釈尊自身の何代も前の前々々世、はるか大昔、釈尊の過去世においてスメーダ(善慧)という名前の人間であった時、スメーダは燃灯仏(ねんとうぶつ、ディーパンカラ)に対する心からの尊敬心と憧憬心から泥道を歩こうとしている燃灯仏が少しでも足が汚れないよう、スメーダ自身の結んでいた髪を解きほどき、泥の上に体をうつぶせにして自らの長い髪を投げ出し「私の背中を踏んでいって下さい。」と言い、燃灯仏(ディーパンカラ)を心から拝んでいる姿が見てとれる。
そして、燃灯仏(ディーパンカラ)はそのスメーダの心の中を読み取りスメーダに「遠い将来、あなたは必ずブッダになる。」と予言されたとされる。
これが、いわゆる、燃灯仏授記本生図の話である。
また、この釈尊のはるか遠い前世のスメーダが燃灯仏に対して行った全身をかけた礼拝が、今現在、チベットで盛んに行われている仏様への礼拝、いわゆる五体投地に似ており、五体投地の原点のように私自身、その思えてならない。
過去現在因果経 参照。
書籍「国訳一切経 印度撰述部 本縁部四 大東出版社」参照。
インドで釈迦として人間に生まれ変わる直前、
兜率天で修行する釈迦の前世の姿。
釈迦の直前の前世は兜率天の善慧菩薩。
託胎霊夢
マーヤ夫人の釈尊懐妊 釈尊降誕像
マーヤ夫人の釈尊降誕
釈尊の降誕(チベット仏画)
釈尊の実母 マーヤ夫人
産まれたばかりの釈尊の体に産湯をかける従者たち
産まれたばかりの釈尊の将来をアシタ仙人が王宮に来て占い、
釈尊が将来、王の地位を継承するならば転輪聖王になり、また、
出家をすれば世界を救うブッダになります。と予言した。
青年時代の釈尊
仙人を訪ねる釈尊
禅定の達人であるアーラーラ・カーラーマの
弟子になる釈尊
釈尊苦行像
断食修行を終え、新たな瞑想修行を始める
為、体力、気力を付けるため、スジャータという娘から
乳粥の供養を受ける釈尊
瞑想中の釈迦が悟りを開こうとするのを妨害する為
釈迦の元に集まってきた悪魔の群勢。
瞑想中の釈迦が悟りを開こうとするのを妨害する為
釈迦の元に集まってきた悪魔の群勢。
瞑想中の釈迦が悟りを開こうとするのを妨害する為
釈迦の元に集まってきた悪魔の群勢。
釈尊降魔成道仏画(チベット仏教)
過去現在因果経 参照。
書籍「国訳一切経 印度撰述部 本縁部四 大東出版社」参照。
釈尊成道像(インド)
釈尊成道後、ムチャリンダ龍王の護仏
民衆に対して説法するのを躊躇していた釈尊に対し、
説法するよう懇願する梵天
釈尊初転法輪像
火神堂内毒龍調伏
拝火教の指導者、迦葉三兄弟の釈尊への帰依
拝火教の帰仏
ブッダ説法像
ブッダ説法像
ブッダの説法を聞き入る聴衆
在家信者のスダッタ長者が
釈尊に祇園精舎を布施寄進する様子
ブッダに対する供養
ブッダに布施する職人
ブッダに布施する子供
セイロン島(スリランカ)に上陸するブッダ
ブッダ シュラヴァスティの神変
(舎衛城の神変)
ブッダ シュラヴァスティの神変
(舎衛城の神変)
ブッダ シュラヴァスティの神変
(舎衛城の神変)
ブッダ シュラヴァスティの神変
(舎衛城の神変)
ブッダ シュラヴァスティの神変
(舎衛城の神変)
ブッダ シュラヴァスティの神変
(舎衛城の神変)
洞窟内で瞑想するブッダ
涅槃入滅する前の釈尊(チベット仏画)
釈尊涅槃図絵(日本 高野山 金剛峯寺)
釈尊涅槃
釈尊涅槃
釈尊涅槃像(インドネシア アジャンター石窟)
釈尊の遺骨を祀る仏舎利塔(ストゥーパ)を礼拝供養する人々
釈尊の遺骨を祀る仏舎利塔(ストゥーパ)
仏足石(ネパール)
仏足石を礼拝する女性たち
ブッダ釈尊が悟りを開いた地とされているインド ブッダガヤ
ブッダ釈尊が悟りを開いた地とされているインド ブッダガヤ。
釈尊がこの聖菩提樹の木の下で悟りを開いた際、正覚を得た際に
座った地とされている金剛宝座。
チベット仏教 生死輪図(生き物が天界、人間界、修羅界、
畜生界、餓鬼界、地獄界の六つの境涯を輪廻転生、
すなわち、何度も何度も生まれ変わりを
繰り返す様を描いた仏画)(チベット)
チベット仏教 生死輪図(生き物が天界、人間界、修羅界、
畜生界、餓鬼界、地獄界の六つの境涯を輪廻転生、
すなわち、何度も何度も生まれ変わりを
繰り返す様を描いた仏画)(チベット)
熾盛光曼荼羅(しじょうこうまんだら)(天台密教)(日本)
大日如来
薬師如来
準提観世音菩薩
準提観世音菩薩
準提観世音菩薩
地蔵菩薩
弥勒菩薩
如意輪観音
文殊菩薩
不動明王
不動明王
不動明王
降三世明王
降三世明王
閻魔大王
死後の裁判状況
死後の裁判状況
死後の裁判状況
死後、生前に行った悪い行為の一部始終を浄玻璃鏡(じょうはりのかがみ)
で見せられる亡者
獄卒に連行される亡者、その状況を見る、亡者の子供
地獄の獄卒と罪人
地獄の獄卒
地獄絵
地獄絵
地獄絵
地獄絵
地獄絵
地獄の獄卒が罪人たちを苦しめる。
獄卒が罪人の生前の悪行為を浄玻璃鏡で見せる。
地獄の獄卒と罪人
死後の世界において、親がいない孤児、子供たちを救う地蔵菩薩
地蔵菩薩
地蔵菩薩
地蔵菩薩
餓鬼たちに食物を分け与える僧侶たち
飢えに苦しむ餓鬼と対面する仏弟子の阿難尊者
餓鬼界に堕ちていた母に食物を与えるも
罪業が深く、食物を口に入れようとするも
口から火を噴き食べ物が食べられない母を見て号泣する目連尊者
大乗仏教の創始者 龍樹菩薩(チベット仏画)
真言密教伝持八祖の内の第一祖 龍猛菩薩(インド)
真言密教伝持八祖の内の第五祖 善無畏三蔵(インド)
チベット 釈迦牟尼仏像
インドネシア ボロブドゥール遺跡
インドネシア ボロブドゥール遺跡
スリランカ 大仏像
タイ 大仏像
中国 大仏像
中国 大仏像
中国 雲崗の大仏像
玄奘三蔵法師(中国)
求法の為、インドへの旅の途上、
砂漠で遭難し行き倒れになっている
玄奘三蔵法師を助けに現れた深沙大将
日本仏教の祖 聖徳太子
日本仏教の祖 聖徳太子
日本仏教の祖 聖徳太子
法隆寺 夢殿 救世観音像
法隆寺 夢殿 救世観音像
日本 奈良 東大寺 大仏像
日本 奈良 東大寺 大仏像 御尊顔
日本 奈良 東大寺 大仏像 御尊顔
日本 奈良 東大寺 大仏像 御尊顔
日本 奈良 東大寺 大仏像 御手
真言密教伝持八祖の内の第七祖 恵果和尚(中国)
土佐の室戸岬において求聞持法を修行する若き頃の弘法大師空海
土佐の室戸岬において求聞持法を修行する若き頃の弘法大師空海
土佐の室戸岬において求聞持法を修行する若き頃の弘法大師空海
求法の為、遣唐使船に乗船する弘法大師空海
求法の為、遣唐使船に乗船する弘法大師空海
求法の為、遣唐使船に乗船する弘法大師空海
密教を学ぶ為、船で唐の国に渡る弘法大師空海、その弘法大師の乗船する遣唐使船に現れたとされる湧現観音
空海に密教の大法を授け、空海を極めて厚遇することに激しく抗議する恵果の弟子の珍賀。その夜、四天王に叱責、痛めつけられる夢を見た珍賀。翌朝、空海に今までの非礼を詫びる珍賀。
真言密教伝持第七祖 恵果和尚(中国)から、ただ一人、真言密教伝持第八祖に任命された真言密教の開祖 弘法大師 空海(日本)
弘法大師空海が唐からの帰国の際、船が無事に日本に漂着するよう弘法大師を助けたとされる不道明王。
弘法大師空海様が唐からの帰国の際、船が無事に日本に漂着するよう弘法大師を助けたとされる不道明王。
清涼殿において即身成仏の姿を現した弘法大師空海。
清涼殿において即身成仏の姿を現した弘法大師空海。
各宗旨宗派の高僧との仏教討論の際、他の宗旨宗派の高僧が来世成仏を説く中、弘法大師空海様ただ一人だけが即身成仏を説き、各宗旨宗派の高僧からその論拠を示せと迫られ、嵯峨天皇及び各宗旨宗派の高僧達の御前で即身成仏の境地に入り大日如来の姿に変化した弘法大師空海様(清涼殿において)
この現象について、書籍「密教誕生 桐山靖雄著 平河出版」の中で弘法大師空海様が現した奇瑞について著者である阿含宗開祖、桐山靖雄大僧正猊下は次のように説かれている。
「朕、空海の最尊最上の教を深く信ず。さりながら、朕、密教にて説く即身成仏の現証を未(い)まだ見ず。」と(帝が空海に問うと)
御声のもとに、空海は、静かに南面して結跏趺坐し、手に智拳印をむすんで口に密言(みつごん)を誦す。心は六大平等観に住すると見る間(ま)に、身はたちまち紫磨黄金(しまおうごん)の膚(はだえ)となって、五色遍照の光明を放ち、頭(こうべ)に五智の宝冠を現じて、座は八葉の蓮華となった。
帝は、畏くも玉座から下り給うて、南無遍照金剛と御拝あらせられた。各宗の賢哲たちも、居ならぶ朝臣等も、ひとしく平伏して、随喜讃仰の手を合わせた。ややあって、空海は、ふたたび元の体にかえり、ここに、生仏(しょうぶつ)不二、凡身即仏の妙諦を如実に示したのである。」
天暦十年(九五六年)に著された「孔雀経音義」は、つぎのように述べている。
「仍(よ)って大師智拳印を結び、南方に向うに南門俄(にわ)かに開けて、金色の毘盧遮那を成じ、眉間に白毫相(びゃくごうそう)の光を放つ。
爰(ここ)に一人(天皇のこと)諸臣七宗の衆徒は驚いて地に下り、皆ことごとく礼拝す。即ち本体に還帰す。入我我入の諍、即身頓証の疑いはこの日より釈然たり。真言瑜伽宗秘密曼荼羅之道は彼の時より建立す・・・・・。」
書籍「密教誕生 桐山靖雄著 平河出版」442頁~443頁参照。
天台密教 智証大師円珍(日本)
黄不動明王
臨済宗中興の祖、白隠禅師(日本)
慈雲尊者(日本)
インド哲学 仏教学の世界的権威 中村元博士
インド哲学 仏教学の世界的権威 中村元博士
阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下
京都市山科区北花山大峰にある阿含宗総本山建立中の地に立つ
阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下
阿含宗道場内において法話中の阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下
瞑想中の阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下
京都市山科区北花山大峰において
大柴燈護摩修法中の阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下。
お護摩の火炎の左上側に菩薩のお顔らしき姿が映っている。(霊写真)
阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下が大導師となって
修する大柴燈護摩供(京都市山科区北花山大峰において)
阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下が大導師となって
修する大柴燈護摩供(京都市山科区北花山大峰において)
今から約2500年前、ブッダ釈尊が約18年間、人々を説法、教化した土地、場所とされているインド サヘト・マヘト(祇園精舎)。
1980年11月、インド サヘト・マヘトへの仏跡巡拝をされた阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下。(当時、59歳)
今から約2500年前、ブッダ釈尊が多くの人々の前で大神変力を現わしたとされているインド サヘト・マヘト ミラクルの池の跡地において強烈な仏勅、強烈な霊的バイブレーションを受けた阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(1980年11月8日、当時59歳)
インド サヘト・マヘト ミラクルの池の跡地
今から約2500年前、ブッダ釈尊が多くの人々の前で大神変力を現わしたとされているインド サヘト・マヘト ミラクルの池の跡地において強烈な仏勅、強烈な霊的バイブレーションを受けた阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(1980年11月8日、当時59歳)
阿含宗道場において法話をされる阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下
阿含宗道場において法話をされる阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下
阿含宗道場において法話をされる阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下
1983年8月、チベット仏教ニンマ派より高い僧位(法位)、法号を授かるに相応しい高い霊格を持った人物と判断され、外国人として初めて一切萬霊守護金剛という高い僧位(法位)法号を授かった阿含宗開祖、桐山靖雄大僧正猊下(当時62歳)
1983年8月、チベット仏教ニンマ派より高い僧位(法位)、法号を授かるに相応しい高い霊格を持った人物と判断され、外国人として初めて一切萬霊守護金剛という高い僧位(法位)法号を授かった阿含宗開祖、桐山靖雄大僧正猊下(当時62歳)
1986年4月 スリランカのジャヤワルデナ大統領より真正仏舎利を拝受される阿含宗開祖、桐山靖雄大僧正猊下(当時65歳)
1990年1月 スリランカの古刹、マハー・マティンダ・ピリベナ寺から真正仏舎利を拝受される阿含宗開祖、桐山靖雄大僧正猊下(当時69歳)
1992年11月2日、スリランカ仏教シャム派総本山より「輝く平和の大王」という法号を授けられる阿含宗開祖、桐山靖雄大僧正猊下(当時71歳)
1996年6月、モンゴルのガンダン寺境内において十一面観世音菩薩様を本尊として桐山靖雄大僧正猊下、率いる阿含宗による国立十一面観音開眼法要、世界平和祈願護摩法要が厳修された。
この年の2月~6月上旬、モンゴルは大旱魃で雨がほとんど降らず、モンゴル全土で山火事が200箇所以上で燃え広がり数ヶ月間燃え続けていた。
1996年、モンゴル全土で数ヶ月間続いている広大な面積の山火事で、北海道と四国を合わせた程の極めて広大な面積のモンゴルの山林、草原が焼失し、まさにモンゴルは国家的な危機状況の中、阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下がモンゴルのジャスライ首相に対し、「明後日のガンダン寺での法要の際、観世音菩薩様に雨が降るようにお祈りします。観世音菩薩様は必ず雨を降らせて下さります。必ず雨が降ります。」と祈りによって雨を降らす事を約束。
そして、モンゴル国ガンダン寺での護摩修法当日未明、ウランバートル市全域に一大雷鳴がとどろき、全市民を驚愕させた。同時に、豪雨が大地を叩き、全市民を歓喜させた。待望の雨の第一陣であった。
さらに、護摩修法後、桐山靖雄大僧正猊下は参拝者の方々の前で、十一面観世音菩薩様がこのように雨を降らせて下さったと語り、十一面観世音菩薩様の偉大なる神通力、お力を称賛された。
その護摩修法後、モンゴル全土ですさまじい雨が降った。
このモンゴルの奇跡について阿含宗開祖、桐山靖雄大僧正猊下は自身の著作「阿含仏教 超奇跡の秘密 桐山靖雄著 平河出版社」の中で次のように書かれている。
「当時、モンゴルでは昨年末からほとんど雨が降らず、大旱魃に陥っていた。
そこへ、2月から山火事、草原の火事が各地で起こり始め、5月には北海道と四国を合わせたほどの面積が消失し、なおも延焼中という状況であった。
国境を越えて中国領内にもかなりの被害が出ていたようであった。
7月に入らなければ本格的な雨季にならず、この大火災を消すほどの豪雨は望めなかった。
また、降ったとしても鎮火には最低1ヶ月はかかるだろうと報道され、周辺の諸国から憂慮されていた。
6月3日、首相官邸を表敬訪問した私(桐山靖雄氏)は沈痛な面持ちで「雨が降らないので困る。」と話されるジャスライ首相(モンゴル国)に対し「5日の日に行われる国立十一面観音の開眼法要に豪雨を祈るからきっと雨が降りますよ。」と言った。
ごく自然にその言葉が口から出たのである。
別に何の意気込みも気張りもなかった。
気の毒だなと思うと同時に「よし、雨を降らせてあげよう!」という気持ちになったのである。
「私が祈れば必ず雨が降る。」そういう確信があった。
彼(ジャスライ首相(モンゴル国))に「火事は必ず消えますよ。」帰りしなにそう付け加えた。
その夜、深夜、私(桐山靖雄氏)はホテルの一室に籠り、一人、定(瞑想)に入った。
法要の当日までおよそ30分ずつ続けるのである。
法力集中のためである。
その翌日から定(瞑想)に入っていると法が動き出していることを感じた。
実際に草原の彼方に厚い雲が集まり出し始めたのである。
6月5日、法要当日未明に雷鳴が轟き、豪雨が大地を叩いた。
続いて各地に大豪雨が降り続き、法要から5日後、日本の国土の4倍以上もあるモンゴル百数十箇所の大火災が全て完全消火した。
私のモンゴル訪問は前年の11月に決定し、すべてのスケジュールが組まれていたのである。
スケジュールになかったのは雨を降らせることだけだった。
また、モンゴルの文化大臣がこの状況を目の当たりに見、「祈りの力がいかに偉大なものであるかを目のあたりに見て、心から驚嘆しました。」と述べた事を当時の現地の新聞記事が伝えた。
最終的に1ヶ月間は消えないであろうとされていたモンゴル全土の山火事が護摩修法後、モンゴル全土の大雨により6月5日から5日後の6月10日に山火事は完全鎮火した。
また、桐山靖雄大僧正猊下は自身の著作「阿含仏教 超奇跡の秘密 桐山靖雄著 平河出版社」の中でこのような奇跡、このような神変力について仏教語大辞典を引用され、次のように解説されている。
「神変=仏、菩薩が衆生の教化のため、超人的な力によって種々のすがたや動作を現すことをいう。
神通に同じ。奇跡、あるいは奇跡を行なうこと。
奇瑞=古代インドでは、宗教的に高い境地に達した修行者は、しばしば超人的能力を現したという。
仏教では六通、三明とよび、これらの能力は、禅定とよばれる精神統一の副作用として得られるものと考えられていた。
また、神通は、「信仰の厚い、立派な男によって、奮闘の持続によって、不抜の意力によって、人間の力によって、人間の精神・人間の努力・人間の忍耐によって得られるべきもの」と経典に説かれている。
そういう心構えをもった者が、努力を重ねていくとき、その人間自身でも思いがけないほどの力を現すことがある。」と。
以上ような神通奇跡談について、仏教学者の水野弘元博士はその著書「原始仏教」の中で神通奇跡談について次のように書いておられる。
「今日の合理主義的な考え方からすれば仏陀及び原始仏教が三明六通という奇跡的神通力を説いたことはいかにも仏教の合理性を没却したものであり、おそらく原始仏教では説かれていなかったものを新たに加えられた挿入の不純物に過ぎない。と考える学者がいる。
しかし、仏教を単なる科学や倫理や修養ではなくして宗教であると考える限り、このような神通奇跡の存在は仏教の宗教的要素として極めて価値があり、かつ必要なものである。
2500年の昔において仏教は今日の科学時代にも劣らない合理性や倫理性を有したのであるが、しかし、単なる合理性や倫理性だけではそれは宗教とはなり得ないであろう。
宗教である限り、自らの実践だけではなく、他をも絶対信に導き入れなければならない。
宗教を他の方々に対し教化救済する利他的な宗教面は三明六通というような神通奇跡によって得られるのである。
宗教が多くの人々に信じられていくのは神通奇跡によってである。
また仏教各宗の祖師と言われるような人々も多かれ少なかれ常人を超えた不思議な力を持った人であったに相違ない。」とある。
1996年6月、モンゴル国ガンダン寺境内において十一面観世音菩薩様を本尊として世界平和護摩法要を修せられる阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(当時75歳)
1996年6月、モンゴル国ガンダン寺境内において十一面観世音菩薩様を本尊として世界平和護摩法要を修せられる阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(当時75歳)
1996年、モンゴル全土が約1ヶ月間、山火事で国家的な危機状況の中、阿含宗開祖 桐山靖雄管長がモンゴルのジャスライ首相に対し、祈りによって雨を降らす事を約束。
そして、モンゴル国ガンダン寺での護摩修法後、大雨が降った。
また、モンゴルの文化大臣が桐山靖雄管長の祈りの力の凄さに非常に驚いていた事を当時の現地の新聞記事が伝えている。
1999年3月6日 インドにおいて印度聖地大柴燈護摩法要を修せられる阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(当時78歳)
1999年3月6日 インドにおいて印度聖地大柴燈護摩法要を修せられる阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(当時78歳)
1999年3月6日 印度聖地大柴燈護摩法要のご本尊、釈迦如来像と真正仏舎利尊。
1999年3月6日の印度聖地大柴燈護摩供の修法中、真正仏舎利尊から発するご霊光。「一九九九年七の月よ、さらば! 桐山靖雄著 平河出版」参照。
仏陀に成られた方の御遺骨(ごゆいこつ)を仏舎利(ぶっしゃり)とお唱え致します。
仏舎利尊から発するご霊光は、今から約900年前頃の日本で活躍した僧侶、臨済宗の開祖、栄西禅師様(1141年~1215年)も宋の国に留学中、阿育王山 広利禅寺に参拝した折、仏舎利尊から発するご霊光を目撃した体験談が栄西禅師様の著書「興禅護国論」に記載されている。
また、今から約1100年前頃に活躍した日本の僧侶、天台宗 慈覚大師円仁様(794年~864年)も、自身の唐への巡礼紀行体験を記した書籍「入唐求法巡礼記」の中において、仏舎利尊から発するご霊光にまつわる体験記が記されている。
さらにまた、今から約1400年前頃に唐の国やインドにおいて活躍した玄奘三蔵法師様(604年~662年)もインドにおいて仏舎利尊から発するご霊光を目撃した体験が伝えられている。
そして、真言密教の第五祖、不空三蔵様(705年~774年、生地はインドもしくは唐国)が釈尊の仏舎利を禮敬する意を述べた文章に舎利禮門(しゃりらいもん)という経文があります。
この舎利禮門は真言宗や曹洞宗などの法要、日々の勤行において読経する場合がよくあります。
参考までに、その舎利禮門の経文の全文は以下の通りです。
舎利禮門(しゃりらいもん)
一心頂禮(いっしんちょうらい)
萬徳園満(まんとくえんまん)
釈迦如来(しゃかにょらい)
真身舎利(しんじんしゃり)
本地法身(ほんじほっしん)
法界塔婆(ほうかいとうば)
我等禮敬(がとうらいきょう)
爲我現身(いがげんしん)
入我我入(にゅうががにゅう)
佛加持故(ぶつかじこ)
我請菩提(がしょうぼだい)
以佛神力(いぶつじんりき)
利益衆生(りやくしゅじょう)
発菩提心(ほつぼだいしん)
修菩薩行(しゅぼさつぎょう)
同入園寂(どうにゅうえんじゃく)
平等大智(びょうどうだいち)
今将頂礼(こんじょうちょうらい)
とお唱え致します。
1999年3月6日 印度聖地大柴燈護摩法要中の阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(当時78歳)。
中国の阿育王寺にある真正仏舎利を祀る舎利殿