内容の事が説かれている。

屠羊者経 殺猪経 猟師経も屠牛者経と同様、大体似た内容で説かれている。

そのお経に共通する主な内容は、生きている間において、人間や動物達等の生き物の屠殺、殺生を行った者がその死後において、その屠殺、殺生を行った罪業の報いにより非常に長い年月の間地獄において苦しめられる極めて悲惨な世界に赴き、多くの様々な激しい苦しみを受け、その地獄より出てきた後にもその屠殺や殺生の余罪により様々な生き物達、カラス 狂暴な犬 キツネ ワシ等に内臓をついばまれ食われその激痛に苦しみ泣き叫んでいる様子が書かれている。

 書籍「間脳思考―霊的バイオ・ホロニクスの時代」という書籍の中において一般の方々には難解と思われる国訳一切経(阿含部)の中の好戦経と堕胎経その他のお経について非常に分かり易く解説されている。

 ところで、仏教教団 阿含宗の開祖 今は亡き、桐山靖雄猊下の著作である
「人間改造の原理と方法―原始仏教から密教まで」
のあとがきで、

桐山靖雄猊下は次のように説かれている。

阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(1921年~2016年)

「我々は仏陀にはなれないかもしれないが、仏陀の残された教法を修行することにより賢者にはなれる。

いかなる場合にも、殺し合い、傷つけ合い、奪い合うような愚かな行為を演じない賢者に・・・。

 そうしてまた、そういう愚かな行為を絶滅させ、限りない愛と慈悲に満たされた高度で豊かな社会を作り出す賢者に・・・。」

1986年4月、当時のスリランカのジャヤワルダナ大統領は阿含宗の開祖 桐山靖雄猊下をスリランカに招待し釈迦のご遺骨である仏舎利を授けられた。

この仏舎利は西暦1898年に、インド ブッダガヤの金剛宝座の下から発掘されたとされている。

金剛宝座とは釈迦が悟りを開くため、正覚を得る為、ブッダになる為に瞑想した場所、悟りを開くための瞑想の際に座った場所。

これについての話は書籍 「守護霊の系譜―こうして守護霊を持てに詳しく書かれている。

また、1986年4月にジャヤワルデナ大統領から仏舎利を授けられる約2年程前の1984年1月、阿含宗の開祖、桐山靖雄猊下は「間脳思考」という書籍を著した。

その書籍の中で著者の桐山猊下は阿含経の好戦経というお経を解説されている。

そのお経の主な内容は生前、戦争を好み、刀や武器などで多くの人々を殺傷し、傷つけた者が死後、その人を殺し傷つけた罪障により地獄に堕ち、極めた長い期間、地獄の苦しみを受け、その地獄の余罪によりカラスなどの多くの鳥獣により体を啄まれ酷い苦しみ、苦痛にあえぐ霊体をお釈迦様と高弟子の目連尊者が霊視した話が説かれている。

地獄の余罪でこのような苦しみを受けるのであれば本当の地獄の苦しみは物凄い苦痛である事であると桐山猊下はこの書籍の中で解説されている

ファイナル・ウォー アメリカが目論む最後の「日本収奪計画」

泥棒国家の完成

「ヤクザ・リセッション さらに失われる10年 (光文社ペーパーバックス)

「日本がアルゼンチン・タンゴを踊る日 (光文社ペーパーバックス)

国富」喪失 (詩想社新書)

拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる (文春新書)

「ゆうちょマネー」はどこへ消えたか: “格差”を生んだ郵政民営化の真実

真実を聞いてくれ―俺は劣化ウランを見てしまった

書籍「劣化ウラン弾―湾岸戦争で何が行われたか

【Amazon.co.jp 限定】M9.0東京直撃の日ー日本列島激マップ

「魔女狩り (岩波新書)

「インディアスの破壊についての簡潔な報告 (岩波文庫)

世界から戦争がなくならない本当の理由

広島・長崎の原爆災害 (1979年)

昭和の戦争の真実 (扶桑社BOOKS)

インカの反乱―被征服者の声 (岩波文庫)

「キリスト教は邪教です! 現代語訳『アンチクリスト』 (講談社+α新書)

「ブッダのレクイエム」―血塗られた人類史は、宗教の投影だ! 

キリスト教の悲惨 (りぶらりあ選書)

図説 魔女狩り (ふくろうの本/世界の歴史)絵で見る十字軍物語

敗戦後の日本を慈悲と勇気で支えた人ースリランカのジャヤワルダナ大統領ー (ジュニアノンフィクション)

人類アカシャ全史―アカシックレコードから読み解く人類の起源と歴史、そして驚愕の近未来

旧約聖書 出エジプト記 (岩波文庫 青 801-2)

弘法大師著作全集 (第1巻)

日本の美術 no.271 六道絵

ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫)

「間脳思考―霊的バイオ・ホロニクスの時代

人間改造の原理と方法―原始仏教から密教まで

守護霊の系譜―こうして守護霊を持て

国訳一切経 (印度撰述部 阿含部 2)」

「大正新脩大蔵経 (第2巻) (普及版大正新脩大蔵経)

書籍「国訳一切経 (印度撰述部 阿含部 8)

インド哲学 仏教学の世界的権威 中村元博士

聖徳太子

幼少期の聖徳太子

チベット仏教 生死輪図

ブッダ釈尊

閻魔大王

死後、瑠璃鏡で生前の行いを見せられる亡者

地獄絵

地獄絵

弘法大師 空海

阿含宗開祖 桐山靖雄猊下 

1986年4月7日 スリランカのジャヤワルダナ大統領から

阿含宗の開祖、桐山靖雄猊下に仏舎利が授けられる。

釈尊成道の聖地 インド ブッダガヤ 

菩提樹下の金剛宝座

b」



日本がアルゼンチン・タンゴを踊る日 (光文社ペーパーバックス)