仏教が説く輪廻転生の教えと善因善果、悪因悪果の教え

パーリ仏典において仏陀(ブッダ)は修行者の究極の瞑想体験と輪廻転生、因果の法則について次のようにお説きになられている。

 

     チベット仏教仏画

     ブッダ初転法輪像

「(修行者が修行により)心が安定し、清浄となり、浄化された、汚れの無い、小さな煩悩を離れた、柔軟で、活動的であって、(そのもの自身が)堅固不動のものになると、かれ(修行者)は生き物達の死と再生について知る事(死生通)に心を傾け、心を向けるのです。

そして、かれ(修行者)は、その清浄な、超人的な神の眼によって生き物達の死と再生を見、生き物達はその行為に応じて劣った者にもなり、優れた者にもなり、美しい者にも、醜い者にも、幸福な者にも、不幸な者にもなることを知るのです。

すなわち、生き物達は、身体による悪い行い、言葉による悪い行い、心による悪い行いをなし、聖者達を誹謗し、邪悪な考えを持ち、邪悪な考えによる行為を為す。

かれらは身体が滅びて死んだ後、悪い所、苦しい所、破滅のある所、地獄に再び生まれる。

一方、この者達は身体による良い行いを為し、言葉による良い行いを為し、心による良い行いを為し、聖者達を誹謗しないで、正しい見解による正しい行いを為している。

故に、かれらは身体が滅びで死んだ後、良い所である天界に生まれ変わった。

とかれ(修行者)は知る。」

仏教が説く輪廻転生の教説は、衆生(生き物達)が地獄界や餓鬼界、畜生界に生まれ替わる回数の方が天界、人間界に生まれ替わる回数よりも圧倒的に多いと説いている。

仏教では輪廻転生の本質は苦であると説いている。

仏教の目的はこの輪廻転生からの離脱を目指す。

また、仏教にとって人間に生まれる事は非常に良き生まれであると説く。

その大きな理由は、人間界は他の境涯、いわゆる天界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界に比べると最も仏道修行がしやすい境涯と言われている為。

お釈迦さまは最終的に、天界から人間界に生まれ変わり、人間界において修行を完成し、ブッダになる事が出来たと言われている。

次に、仏典 雑阿含経第四十巻において七種受という事についてブッダは次のように説かれている。

ある日仏様(お釈迦様)はもし七種受をもつものは天帝釈(良い世界又よい所)のもとに生まれ変わる事ができると説かれた

七種受とは

1 父母を供養する。
2 家の尊重に供養する
3 柔和で優しい謙遜の言葉、態度を取る
4 荒々しい言葉を離れる
5 両舌を離れる
6 ケチな心をやめる
7 真実の言葉を言う

さらに、パーリ仏典「サンユッタ・ニカーヤ」において仏陀は因果の法則と生まれ変わりについて次のようにお説きになられている。

「穀物も財産も金も銀も、またいかなる所有物があっても、奴僕も傭人も使い走りの者もまたかれに従属して生活する者どもでも、どれもすべて(死後の世界 来世に)連れて行く事は出来ない。全てを捨てて(死後の世界 来世に)行くのである。

人が身体で行ったもの、つまり身体で行った善き行為の報い、身体で行った悪しき行為の報い、また言葉や心で行ったもの、つまり言葉で行った善き行為の報い、言葉で行った悪しき行為の報い 、また心で行った善き行為の報い、心で行った悪しき行為の報い等 それこそが、その人自身のものである。

人はそれ(自己の為した身体と言葉と心でなした業)を受け取って(死後の世界 来世に)行くのである。

それは(死後の世界 来世で)かれに従うものである。

影が人に従うように。

それ故に善い事をして功徳を積め。

功徳は人々のよりどころとなる。」

さらに仏陀は次のように説いた。

「一度生まれる生き物(胎生つまり母胎から生まれる生き物)でも、二度生まれる生き物(卵生、つまり卵から生まれる生き物)でも、この世で生き物を害し、生き物に対する哀れみのない人(慈悲心のない人)、彼を賤しい人であると知れ」

さらに仏陀は次のように説いた。

「悪の報いが熟しない間は悪人でも幸運にあうことがある。

しかし、悪の報いが熟したときには、悪人は災いにあう。

善の報いが熟しない間には善人でも災いにあう事がある。

しかし、善の果報が熟したときには善人は幸福にあう。」

また、過去、現在、未来の敬われるべき聖者、尊師らはすべて次のように説かれている。

「全ての生き物、全ての有情、すべての生命あるもの、すべての生存者を殺してはならぬ。

虐待してはならぬ。

害してはならぬ。

苦しめてはならぬ。

悩ましてはならぬ。

これは清浄にして永遠、常恒なる理法である。」

次に、仏典には地獄という世界が説かれている。

地獄とは悪い事をした者が死後に生まれ赴く極めて苦しい、極めて残虐悲惨な世界。人や生き物を殺したり、いじめたり、苦しめたり、悩ませたり、悲しませたり、困らせたりした者、人の物を盗んだり、人をだましたりした者が死後に赴く世界。

特に阿含経、正法念処経、大智度論などの経典論書において地獄について詳しく解説した箇所がある。

最古の仏典スッタニパータやパーリ中部経典の中の賢愚経、漢訳仏典中阿含経の癡慧地経において仏陀は次のように説かれている

「仮に賭博(とばく)や博打(ばくち)に負け自分の妻や子供や財産を全て失い,自分も囚(とら)われの身になるという不運があったとしても、罪、悪事を犯し、その罪、悪事の報いにより死後、地獄へ堕ち、膨大な年数、極めて残虐悲惨な苦しみを受ける地獄での大苦痛大苦悩に比べれば、賭博、博打に負け自分の妻や子供や財産を全て失い、自分も囚(とら)われの身になるという不運などはとるに足らない僅(わず)かな不運である。」

つまり、「罪、悪事を犯しその罪、悪事の報いにより死後地獄へ堕ち、膨大な年数、残虐で極めて悲惨な苦しみに遭遇する地獄へと堕ちる不運こそが最悪の大不幸、大不運である。」という内容が説かれている。

地獄にも種類があり阿鼻地獄、無間地獄という地獄がある。

阿鼻地獄(無間地獄)は最も極悪非道な行為をした者が赴(おもむ)く地獄であり、最も痛み苦しみの激しい、極めて残虐極めて悲惨な地獄であると仏典に説かれている。

このように仏典には「極悪非道な行いをした者は死後、地獄に堕ち極めて残虐悲惨な苦しみを受ける」と説かれている。

日本において地獄の観念が多くの人々に弘まった大きな原因のひとつは天台宗の源信(慧心僧都源信、横川僧都源信、鎌倉時代前に活躍した僧侶)という僧侶が「往生要集」という書物を著しその書物が多くの人々に読まれたからであろう。

この往生要集は浄土宗に大きな影響を与えた書物である。

この「往生要集」は今から約千年程前に書かれた書物で現在に至るまで多くの人々に読まれている。

この「往生要集」で引用されている経典の種類は極めて多く、源信様がいかに多くの経典を読まれたかが分かる。

この往生要集は宗(約千年前の中国の国名)の国に贈呈され台州の周文徳という方が往生要集を国清寺に収められた。

また、周文徳は源信を小釈迦源信如来として賛嘆、褒め称えた。

真宗皇帝も源信を賛賞する事切なるものがあったという。

日本国においても源信様を今迦葉(いまかしょう)と呼んでいた人々がいた。

迦葉とはお釈迦様の在世当時の十大弟子の一人で優秀な高弟の名前であるが、このように源信を賛賞する事、切なるものがあったという。

 往生要集を著した天台宗の高僧、慧心僧都源信(西暦942年~1017年年)

この往生要集の前半では地獄界 餓鬼界などの状況等について各教典論書を引用し具体的に書かれている。

どのような行為(例えば殺生、盗み、妄語、邪淫など)によりどういう境涯(例えば地獄界、餓鬼界、畜生界など)に赴くのかが記載されている。

また、仏の三十二相についても具体的に説かれている。

どういう種類の良い行いによら良き報い、良き境涯、優れた仏の外観相形などを得られるのかという事も書かれている。

また、地獄の状況を絵で表現した地獄絵というものもある。

地獄絵は文字が読めない人々や子供達に対し仏教の教義を分かり易く解説する役割を果たし、多くの人々に倫理観、道徳意識、勧善懲悪の観念を植え付け、また地獄に対する恐怖心が凶悪犯罪の防止、犯罪抑止力の役割を果たしていたと考えられる。

次に、仏教経典「国訳一切経 印度撰述部 阿含部二巻 大東出版社」という書籍の中の雑阿含経第十九において屠殺(殺生)に関するお経が書かれている。

その経典には屠牛者経 屠羊弟子経 好戦経 堕胎経 猟師経 殺猪経 断人頭経 捕魚師経等の屠殺や殺生に関するお経が書かれている。

そのお経に共通する主な内容は生前(生きている間)において人間や動物達等の生き物の屠殺、殺生を行った者がその死後においてその屠殺、殺生を行った罪業の報いにより非常に長い年月の間地獄において獄卒、いわゆる地獄の鬼達により責め立てられ、苦しめられる世界に赴き、多くの様々な激しい苦しみを受け、その地獄より出てきた後にもその屠殺や殺生の余罪により様々な生き物達(カラス 狂暴な犬 キツネ ワシ等)に内臓をついばまれ食われその激痛に苦しみ泣き叫んでいる様子が書かれている。

仏教のお経、阿含経の中の「好戦経」というお経にも共通する内容が説かれている。

その内容は、戦争を好み、刀等の武器によって人々を悩まし、苦しめ、傷つけ、殺したりした者が死後その罪の報いにより膨大な期間、地獄に落ち、激烈な痛み、猛烈な苦しみに遭遇し、すすり泣き、号泣している悲惨な状況の姿が説かれている。

又「堕胎経」というお経もある。

そのお経の内容は胎児を中絶堕胎殺害した者、又させた者(男女を問わず)が死後その堕胎した又させた罪の報いにより膨大な期間、地獄で苦しんでいる状況が説かれている。

「好戦経」 「堕胎経」は「国訳一切経 印度撰述部 阿含部二 大東出版社」の中の雑阿含経 第十九に又「大正新脩大蔵経 第二巻 阿含部下 大蔵出版」の中の雑阿含経 第十九の中に説かれている。

「好戦経」「堕胎経」を一般の方々に対し非常に分かり易く解説した書籍に「間脳思考 桐山靖雄著 平河出版」という書籍がある。

そのお経の概要として、釈尊の高弟の目連尊者がある日、托鉢中に鷲 烏 飢えた犬等の姿をした霊的な生き物にその内臓を食いつばまれ、すすり泣き苦しんでいる奇怪な姿をした霊体を見た。

目連尊者はその奇怪な姿をした霊的な生き物について托鉢から帰った後に釈尊に尋ねると釈尊はこう説かれた。

「目連尊者のように正しい修行を行い正しい修行により高度な修行の境地に到達するとこのような存在を見る事が出来る。

また、その奇怪な姿をした霊体は生前(生きている間)において殺戮を行っていた者で死後その殺戮を行った罪の報いにより地獄に生まれ巨大な年数の間 様々な大きな苦しみ激痛を受け、更に地獄における巨大な年数の間の多くの苦しみ激痛が終わってもなおその殺戮を行った余罪にて 鷲 烏 飢えた犬等の霊的な生き物達にその内臓を食いつばまれ、すすり泣き、泣き叫んで苦しんでいる。

また、我(釈尊)もまたこの衆生(霊体)を見る」という内容の事が説かれている。

さらにまた、パーリ仏典サンユッタ・二カーヤにおいて仏陀は盗みと貧困や富貴について次のようにお説きになられている。

「この世でもの惜しみをし、吝嗇(りんしょく)、ケチで乞う者をののしり退け他人が与えようとするのを妨げる人々、かれらは地獄、畜生の胎内、閻魔の世界に生まれる、もし人間に生まれても貧窮貧乏の家に生まれる。

そこでは衣服、食物、快楽、遊戯を得る事が難しい。愚かな者達はそれを来世で得ようと望むがかれらはそれが得られない。現世ではこの報いがあり死後には悪いところに落ちる。

この世において人たる身を得て気前よく分かち与え、物惜しみをしない人々がブッダの真理の教えとに対し信仰心があり、修行者の集いに対して熱烈な尊敬心をもっているならばかれらは天界に生まれてそこで輝く。もし人間の状態になっても富裕な家に生まれる。

そこでは衣服、食物、快楽、遊戯が労せずして手に入る。他人の蓄えた財物を他化自在天のように喜び楽しむ。現世ではこの報いがあり死後には善いところに生まれる。」

と説かれている。

次に、日本の有名な高僧、真言密教(真言宗)の開祖、弘法大師空海様の晩年の著作「秘密曼陀羅十住心論」において、また、浄土宗に大きな影響を与えたとされる天台宗の高僧、源信様の著作「往生要集」において、その他多くの仏教諸経典において偸盗罪(ちゅうとんざい)、つまり他者(他人)の所有物を盗む事の罪、与えられない物を奪い取る罪、盗み、窃盗行為の報いについて説かれている。

 真言宗開祖 弘法大師空海(西暦774年~835年)

 現代において典型的な盗みの罪として振り込め詐欺、オレオレ詐欺、架空請求詐欺、ワンクリック詐欺、ひったくり、ぼったくり、いかさま、スリ、着服、横領、不正請求、ペーパー商法、悪徳商法、金融犯罪、強盗、強奪、置き引き、持ち逃げ等のような悪事、悪業を犯すと未来、死後、来世においてその悪事、悪業の罪の報いとして地獄界、鉄窟地獄(てつくつじごく)、寒氷地獄、畜生界の三悪道、三悪趣という大きな悩み苦しみに満ちた残虐、悲惨な境界、人間に生まれるならば撲隷(奴隷)、無幸処(幸せの無い境界)、極貧、貧困等の大きな悩み苦しみ多き境涯に生まれ変わると説かれている。

仏教用語に自業自得(じごうじとく)という言葉がある。

つまり、自分が作った業、すなわち、自分自身が行った善悪の行為の報いは、幾多の生まれ変わり、死に変わりの中、輪廻転生の中で、最終的に自分自身がその行いに応じた報いを受けることになる。と仏典は説いている。

次に「君は誰れの輪廻転生か 桐山靖雄著 平河出版社」という書籍がある。

この書籍の著者である阿含宗の開祖、桐山靖雄猊下は現代における数々の輪廻転生の実例を紹介し、また、脳生理学の知識を駆使し、科学的見地から見た解説がされている。

               阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(西暦1921年~2016年)

 阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(西暦1921年~2016年)

特に、脳神経外科、脳科学の世界的権威、ペンフィールド博士が科学者の立場から、死後の魂の存在の有無の問題について言及されており、そのペンフィールド博士の見解が紹介されているのが興味深い。

また、この書籍の後半部分において著名な文学者ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の「勝五郎再生記聞」という生まれ変わりについての実話が紹介されている。

この話のなかで前世を記憶していた少年の勝五郎はこう云っている。

「仏様やお坊様に暖かい食べ物を供養し差し上げる事を忘れてはいけません。これは非常に功徳がある行為なんだよ」とある。

また、この書籍の最後の章において死後の世界の状況、斉の広場や三途の川について解説されている。

その中で、「死後の世界に斉の広場という場所があり、そこにある一人の亡者がいた。

その亡者は生前、つまり生きている間に一代で巨万の富を築いた大富豪であった。

その大富豪が晩年に一大発心をし座禅三昧に明け暮れ何がしかの悟りを得たと認められたが、その大富豪は若い時から金のために多くの人を泣かせ苦しめ、かぞえきれないほどの怨恨の念を集め、またその悪行悪業により、死後に断崖絶壁の下を流れる三途の川に流され、恐ろしい地獄に吸い込まれていった」という内容が書かれている。

   死後、三途の川に流されていく亡者の姿






観音様や先祖供養による神秘的な救いの体験談についての話

駆け込み寺という言葉がある。

悩み苦しみ、どうにも困って、耐え切れなくなった際、自分自身を助け、受け入れてくれる場所の事を表す。

さて、世の中には様々な悩み苦しみを抱える多くの人々、多くの生き物達が存在するが、その悩み苦しみから人々、生き物達を救い助けるという誓願、誓いを立てておられる様々な仏様、菩薩様、明王様、仏教に帰依した天部の神様が存在します。
そのなかに観世音菩薩という菩薩様がおられます。

法華経の第二十五章に妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈、略して観音経、普門品というお経に観世音菩薩のお力をほめたたえたお経があります。

観音経は日本において昔から多くの人々の間で信仰されてきたお経であり、そのお経には観世音菩薩様の他者救済力としての大神変力、念彼観音力、観音様の力を念じる事による救いが説かれています。

日本において昔から現在に至るまで観音信仰は盛んであり、その信仰は特に霊験あらたかであったせいもあり、多くの人々の間で弘まり、観音霊場への巡拜巡礼信仰も現在に至るまで盛んであります。

日本における観音霊場で特に有名な霊場として奈良県の長谷寺、京都の清水寺、東京の浅草寺などがあります。

また観音様は阿弥陀如来様の脇持でもあり、多くの観音様のご尊像の額や頭上に化仏とされる小さな阿弥陀如来像が立像または座像で鎮座しておられます。

観音様と関係が深いお経に延命十句観音経というお経があります。

このお経について、江戸時代、禅宗の一つの臨済宗の中興の祖と称えられた白隠禅師自身が書かれた八重葎(やえむぐら)という書物に観音様に救われた体験記が書かれている。

その救いの体験記が次のように書かれている。

「昔、ある男がいた。ところがある日処刑される事になった。

そして処刑前夜その男の夢に僧侶が現れ

「延命十句経を千返唱えると命は助かる」と夢で教えられ明け方までこのお経を千編唱えた。

ところが同じ処刑前夜に別のある男の夢に観音様が現れ

「この処刑を中止しなさい。そうすれば立派な徳行になるでしょう。さもなくば大災厄がふりかかるであろう」というお告げを聞いた。

またその他の処刑実行者も同じような夢を見た人がおり処刑を中止した」という話がある。

延命十句経に関する霊験談がこの本では他にも書かれていて興味深い。

延命十句観音経は次のようにお唱えする。

延命十句観音経(えんめいじゅっくかんのんきょう)

「観世音(かんぜおん)

南無仏(なむぶつ)

与仏有因(よぶつういん)

与仏有縁(よぶつうえん)

仏法僧縁(ぶっぽうそうえん)

常楽我浄(じょうらくがじょう)

朝念観世音(ちょうねんかんぜおん)

暮念観世音(ぼねんかんぜおん)

念々従心起(ねんねんじゅうしんき)

念々不離心(ねんねんふりしん)」

とお唱えし致します。

  臨済宗 中興の祖 白隠禅師(西暦1685年~1768年)

次に、十一面観世音菩薩様をご本尊として護摩修法をし、霊験を得た話がある。

その話とは、1996年6月モンゴルにおいて十一面観世音菩薩様をご本尊としたモンゴル国十一面観音菩薩開眼法要 世界平和祈願護摩法要が厳修された。

この年のモンゴルは大旱魃で雨がほとんど降らず山火事がモンゴル全土を覆い、百数十箇所以上で燃え広がりその山火事は数ヶ月間燃え続けていた。

さらに、モンゴルは日本の国土面積の4倍近くあり広大な山火事にモンゴル人民は頭を悩ませていた。

日本の仏教教団、阿含宗管長 桐山靖雄師(1921~2016)とその信徒、約400名の方達がモンゴル国のガンダン寺において十一面観世音菩薩様をご本尊とし、モンゴル国の山火事鎮火、世界平和を祈り、護摩法要を勤修した。

その護摩修法後、モンゴル全土において突然大雨が降り出し、数ヶ月間続いていた山火事が数日間で消えてしまった。という。

日本の4倍もの広大な面積を持つモンゴル、1996年2月下旬から、そのモンゴル全土200ヶ所以上の山火事に多くのモンゴルの方々が苦しんでいた。このモンゴルの山火事で日本の北海道と四国を合わせた程の極めて広大な面積のモンゴルの山林、草原が焼失した。

日本の4倍もの広大な面積を持つモンゴル、1996年2月下旬から、そのモンゴル全土200ヶ所以上の山火事に多くのモンゴルの方々が苦しんでいた。このモンゴルの山火事で日本の北海道と四国を合わせた程の極めて広大なモンゴルの山林、草原が焼失した。

1996年6月5日、モンゴル国ガンダン寺においてモンゴル国十一面観音開眼法要、世界平和祈願護摩法要を修せられる阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下。

1996年6月5日、モンゴル国ガンダン寺においてモンゴル国十一面観音開眼法要、世界平和祈願護摩法要を修せられる阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下。

1996年6月5日、モンゴル国ガンダン寺においてモンゴル国十一面観音開眼法要、世界平和祈願護摩法要を修せられる阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下。

1996年6月5日、モンゴル国ガンダン寺においてモンゴル国十一面観音開眼法要、世界平和祈願護摩法要を修せられる阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下。

1996年6月3日、モンゴル全土で数ヶ月間続いている広大な面積の山火事で、北海道と四国を合わせた程の極めて広大な面積のモンゴルの山林、草原が焼失し、まさにモンゴルは国家的な危機状況の中、阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下がモンゴルのジャスライ首相に対し、「明後日のガンダン寺での法要の際、観世音菩薩様に雨が降るようにお祈りします。観世音菩薩様は必ず雨を降らせて下さります。必ず雨が降ります。」と祈りによって雨を降らす事を約束。

そして、モンゴル国ガンダン寺での護摩修法当日未明、ウランバートル市全域に一大雷鳴がとどろき、全市民を驚愕させた。同時に、豪雨が大地を叩き、全市民を歓喜させた。待望の雨の第一陣であった。

さらに、護摩修法後、桐山靖雄大僧正猊下は参拝者の方々の前で、十一面観世音菩薩様がこのように雨を降らせて下さったと語り、十一面観世音菩薩様の偉大なる神通力、お力を称賛された。

その護摩修法後、モンゴル全土ですさまじい雨が降った。

また、モンゴルの文化大臣がこの状況を目の当たりに見、「祈りの力がいかに偉大なものであるかを目のあたりに見て、心から驚嘆しました。」と述べた事を当時の現地の新聞記事が伝えた。

最終的に1ヶ月間は消えないであろうとされていたモンゴル全土の山火事が護摩修法後、モンゴル全土の大雨により6月5日から5日後の6月10日に山火事は完全鎮火した。

モンゴル国 ガンダン寺 モンゴル国立十一面観音世音菩薩像

モンゴル国 ガンダン寺 モンゴル国立十一面観音世音菩薩タンカ

モンゴルの森林火災の完全鎮火を知らせる新聞記事(1996年6月)

次に、先祖供養について阿含宗の桐山靖雄師は自身の著書「守護霊が持てる冥徳供養」の中で先祖供養の重要性について次のように説かれている。

「昔から、運が悪くなってどうしょうもなくなったら、先祖のお墓におまいりして、一心に先祖の助けをお願いせよ、必ず運がひらく。

という言い伝えがある。

仕事が行き詰まって、ニッチもサッチもいかない。

いろいろともめごとやトラブルが続出して、手におえない。

病人やケガ人の絶えまがない。

等々、どうにも手のうちようがないようなとき、先祖の助けを借りろ、というわけである。

たしかに、この言い伝えは本当のようである。

多くの例を見ているが、カベにつきあたってどうしょうもなかった人が先祖のお墓まいりをして、一心に供養をし、お願いすると、少しずつ運が良くなって、しだいに運がひらいていくそういう例を私は多く見ている。

いったいどうしたら、行き詰まった事態を打開することができるか、どうにも指導のしようもない人に対して、最後のアドバイスが先祖供養である。

「お墓まいりをして、一心に祈りなさい」

それしかいいようがない人が少なからずいる。

それをすなおに実行した人は、必ず、といっていいほど、しだいに運がひらいてゆく。

そういう例を、わたくしはかず多く見ているのである。」とある。

また、桐山靖雄師は自身の著書「霊障を解く 家運をよくする正しい先祖のまつりかた その②」という書籍のまえがきでも先祖供養の大切さを次のように説かれている。

「運が悪く、まさに苦の連続ともいうべき人々の人生を目にし耳にするたび、またその苦の連続ともいえる人々の様々な相談を受けるたび、なにかいっぺんに運をよくする方法はないものかと長年の間、考えに考え、無数の実例を徴してみて、最後にこれなら誰にでも比較的容易に実践できる運をよくする方法を発見した。

その方法とは

「先祖のお霊をねんごろにおまつりする事。

つまり先祖供養である。

先祖の霊をおまつりすることにより、今までなにをしても運が悪く、悪いこと続きであった人が先祖の御霊をねんごろに供養をすると不思議に運がよくなってくるのである。

子供に関する悩みも水子の御霊を供養すると好転してくる」と説いている。

さて、その桐山師が若い頃人生の苦悩の末自殺をしようとした事があるそうだ。

そこから救われた体験談が「般若心経瞑想法」や「さあやるぞかならず勝つ⑩」という書籍に書かれている。

その書籍によると事業の失敗による莫大な借金と結核の再発に見舞われた事により前途を悲観し自殺を決意し自殺を決行しようとした直前,偶然目にした小経本で自殺を思いとどまり生きる事を決意した経緯が記されている。

その小教本には般若心経や準提観音経そして延命十句観音経等のお経が書かれており準提観音経には

「寂静にして心常に誦すれば一切諸々の大難能く是の人を侵すこと無し」という文言が書かれていた。

桐山管長はこのお経を信じ準提観世音菩薩様のご真言

「のうばさったなん さんみゃくさんぼだくち なんたにゃた おんしゃれい しゅれい じゅんてい そわか」 を何回も何回も毎日唱えていたそうです。

          準提観世音菩薩

多い時には一日千回ちかくも唱えていたそうです。

そうするとだんだん自身の運気が変わっていき運勢や環境が 良くなっていき自殺する必要がなくなっていったそうです。

その桐山師が書かれた書籍「般若心経瞑想法 桐山靖雄著 平河出版社」のなかで真言、マントラについて次のように説かれている。

「玄奘三蔵訳の般若心経は頭で考えて作った経典ではなく霊感によってほとばしり出た経典であり、ぱぁっと霊感によって出てきた文言をそのまま、文字にして放り出したという感じである。

ことに、さいごに突然、出てきている呪(マントラ)などをみると、強くそういう感じがする。

この経典は経典というより、全体がマントラではないかと思うのである。

この経典作者は観音信仰者だったのではなかろうか?」と解説されておられる。

更にマントラの力と題して真言、陀羅尼について以下のように解説されている。

「マントラ、ダラニは一心に、ただひたすらに、一心にとなえることによって偉大な力をさずけてくれるのである。

マントラ、ダラニに理くつはない。

人間の子賢(こざか)しい知慧を越えた不思議な力がある。

神秘としかいいようがない奇跡を起こす力がある。

ただ一心に心をこめて祈り、誦すればよいのだ。

あなたもそのようにして偉大な功徳をいただいてほしい。」

と解説されている。

阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(西暦1921年~2016年)

 

真言には準提陀羅尼、つまり、準提観世音菩薩様のご真言があるが、その真言を読誦 唱える事)の功能(功徳 ご利益)として密教大辞典(法蔵館刊)という書籍に次のように書かれている。

「準提陀羅尼経によれば薄福無善根(福徳が薄い)の衆生(生き物)もこの陀羅尼(準提陀羅尼)を誦すれば(唱えれば)菩提分(さとり 等正覚 完全解脱成仏)の根芽(種子 基礎)を生じ決定して菩提(さとり、等正覚、完全解脱成仏)を成就せん(出来る)と云い、

その他、聡明、勝諍論、夫婦敬愛、他人敬愛(他人から愛される)、求児、延命、治病、滅罪、降雨、脱禁鎖等を祈ると験(効験)を得。悪鬼悪賊の難を逃れる事(が出来る)を説く。後略」とある。

この真言の霊験について、真言密教伝持八祖の内の第五祖 インドの高僧、善無畏三蔵の伝記に次のように書かれている。

 

真言密教伝持八祖の内の第五祖 インドの高僧、善無畏三蔵(西暦637年~735年)

「商人と善無畏三蔵が航海中、船上において商人が盗賊に襲われた際に善無畏三蔵が準提呪の黙誦をすると準提観世音菩薩様が全身のお姿を現され商人を盗賊の難から救った。」とある。

その準提観世音菩薩様は密教の仏様であり別名準提如来ともお呼び致します。

              準提観世音菩薩

密教の流派では如来部に属すると主張したりまた別の流派では観音部に属すると主張したりして解釈が分かれています。

この仏様の密教での呼び名つまり密号は最勝金剛ともお呼び致します。

最勝金剛とは最も優れた仏という意味であります。

この仏様は別名七倶提仏母ともお呼び致します。

七倶提とは七億または七千万という意味で、つまり無量無数を意味し、仏母とは仏の母という意味、つまり、無量無数の仏の母という意味です。

「密教大辞典 法蔵館刊」によると

「過去無量の諸仏の母たる清浄陀羅尼を司る尊を七倶提仏母と名ずく」

準提とは梵語のチュンディの音写で意味は清浄という意味でありこのご真言は清浄陀羅尼ともいわれます。

このご真言から過去無量無数の仏様が生まれたと伝えられています。

しかし、世間一般では、観音様は身に見えない存在であるから信じられないという人が多くいる。

真言密教の開祖、弘法大師空海様は自身の著作「弁顕密二教論」の中において「仏様の説法には法身説法という種類の説法がある」と説かれています。

法身説法とは密教でいう真理そのものとしての仏、大日如来、最高位の仏様がなされる説法の事。

空海様はその「弁顕密二教論」の中においてインドの高僧、龍樹菩薩様の著した著作「大智度論」巻九を引用し法身説法についてこう解説されている。インドの高僧、大乗仏教の祖、龍樹菩薩(西暦2世紀頃~3世紀頃)

「法身の仏は常に光明を放って説法をしているが罪業が深く、罪が重い衆生(生き物)はその罪の重さ, 業の深さが原因で(つまり過去の無量無数というべき多くの生まれ変わり、死に変わりにおいてなしてきた多くの罪、過去における無量無数の輪廻転生の中でなしてきた多くの罪障罪業が原因で)法身の仏の姿が見えず、法身の仏の説法も聞こえず、その説法の内容も理解出来ない。

その一方、罪業罪障が比較的軽い衆生(生き物)は法身の仏の姿が見え、法身の説法が聞こえ、またその説法の内容も理解出来る。」

と説かれている。

その弘法大師空海様が唐(昔の中国の国名)へ渡り、留学し密教を学びその帰国の際の航海中、暴風で荒れ狂う波が船に襲い掛かろうとした時、突如として洋上に巨大な不動明王が現れ不動明王の持つ宝剣が荒波を切り裂き、空海様の乗った船を無事日本に帰国出来るよう助けたと伝えられています。

 

 唐の国に密教を学ぶ為、海を渡る若き日の弘法大師空海(西暦774年~835年)

(※昔の航海術は現代と違い未熟で船の遭難や沈没が非常に多く海外への航海は命がけであった)

この時の不動明王は波切不動明王とされています。

弘法大師空海様の唐の国への航海を無事に到着するよう出現され助けたとされている湧現観音

弘法大師空海様が日本から唐の国に無事に船で到着するよう出現され航海を助けたとされている湧現観音

弘法大師空海様が船で唐の国から日本に帰国する航海の旅の途上、激しい暴風雨が吹き荒れ、船が荒波にさらわれそうになった時、突如として洋上に巨大な不動明王が出現され、襲い掛かる荒波を不動明王が持つ剣で切り裂いたと伝えられている。その時に出現された不動明王は波切不動明王として高野山に祀られている。

 

次に、書籍「観音開運法 小田隆弘著 密門会出版部」の中の「観音様に祈る姿に異国の人が思わずうたれた。」という章の中で、著者の小田隆弘 大阿闍梨が、次のような実話を紹介されている。

「日頃の感謝の心をもって生活する人は、けっして自分の利益や得だけにこだわらない人でもある。言い換えれば、他人の為に苦労することもいとわない。「犠牲心」を持ち合わせているのだが、最後に犠牲心についてお話したい。

昭和二十年八月の末のことである。現在、ある都立商業高校の教諭をしているHさんは、父母といっしょに、南朝鮮のある村を海へ、そして日本を目指して歩いていた。

三人ともリュックを背負い、両手に荷物を持っていた。

当時の朝鮮における対日感情は最悪だった。それまで日本が朝鮮を苦しめてきた報いともいえるが、落ちのびる途中で金品を奪われるなどまだいいほうで、下手をすれば命が危なかった時代である。

Hさん一家は、現金や装飾品をバラまくようにして食糧に変え、かろうじて海のそばまでやってきたのだ。

 一面の平地、と思ったのは錯覚だった。夫と子から一歩先を歩いていたHさんの母は、上が草でおおわれた底なし沼にはまり込んでしまった。

 あわてたHさんが母親のそばに行こうとするのを父が押しとどめ、自分が妻に飛びついた。しかし、「母が父にしがみついたので二人とも沈みはじめたのです。」とHさんはいう。

 もともと、村人の目を避ける道をたどってきたので、あたりにはだれもいない。棒きれも落ちていなかった。たとえ、竹竿があったところで、七歳の少年の力では引き上げることはかなわなかったであろう。

 沈んでいく父と母は、自分たちが助からないと悟ったとき、「一生懸命、観音さまに祈りなさい」とだけ言ったという。H少年は泣きながら手を合わせ、一心に祈った。

 父と母が首のところまで沈んだとき、たまたま韓国人の農夫が二人通りかかったという。少年が祈る姿に二人はうたれた。そして、その農夫たちに父と母は助けられたのである。

二人を引きずり上げたとき、韓国人はいったそうであある。

「ほんとうなら、日本人なんてみんな死んだほうがいいんだ。でも、この子が祈っていたから」と。

 中学生になったとき、H少年は「お父さんとお母さんはもとからの観音信者なのか」と聞いたという。答えは否であった。沈んでいくとき、とっさに思いついたのだという。

「そんなわけで、父と母はいまだに僕に頭が上がらんのですよ」Hさんは会う人ごとに人に話すそうだ。彼の父母が、日本に帰ってから熱心な観音信者になったのはいうまでもない。

 あのときHさんの父は、子どものために、とっさに犠牲になったのであろう。この犠牲心こそ、慈悲の心のあらわれにほかならず、それがまたHさん親子を助けてくれたのである。」