いじめ、虐待の問題の根本的な原因とその解決方法についての考察

いじめ、虐待の問題の根本的な原因は第二次世界大戦における敗戦以後、教育において、宗教的なものを排除する方向に向かった事が大きな原因のひとつと考えられる。

道徳教育は人間にとって非常に重要な事である。

しかし、道徳教育のみではその道徳を実践する正当性を主張、説明するには理論的限界があるように思われる。

この道徳教育の理論的限界について、仏教学者、(故)平川彰博士(1915年~2002年)は自身の著作「インド・中国・日本 仏教通史 平川彰著 春秋社」において次のように説かれている。

「国家を治めるには刑罰だけでは治められないのであり、社会の平和を実現するには道徳が必要である。

しかし、道徳は道徳だけでその正当性を主張するのは困難であり、その根底には宗教による基礎づけを必要とする。

したがって、聖徳太子が三宝(仏、法、僧)興隆の詔勅を発し、率先して仏教を導入されたのは、仏教によって国民の道徳的精神を高める目的があったとともに、物質文化を高めることも大きな理由であったであろう。」

ここで氏が解説されている宗教による基礎づけとは仏教において説かれている輪廻転生の教説、善因善果・悪因悪果の因果業報説も当然、含まれていると考える。

また、宗教教育の欠落の弊害についてインド哲学、仏教学の世界的権威である(故)中村元博士(1912~1999)は自身の著作「日本人の思惟方法 中村 元著 春秋社」において次のように言及されている。

「明治維新以後もそうであったが、ことに第二次世界大戦における敗戦以後、日本の指導者達は、宗教的なものを全面的に禁圧する方向に向かって指導し、そのとがめが種々の局面に現れているようである。

いま、教育の荒廃ということが盛んに論じられているが、例えば、いじめとか登校拒否とかいう問題は公立学校でだけ起こっていることである。

反対に宗教教育を行なっている学校では起こっていない。

仏教精神で教育を行なっている学校では、この問題は起こっていない。

キリスト教関係の学校でもついぞ聞いたことがない。

また、いずれかひとつの宗教に偏るのではなく機会あるごとにいろいろな宗教の講話を聞かせている学園でも、この問題は起きていない。

これらは戦後に顕著になった現象なのである。

公立学校では宗教と教育とは分離するべきであるとの理由により公教育の場から宗教を追放したからである。

その法的な根拠は日本国憲法であり、その憲法の原文はGHQから日本政府に交付されたものである(後略)」

その宗教の中のひとつに仏教という宗教があるが、その仏教の経典のひとつ「スッタ・ニパータ」において仏陀は次のようにお説きになられている。

「一度生まれる生き物(胎生つまり母胎から生まれる生き物)でも、二度生まれる生き物(卵生、つまり卵から生まれる生き物)でも、この世で生き物を害し、生き物に対する哀(あわ)れみのない人(慈悲心のない人)、彼を賤(いや)しい人であると知れ」

「母、父、兄弟、姉妹或いは義母を打ち、また言葉で罵(ののし)る人、彼を賤(いや)しい人であると知れ。」

仏教とほぼ同時期に成立したジャイナ教の教えにも次のように説かれている。

「わたしは説く。

いかなる生物も傷つけてはならない。

これは霊的な生活を送るうえでの永遠の絶えざる不変の道である。」

「過去、現在、未来の敬われるべき聖者、尊師らはすべてこのように説き、このように語り、このように告げ、このように示す。

全ての生き物、全ての有情、すべての生命あるもの、すべての生存者を殺してはならぬ。虐待してはならぬ。

害してはならぬ。

苦しめてはならぬ。

悩ましてはならぬ。

これは清浄にして永遠、常恒なる理法である。」

「一切の生き物は、(自己の)生命を愛し、快楽に浸り、(自己の)苦痛を憎み、、(自己の)破滅を嫌い、(自己の)生きることを愛し、(自己が)生きようと欲する。

一切の生き物は、(自己の)命が愛しいのである。」

ジャイナ教の教えの特長は人間だけではなく動物や植物に対する不殺生戒を徹底的に重視する点にある。

 ジャイナ教では一般に善業は楽しみを生ずる手段であり、悪業は苦しみを生ずる手段であると考えていた。

 したがって、不道徳な行為は苦しみをもたらすものであるが、そればかりではなく、行為そのものが結局において、やはり苦しみをもたらすのである。

この苦しみは行動から生ずるものである。

 人の作った業(行為)が(行為を行ったその人自身の)来世の運命を決定するということはジャイナ教においても強調されている。

 業の観念は既にジャイナ教以前において成立していたものである。

 現世における行為に応じて来世に楽あるいは苦の果報を受けるという漠然とした観念はすでにインド最古の文献「リグ・ベーダ」に現れている。

 インド最古の文献、古ウパニシャッドにおいてもこのような思想は特に明確に表明されている。

ジャイナ教は業の恐ろしさを説いている。

因果応報について種々の経典に説かれている。

また、仏教の経典、パーリ仏典「サンユッタ・ニカーヤ」、漢訳仏典「雑阿含経」において仏陀は次のように説かれている。

「他人から奪った人が(来世、未来において)他人から奪われるのである。

愚か者は悪の報いが実らない間は悪の報いがない事を当然のことだと考える。

しかし、悪の報いが実ったときには愚か者は苦悩を受ける。

殺す者は(未来には)殺され、怨む者は(未来には)怨みを買う。

また、罵りわめく者は(未来には)他の人から罵りを受ける。

怒りたける者は(未来には)他の人から怒りを受ける。・・・後略」

つまり自分が(来世、未来において)殺されないようにするためには他者を殺してはいけない。

また(来世、未来において)自分のお金や大切にしている物を盗まれないようにする為には他者のお金や物を盗んではいけない。

さらに仏教の経典のひとつ、法句経において次のように説かれている。

「悪業の報いはたとえ大空においても大海においても奥深い山中に隠れても、悪業の報いからは逃れることが出来ない。」

と仏陀は説かれている。

また、次のような教えも仏教経典に説かれている。

「耐え忍び、苦行、隠忍は最高のものであり、ニルヴァーナは最高のものであると諸々の覚者(ブッダ)は説いた。

他人を害(そこな)う人は出家者ではない。

他人を悩ます人は修行者ではない。

一切の悪をなさず、善を具現し、自らの心を清らかならしめる。

これが諸々の覚者の教えである。

争わず、害せず、それぞれの解脱について制していること。

食事に量を知り、座臥に人々から離れ、高潔なることに心を専らにすること。

これが諸々の覚者の教えである。」

(長阿含経第一巻 大本経)

パーリ仏典「サンユッタ・二カーヤ」というお経においても次のようにお説きになられている。

「怒りを断ち切って安らかに臥す。

怒りを断ち切って、悲しまない。

その根は毒であり、その頂きは甘味である怒りを滅ぼすことを聖者達は賞賛(しょうさん)する。

それ(怒り)を断ち切ったならば悲しむことがない。」

「人は利を求めて自分を与えてはならない。

自分を捨て去ってははならない。

人は善い(優(やさ)しい)言葉を放つべきである。

悪い、粗暴(そぼう)な言葉を放ってはならない。

やさしい言葉を口に出し荒々(あらあら)しい言葉を口に出してはいけない。」

仏教経典 漢訳大蔵経の中の阿含経及び南伝大蔵経においても次のようにお説きになられている。

「比丘(修行者)たちよ。

まさに一法を断つがよい。

一法を断たば、汝ら必ず煩悩を滅し尽くして聖者たることを得るであろう。

その一法とはなんであろうか。

いわゆる瞋恚(しんに)(怒り)がそれである。

比丘(修行者)たちよ、まさに瞋恚(怒り)を断たば、汝ら必ず煩悩を滅し尽くして聖者たることを得るであろう。」

「瞋恚(怒り)にかりたてられて、人は悪しき処におもむく。

まさに、つとめて瞋恚(怒り)を捨つれば、すなわち煩悩滅尽して聖者たらん。」

「雑言と悪語とを語って愚かなる者は勝てりという。

されど誠の勝利は堪忍を知る人のものである。

怒る者に怒り返すは悪しきことと知るがよい。

怒る者に怒り返さぬ者は二つの勝利を得るのである。

他人の怒れるを知って正念に自分(自分の心、精神、感情)を静める人はよく己(自分)に勝つとともに他人に勝つのである。」

ところで、話は少し変わるが、日本の仏教の宗旨宗派に真言宗という宗派があるが、その真言宗の開祖である弘法大師 空海様の晩年の著作である「秘密曼荼羅十住心論第一巻」において空海様は中絶(ちゅうぜつ)、堕胎(だたい)の果報、業報について説かれている箇所がある。

そのなかで空海様は雑宝蔵経(雑蔵経 大正新修大蔵経 第十七巻 経集部四 五五八頁)というお経を引用し次のようにお説きになられている。そのお経の概要は

「一人の鬼あり、その鬼が仏弟子である目連尊者に対してこう問いかけた。

「私(鬼)の身体は常に肉の塊(かたまり)にして手、脚、眼、耳、鼻等あること無し、

つねに多くの鳥達に体をついばまれ、食べられ、耐えられない程苦しい。

何が原因でこういう苦しみに遭(あ)うのか?」

お釈迦様のお弟子である目連尊者は次のように答えて言った。

「あなたは前世(前生)においてつねに他者に薬を与え、他者の胎児(たいじ)を堕(おろ)した。

胎児を中絶させた。

胎児を殺害した。

このような行為、因縁、業報により死後、現在においてこのようなひどい苦しみを受けている。

これは(あなたが作った)果報、行為の報い、罪の報いであり、地獄の苦果、苦しみはまさに後身にあり。(果報の報いはあとになって受ける)」とある。

(鬼という言葉は死者を意味する。昔は死ぬ事を鬼籍に入ると言った。)

また、空海様は盗み、窃盗、泥棒、収奪の業報についても諸経典を引用し説かれている。

空海様は雑宝蔵経(雑蔵経 大正新修大蔵経第十七巻 経集部四 五五七頁)というお経を引用し次のようにお説きになられている。

そのお経の概要は

「ある一人の鬼(死者)がいた。

その鬼が仏弟子である目連尊者に対しこのように質問した。

「私の腹は極度に大きく、のど、手足は極度に細くて食べ物や飲み物を取ること、食事をする事が出来ない。

何が原因でこのような苦しみを受けるのか。

仏弟子の目連尊者は次のように答えて言った。

「あなたは前世(前生)において高い地位にあり富貴、裕福で、さまざまな食事、お酒を大いに楽しんだが、他の人々を軽視し、侮り(あなどり)、見下し、他の人々の飲食を奪(うば)い取り、他人を飢(う)えさせ、他人を困らせた。

このような他の人々の飲食を奪い取り、他人を飢えさせ、他人を困らせた行い、行為、因縁、業報、罪の報いにより、このようなひどい苦しみを受けている。

これは(あなたが作った)果報、業報であり、このような罪の報いによる地獄の苦しみは後になって受けるのである。」

次に、仏教経典「国訳一切経 印度撰述部 阿含部二巻 大東出版社」という書籍の中の雑阿含経第十九にも屠殺、殺生に関するお経が書かれている。

その経典には屠牛者経 屠羊弟子経 好戦経 堕胎経 猟師経 殺猪経 断人頭経 捕魚師経等の屠殺や殺生に関するお経が書かれている。

そのお経に共通する主な内容は生前、生きている間において人間や動物達等の生き物の屠殺(殺す事)、殺生(生き物を殺す事)を行った者がその死後においてその屠殺、殺生を行った罪業(罪障)の報いにより非常に長い年月の間地獄(大きな悩み苦しみ憂い悲しみの世界 極めて苦しい激痛の世界 獄卒(地獄の鬼達)により責め立てられ苦しめられる極めて悲惨な世界)に赴き多くの様々な激しい苦しみを受け、その地獄より出てきた後にもその屠殺や殺生の余罪により様々な生き物達、カラス 狂暴な犬 キツネ ワシ等に内臓をついばまれ食われその激痛に苦しみ泣き叫んでいる様子が書かれている。

仏教の教えでは、生き物は死んでも再度、何度も何度も生まれ変わる事を説きます。

すなわち、輪廻転生を説きます。

その輪廻転生には分段生死(ぶんだんしょうじ)と変易生死(へんやくしょうじ)と云う種類の転生があります。

分段生死とは凡夫の輪廻転生を意味し、六道輪廻つまり地獄界(極めて苦しい残虐悲惨な境涯)、餓鬼界(飢え、乾きに苦しむ境涯)、畜生界(動物の境涯)、修羅界(争いの境涯)、人間界(人間の境涯)、天界(天、神の境涯)の六種類の境涯を衆生(生き物)が何回も何回も際限なく輪廻転生していく転生を意味します。

変易生死とは聖者の輪廻転生を意味し、聖者が仏陀の境涯に向かって修行していく過程、聖者としての境涯が後退せず上昇していく転生を意味します。

変易生死について詳しく解説すると、例えば聖者の境涯に預流(よる)という境涯があります。

凡夫が仏道修行により修行の境涯が進むと先ず預流という聖者に成ります。

預流とは聖者の流れに入った者の意を表し、預流になると地獄界、餓鬼界、畜生界という最も苦しみの度合いが激しい三悪道の境涯には二度と生まれ変わらないとされています。

そして最高位の聖者である仏陀に成るまで三回~七回程度、人間界と天界への生死を繰り返し最後には必ず仏陀の境涯に至る事が出来るとされています。

仏教経典「阿含経 長部経典」の「迦葉獅子吼経」の中で仏陀釈尊は苦行者の迦葉に向かってこう説かれた。

「外面的な規定を守ることによってではなく、倫理的行為と霊的自制と智とを完成させることにより、さらに内面的な憎しみとあらゆる敵意を克服し慈愛深い心をもつ者のみが解脱に到達する見込みがある。」

参考文献

「インド・中国・日本 仏教通史 平川彰著 春秋社」
「日本人の思惟方法 中村 元著 春秋社」
「ブッダのことば スッタニパータ 中村元訳 岩波文庫」
「思想の自由とジャイナ教 中村元著 春秋社」
「ブッダの真理のことば 感興のことば 中村元訳 岩波文庫」
「ブッダ 神々との対話 中村元訳 岩波文庫」
「ブッダ 悪魔との対話 中村元訳 岩波文庫」
「仏教思想8 解脱 仏教思想研究会 平楽寺書店」

「仏教 上 ベック著 岩波文庫」
「仏教 下 ベック著 岩波文庫」

「ブッダの真実の教えを説く(上巻)阿含経講義 桐山靖雄著 平河出版」
「ブッダの真実の教えを説く(中巻)阿含経講義 桐山靖雄著 平河出版」
「ブッダの真実の教えを説く(下巻)阿含経講義 桐山靖雄著 平河出版」
「輪廻する葦 阿含経講義 桐山靖雄著 平河出版」
「間脳思考 霊的バイオホロ二クスの時代 桐山靖雄著 平河出版」
「弘法大師著作全集 第1巻 勝又俊教著 山喜房仏書林」

「国訳一切経 印度撰述部 阿含部二巻 大東出版社」

「大正新修大蔵経 第一巻 阿含部上 大蔵出版」
「大正新修大蔵経 第二巻 阿含部下 大蔵出版」



















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