仏教篤信者の夢の神秘体験

インドの古代奥義書、ウパニシャッドの中に「深い睡眠と真実の自己はつながっている。」という言葉がある。

確かに、思い起こせば、篤信の仏教信仰者、いわゆる信心深い仏教信仰者にある種の夢の啓示を受けた方が何人かおられる。

たとえば、真言宗の開祖、弘法大師空海は若い頃の修行時代、夢の中に毘盧遮那仏が現れ、「汝の求めているお経は久米寺の東塔の下にある。」と教えられ、久米寺に行くと空海の求めていたお経、大日経、いわゆる大毘盧遮那神変加持経を発見したという話がある。

 奈良 東大寺 毘盧遮那仏像

  真言密教開祖 弘法大師空海

また、弘法大師空海が求法の為、密教の奥義を求め、唐(今の中国)に渡り、唐の大阿闍梨、いわゆる密教の専門家、密教の大導師、密教の大家である恵果和尚に会った。

 遣唐使船に乗船する弘法大師空海

そして、恵果和尚は空海を一目見、言葉を交わすごとに、恵果和尚は空海の持つ天性のずば抜けた学問、識見、才能、仏性、人格、仏器、なによりも密教の師匠としての器の非凡さ、凄さに大変惚れ込み、今まで恵果和尚の高弟たちにさえも金剛界法、胎蔵界法の両部の大法は授けることはなかったが弘法大師空海に対しては特別に両部の大法を惜しげもなく授けた。

恵果は空海に対し、恵果のお弟子、3000人以上いる弟子の中の特に優れた弟子、いわゆる高弟以上の処遇対応、指導教化をした。

そして、インドから中国へと代々続く密教の祖師の系譜があり、恵果和尚はその七代目であり、弘法大師空海を恵果に次ぐ真言密教の第八代目の祖師に指名、任命した。

そして空海に遍照金剛(へんじょうこんごう)という称号を授けた。

遍照金剛とは大日如来を意味する。

それを見た恵果和尚の高弟の珍賀が恵果和尚に対し強く抗議し、

「たかだか三ケ月程前に突然現れた異国の僧に対して、これほどまでに破格の厚遇、指導をするのは、おかしいのではないか?」と恵果和尚をたしなめた。

しかし、その夜、珍賀の夢の中に仏教の外護神、四天王たちが現れ、夢の中で珍賀は仏教の外護神の四天王たちに囲まれ、凄い叱責を受け、殴られ、蹴られたりする夢を見た。

翌朝、目覚めた珍賀は弘法大師空海に対し今までの非礼を詫び、恵果和尚の考えに間違いは無いと考えを改め、他の門下生にも恵果和尚の考えに間違いがないことを説きまわったとされている。

恵果和尚は空海に対し、全ての密教の大法秘法を授け、空海に対し、早く日本に帰り、日本にこの密教の秘法を広く弘め、民衆を益するよう空海に託した。

次の夢に関する話として、霊友会4代目の会長の大形市太郎氏は昭和20年8月に原子爆弾の被害を受け、その原子爆弾の熱線で全身大やけどをしたが、ある夜、信心深い市太郎氏の母親の夢の中に先祖が現れ、「おまえの息子の大やけどは私が教える場所の薬屋で私が教える薬を買い、その薬を全身に塗ればきれいに治る。」といわれた。

母親は市太郎氏にその話をして市太郎氏は「原爆で跡形もないであろう。」と思いながらも母が夢の中で見た先祖が言われた通りの道を行くと不思議にもその薬屋は原爆で破壊されていなかった。

そして、市太郎氏はその薬屋で先祖が言われた通りの薬を買い、母親にやけどをした全身の皮膚にその薬を塗ってもらった。

のちに、市太郎氏の友人たちは病院で治療を受けたが原爆のケロイドは残った。

しかし、市太郎氏にはケロイドは残らなかったという。

そのことが契機となり無宗教、無信心、無信仰者であった市太郎氏は「信仰の力、目に見えない力というものは確かにあるんだ。」と考え、その信心深い母親にお経の読み方を一から教えて欲しいと頼んだ。という。

(雑誌 一個人 仏教を愉しむ旅 2005年 No.56  KKベストセラーズ参照)

次の夢に関する話として、瑜伽師地論という論書は仏教の百科全書ともいわれている大部の論書であるが、昔、インドにおいてその瑜伽師地論を修めたインドの戒賢という僧侶がいた。

戒賢はある時期から重い病に伏し、苦しみのあまり食を断って死を覚悟する状態であった。

ある夜、病に伏す戒賢は夢の中に文殊菩薩、弥勒菩薩、観音菩薩、3人の菩薩が現れ、戒賢にこう言った。

「3年後に中国から一人の青年が瑜伽師地論を学びにこの寺にやってくる。その青年に汝の修めた瑜伽師地論を教え導くと誓うならば汝の病は速やかに癒えるであろう。」

と言われた。

戒賢は「そのようにします。」と答えると3人の菩薩は姿を消し、戒賢は目を覚ました。

そして、しばらくすると戒賢の重い病も次第に悉く癒えてしまった。

そして、戒賢がその夢を見た3年後にこの寺にやってきた青年が玄奘三蔵法師であったという。

 玄奘三蔵法師

その玄奘三蔵が戒賢から瑜伽師地論を学び、また、大般若経600巻という大部のお経も中国に持ち帰り、中国において梵語(インドの言語)から漢語(中国の言語)に翻訳する作業をしていた時、大般若経の翻訳量があまりにも膨大過ぎ、かつ、同じ文言の繰り返しが非常に多いので、繰り返しの箇所は省略して翻訳するように決めた。

しかし、そのように決めたその夜、玄奘三蔵は虎に襲われる夢や崖から突き落とされる夢を見たりし、物凄い恐ろしい思いをし、翌朝目を覚ました。

玄奘三蔵は、これは「翻訳は一切省略せずに全てを翻訳しろ!」という御仏の意思に違いないと考え、翌朝、同じ文章が重複するところも一切、省略せずに翻訳しようとした。

そのように全て省略せずに全翻訳を心に決めたその夜、玄奘三蔵は天国のような、まるで極楽浄土にいるかのような快楽に溢れた誠に心地のよい夢を見た。

翌朝、目覚めた玄奘三蔵は大般若経は一切省略せずに訳すことが御仏の意思であると確信し、大般若経600巻を全て省略せずに全翻訳することにした。

そして数年の歳月をかけ、玄奘三蔵は600巻もある大部の大般若経の完全翻訳を完遂したのであった。

さて、次の仏教信仰者と夢に関する話として、浄土真宗の開祖である親鸞聖人も京都にある観音ゆかりのお寺、頂法寺の六角堂に長期間、籠もり95日目に夢の中に観音様が現れ観音様からお告げを得たと言われている。

さて、次は夢の話ではなく、座禅中の神秘体験の話であるが、天台密教の智証大師円珍は座禅中、目の前に忽然と金人が現れ、自分の姿を描いて懇ろに帰仰するよう勧め、帰依するならば汝を守護する。と言った。

   天台密教 智証大師円珍

円珍が何者であるのかと問うと、

金人は「自分は金色不動明王で、和尚を愛するがゆえに常にその身を守っている。」答えた。

さらに、その金色不動明王は次のように言った。

 黄不動明王

「仏法の真髄を伝える汝を守護するために示現するものなり。

仏の教えを究めて迷える衆生を導くべし。」と。

その姿は魁偉奇妙、威光熾盛で手に刀剣をとり、足は虚空を踏んでいた。

円珍はこの体験が印象に残ったので、その姿を画工に銘じて写させたという。

参考文献


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