お釈迦様は死後の存在を肯定したのか?否定したのか?を検証する

一部の仏教学者や一部のお坊さん達、特に浄土真宗のお坊さんや仏教学者の中で、信者さんや聴衆に対し「お釈迦様は霊魂の存在を否定している。」「お釈迦様は死後の存在を否定している。」と説法しているという話を本で読んだり話を聞いたりしたことがあるが、お釈迦様は本当に霊魂の存在、死後の存在を否定したのであろうか?

お釈迦様の言行録として学問的に認められているパーリ仏典や阿含経などの文献を見てみると霊魂の存在、死後の存在を肯定するような文言が頻繁に出てくる。

例えば、パーリ仏典サンユッタ・二カーヤにおいて仏陀は次のようにお説きになられている。

「この世でもの惜しみをし、吝嗇(りんしょく)、ケチで乞う者をののしり退け他人が与えようとするのを妨げる人々、かれらは地獄、畜生の胎内、閻魔の世界に生まれる。

もし人間に生まれても貧窮貧乏の家に生まれる。

そこでは衣服、食物、快楽、遊戯を得る事が難しい。

愚かな者達はそれを来世で得ようと望むがかれらはそれが得られない。

現世ではこの報いがあり死後には悪いところに落ちる。」

「この世において人たる身を得て気前よく分かち与え、物惜しみをしない人々がブッダの真理の教えとに対し信仰心があり、修行者の集いに対して熱烈な尊敬心をもっているならばかれらは天界に生まれてそこで輝く。

もし人間の状態になっても富裕な家に生まれる。

そこでは衣服、食物、快楽、遊戯が労せずして手に入る。

他人の蓄えた財物を他化自在天のように喜び楽しむ。

現世ではこの報いがあり死後には善いところに生まれる。」

パーリ仏典、大パリニッバーナ経(南伝大蔵経 小部経典)において次のように説かれておられる。

「聖賢の生まれなる人が住居をかまえる地方において、そこで、有徳にして自ら制せる清浄行者たちを供養したならば、そこにいる神霊たちはかれらに 施与の功徳をふり向けるであろう。

かれら(神霊)は供養されたならば、かれを供養し、崇敬されたならば、かれを崇敬する。

かくて、かれを愛護すること、あたかも母がわが子を愛護するようなものである。

神霊の冥々の加護を受けている人は、つねに幸運を見る。」

パーリ仏典「ダンマパダ」や「ウダーナヴァルガ」においてブッダはこう説かれている。

「つねに敬礼を守り年長者を敬う人には四種のことがらが増大するー すなわち、寿命と美しさと楽しみと力とである。

実に心が統一されたならば豊かな智慧が生じる

心が統一されないならば豊かな智慧が滅びる

戦場の象が射られた矢に当たっても耐え忍ぶように我は人のそしりを耐え忍ぼう。

多くの人は実に性質(たち)が悪いからである。

世のそしりを忍び自らを治めた者は人々のなかにあっても最上の者である。

悪の報いが熟さない間は悪人でも幸運に遭う事がある。

しかし、悪の報いが熟すると悪人は災いに遭う。

善の報いが熟さない間は善人でも災いに遭う事がある。

しかし、善の報いが熟すると善人は幸福に遭う。」

さらに、
「穀物も財産も金も銀も、またいかなる所有物があっても、奴僕も傭人も使い走りの者もまたかれに従属して生活する者どもでも、どれもすべて(死後の世界 来世に)連れて行く事は出来ない。

全てを捨てて(死後の世界 来世に)行くのである。

人が身体で行ったもの、つまり身体で行った善き行為の報い、身体で行った悪しき行為の報い、また言葉や心で行ったもの、つまり言葉で行った善き行為の報い 言葉で行った悪しき行為の報い  また心で行った善き行為の報い、心で行った悪しき行為の報い等 それこそが、その人自身のものである。

人はそれ(自己の為した身体と言葉と心でなした業)を受け取って(死後の世界 来世に)行くのである。

それは(死後の世界 来世で)かれに従うものである。

影が人に従うように。

それ故に善い事をして功徳を積め。功徳は人々のよりどころとなる。

仏教経典 雑阿含経第十九のなかに屠牛者経 屠羊者経 殺猪経 猟師経というお経がある。

屠牛者経を例に挙げると、そのお経の概要は釈尊の高弟の目連尊者がある日の托鉢中において鷲 烏 飢えた犬等の姿をした霊的な生き物にその内臓を食いつばまれ、すすり泣き苦しんでいる奇怪な姿をした霊的な生き物を見た。

目連尊者はその奇怪な姿をした霊的な生き物について托鉢から帰った後に釈尊に尋ねると釈尊はこう説かれた。

「目連尊者のように正しい修行を行い正しい修行によりある一定のレベルに到達するとこのような存在を見る事が出来る。

また、その奇怪な姿をした霊的な生き物は生前(生きている間)において牛の屠殺を行っていた者であり死後その屠殺を行った罪の報いにより地獄に生まれ巨大な年数の間 様々な大きな苦しみ激痛を受け更に地獄における巨大な年数の間の多くの苦しみ激痛が終わってもなおその屠殺を行った余罪にて 鷲 烏 飢えた犬等の霊的な生き物達にその内臓を食いつばまれ、すすり泣き、泣き叫んで苦しんでいる。

また我(釈尊)もまたこの衆生(生き物)を見る」という内容の事が説かれている。

屠羊者経 殺猪経 猟師経も屠牛者経と同様、大体似た内容で説かれている。

仏教のお経の阿含経に「好戦経」というお経があります。

戦争を好み刀等の武器によって人々を悩まし、苦しめ、傷つけ、殺したりした者が死後その罪の報いにより膨大な期間、地獄に落ち、激烈な痛み、猛烈な苦しみに遭遇し、すすり泣き、号泣している悲惨な状況の姿が説かれている。

又「堕胎経」というお経もある。

内容は胎児を中絶堕胎殺害した者、又させた者(男女を問わず)が死後その堕胎した又させた罪の報いにより膨大な期間、地獄で苦しんでいる状況が説かれている。

仏教経典「国訳一切経 印度撰述部 阿含部二巻 大東出版社」という書籍の中の雑阿含経第十九に屠殺(殺生)に関するお経が書かれている。

その経典には屠牛者経 屠羊弟子経 好戦経 堕胎経 猟師経 殺猪経 断人頭経 捕魚師経等の屠殺や殺生に関するお経が書かれている。

そのお経に共通する主な内容は生前(生きている間)において人間や動物達等の生き物の屠殺(殺す事)、殺生(生き物を殺す事)を行った者がその死後においてその屠殺、殺生を行った罪業(罪障)の報いにより非常に長い年月の間地獄(大きな悩み苦しみ憂い悲しみの世界 極めて苦しい激痛の世界 獄卒(地獄の鬼達)により責め立てられ苦しめられる極めて悲惨な世界)に赴き多くの様々な激しい苦しみを受けその地獄より出てきた後にもその屠殺や殺生の余罪により様々な生き物達(カラス 狂暴な犬 キツネ ワシ等)に内臓をついばまれ食われその激痛に苦しみ泣き叫んでいる様子が書かれている。

「好戦経」「堕胎経」は「国訳一切経 印度撰述部 阿含部二 大東出版社」の中の雑阿含経 第十九に又「大正新脩大蔵経 第二巻 阿含部下 大蔵出版」の中の雑阿含経 第十九の中に説かれている。

大正新脩大蔵経はあらゆる仏教のお経の原典原文を網羅、集大成したもので世界中の仏教学者の間から権威的文献、引用文献として高い評価を得ている。

大正新脩大蔵経には阿含部 華厳部 方等部 密教部 法華部 般若部 涅槃部 図像部などあらゆる種類の仏典が網羅されている。

国訳一切経、大正新脩大蔵経は内容がかなり専門的であり一般の方々、特に仏教書をあまり読まれた事がない方々にとって読んで理解するのに困難な一面があると思われる。

先に紹介した「好戦経」「堕胎経」を一般の方々に対し非常に分かり易く解説した書籍に「間脳思考 桐山靖雄著 平河出版」という書籍がある。

その書籍の中に「好戦経」「堕胎経」を非常に分かり易く説かれている箇所がある。

さらにまた、雑阿含経に爪甲経(そうこうきょう)というお経がある。

その概要は

「ある日、釈尊は釈尊自身の手で大地の土を拾い釈尊自身の手の爪と手の甲の上にその土を乗せて諸々の比丘(修行者)に次のように尋ねられた。

「諸々の比丘(びく)よ。私のこの手の爪と手の甲の上に乗っている土の量とこの大地の土の量とではどちらの土の量が多いか?」

諸々の比丘は次のように答えた。

「世尊(釈尊)よ。世尊(せそん)の手の爪と手の甲の上に乗っている土の量はこの大地の土の量と比べるならば比べものにならない程ごくわずかな量です。」

釈尊は続けてこのようにお説きになられた。

「諸々の比丘よ。もし肉眼で見える生き物たちの数をこの手の爪と手の甲の上にある土の量とするならば、その形が微細で肉眼では見えない生き物たちの数はこの大地の土の量のように膨大に存在する。

比丘たちよ。

未だ無間等の悟り(仏陀の悟り)に到達しない者は努めて無間等(むけんとう)の悟りに至るよう努力せよ。」

(大正新修大蔵経 第二巻 阿含部下 114ページ上段(雑阿含経第十六巻)
国訳一切経 阿含部二 雑阿含経第十六巻引用)

このように、お釈迦様は霊魂の存在を肯定し、死後の存在を肯定している。

また、パーリ仏典、大パリニッバーナ経(南伝大蔵経 小部経典)において仏陀釈尊は神霊の存在について、次のように説かれている。

「聖賢の生まれなる人が住居をかまえる地方において、そこで、有徳にして自ら制せる清浄行者たちを供養したならば、そこにいる神霊たちはかれらに 施与の功徳をふり向けるであろう。

かれら(神霊)は供養されたならば、かれを供養し、崇敬されたならば、かれを崇敬する。

かくて、かれを愛護すること、あたかも母がわが子を愛護するようなものである。

神霊の冥々の加護を受けている人は、つねに幸運を見る。」

(ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経 中村 元訳 岩波文庫参照)

最後に、ブッダ釈尊が瞑想中において生き物たちが死後、様々な境涯に生まれていくのを透視した事について説かれている四分律経典を紹介いたします。

      書籍『国訳一切経 律部二 大東出版社』参照

      書籍『国訳一切経 律部二 大東出版社』参照

参考文献

「ブッダ 神々との対話 サンユッタ・二カーヤ1 中村元著 岩波文庫」
「ブッダ 悪魔との対話 サンユッタ・二カーヤ2 中村元著 岩波文庫」
「ブッダの真理のことば 感興のことば 中村元著 岩波文庫」
「ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経 中村 元訳 岩波文庫」
「大正新修大蔵経 第二巻 阿含部下 大蔵出版」
「国訳一切経 阿含部 二巻 大東出版社」

「国訳一切経 律部二 大東出版社」
「輪廻する葦 阿含経講義 桐山靖雄著 平河出版」
「間脳思考 霊的バイオホロ二クスの時代 桐山靖雄著 平河出版」

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