仏教用語、福田(ふくでん)と布施(ふせ)についての話

仏教の教え、おしゃかさまの教えの中に、田んぼや畑(はたけ)に種子(しゅし)を撒(ま)くと実が成り、収穫があるように、仏,僧,父母,貧窮者などに布施をすると,未来に功徳が得られ、その布施する対象、いわゆる、福田という事を教えている。

書籍「国訳一切経 印度撰述部 経集部 第十四巻 大東出版社」参照。

書籍「国訳一切経 印度撰述部 経集部 第十四巻 大東出版社」

ふくでん【福田】 とは仏教用語であり、福徳を生み出す田地の意味である。

また、おしゃかさまは分かち与えることについても次のように説かれている。

「善い人々は僅(わず)かであっても、正しく、わかち与えるならば、多くの人々に勝つ。

ただ物をくれてやることが勝つのではない。

たとい、僅(わず)かなものであっても、信仰心をもって与えるならば、この人は来世において安楽となる。

分かち与えることと戦闘とは相等しいと人々は言う。

これらの美徳は悪人には存在しない。

人々にわかち与える時は、戦闘の時のごとくである。

その原因をまとめて言うならば(いずれも他と)等しいであろう。

執着する心がなくて施しを与える人は、幾百の障害に打ち勝って、敵である物惜しみを圧倒して勇士よりもさらに勇士であると、われは語る。

福徳の果報が熟するのは楽しい。 希望する事が成就する。

そうしてその人は速やかに最高のやすらぎ、覆いの解きほぐされた(解脱)の状態におもむく。

福徳を積んだ人に対しては、悪魔の身をとった神々も、他から害をなすことも、障りをなすこともできないであろう。」

書籍「ブッダの真理のことば 感興のことば 中村元訳 岩波文庫」269ページ~270ページ引用。

「世に母を敬うことは楽し。また父を敬うことは楽し。」

「母あるいは父を法によりて養う人あらば父母に仕えるそのことを以って、この世にてはもろもろの賢者がかれを賞賛す。

また死後(その功徳により)、かれは天界にて楽しむ。」

「母と父とは梵天ともいわれ先師ともいわれる。

子らの供養すべきものにして、また子孫を愛する者なり。

されば実に賢者は飲食と衣服と床と塗身と沐浴と洗足とを以って父母に敬礼し尊敬せよ。」

「されば正しき善人は、恩を感じて恩を知り、昔の恩を思い起こして母と父を扶養す。

昔、恩を受けたるが如くにかれら(父母)に対して義務を果たす。

教えを護り、扶養して、家系を断たず、信仰あり、戒を保つ子は賞賛せらるべきなり。」

「われらは両親に養われたならば、かれらを養うべし。

かれらの為に為すべきことを為すべし。

家系を存続すべし。

財産相続を為すべし。

また祖霊に対して適当なる時々に供物を捧ぐべし。」

パーリ仏典や漢訳仏典 雑阿含経においてブッダ釈尊はこうも説かれている。

1、母と父を養う人、父母を供養する。

2、家においては年長者を敬う人。家の尊重に供養する。

3、やさしい心の通う会話をなす人。柔和で優しい謙遜の言葉、態度をする。

4、そしる言葉を捨てた人。荒々しい言葉を離れる。

5、もの惜しみを除くのに努めている人。ケチな心をやめる。

6、真実なる人(真実の言葉を言う 嘘はつかない)。

7、怒りに打ち勝った人(怒りが起きても怒り心をすぐに取り除く人。

こういう立派な人々は来世(死後)に三十三天に生まれる事が出来る。と。

   書籍「国訳一切経 印度撰述部 阿含部三 大東出版社」参照。

つぎに、仏教経典 パーリ相応部経典(サンユッタ・二カーヤ)のお経において父母を養っているバラモンが尊師(仏陀釈尊)に次のように質問をした。

「ゴータマ(仏陀釈尊)さま。

わたくしは、きまりにしたがって食を求めます。

きまりにしたがって托鉢(たくはつ)して食を求めて、両親を養っています。

わたくしは、このようにしていますが、なすべきつとめを果たしているのでしょうか。」

尊師(仏陀釈尊)は次のように言った。

「バラモンよ。たしかに、そなたは、このようにして、なすべきつとめを果たしているのです。

きまりにしたがって食を求め きまりにしたがって食を求めて両親を養っている人は、多くの功徳を生じます。

母または父を、ことわりにしたがって養う人は、両親に対するその奉仕によって、この世では。賢者がかれを称賛し、死後には天にあって楽しむ。」

その言葉を聞きバラモンは次のように言った。

「すばらしいことです。

ゴータマさま。

すばらしいことです。

ゴータマさま。

ゴータマさま、私を在俗(在家)信者として受け入れて下さい。

今日以後、命ある限り貴方様に帰依致します。」と。

また、ブッダは布施する内容は様々な種類があるとして、布施について次のように説かれている。

仏陀は神々から布施について次のように問われた。

「何を与えて力を与えるのか

何を与えて美貌を与えるのか

何を与えて安楽を与えるのか

何を与えて目を与えるのか

何を与えて総てを与えるのか」

という神々からの質問に

ブッダは次のように説かれている。

「食物を与えて力を与え、

衣を与えて美貌を与え、

乗り物を与えて安楽を与え、

燈明を与えて目(視力)を与え、

住居を与えるところの人は総てを与えるなり。

法(仏教)を教える人は不死を与える人なり」と説かれている。


書籍「南伝大蔵経 第十二巻 相応部経典一 大蔵出版社」参照。

書籍「南伝大蔵経 第十二巻 相応部経典一 大蔵出版社」参照。

また、ブッダは功徳と来世について次のように説かれている。
「生きとし生ける者どもは(寿命が尽きて)いつかは(必ず)死ぬであろう。
生命はいずれ死に至る。
かれらは死後に自己の作った業に従って各所に赴いてそれぞれ善悪の報いを受けるであろう。
悪い行いをした人々は死後において地獄に生まれ赴き、
善い行いをした人々は(死後)善いところに生まれ赴くであろう。
その為に来世の幸福、平和、安楽の為に現世で善い事をして功徳を積まなければ
ならない。
人々が作ったその功徳はあの世で人々のよりどころとなる。」

 

仏教経典(雑阿含経)(パーリ仏典サンユッタ 二カーヤ)参照。