なぜ盗んではいけないのか? なぜ殺してはいけないのか?

なぜ盗んではいけないのか?

なぜ殺してはいけないのか?

特に子供や青少年が漠然と抱く道徳上の素朴な疑問が存在する。

その疑問に対する妥当な回答の一つを仏典より見い出す事が出来る。

パーリ仏典サンユッタ・ニカーヤ、雑阿含経において仏陀は次のように説かれている。その主な内容は

「他人から奪った人が(来世、未来において)他人から奪われるのである。

愚か者は悪の報いが実らない間は悪の報いがない事を当然のことだと考える。

しかし、悪の報いが実ったときには愚か者は苦悩を受ける。

殺す者は(未来には)殺され怨む者は(未来には)怨みを買う、

また罵りわめく者は(未来には)他の人から罵りを受ける、

怒りたける者は(未来には)他の人から怒りを受ける、・・後略」

つまり自分が(来世、未来において)殺されないようにするためには他者を殺してはいけない。また(来世、未来において)自分のお金や大切にしている物を盗まれないようにする為には他者のお金や物を盗んではいけない。

法句経において
「悪業の報いはたとえ大空においても大海においても奥深い山中に隠れても悪業の報いからは逃れることが出来ない」と仏陀は説かれている。

仏教経典の増壱阿含経第七巻の五戒品第十四において盗み、泥棒、窃盗、略奪行為の報いについて説かれているお経が存在する。

その主な主旨内容は、盗み、泥棒、窃盗行為を多く行った者はその罪の報いにより未来、将来、死後、来世において地獄界、餓鬼界、畜生界に生まれ赴(おもむ)くと説かれている。

また人間に生まれ変わっても極めて貧しく、衣服や食事に極めて事欠く境涯に生まれ赴くと説かれている。

(大正新脩大蔵経 第二巻 阿含部下 大蔵出版社 576ページ中段参照、国訳一切経 印度撰述部 阿含部 八 大東出版社 106ページ~107ページ参照)

※仏教では六道輪廻を説きます。

六道輪廻とは生き物達が天界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界の六道つまり六つの境涯を途方もない膨大な期間、途方もなく膨大な回数、何度も何度も生まれ変わり死に変わりしている。

輪廻転生している。

その六道のうち畜生界(動物の境涯)、餓鬼界(飢えや渇きに苦しむ境涯)、地獄界(地獄の鬼達に残虐に責め立てられ痛めつけられ苦しめられる極めて残虐悲惨な境涯)は三悪道、三悪趣といって六道輪廻の中では最も苦しい境涯であると説きます。
ジャイナ教の教えにこうある。

「わたしは説く。いかなる生物も傷つけてはならない。これは霊的な生活を送るうえでの永遠の絶えざる不変の道である。」

「過去、現在、未来の敬われるべき聖者、尊師らはすべてこのように説き、このように語り、このように告げ、このように示す。全ての生き物、全ての有情、すべての生命あるもの、すべての生存者を殺してはならぬ。虐待してはならぬ。害してはならぬ。苦しめてはならぬ。悩ましてはならぬ。これは清浄にして永遠、常恒なる理法である。」

「一切の生き物は、(自己の)生命を愛し、快楽に浸り、(自己の)苦痛を憎み、、(自己の)破滅を嫌い、(自己の)生きることを愛し、(自己が)生きようと欲する。一切の生き物は、(自己の)命が愛しいのである。」

増一阿含経 五戒品 第十四

書籍「国訳一切経 印度撰述部 阿含部八 大東出版社」参照。

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