インド学、仏教学の世界的権威である今は亡き、中村元博士は仏教は暴力や武力を使わないで世界に広まった数少ない宗教の一つであると言及されている。
仏教はキリスト教と比較すると著しく平和的で寛容的であると思われる。
書籍「パール博士「平和の宣言」ラダビノード・パール著 田中正明 編著 小学館」の中で次のような文章がある。
「現代の偉大な思想家であるオルダス・ハクスレーは次のように指摘している。
7世紀の初め、インドを訪れ、14年間滞在した時の詳しい記述を残しているシナの行脚僧、玄奘三蔵は次の事実を明らかにしている。
すなわち、ヒンズー教徒と仏教徒は一緒に住んでいても何ら暴力沙汰を起こさなかった。
彼らはお互いに、一方が他方を改宗させようとしたが、そのための手段として用いたのは説得と論争とであって、力によるものではなかった。
ヒンズー教も仏教も決して宗教裁判に該当するような何者によっても損なわれてはいない。
また、ヨーロッパの十字軍のような非道や、16世紀17世紀の宗教戦争のような犯罪精神病などの罪に問われることもなかった。
だが、ヴェーダの宗教はさておき、何人も仏教に対してこの異常な寛容の徳を否定することはできない。
オルダス・ハクスレーは言う。
インドの平和主義はブッタの教えに完全に表現されている。
仏教もヒンズー教も同様にアヒムサ、すなわち、生きとし生けるものを損なわないということを教えている。
世界のあらゆる偉大な宗教の中でただ仏教のみが、迫害も、検察も、宗教裁判も無しに栄えていった。
これら、すべての点で仏教の経歴はキリスト教のそれに比べて非常に優れているということができる。
キリスト教は軍国主義と結合した民衆の間で旧約聖書の野蛮が青銅時代の文学に訴えることにより信徒の血に飢えた性行を正当視することができた。
仏教徒にとっては怒りは常にそして無条件的に恥辱である。
エホバを神と同一視するように訓練されたキリスト教徒にとっては、正当なる義憤というようなものがある。
この義憤が正当なものであり得るということのおかげで、キリスト教徒が次々に戦を起こしたり、この上なく忌まわしき虐殺を起こすことを正当と思い込んできたのである。」
書籍「パール博士「平和の宣言」ラダビノード・パール著 田中正明 編著 小学館」参照。
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