阿含経についての話

日本の仏教は千年以上の長きにわたり阿含経を劣った小乗経典つまり自分だけの悟りを求め自己のみが救われる事を目指す利己的でレベルの低い卑しい経典とみなされていた。

また、出家しなければ救われない出家仏教の経典ともいわれてきた。

その為、日本において阿含経に対する研究や信仰はほとんどなされなかった。

今から約1400年以上前の中国において、天台大師智顗が立てた五時教判という教相判釈があるが、その教相判釈によると法華経、涅槃経が最も高い大乗の教えであり阿含経は最も低い小乗の教えであると結論づけされている。

その天台大師智顗が立てた経典判尺はすべての漢訳仏典を釈迦一代で全て説いたものと考えた。

まず、釈迦が悟りを開いた後、人々に華厳経を説いた。

しかし、あまりにもその内容が純粋過ぎ人々には理解されなかったので、釈迦は最初は一番程度の低い卑近な阿含経の教えから説いていき、それから、年を経る程、順次、般若経などのお経を説いていき、釈迦の晩年の時代、一番内容の高い、最高の教えであり、真実のお経である、法華経、涅槃経を説いたと智顗は考えた。

この天台大師智顗が立てた経典判尺により、天台の最澄、日蓮が法華経を所依の経典として天台宗や日蓮宗という一宗を立てた。

        天台宗開祖 伝教大師 最澄

また、日本の仏教ではその影響を受け、法華経が広く信仰されるようになった。

最近では真言密教系の教団、真如苑も涅槃経は釈迦が最後に説いた真実で最高の教えであると涅槃経を所依の経典として重視している。

しかし、現在、世界の仏教学界においてはこの智顗の教相判釈は否定されている。

また、近年、文献学の目覚しい発展、パーリ語、サンスクリット語等の原語での仏典研究、著しい学術的進歩により阿含経典こそが仏教の開祖お釈迦様が実際にお説きになった内容、もしくは極めて近い内容の経典であると学問的に認められている。

このことについて、「地獄の思想―日本精神の一系譜 (中公文庫)」という書籍で梅原猛教授は

「釈迦の説法集が出来上がったのはむしろ釈迦の死後である。

釈迦の死後に様々な経典が作られた。

そしてその経典の中には釈迦の説というより弟子自身の説が混じるようになる。

後世の人々が釈迦の名において勝手に自己の学説を正当化する経典を作るようになる。

かくして仏滅後五百年も六百年も過ぎて、なお釈迦の名において多数の経典群が作られていく。

そして謎の人、釈迦の正体を解いたのは、ヨーロッパの近代文献学にもとずく仏教学であった。

文献学的な方法にもとずく仏教学は経典の成立年代を大体、考証的に明らかにした。

そして釈迦の正説は、従来、日本においては、小乗と卑しめられてきた阿含部経典や律部経典にあることが分かったのである。

これは伝統的な仏教家にとっては大きなショックであるはずであった。

なぜなら、彼らが千数百年来、崇拝してきた仏教の経典が、釈迦の説ではなく、後世の説であり、彼らが卑しんできた経典こそ釈迦の説であることが明らかになったからである。

もしこのことを知ったら、親鸞や日蓮や道元はどのように驚いたであろうか。」

また、仏教学者の平川彰博士は仏教経典の阿含経について自身の著作である「インド仏教史 上 〈新版〉」という書籍において以下のように書かれている。

「阿含経はアーガマ、つまり伝わったもの、伝承されたものとも呼ばれ、仏陀釈尊の直接の教えが伝承されたものであることを示している。

しかし、これらの経典(阿含経)は仏陀釈尊の死後、仏陀釈尊の直弟子、仏陀釈尊の高弟達の記憶によって仏陀釈尊の教えの内容がまとめられ、又、経典として書きとめられ伝来された為、伝承の間に仏陀釈尊の弟子の理解や解釈が付加され増広され、仏陀釈尊直説の教説が多少変化を蒙ったことは避けられなかったもしれない。

厳密に考察すると阿含経は仏陀釈尊の教えそのものではないかもしれない。

しかし、幾多の仏教諸経典の中で阿含経は仏陀釈尊の教えの内容を最も含んでいる経典であり仏陀釈尊の思想を求めるとすれば先ず阿含経の中に求められなければならない」とある。

さらに、パーリ仏典研究の世界的権威、(故)水野弘元博士は仏教経典の源流について自身の著作「経典はいかに伝わったか―成立と流伝の歴史」において次のように説かれている。

         パーリ仏典研究の世界的権威、水野弘元博士

「大乗仏教の般若の空思想や菩薩の波羅蜜の修道法もその源泉、源流は阿含経の中にあります。
インド大乗仏教の祖師と云われる龍樹菩薩や世親菩薩の著作において阿含経の教説は大乗の教説と並べて権威的な典拠として扱われ龍樹菩薩、世親菩薩の著作においてしばしば阿含経が引用されています。」

 

さらにまた、書籍「バウッダ[佛教] (講談社学術文庫)」の中で著者は次のように書かれている。

「現在のアーガマ(阿含経)をそのまま釈尊の教えに直結することはあまりにも短絡化しすぎており、今日の仏教学からすれば、むしろ誤りとみなされる。

 ただし釈尊の教えと佛弟子たちの言行録などは、そして、最初期、ないし、初期の仏教の資料はアーガマ(阿含経)にしか存在していないのであり、大乗経典(これを日本人は釈尊の教えそのものと誤解し受容してきた。)には求むべくもないことが明白である以上、何よりもまずアーガマ(阿含経)の解明に専念する仏教文献学が必要不可欠の前提とされる。

そして、それは近代学問として、すでに100年以上の年月を刻んで今日もなお継続している。」

さらに、

「現在の日本には、約7万5000余と言われる仏教寺院で読誦されるお経は、開祖の釈尊の阿含経典は全く顧みられず、開祖である釈尊とは異なる別の仏による大乗のお経の一節であり、そればかりか、その大部分は宗祖に準ずる特記すべき高僧の文がお経として敬われ、読誦され続けている。

 例えば、日本最大の宗派の浄土真宗の場合、大乗経典の浄土三部経、いわゆる無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経の一部のほか、宗祖である親鸞の主著、教行信証、行巻の末尾にある正信偈、もしくは、真宗中興の祖とされる蓮如の御文がその宗のお経であり、曹洞宗では大乗経典の般若心経や法華経の一部のほか、宗祖の道元の主著の正法眼蔵から、本来は明治時代に在家信者向きにダイジェスト化したテキストの修証義がお経として読誦されていて、それにより日々の勤行から諸種の行事、仏事、法事までの全てが進行する。

他の宗派においてもほぼこれに準ずる。

 親鸞、蓮如、道元、その他の諸宗祖などは、いずれも、ひときわ偉大な高僧であり、かつ学僧であるとはいえ、彼らは特定の論師であって仏ではない以上、厳密に言えば、これらの人々の著述は経に属するのではなくて、論のカテゴリーに入る。

 それでも日本では、それらがお経とされていて、何人も疑わず、異議を挟むものもいない。」と書かれている。

また、江戸時代に富永仲基という市井の学者がいた。

本居宣長も絶賛する程の学者であったが、この学者は漢訳仏典を全て読破した結果、加上説という説を唱えた。

つまり、漢訳仏典はすべて釈迦が説いたものではなくて、加上、つまり、後代にわたって書き加えられたものが最終的に現在の膨大な漢訳仏典になったという。

彼の説では、釈迦は自分自身、経典を書いたりはしなかった。

そして、釈迦の死後、多くの優れた弟子たちが釈迦の教えを文字に残しておくべきだと考え、弟子の摩訶迦葉が座長になり、約500人の仏弟子と共に、わたしはこのように聞いたという文言、すなわち、如是我聞という文言から始まった多くのお経が作られた。

その時にまとめられたのが阿含経であり、それから500年後に大乗仏教運動が興起し、法華経、般若経、阿弥陀経などのお経が作られ、そして釈迦の死後、約1000年後頃には大日経、金剛頂経などの密教経典が作られたという。

富永仲基氏の結論は釈迦が実際に説いた内容は阿含経のごく一部であったという。

ところで、昔の大蔵経の並ぶ順番は華厳経が先ず一巻目であった。

華厳経が一巻目の理由としては、おそらく天台大師智顗の五時教判に基づくものであると思われる。智顗の考えでは釈迦が最初に説いたお経は華厳経と考えている。

しかし、現代の大蔵経の順番は阿含経が一巻目になっている。

おそらく、五時教判より現代仏教学の見解が正しいと考え、並び方を変えたのではないかと思われる。

龍谷大学 大宮学舎などの仏教系大学の図書館に行けば昔の大蔵経の順番は華厳経が一巻目である事が確認できる。

近所に最新版の大蔵経が置いている大型書店があれば阿含経が一巻目であることを確認されてみたらいかがであろうか。

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