仏教が説く輪廻転生の教えと善因善果、悪因悪果の教え

パーリ仏典において仏陀(ブッダ)は修行者の究極の瞑想体験と輪廻転生、因果の法則について次のようにお説きになられている。

 

     チベット仏教仏画

     ブッダ初転法輪像

「(修行者が修行により)心が安定し、清浄となり、浄化された、汚れの無い、小さな煩悩を離れた、柔軟で、活動的であって、(そのもの自身が)堅固不動のものになると、かれ(修行者)は生き物達の死と再生について知る事(死生通)に心を傾け、心を向けるのです。

そして、かれ(修行者)は、その清浄な、超人的な神の眼によって生き物達の死と再生を見、生き物達はその行為に応じて劣った者にもなり、優れた者にもなり、美しい者にも、醜い者にも、幸福な者にも、不幸な者にもなることを知るのです。

すなわち、生き物達は、身体による悪い行い、言葉による悪い行い、心による悪い行いをなし、聖者達を誹謗し、邪悪な考えを持ち、邪悪な考えによる行為を為す。

かれらは身体が滅びて死んだ後、悪い所、苦しい所、破滅のある所、地獄に再び生まれる。

一方、この者達は身体による良い行いを為し、言葉による良い行いを為し、心による良い行いを為し、聖者達を誹謗しないで、正しい見解による正しい行いを為している。

故に、かれらは身体が滅びで死んだ後、良い所である天界に生まれ変わった。

とかれ(修行者)は知る。」

仏教が説く輪廻転生の教説は、衆生(生き物達)が地獄界や餓鬼界、畜生界に生まれ替わる回数の方が天界、人間界に生まれ替わる回数よりも圧倒的に多いと説いている。

仏教では輪廻転生の本質は苦であると説いている。

仏教の目的はこの輪廻転生からの離脱を目指す。

また、仏教にとって人間に生まれる事は非常に良き生まれであると説く。

その大きな理由は、人間界は他の境涯、いわゆる天界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界に比べると最も仏道修行がしやすい境涯と言われている為。

お釈迦さまは最終的に、天界から人間界に生まれ変わり、人間界において修行を完成し、ブッダになる事が出来たと言われている。

次に、仏典 雑阿含経第四十巻において七種受という事についてブッダは次のように説かれている。

ある日仏様(お釈迦様)はもし七種受をもつものは天帝釈(良い世界又よい所)のもとに生まれ変わる事ができると説かれた

七種受とは

1 父母を供養する。
2 家の尊重に供養する
3 柔和で優しい謙遜の言葉、態度を取る
4 荒々しい言葉を離れる
5 両舌を離れる
6 ケチな心をやめる
7 真実の言葉を言う

さらに、パーリ仏典「サンユッタ・ニカーヤ」において仏陀は因果の法則と生まれ変わりについて次のようにお説きになられている。

「穀物も財産も金も銀も、またいかなる所有物があっても、奴僕も傭人も使い走りの者もまたかれに従属して生活する者どもでも、どれもすべて(死後の世界 来世に)連れて行く事は出来ない。全てを捨てて(死後の世界 来世に)行くのである。

人が身体で行ったもの、つまり身体で行った善き行為の報い、身体で行った悪しき行為の報い、また言葉や心で行ったもの、つまり言葉で行った善き行為の報い、言葉で行った悪しき行為の報い 、また心で行った善き行為の報い、心で行った悪しき行為の報い等 それこそが、その人自身のものである。

人はそれ(自己の為した身体と言葉と心でなした業)を受け取って(死後の世界 来世に)行くのである。

それは(死後の世界 来世で)かれに従うものである。

影が人に従うように。

それ故に善い事をして功徳を積め。

功徳は人々のよりどころとなる。」

さらに仏陀は次のように説いた。

「一度生まれる生き物(胎生つまり母胎から生まれる生き物)でも、二度生まれる生き物(卵生、つまり卵から生まれる生き物)でも、この世で生き物を害し、生き物に対する哀れみのない人(慈悲心のない人)、彼を賤しい人であると知れ」

さらに仏陀は次のように説いた。

「悪の報いが熟しない間は悪人でも幸運にあうことがある。

しかし、悪の報いが熟したときには、悪人は災いにあう。

善の報いが熟しない間には善人でも災いにあう事がある。

しかし、善の果報が熟したときには善人は幸福にあう。」

また、過去、現在、未来の敬われるべき聖者、尊師らはすべて次のように説かれている。

「全ての生き物、全ての有情、すべての生命あるもの、すべての生存者を殺してはならぬ。

虐待してはならぬ。

害してはならぬ。

苦しめてはならぬ。

悩ましてはならぬ。

これは清浄にして永遠、常恒なる理法である。」

次に、仏典には地獄という世界が説かれている。

地獄とは悪い事をした者が死後に生まれ赴く極めて苦しい、極めて残虐悲惨な世界。人や生き物を殺したり、いじめたり、苦しめたり、悩ませたり、悲しませたり、困らせたりした者、人の物を盗んだり、人をだましたりした者が死後に赴く世界。

特に阿含経、正法念処経、大智度論などの経典論書において地獄について詳しく解説した箇所がある。

最古の仏典スッタニパータやパーリ中部経典の中の賢愚経、漢訳仏典中阿含経の癡慧地経において仏陀は次のように説かれている

「仮に賭博(とばく)や博打(ばくち)に負け自分の妻や子供や財産を全て失い,自分も囚(とら)われの身になるという不運があったとしても、罪、悪事を犯し、その罪、悪事の報いにより死後、地獄へ堕ち、膨大な年数、極めて残虐悲惨な苦しみを受ける地獄での大苦痛大苦悩に比べれば、賭博、博打に負け自分の妻や子供や財産を全て失い、自分も囚(とら)われの身になるという不運などはとるに足らない僅(わず)かな不運である。」

つまり、「罪、悪事を犯しその罪、悪事の報いにより死後地獄へ堕ち、膨大な年数、残虐で極めて悲惨な苦しみに遭遇する地獄へと堕ちる不運こそが最悪の大不幸、大不運である。」という内容が説かれている。

地獄にも種類があり阿鼻地獄、無間地獄という地獄がある。

阿鼻地獄(無間地獄)は最も極悪非道な行為をした者が赴(おもむ)く地獄であり、最も痛み苦しみの激しい、極めて残虐極めて悲惨な地獄であると仏典に説かれている。

このように仏典には「極悪非道な行いをした者は死後、地獄に堕ち極めて残虐悲惨な苦しみを受ける」と説かれている。

日本において地獄の観念が多くの人々に弘まった大きな原因のひとつは天台宗の源信(慧心僧都源信、横川僧都源信、鎌倉時代前に活躍した僧侶)という僧侶が「往生要集」という書物を著しその書物が多くの人々に読まれたからであろう。

この往生要集は浄土宗に大きな影響を与えた書物である。

この「往生要集」は今から約千年程前に書かれた書物で現在に至るまで多くの人々に読まれている。

この「往生要集」で引用されている経典の種類は極めて多く、源信様がいかに多くの経典を読まれたかが分かる。

この往生要集は宗(約千年前の中国の国名)の国に贈呈され台州の周文徳という方が往生要集を国清寺に収められた。

また、周文徳は源信を小釈迦源信如来として賛嘆、褒め称えた。

真宗皇帝も源信を賛賞する事切なるものがあったという。

日本国においても源信様を今迦葉(いまかしょう)と呼んでいた人々がいた。

迦葉とはお釈迦様の在世当時の十大弟子の一人で優秀な高弟の名前であるが、このように源信を賛賞する事、切なるものがあったという。

    慧心僧都源信

この往生要集の前半では地獄界 餓鬼界などの状況等について各教典論書を引用し具体的に書かれている。

どのような行為(例えば殺生、盗み、妄語、邪淫など)によりどういう境涯(例えば地獄界、餓鬼界、畜生界など)に赴くのかが記載されている。

また、仏の三十二相についても具体的に説かれている。

どういう種類の良い行いによら良き報い、良き境涯、優れた仏の外観相形などを得られるのかという事も書かれている。

また、地獄の状況を絵で表現した地獄絵というものもある。

地獄絵は文字が読めない人々や子供達に対し仏教の教義を分かり易く解説する役割を果たし、多くの人々に倫理観、道徳意識、勧善懲悪の観念を植え付け、また地獄に対する恐怖心が凶悪犯罪の防止、犯罪抑止力の役割を果たしていたと考えられる。

次に、仏教経典「国訳一切経 印度撰述部 阿含部二巻 大東出版社」という書籍の中の雑阿含経第十九において屠殺(殺生)に関するお経が書かれている。

その経典には屠牛者経 屠羊弟子経 好戦経 堕胎経 猟師経 殺猪経 断人頭経 捕魚師経等の屠殺や殺生に関するお経が書かれている。

そのお経に共通する主な内容は生前(生きている間)において人間や動物達等の生き物の屠殺、殺生を行った者がその死後においてその屠殺、殺生を行った罪業の報いにより非常に長い年月の間地獄において獄卒、いわゆる地獄の鬼達により責め立てられ、苦しめられる世界に赴き、多くの様々な激しい苦しみを受け、その地獄より出てきた後にもその屠殺や殺生の余罪により様々な生き物達(カラス 狂暴な犬 キツネ ワシ等)に内臓をついばまれ食われその激痛に苦しみ泣き叫んでいる様子が書かれている。

仏教のお経、阿含経の中の「好戦経」というお経にも共通する内容が説かれている。

その内容は、戦争を好み、刀等の武器によって人々を悩まし、苦しめ、傷つけ、殺したりした者が死後その罪の報いにより膨大な期間、地獄に落ち、激烈な痛み、猛烈な苦しみに遭遇し、すすり泣き、号泣している悲惨な状況の姿が説かれている。

又「堕胎経」というお経もある。

そのお経の内容は胎児を中絶堕胎殺害した者、又させた者(男女を問わず)が死後その堕胎した又させた罪の報いにより膨大な期間、地獄で苦しんでいる状況が説かれている。

「好戦経」 「堕胎経」は「国訳一切経 印度撰述部 阿含部二 大東出版社」の中の雑阿含経 第十九に又「大正新脩大蔵経 第二巻 阿含部下 大蔵出版」の中の雑阿含経 第十九の中に説かれている。

「好戦経」「堕胎経」を一般の方々に対し非常に分かり易く解説した書籍に「間脳思考 桐山靖雄著 平河出版」という書籍がある。

そのお経の概要として、釈尊の高弟の目連尊者がある日、托鉢中に鷲 烏 飢えた犬等の姿をした霊的な生き物にその内臓を食いつばまれ、すすり泣き苦しんでいる奇怪な姿をした霊体を見た。

目連尊者はその奇怪な姿をした霊的な生き物について托鉢から帰った後に釈尊に尋ねると釈尊はこう説かれた。

「目連尊者のように正しい修行を行い正しい修行により高度な修行の境地に到達するとこのような存在を見る事が出来る。

また、その奇怪な姿をした霊体は生前(生きている間)において殺戮を行っていた者で死後その殺戮を行った罪の報いにより地獄に生まれ巨大な年数の間 様々な大きな苦しみ激痛を受け、更に地獄における巨大な年数の間の多くの苦しみ激痛が終わってもなおその殺戮を行った余罪にて 鷲 烏 飢えた犬等の霊的な生き物達にその内臓を食いつばまれ、すすり泣き、泣き叫んで苦しんでいる。

また、我(釈尊)もまたこの衆生(霊体)を見る」という内容の事が説かれている。

さらにまた、パーリ仏典サンユッタ・二カーヤにおいて仏陀は盗みと貧困や富貴について次のようにお説きになられている。

「この世でもの惜しみをし、吝嗇(りんしょく)、ケチで乞う者をののしり退け他人が与えようとするのを妨げる人々、かれらは地獄、畜生の胎内、閻魔の世界に生まれる、もし人間に生まれても貧窮貧乏の家に生まれる。

そこでは衣服、食物、快楽、遊戯を得る事が難しい。愚かな者達はそれを来世で得ようと望むがかれらはそれが得られない。現世ではこの報いがあり死後には悪いところに落ちる。

この世において人たる身を得て気前よく分かち与え、物惜しみをしない人々がブッダの真理の教えとに対し信仰心があり、修行者の集いに対して熱烈な尊敬心をもっているならばかれらは天界に生まれてそこで輝く。もし人間の状態になっても富裕な家に生まれる。

そこでは衣服、食物、快楽、遊戯が労せずして手に入る。他人の蓄えた財物を他化自在天のように喜び楽しむ。現世ではこの報いがあり死後には善いところに生まれる。」

と説かれている。

次に、日本の有名な高僧、真言密教(真言宗)の開祖、弘法大師空海様の晩年の著作「秘密曼陀羅十住心論」において、また、浄土宗に大きな影響を与えたとされる天台宗の高僧、源信様の著作「往生要集」において、その他多くの仏教諸経典において偸盗罪(ちゅうとんざい)、つまり他者(他人)の所有物を盗む事の罪、与えられない物を奪い取る罪、盗み、窃盗行為の報いについて説かれている。

 真言宗開祖 弘法大師空海

 現代において典型的な盗みの罪として振り込め詐欺、オレオレ詐欺、架空請求詐欺、ワンクリック詐欺、ひったくり、ぼったくり、いかさま、スリ、着服、横領、不正請求、ペーパー商法、悪徳商法、金融犯罪、強盗、強奪、置き引き、持ち逃げ等のような悪事、悪業を犯すと未来、死後、来世においてその悪事、悪業の罪の報いとして地獄界、鉄窟地獄(てつくつじごく)、寒氷地獄、畜生界の三悪道、三悪趣という大きな悩み苦しみに満ちた残虐、悲惨な境界、人間に生まれるならば撲隷(奴隷)、無幸処(幸せの無い境界)、極貧、貧困等の大きな悩み苦しみ多き境涯に生まれ変わると説かれている。

仏教用語に自業自得(じごうじとく)という言葉がある。

つまり、自分が作った業、すなわち、自分自身が行った善悪の行為の報いは、幾多の生まれ変わり、死に変わりの中、輪廻転生の中で、最終的に自分自身がその行いに応じた報いを受けることになる。と仏典は説いている。

次に「君は誰れの輪廻転生か 桐山靖雄著 平河出版社」という書籍がある。

この書籍の著者である阿含宗の開祖、桐山靖雄猊下は現代における数々の輪廻転生の実例を紹介し、また、脳生理学の知識を駆使し、科学的見地から見た解説がされている。

               阿含宗開祖 桐山靖雄

 阿含宗開祖 桐山靖雄

特に、脳神経外科、脳科学の世界的権威、ペンフィールド博士が科学者の立場から、死後の魂の存在の有無の問題について言及されており、そのペンフィールド博士の見解が紹介されているのが興味深い。

また、この書籍の後半部分において著名な文学者ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の「勝五郎再生記聞」という生まれ変わりについての実話が紹介されている。

この話のなかで前世を記憶していた少年の勝五郎はこう云っている。

「仏様やお坊様に暖かい食べ物を供養し差し上げる事を忘れてはいけません。これは非常に功徳がある行為なんだよ」とある。

また、この書籍の最後の章において死後の世界の状況、斉の広場や三途の川について解説されている。

その中で、「死後の世界に斉の広場という場所があり、そこにある一人の亡者がいた。

その亡者は生前、つまり生きている間に一代で巨万の富を築いた大富豪であった。

その大富豪が晩年に一大発心をし座禅三昧に明け暮れ何がしかの悟りを得たと認められたが、その大富豪は若い時から金のために多くの人を泣かせ苦しめ、かぞえきれないほどの怨恨の念を集め、またその悪行悪業により、死後に断崖絶壁の下を流れる三途の川に流され、恐ろしい地獄に吸い込まれていった」という内容が書かれている。






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