倫理、道徳の実践を重んじたブッダ釈尊

老齢になって役に立たなくなった老人を遺棄するという現象は昔から汎世界的に見られるがブッダはその風潮に反対し父母をいたわることを説いている。

「世に母を敬うことは楽し。また父を敬うことは楽し。」

「母あるいは父を法によりて養う人あらば父母に仕えるそのことを以って、この世にてはもろもろの賢者がかれを賞賛す。

また死後(その功徳により)かれは天界にて楽しむ。」

「母と父とは梵天ともいわれ先師ともいわれる。

子らの供養すべきものにして、また子孫を愛する者なり。

されば実に賢者は飲食と衣服と床と塗身と沐浴と洗足とを以って父母に敬礼し尊敬せよ。」

「されば正しき善人は、恩を感じて恩を知り、昔の恩を思い起こして母と父を扶養す。

昔、恩を受けたるが如くにかれら(父母)に対して義務を果たす。

教えを護り、扶養して、家系を断たず、信仰あり、戒を保つ子は賞賛せらるべきなり。」

「われらは両親に養われたならば、かれらを養うべし。

かれらの為に為すべきことを為すべし。

家系を存続すべし。

財産相続を為すべし。

また祖霊に対して適当なる時々に供物を捧ぐべし。」

また、仏教経典「スッタニパータ」において仏陀は次のようにお説きになられている。

「老いて朽(く)ち衰(おとろ)えている母や父を養わないで、自らは豊かに暮らす人  これは破滅への門である。」

さらにまた、仏教経典 パーリ相応部経典(サンユッタ・二カーヤ)の中でブッダは次のように説かれている。

父母を養っているバラモンが尊師(仏陀釈尊)に次のように言った。

「ゴータマ(仏陀釈尊)さま。

わたくしは、きまりにしたがって食を求めます。

きまりにしたがって托鉢(たくはつ)して食を求めて、両親を養っています。

わたくしは、このようにしていますが、なすべきつとめを果たしているのでしょうか。」

尊師(仏陀釈尊)は次のように言った

「バラモンよ。たしかに、そなたは、このようにして、なすべきつとめを果たしているのです。

きまりにしたがって食を求め きまりにしたがって食を求めて両親を養っている人は、多くの功徳を生じます。

母または父を、ことわりにしたがって養う人は、両親に対するその奉仕によって、この世では。賢者がかれを称賛し、死後には天にあって楽しむ。」

その言葉を聞きバラモンは次のように言った。

「すばらしいことです。ゴータマさま。

すばらしいことです。ゴータマさま。

ゴータマさま、私を在俗(在家)信者として受け入れて下さい。

今日以後、命ある限り貴方様に帰依致します」

また、パーリ仏典ダンマパダやウダーナヴァㇽガの中でブッダは不傷害、非暴力の重要性について次のように説かれている。

「手むかうことなく罪咎(つみとが)のない人々に危害を加えるならば、次に挙げる十種類の場合のうちのどれかに速やかに出会うであろう。

1、激しい痛み

2、老衰

3、身体の傷害

4、重い病

5、乱心

6、国王からの災い

7、恐ろしい告げ口

8、親族の滅亡

9、財産の損失

10、その人の家を火が焼く

この愚か者は死後に地獄へ生まれる。」

また、パーリ仏典サンユッタ・二カーヤにおいて仏陀は物惜しみと分かち与える事についても次のようにお説きになられている。

「この世でもの惜しみをし、吝嗇(りんしょく)、ケチで乞う者をののしり退け他人が与えようとするのを妨げる人々、かれらは地獄、畜生の胎内、閻魔の世界に生まれる。

もし人間に生まれても貧窮貧乏の家に生まれる。

そこでは衣服、食物、快楽、遊戯を得る事が難しい。

愚かな者達はそれを来世で得ようと望むがかれらはそれが得られない。

現世ではこの報いがあり死後には悪いところに落ちる」

「この世において人たる身を得て気前よく分かち与え、物惜しみをしない人々がブッダの真理の教えとに対し信仰心があり、修行者の集いに対して熱烈な尊敬心をもっているならばかれらは天界に生まれてそこで輝く。

もし人間の状態になっても富裕な家に生まれる。

そこでは衣服、食物、快楽、遊戯が労せずして手に入る。

他人の蓄えた財物を他化自在天のように喜び楽しむ。

現世ではこの報いがあり死後には善いところに生まれる。」

さらにまた、仏陀釈尊はパーリ仏典の律蔵経典、増一阿含経 第四十巻において看護について次のようにお説きになられている。

「修行僧らよ。我(仏陀釈尊)に仕(つか)えようと思う者は病者を看病せよ。」

「たとえ我(仏陀釈尊)および過去の諸仏に供養することあろうとも、我(仏陀釈尊)に施す福徳と、病(人)を看る、看病する(福徳)とは、異なること無し」

また、仏陀釈尊自身も病人の看病、看護に直接従事された事が説かれている。

さらに、律部経典の梵網経において看病を八福田の第一にあげている。

つまり仏教において病者への看護、看病がいかに重視されているかが分かる。

また、仏典 雑阿含経第四十巻において、七種受という事についてブッダは次のように説かれている。

ある日仏様(お釈迦様)はもし七種受をもつものは天帝釈(良い世界又よい所)のもとに生まれ変わる事ができると説かれた

七種受とは

1 父母を供養する。
2 家の尊重に供養する
3 柔和で優しい謙遜の言葉、態度を取る
4 荒々しい言葉を離れる
5 両舌を離れる
6 ケチな心をやめる
7 真実の言葉を言う

参考文献

「ブッダのことば スッタニパータ 中村元訳 岩波文庫」

「ブッダの真理のことば 感興のことば 中村元訳 岩波書店」

「ブッダ 神々との対話 サンユッタ・二カーヤⅠ 中村元訳 岩波文庫」

「ブッダ 悪魔との対話 サンユッタ・二カーヤⅡ 中村元訳 岩波文庫」

「宗教における思索と実践 中村元著 サンガ文庫」

「原始仏教の社会思想 中村元撰集 第十八巻 春秋社」

書籍「人生のあらゆる悩みを2時間で解決できる! ブッダの教え 見るだけノート  大愚 元勝 監修 宝島社」参照。

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仏事の際、仏壇やお墓で香を焚き、お供え物をお供えする意義について

よく仏事の際にお供え物を供え、線香を焚くが、その主たる目的は霊に香りを食して頂く事が目的である。

仏教では霊の事を食香(じきこう)と呼び、食香の事をサンスクリット語でガンダルヴァ(gandharva)と呼ぶ。

ガンダ(gandha)とはサンスクリット語で香を意味する。

つまり、ガンダルヴァ(gandharva)とはそのガンダ(gandha)、いわゆる香(かお)りを食する存在を意味している。

仏教の教理教学を体系的にまとめた倶舎論(くしゃろん)という仏教論書の中で、霊について次のように説かれている。

「精血等の所有の外縁が合して成ずるものでなく、意より生ずるが故に意生(いしょう)と呼ばれ、又は意生身(いしょうしん)とも呼ぶ。

常に喜んでこれから生まれるところを尋察と呼ばれ、探し求めるところから求生ともいう。

また、香食に資(たす)けられて生処に往(おもむ)くから食香と名づけられ、二趣(この世とあの世)の中間の所有の蘊(うん)なるが故に中有(ちゅうう)ともいう。

そしてこれから生まれるべき生に対向して漸時、起こるが故に起ともいわれる。」

さらに倶舎論によると中有は母体に入るのだが腹を破っているのではなく「陰門より入る」ともいう。

さらに、倶舎論巻九にその中有の相(すがた)を説明して

「見るべからず如く、触れるべからず。中有の身はごく微細なるをもっての故に。」

「ただし、もしも極浄天眼を修得するならば、よく見ることを得。

諸生は眼を得るもみな観ることあたわず、ごく微細をもってのゆえに」

つまり、中有の存在を見ることが出来る人は極めて少ないが、その中有の存在を覚知する眼、いわゆる霊眼を持っている人がごくまれにいる。

その霊眼を持つ人はその微細な姿をした中有の存在を見ることが出来ると説かれている。

ところで、江戸時代後期、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)によって書かれた書物の中に「勝五郎再生記聞」という書物がある。

その中で書かれている話は実話であったらしい。

その主な内容は、江戸時代に勝五郎という名の子供がいた。

その子供は自分が生まれる前の記憶、つまり、前生の記憶を有していた。

つまり、勝五郎は勝五郎のお母さんから生まれる前の記憶を鮮明に覚えていたという。

すなわち、勝五郎は自分が産まれる前、つまり、勝五郎が肉体を持たず霊体であった時、勝五郎の家の中、いわゆる勝五郎の両親、家族たちの話声が聞こえていたという。

また、生まれてからもその内容を覚えていたという。

また、勝五郎はお母さんのお腹の中に霊体として入る前、しばらくの期間、家の中の周囲に居た。

そして家の中の仏壇に供えられた牡丹餅(ぼたもち)の香りを食していたと語った。

そして、勝五郎はよく周りの家族たちに

「仏様、お坊様に温かい食物を布施する事を忘れてはいけません。これは大変功徳になることなんだよ」と言っていた。とある。

さて、仏教には追善供養というものがある。

追善とは亡者のために追って善事を修して福を薦め、その冥福を祈る事。

人の死後四十九日の間、亡者の霊は中有に迷って果報、転生先が定まらないので遺族、僧侶が善根を追修、回向してその功徳を亡者に捧げ、三途の苦報を免がれさせようとするために追善供養を行う。

ただし極善の者は四十九日間を待たずに直ぐに仏界、天上界に直行し、極悪の者は直ぐに地獄界へ直行するとされている。

追善供養は人の死後、七日ごとに初七日忌、二七日忌、三七日忌、四七日忌、五七日忌、六七日忌、七七日忌つまり四十九日忌を行う。

また百日目の百カ日忌、一年目に一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌などに法要を営みその功徳を亡者に回向する。

仏教には死者に対しての追福追善の報恩行、冥福を祈る宗教行事がある。

仏教の経典に「梵網経(ぼんもうきょう)」というお経がある。

その中に不救存亡戒(ふぐそんぼうかい)という戒律があり、それによれば仏教信者は慈悲の心を持って全ての生者、死者に対して慈悲の行為を行わなければならない事が説かれ、

特に父母兄弟等の家門の親しい先亡精霊に対し、冥界における幸福を助けるための宗教行為に勤めるべきことを勧めている。

参考文献

「守護霊を持て 桐山靖雄著 平河出版」

「講座 仏教思想 第七巻 理想社」

「地獄の話 山辺習学著 講談社学術文庫」

「君は誰の輪廻転生か 桐山靖雄著 平河出版」

「仙境異聞 勝五郎再生記聞 平田篤胤著 岩波文庫」

「異界見聞録6 平田篤胤著 勝五郎再生記聞 前世の記憶を持つ子どもの話 現代語超編訳版 西田みどり著 知玄舎 異界見聞録シリーズ」

「葬式仏教 圭室 諦成著 大法輪閣刊」



仏教の不妄語戒と不偸盗戒からFX(外国為替証拠金取引)を考える。

仏教には不偸盗戒、つまり、他人の物を盗んではいけないという戒律もある。

他人の物を奪ってはいけないという戒律がある。

仏典、法句経の中に

「他人から奪った者は(未来に)奪われる(運命にある)。」

という内容の教えがある。

ところで、最近、YouTubeを見ているとFX(外国為替証拠金取引)の広告が流れているのを見た。

その内容を最後まで見ているとFX(外国為替証拠金取引)で大金を稼ぎ、現在は悠々自適の生活であるという内容。

FX(外国為替証拠金取引)を強く勧める内容であった。

ただし、FX(外国為替証拠金取引)の負の側面は一切語られていなかった。

かつて、1万ドルの資金を1年で100万ドル以上にした伝説のトレーダー、アメリカ人のラリー・ウイリアムズ氏は自身の著書「相場で儲ける法 ラリー・ウイリアムズ著」の中でFX(外国為替証拠金取引)などの先物取引の本当の実態はゼロサムゲームである。という。

つまり、FX(外国為替証拠金取引)で稼いだ人の全ての合計金額とFX(外国為替証拠金取引)で損をした人の全ての合計金額をプラスマイナスで計算するとトータルすると0になる。

言い換えると、大金を稼ぐ人々がいる一方、大金を失い嘆き悲しむ人々も大勢いる。

つまり、FX(外国為替証拠金取引)の取引は大局的に見ると、多くの人々が互いにお金を奪い合っている観がある。

椅子取りゲームのようなイメージがある。

ラリー・ウイリアムズ氏も相場で損失した人のお金は私のような相場に長けた人物の元に入ってくると著書で語られている。

さらに、FX(外国為替証拠金取引)は少額の金額で数十倍の取引が出来るので儲かると大きいが損をすると莫大な損失を被る危険性のある取引である。

ラリー・ウイリアムズ氏は自身の著書「相場で儲ける法 ラリー・ウイリアムズ著」の中で投資をする際は自己資金の2%~3%で運用し、資金がショート、つまり、資金が無くなり、破産しないような対策が必要であり、その為には決して大きな金額、大きなポジションをとってはならないという。

さらにまた、ラリー・ウイリアムズ氏によるとFX(外国為替証拠金取引)などのような先物取引は約8割の方々が損をしており、一般の人は相場に参加するべきではないと著書で語られている。

仏教の睡眠観と現代医学の睡眠観についての考察

仏教の学派の中には睡眠は煩悩の一種であるから、その煩悩を断ち切る為、断眠修行など、睡眠時間を大幅に制限した修行を行っている人々を見聞きする。

例えば、天台宗の総本山、延暦寺の僧侶が夜通し徹夜で仏像を礼拝する修行をしているなどの話を聞いたこともある。

日本では12月31日の大晦日に多くの人々が徹夜で、夜通し、様々なお寺を参拝する習慣がある。

しかし、この断眠修行はある種、お釈迦様の言動と相矛盾しているようにも思える。

健康上にも問題を引き起こすように思える。

例えば、仏教学の世界的権威、故中村元博士は月刊アーガマ42号において釈尊が食事の後よく昼寝をされたことを微笑ましく指摘されている。

当時の厳格な修行者からすると昼寝をする事はダラシのない事であり、怠惰なふるまいであったと考えられた。当然、釈尊に対しても次のような非難が向けられていた。

ある日、サッチャカという修行者が釈尊に次のように言った。

「ゴータマ(釈尊)よ。あなたは昼寝をする者である事を認識しているのですか。」

釈尊は、次のように答えた。

「私は托鉢から帰ってきて食事をし、その後、大衣を四つ折りにし、その上に、右脇を横たえ、自らの心の動きを観察しながら眠りに入る事があります。だから自分が昼寝をする者である事をよく認識していますよ。」

サッチャカが言った。

「ゴータマ(釈尊)よ。修行者やバラモンのある者は迷っているから、そんな事を語るのです。」

釈尊は静かにこう答えた。

「食後の昼寝をした、しないだけで、迷っているとか、迷っていないだとか、言えませんよ。」

このお釈迦様が行っていた食後の休息を仏教の聖典であるパーリ聖典において昼住(ちゅうじゅう)という。

この習慣は現在の東南アジアの僧院でもよく見かける。

また、スペインやアルゼンチンなどのラテン系の国々では昼食後の休息に数時間、当てている。

この昼食後の休息をシエスタという。

この習慣は、中国・インド・ベトナムなどの熱帯・亜熱帯地域や地中海性気候である地中海沿岸のギリシャ・イタリア・中東・北アフリカでも一般的に見られる。

一般的に人間の活動力は、午前中は上昇、正午頃が最も高く、午後2~3時ごろにかけて活動が低下するが午後4時すぎに再び上昇に転じ数時間活性化した後、就寝時間に向けて再び低下する。

就寝中の深夜2~3時が最も活動力が最低となる。

ところで、2019年に日本で出版された書籍「スタンフォード大学教授が教える熟睡の習慣 西野精治著 PHP出版 」において昼寝と認知症との関係を調査した結果が記載されている。

ある高齢アルツハイマーの方々とその配偶者、約数百人を対象にした調査の結果、30分未満の昼寝をする人は昼寝の習慣がない人に比べて認知症発病率が約7分の1であった。

30分から60分の昼寝をする人も昼寝の習慣がない人に比べて認知症発病率が半分以下であった。

最近の研究結果では、睡眠中は起きている時間帯の10倍以上、脳内に溜まった様々な老廃物を排出する機能、働きがあると分かっている。

また、書籍「アルツハイマーになる人、ならない人の習慣 ジーン・カーパー著 和田 美樹 訳  澤登 雅一 監修 Discover」の中で著者のジーン・カーパー氏は

睡眠は脳を記憶障害。アルツハイマー病から守ることに対して、驚くべき効果を発揮する。

睡眠を充分にとらないと、アルツハイマー型の脳障害を誘発する恐れがある。

実に、睡眠には特効薬的な効能がある。

起きている時間帯に発生した脳に溜まっている様々な老廃物が、 睡眠中、 きれいに洗い流され、睡眠のチカラにより脳内の老廃物がきれいに除去される。と書かれている。

また、書籍「Sleep(最高の身体と脳を作る技術)ショーンスチーブンソン著 花塚恵訳 ダイヤモンド社」の中で著者のショーンスチーブンソン氏はこの書籍の中で次のように書かれている。

「老廃物を除去する脳のシステムは睡眠時に活性化する」という章の中で

「脳は実に様々な働きをするが、その結果、大量の老廃物が生まれる。

それらは全て排除しなければならない。

老廃物を取り除く事で、文字通り、新たな成長や発達の余地が生まれるからだ。

死んだ細胞の除去やリサイクル、有害物質の排除、老廃物の排出は脳を機能するうえで絶対に欠かせない。

眠っている間の老廃物を除去する活動は目覚めている間の10倍以上老廃物を除去する活動が活発になるという。

目覚めているときの脳は学習や成長に勤め、脳の持ち主が活躍できるよう協力している。

ずっと動きっぱなしなので、たくさんの老廃物がたまっていくが、そのほとんどは睡眠が持つ修復の力で除去される。

例えば、自宅のごみを捨てるシステムがとどこおれば、家はあっという間に悲惨なことになる。

それと同じでように充分な睡眠をとらず、その老廃物を除去する働きがなければ脳内が大変なことになる。

具体的に言うと,

有害な老廃物を除去する事が無いことがアルツハイマー病を発症する根本的な原因の一つだと言われている。 」

と書かれている。

さらにまた、著者は睡眠環境について

「睡眠環境を真っ暗な状態にして寝ることが重要である」

と説き、次のように書かれている。

「まずは、近年、人気が高まりつつあるカーテンを遮光カーテンに替えよう。

それから光を発し続けるものを寝室から取り除こう。

この二つを今夜のうちに行えば、明日起きたらきっと私に感謝したくなる。

睡眠の専門家は、顔の前に手をもってきても見えないくらいの暗闇で寝ることを奨励している。

私たちの遺伝子は、暗闇で眠る事を当たり前だと思っている。

いまは部屋のなかで何かしらの光が一晩中ついていることも珍しくもない。

外の世界で起きることはどうにもならないのだから、せめて自分の家の中の事は自分の手で何とかするしかない。

だからこそ、遮光カーテンは必要だ。

寝室を居心地のいい暗闇に変えるべく、行動をおこそう。

私の睡眠は暗闇に変えた瞬間からよくなった。

寝室を真っ暗にするようになってからというもの、最高の睡眠がずっと続いている。」と書かれている。

遮光カーテンが難しければアイマスクも有効かもしれない。

チベット仏教の最高指導者、ダライラマ法王猊下は

「睡眠は最良の瞑想である。」

とお説きになられている。

また、数千年前に編纂されたとされている古代インドの哲学書のウパニシャッド(奥義書)の中に「深い睡眠は真実の自己とつながっている」という記述がある。

仏教の祖師達の霊験談を考える

仏教の開祖や仏教の各宗の祖師の方々の霊験談を次に紹介していきたい。

先ず、仏教の開祖である仏陀釈尊についてであるが、釈尊自身の瞑想体験として、修行を完成し仏陀に成られた釈尊は、仏陀としての最高の悟りを開く直前、非常に深い瞑想中において、無量無数の生き物達がそれぞれの業、それぞれのカルマに応じて無限に近い膨大な時間、無量無数とも例えられる程の回数、生き替わり死に替わりを繰り返している情景をその超人的透視力で実際に透視したという釈尊自身の体験が仏典(阿含経)に説かれている。

以下は釈尊自身の瞑想の体験談である。

「このように 私(釈尊)は四神足(仏教の修行法、瞑想法)が修練され豊かにされたときに、種々なる過去の生涯を想い起こした。

すなわち一つの生涯、二つの生涯、三つの生涯、四つの生涯、五つの生涯、十の生涯、二十の生涯、三十の生涯、四十の生涯、五十の生涯、百の生涯、千の生涯、百千の生涯を、また幾多の宇宙成立期、幾多の宇宙破壊期、幾多の宇宙成立破壊期を。

我はそこにおいて、これこれの名であり、これこれの姓であり、これこれのカースト(階級)であり、これこれの食を取り、これこれの苦楽を感受し、これこれの死にかたをした。

そこで死んでから、かしこに生まれた。

このように形や名称とともに種々なる過去の生涯を想い起こしたのである。

このように私(釈尊)は四神足(仏教の修行法、瞑想法)が修練され豊かにされたときに、清浄で超人的な天眼をもって、もろもろの生存者が死に、また生まれるのを見た。

すなわち、卑賤なるものと高貴なるもの、美しいものと醜いもの、幸福なものと不幸なもの、そしてもろもろの生存者がそれぞれの業に従っているのを明らかに知った。

実にこれらの生存者は身に悪行を行い、言葉に悪行を行い、心に悪行を行い、もろもろの聖者をそしり、誤った見解を抱き、誤った見解にもとずく行為を行う。

かれらは身体が破壊して死んだ後に悪しき所、堕ちた所、地獄に生まれた。

また、他のこれらの生存者は、身に善行を行い、言葉に善行を行い、心に善行を行い、諸々の聖者をそしらず、正しい見解にもとずく行為を行う。

かれらは身体が破壊して死んだ後、善い所、天の世界に生まれた。

このように清浄で超人的な天眼をもって、もろもろの生存者が死に、また生まれるのを見た。

すなわち、卑賤なるものと高貴なるもの、美しいものと醜いもの、幸福なものと不幸なもの、そしてもろもろの生存者がそれぞれの業に従っているのを明らかに知った。」

また、インドの古代文献であるウパニシャッド(奥義書)の教えに、悟りを得たときには過去の生涯を明らかに思い起こすという思想がある。

そして、ジャイナ教の教えにおいても、修行者が悟りを開いたときには世界、神々、人間、悪魔のありさま、彼らがどこから出てきてどこへ行くか、という詳しい姿を見透したという。

(書籍「思想の自由とジャイナ教 中村元撰集決定版  第10巻 春秋社」参照。)

以上の事から要約すると、仏陀釈尊の覚醒の課程は三夜にわたる智の開眼、智慧の獲得で説明される。

すなわち、第一夜(初夜 夜6時~夜10時頃)において釈迦(釈尊)は瞑想によって自らの百千の生涯、幾多の宇宙の成立期、破壊期、成立破壊期を残らず想起した。(宿明智の獲得)

次に、第二夜(中夜 夜10時~夜中2時頃)において天眼(清浄で超人的、神的な透視力)により生き物達が無限の生死循環(輪廻転生)を繰り返す様を見透す。(天眼智の獲得)

最後に、第三夜(後夜 夜中2時~朝6時頃)において「一切(輪廻転生の本質)は苦である」という認識を得、縁起の法を悟って覚醒、漏尽解脱、智慧解脱の完成を得た。(漏尽智の獲得)

そして、「わたし(釈尊)は最高の道を悟った。私の悟りは揺るがず、壊れない。私は解脱を果たした。もう苦しみの世に生まれる事は決してない。」とある。

また、釈尊はこの瞑想法だけで仏陀に成られたのではなく釈尊自身の過去世からの無量無数ともいうべき積徳の行為、功徳を積んだ行為より生じた福徳の力、福力により仏陀に成る事が出来たとされる。

仏教では福徳の力で成仏するという教えがあり、

舎利禮門というお経の文言に「万徳円満、釈迦如来」という言葉がある、

つまり万(よろず)の徳、全ての徳が完全に備わっている釈迦如来という意味であるがブッダに成るには大きな徳が必要とされる。

『四分律経典 第三十一巻』 『国訳一切経 律部二 大東出版社』

参照。

『四分律経典 第三十一巻』 『国訳一切経 律部二 大東出版社』

参照。

『四分律経典 第三十一巻』 『国訳一切経 律部二 大東出版社』

参照。

釈迦成道仏画(ゴータマ・シッダールタ)(チベット仏教仏画)

釈迦初転法輪像

釈迦(ゴータマ・シッダールタ)、舎衛城の神変

参考書籍

「ゴータマ・ブッダⅠ 原始仏教Ⅰ 決定版中村元撰集 第11巻 春秋社」

「ゴータマ・ブッダⅡ 原始仏教Ⅱ 決定版中村元撰集 第12巻 春秋社」

パーリ仏典、漢訳仏典、参照。

次に、西遊記で有名な玄奘三蔵法師様が仏典を求めての旅の途上、砂漠で彷徨い、死にかけていたところ、般若心経を唱え、救われた話や、また、その旅の途中に盗賊に捕らえられ、玄奘三蔵法師様が処刑されようとする直前、突如、天地が鳴動し天候が一変し、処刑執行人が驚き恐れ、処刑する事を止め、玄奘三蔵に帰依した話などが伝えられている。

玄奘三蔵法師(中国)(西暦602年~西暦664年)

玄奘三蔵法師はインドへの求法の旅の途上、砂漠で彷徨い、死にそうになっている時、仏教の守護神、大般若経を守護する十六善神である深沙大将(じんじゃだいしょう)が現れ、玄奘三蔵法師を助けたと伝えられている。

次に、インドの善無畏三蔵法師様、この方は、真言密教伝持八祖の内の第五祖にあたるインドの高僧であり、弘法大師空海様は第八祖にあたりますが、その善無畏三蔵法師様の伝記に「商人と善無畏三蔵法師様が船での航海中に、船上において商人が盗賊に襲われた際、善無畏三蔵が観音様の準提呪の黙誦をすると準提観世音菩薩様が全身のお姿を現され商人を盗賊の難から救った。」と伝えられています。

準提如来(別名=七倶提仏母準提観世音菩薩)

準提如来(別名=七倶提仏母準提観世音菩薩)

善無畏三蔵(インド)(西暦637年~西暦735年)

弘法大師空海(日本)(西暦774年~西暦835年)

弘法大師空海(日本)(西暦774年~西暦835年)

次に真言宗の開祖であり、高野山を開いた弘法大師空海様が若い頃に修行し四国の室戸岬で修行の結果、特殊な神秘体験をした事で有名な「虚空蔵菩薩求聞持法」という密教の修行法があります。

虚空蔵菩薩

虚空蔵菩薩

この修行は虚空蔵菩薩様のご真言「のうぼう あきゃしゃぎゃらばや おんありきゃ まりぼり そわか」というご真言を百日間の間に百万回唱えるという修行で空海様は特殊な神秘的な体験をしたと伝えられている。

四国の室戸岬で求聞持法を修行する若き日の弘法大師空海

写真は(DVD(映画)空海(空海役=北大路欣也)東映株式会社)より引用。

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「三教指帰」という空海様の著書の冒頭にその体験を「谷響きを惜しまず明星来影す」という表現でその神秘体験を表現されています。
「虚空蔵菩薩能満所願最勝心陀羅尼求聞持法」というお経の中でこの修行が成功すると様々な霊験があると伝えられている。

四国の室戸岬において虚空蔵菩薩求聞持法を修行する若き頃の弘法大師空海様

虚空蔵菩薩求聞持法を修行する若き頃の弘法大師空海様

虚空蔵菩薩求聞持法を修行する若き頃の弘法大師空海様

弘法大師空海様は更なる求法の為、遣唐使船に乗船し唐の国に渡った。(西暦804年)

尚、当時の航海技術は現代の航海技術と比較すると極めて貧弱であった。

そのことについて書籍「竹取物語(全)角川ソフィア文庫」に次のように説明されている。

「遣唐使は、唐の文化を輸入するために、7世紀から8世紀にかけて、日本から公式に派遣された使節をいう。

西暦630年に始まり、西暦894年に停止するまで、およそ20回計画されたが、うち4回は中止されたという。

人員は、場合によって200名から500名に及んだ。

航路のうち南島路あるいは五島列島を通って、東シナ海を横断するために、漂流・遭難の危険性は非常に高かった。

実際、6回もの遭難記録が残っている。

自然の猛威にさらされるばかりか、海賊に襲われたり、漂着した島では島民に殺されたりすることもあった。

平安王朝の華麗な文化は、こうした先人の苦難のうえに花開いたのである。」

さらに

「(この当時の)遣唐使の派遣は危険な航海を伴い、事実、派遣回数の三分の一は遭難している。」

「竹取物語(全)角川ソフィア文庫」参照。

湧現観音

更なる求法の為、遣唐使船で唐の国に渡る弘法大師空海、その弘法大師の乗船する遣唐使船に現れたとされる湧現観音

湧現観音

更なる求法の為、遣唐使船で唐の国に渡る弘法大師空海、その弘法大師の乗船する遣唐使船に現れたとされる湧現観音

波切不動明王

唐から日本に帰国する空海様の乗った船に暴風雨、荒れ狂う波がまさに空海様の乗った船に襲い掛かろうとした刹那、突如として洋上に巨大な不動明王が現れ、不動明王の持つ宝剣が荒波を切り裂き、空海様の乗った船を無事日本に帰国出来るよう助けたと伝えられています。

この時の不動明王は波切不動明王とされています。高野山に波切不動明王様がお祀りされています。

荒波の中を航海中の弘法大師空海様

各宗旨宗派の高僧との仏教討論の際、他の宗旨宗派の高僧が来世成仏を説く中、弘法大師空海様ただ一人だけが即身成仏を説き、各宗旨宗派の高僧達からその論拠を示せと迫られ、嵯峨天皇及び各宗旨宗派の高僧達の御前で即身成仏の境地に入り大日如来の姿に変化した弘法大師空海様(清涼殿において)

この現象について、書籍「密教誕生 桐山靖雄著 平河出版」の中で弘法大師空海様が現した奇瑞について著者である阿含宗開祖、桐山靖雄大僧正猊下は次のように説かれている。

「朕、空海の最尊最上の教を深く信ず。

さりながら、朕、密教にて説く即身成仏の現証を未(い)まだ見ず。」

と(帝が空海に問うと)

御声のもとに、空海は、静かに南面して結跏趺坐し、手に智拳印をむすんで口に密言(みつごん)を誦す。

心は六大平等観に住すると見る間(ま)に、身はたちまち紫磨黄金(しまおうごん)の膚(はだえ)となって、五色遍照の光明を放ち、頭(こうべ)に五智の宝冠を現じて、座は八葉の蓮華となった。

帝は、畏くも玉座から下り給うて、南無遍照金剛と御拝あらせられた。

各宗の賢哲たちも、居ならぶ朝臣等も、ひとしく平伏して、随喜讃仰の手を合わせた。

ややあって、空海は、ふたたび元の体にかえり、ここに、生仏(しょうぶつ)不二、凡身即仏の妙諦を如実に示したのである。」

天暦十年(九五六年)に著された「孔雀経音義」は、つぎのように述べている。

「仍(よ)って大師智拳印を結び、南方に向うに南門俄(にわ)かに開けて、金色の毘盧遮那を成じ、眉間に白毫相(びゃくごうそう)の光を放つ。

爰(ここ)に一人(天皇のこと)諸臣七宗の衆徒は驚いて地に下り、皆ことごとく礼拝す。

即ち本体に還帰す。

入我我入の諍、即身頓証の疑いはこの日より釈然たり。

真言瑜伽宗秘密曼荼羅之道は彼の時より建立す・・・・・。」

書籍「密教誕生 桐山靖雄著 平河出版」442頁~443頁参照。

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次に、鎌倉時代に活躍した日蓮宗の開祖である日蓮上人様(西暦1222年~西暦1282年)の霊験談に龍ノ口の奇跡という話がある。

日蓮上人様が当時の幕府や諸宗を批判したとして、佐渡流罪の名目で、鎌倉の松葉谷草庵にいた日蓮上人様を捕縛し連行。

翌日の(西暦1271年)9月13日子丑の刻(午前2時前後)、日蓮上人様を土牢から引き出し日蓮聖人様は、はだか馬に乗せられ、江ノ島片瀬 龍の口(たつのくち)刑場へと引かれていった。

途中、鶴ヶ岡八幡宮にさしかかったとき、日蓮聖人様は大声で

「八幡大菩薩はまことの神か・・・」と、法華経の行者を守る役目を果たすよう叱りつけました。

源氏の氏神を叱りつけたから、役人はびっくりし、あわてて馬を引き立てた。

鎌倉を引き回された後、日蓮聖人様は龍の口の刑場で敷物に座らされ、とうとうその首が刎ねられようとしていた。

いよいよ首を斬ろうと、役人が刀をかまえたその瞬間、江ノ島の南東から満月のように大きな光る不思議な光の玉が飛んできて北西へと飛び、日蓮聖人様の上に現れた。

そして頸を刎ねようとして太刀を大きく振りかざした武士を直撃し、役人は驚いて逃げ去り、太刀は三つに折れてしまい、その手足は動かなくなってしまった。

処刑どころではなかった。


「日蓮の首は斬れません。」と早馬が鎌倉に向かい、鎌倉からは「日蓮の首を斬るな!」との連絡があり、何かの理由により刑は中止されたという。

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この竜ノ口の奇蹟の話を本で読んだり、人の話で聞いたりすると、『観音経』の中の観世音菩薩普門品偈(かんぜおんぼさつふもんぼんげ)に説かれている次の経文を思い浮かべる。

「或値怨賊繞(わくちーおんぞくにょう)

各執刀加害(かくしゅーとーかーがい)

念彼観音力(ねんぴーかんのんりき)

咸即起慈心(げんそくきーじーしん)

或遭王難苦(わくそーおーなんくー)

臨刑欲壽終(りんぎょーよくじゅーじゅー)

念彼観音力(ねんぴーかんのんりき)

刀尋段段壊(とーじんだんだんねー)

或執禁伽鎖(わくしゅーきんかーさー)

手足被杻械(しゅーそくひちゅーかい)

念彼観音力(ねんぴーかんのんりき)

釈然得解脱(しゃくねんとくげーだつ)」

ちなみに、『観音経』というお経は『法華経』の第二十五巻目に説かれているが、もともとインドにおいて観音信仰が盛んにおこなわれている地域があり、法華経の編集者がこの観音信仰に基づく「観音経」を取り入れたという説があります。

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次に、霊友会4代目の会長の大形市太郎氏は昭和20年8月に原子爆弾の被害を受け、その原子爆弾の熱線で全身大やけどをしたが、ある夜、信心深い市太郎氏の母親の夢の中に先祖が現れ、「おまえの息子の大やけどは私が教える場所の薬屋で私が教える薬を買い、その薬を全身に塗ればきれいに治る。」といわれた。

母親は市太郎氏にその話をして市太郎氏は「原爆で跡形もないであろう。」と思いながらも母が夢の中で見た先祖が言われた通りの道を行くと不思議にもその薬屋は原爆で破壊されていなかった。

そして、市太郎氏はその薬屋で先祖が言われた通りの薬を買い、母親にやけどをした全身の皮膚にその薬を塗ってもらった。

のちに、市太郎氏の友人たちは病院で治療を受けたが原爆のケロイドは残った。

しかし、市太郎氏にはケロイドは残らなかったという。

そのことが契機となり無宗教、無信心、無信仰者であった市太郎氏は「信仰の力、目に見えない力というものは確かにあるんだ。」と考え、その信心深い母親にお経の読み方を一から教えて欲しいと頼んだ。という。

次に、阿含宗の開祖、桐山靖雄大僧正猊下が1996年6月モンゴルのガンダン寺境内において桐山靖雄大僧正猊下、率いる阿含宗による国立十一面観音開眼法要、世界平和祈願護摩法要が厳修された。

この年のモンゴルは大旱魃で雨がほとんど降らず、モンゴル全土で山火事が200箇所以上で燃え広がり数ヶ月間燃え続けていた。

モンゴルは日本の国土面積の4倍近くあり広大な山火事にモンゴル人民は頭を悩ませていた。

阿含宗の桐山靖雄大僧正猊下とその信徒、約400名の方達がモンゴル国ガンダン寺においてモンゴル国十一面観音菩薩開眼法要 世界平和祈願護摩法要を勤修した。

護摩修法が始まる前後、モンゴル全土において雨が降り出し護摩修法後には滝のような大雨が全土で降り、1996年の2月の下旬から約3ヶ月間以上続いていた山火事が法要後、5日間で消えてしまった。と書籍「祈りは天地を動かす」「モンゴル紀行」に書いてある。

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このモンゴルの奇跡について阿含宗開祖、桐山靖雄大僧正猊下は自身の著作「阿含仏教 超奇跡の秘密 桐山靖雄著 平河出版社」の中で次のように書かれている。

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「当時、モンゴルでは昨年末からほとんど雨が降らず、大旱魃に陥っていた。

そこへ、2月から山火事、草原の火事が各地で起こり始め、5月には北海道と四国を合わせたほどの面積が消失し、なおも延焼中という状況であった。

国境を越えて中国領内にもかなりの被害が出ていたようであった。

7月に入らなければ本格的な雨季にならず、この大火災を消すほどの豪雨は望めなかった。

また、降ったとしても鎮火には最低1ヶ月はかかるだろうと報道され、周辺の諸国から憂慮されていた。

6月3日、首相官邸を表敬訪問した私(桐山靖雄氏)は沈痛な面持ちで「雨が降らないので困る。」と話されるジャスライ首相(モンゴル国)に対し「5日の日に行われる国立十一面観音の開眼法要に豪雨を祈るからきっと雨が降りますよ。」と言った。

ごく自然にその言葉が口から出たのである。

別に何の意気込みも気張りもなかった。

気の毒だなと思うと同時に「よし、雨を降らせてあげよう!」という気持ちになったのである。

「私が祈れば必ず雨が降る。」そういう確信があった。

彼(ジャスライ首相(モンゴル国))に「火事は必ず消えますよ。」帰りしなにそう付け加えた。

その夜、深夜、私(桐山靖雄氏)はホテルの一室に籠り、一人、定(瞑想)に入った。

法要の当日までおよそ30分ずつ続けるのである。

法力集中のためである。

その翌日から定(瞑想)に入っていると法が動き出していることを感じた。

実際に草原の彼方に厚い雲が集まり出し始めたのである。

6月5日、法要当日未明に雷鳴が轟き、豪雨が大地を叩いた。

続いて各地に大豪雨が降り続き、法要から5日後、日本の国土の4倍以上もあるモンゴル百数十箇所の大火災が全て完全消火した。

私のモンゴル訪問は前年の11月に決定し、すべてのスケジュールが組まれていたのである。

スケジュールになかったのは雨を降らせることだけだった。」

また、桐山靖雄大僧正猊下は自身の著作「阿含仏教 超奇跡の秘密 桐山靖雄著 平河出版社」の中でこのような奇跡、このような神変力について仏教語大辞典を引用され、次のように解説されている。

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「神変=仏、菩薩が衆生の教化のため、超人的な力によって種々のすがたや動作を現すことをいう。

神通に同じ。奇跡、あるいは奇跡を行なうこと。

奇瑞=古代インドでは、宗教的に高い境地に達した修行者は、しばしば超人的能力を現したという。

仏教では六通、三明とよび、これらの能力は、禅定とよばれる精神統一の副作用として得られるものと考えられていた。

また、神通は、「信仰の厚い、立派な男によって、奮闘の持続によって、不抜の意力によって、人間の力によって、人間の精神・人間の努力・人間の忍耐によって得られるべきもの」と経典に説かれている。

そういう心構えをもった者が、努力を重ねていくとき、その人間自身でも思いがけないほどの力を現すことがある。」と。

以上ような神通奇跡談について、パーリ仏典研究の碩学、水野弘元博士はその著書「原始仏教」の中で神通奇跡談について次のように説かれている。

「今日の合理主義的な考え方からすれば仏陀及び原始仏教が三明六通という奇跡的神通力を説いたことはいかにも仏教の合理性を没却したものであり、おそらく原始仏教では説かれていなかったものを新たに加えられた挿入の不純物に過ぎない。と考える学者がいる。

しかし、仏教を単なる科学や倫理や修養ではなくして宗教であると考える限り、このような神通奇跡の存在は仏教の宗教的要素として極めて価値があり、かつ必要なものである。

2500年の昔において仏教は今日の科学時代にも劣らない合理性や倫理性を有したのであるが、しかし、単なる合理性や倫理性だけではそれは宗教とはなり得ないであろう。

宗教である限り、自らの実践だけではなく、他をも絶対信に導き入れなければならない。

宗教を他の方々に対し教化救済する利他的な宗教面は三明六通というような神通奇跡によって得られるのである。

宗教が多くの人々に信じられていくのは神通奇跡によってである。

また仏教各宗の祖師と言われるような人々も多かれ少なかれ常人を超えた不思議な力を持った人であったに相違ない。」とある。

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さらにまた、修験道研究の碩学、五来重(ごらいしげる)博士は阿含宗の機関紙、月刊アーガマ(昭和55年5月号)紙上において次のように説かれている。

「修験道に関する説話や文学には、よく山伏の法験や「験競」(げんくらべ)がかたられている。

今ではそのようなことはありえない超人間的な事跡が伝えられるのは、禅定が真剣に実行された時代には、十分可能だったことをものがたるものであろう。

私は奇蹟がなければ宗教はありえないものと考えている。

奇蹟を否定して、ただ人生観と倫理観の問題を信仰だというのは、哲学であり道徳ではあっても宗教ではない。

宗教の近代化と称して、奇蹟を否定した理性的宗教を正信とし、奇蹟を信じるのを迷信とするのは、宗教の自殺である。」と説かれている。

阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(西暦1921年~西暦2016年)

 阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(西暦1921年~西暦2016年)

阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(1921年~2016年)

大柴燈護摩修法中の阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(日本)

今から約2500年前、ブッダ釈尊が約18年間、人々を説法、教化した土地、場所とされているインド サヘト・マヘト(祇園精舎)。

1980年11月、インド サヘト・マヘトへの仏跡巡拝をされた阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下。当時、59歳)

インド サヘト・マヘト ミラクルの池の跡地

今から約2500年前、ブッダ釈尊が多くの人々の前で大神変力を現わしたとされているインド サヘト・マヘト ミラクルの池の跡地において強烈な仏勅、強烈な霊的バイブレーションを受けた阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(西暦1980年11月8日、当時59歳)。

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インド サヘト・マヘト ミラクルの池の跡地

阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(1980年11月8日 インド サヘトマヘト、当時59歳)

今から約2500年前、ブッダ釈尊が多くの人々の前で大神変力を現わしたとされているインド サヘト・マヘト ミラクルの池の跡地に立つ阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(1980年11月8日、当時59歳)

そのインド サヘト・マヘト ミラクルの池の跡地において強烈な仏勅、強烈な霊的バイブレーションを受けた阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下。

阿含宗 観返り阿含 思念による王者の相承 ※映像切れあり※ (youtube.com)

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大柴燈護摩修法中の阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下

(昭和57年)(1982年)(当時、61歳)

大柴燈護摩修法中の阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下

(昭和57年)(1982年)(当時、61歳)

講演中の阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(日本)

法話中の阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(日本)

法話中の阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(日本)

法話中の阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(日本)

法話中の阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(日本)

法話中の阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(日本)

法話中の阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(日本)

1983年8月21日、チベット仏教で最も由緒ある格式の高い全ニンマ派の総本山の法主、大座主、管長でもあるミンリン・ティチン・リンポチェ猊下より一切萬霊守護金剛(あらゆる霊的存在の守護者という意味)という最高の法位、法号を授かる阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下

(昭和58年)(1983年)(当時、62歳)

スリランカのジャヤワルデナ大統領より真正仏舎利を授かる

阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(1986年スリランカ)

(昭和61年)(1986年)(当時、65歳)

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1990年1月 スリランカの古刹、マハー・マティンダ・ピリベナ寺から真正仏舎利を拝受される阿含宗開祖、桐山靖雄大僧正猊下(当時69歳)

1992年11月2日、スリランカ仏教シャム派総本山より「輝く平和の大王」という法号を授けられる阿含宗開祖、桐山靖雄大僧正猊下(当時71歳)

法話中の阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(日本)(1993年)

(当時72歳)

法話中の阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(日本)(1993年)(当時72歳)

日本の4倍もの広大な面積を持つモンゴル、1996年2月下旬から、そのモンゴル全土200ヶ所以上の山火事に多くのモンゴルの方々が苦しんでいた。

このモンゴルの山火事で日本の北海道と四国を合わせた程の極めて広大な面積のモンゴルの山林、草原が焼失した。

日本の4倍もの広大な面積を持つモンゴル、1996年2月下旬から、そのモンゴル全土200ヶ所以上の山火事に多くのモンゴルの方々が苦しんでいた。このモンゴルの山火事で日本の北海道と四国を合わせた程の極めて広大な面積のモンゴルの山林、草原が焼失した。

日本の4倍もの広大な面積を持つモンゴル、1996年2月下旬から、そのモンゴル全土200ヶ所以上の山火事に多くのモンゴルの方々が苦しんでいた。このモンゴルの山火事で日本の北海道と四国を合わせた程の極めて広大な面積のモンゴルの山林、草原が焼失した。

1996年6月5日、モンゴル国ガンダン寺においてモンゴル国立十一面観音開眼法要、世界平和祈願護摩法要を修せられる大導師 阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(1996年当時、76歳)

1996年6月5日、モンゴル国ガンダン寺においてモンゴル国立十一面観音開眼法要、世界平和祈願護摩法要を修せられる大導師 阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(1996年当時、76歳)

1996年6月5日、モンゴル国ガンダン寺においてモンゴル国立十一面観音開眼法要、世界平和祈願護摩法要を修せられる大導師 阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(1996年、76歳)

1996年6月5日、モンゴル国ガンダン寺においてモンゴル国立十一面観音開眼法要、世界平和祈願護摩法要を修せられる大導師 阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(1996年当時、76歳)

1996年6月3日、モンゴル全土で数ヶ月間続いている広大な面積の山火事で、北海道と四国を合わせた程の極めて広大な面積のモンゴルの山林、草原が焼失し、まさに国家的な危機状況の中、阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下がモンゴルのジャスライ首相に対し、「明後日のガンダン寺の法要で、観世音菩薩様に雨が降るようにお祈りします。

観世音菩薩様は必ず雨を降らせて下さいます。

必ず雨が降ります。」と祈りによって雨を降らす事を約束。

そして、モンゴル国ガンダン寺での護摩修法当日未明、ウランバートル市全域に一大雷鳴がとどろき、全市民を驚愕させた。

同時に、豪雨が大地を叩き、全市民を歓喜させた。

待望の雨の第一陣であった。

さらに、護摩修法後、桐山靖雄大僧正猊下は参拝者の方々の前で、十一面観世音菩薩様がこのように雨を降らせて下さったと語り、十一面観世音菩薩様の偉大なる神通力、お力を称賛された。

その護摩修法後、モンゴル全土ですさまじい雨が降った。

また、モンゴルの文化大臣がこの状況を目の当たりに見、「祈りの力がいかに偉大なものであるかを目のあたりに見て、心から驚嘆しました。」と述べた事を当時の現地の新聞記事が伝えた。

最終的に1ヶ月間は消えないであろうとされていたモンゴル全土の山火事が護摩修法後、モンゴル全土の大雨により6月5日の法要から5日後に山火事は完全鎮火した。

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モンゴル国 ガンダン寺 国立十一面観音世音菩薩像

モンゴル国 ガンダン寺 国立十一面観音世音菩薩様を描いたタンカ

モンゴルの森林火災の完全鎮火を知らせる新聞記事(1996年6月)

書籍「密教 超能力の秘密 桐山靖雄著 平河出版社」(1972年初版)参照

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印度聖地大柴燈護摩を修する阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(1999年3月6日 当時78歳 インドにて)

印度聖地大柴燈護摩を修する阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(1999年3月6日 当時78歳 インドにて)

印度聖地大柴燈護摩(1999年3月6日 インドにて)

印度聖地大柴燈護摩を修する阿含宗開祖 桐山靖雄大僧正猊下(1999年3月6日 当時78歳 インドにて)

印度聖地大柴燈護摩のご本尊釈迦如来像と真正仏舎利尊(1999年3月6日 インドにて)。

1999年3月6日の印度聖地大柴燈護摩のご本尊、真正仏舎利尊から発するご霊光。「一九九九年七の月よ、さらば! 桐山靖雄著 平河出版」参照。

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仏陀に成られた方の御遺骨(ごゆいこつ)を仏舎利(ぶっしゃり)とお唱え致します。

その仏舎利尊から発するご霊光は、今から約900年前、臨済宗の開祖、栄西禅師様(1141年~1215年)も宋の国への留学中、阿育王山  広利禅寺に参拝した際、仏舎利から発するご霊光を目撃した体験記が栄西禅師様の著書「興禅護国論」に記載されている。

(中国の阿育王寺にある真正仏舎利尊をお祀りする舎利殿)

また、今から約1100年前、天台宗の慈覚大師円仁様(794年~864年)は、自身の唐への巡礼紀行体験を記した書籍「入唐求法巡礼記」の中において、仏舎利から発するご霊光にまつわる体験記が書籍『円仁 唐代中国への旅 入唐求法巡礼行記の研究 エドウィン・O・ライシャワー著 田村完誓訳 講談社学術文庫』の中で次のように記されている。

「長年、法華経を読誦していた僧があった。

最近、いくつかの仏陀の遺品が彼に授かった。町中の人々は来て捧げものをした。

寺は僧俗であふれた。どれくらい大勢来たか分からないほどであった。

遺品を発見した由来は、経を読む僧が夜中に彼の部屋に座って経を読んでいると、三本の光が射し込み、部屋全体を輝かせ、寺全体を明るくした。

光りのもとを探すとそれは寺の西の崖のふもとから来たものであった。

毎晩、光はその部屋と寺を照らした。

数日後、僧は光を辿って崖に行き、地面を十フィート以上も掘り下げると、そこには仏陀の遺品を納めた三つの壺があった。

青い瑠璃の中には七粒の舎利があり、白い瑠璃の壺には五粒、金の壺には三粒あった。

彼はそれらを持ち帰り、仏堂に安置して供養を捧げた。

太原府と近郊の貴賤男女や役人たちは位の高いものも低いものもすべて来て尊敬を捧げ、供養した。

誰もがいった、これこそ僧の法華経に対する熱心さがもたらした不思議な力によるものである。と。

町から山へ来る人々は道を埋め、大群衆は礼拝し、驚嘆した。」

書籍『円仁 唐代中国への旅 入唐求法巡礼行記の研究 エドウィン・O・ライシャワー著 田村完誓訳 講談社学術文庫』299頁~300頁 引用。

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さらにまた、今から約1400年前、玄奘三蔵法師様(604年~662年)もインドにおいて仏舎利から発するご霊光を目撃した体験記が書籍『玄奘三蔵 西域・インド紀行 慧立 長澤和俊訳 講談社学術文庫』の中で次のように伝えられている。

「さて、ちょうどこのときは正月のはじめであった。

西国の法として、毎年この月にボードガヤの菩提寺では仏舎利を出し、諸国の道俗の人々はみなやってきて来観するならわしであった。

法師(玄奘三蔵)もその年は師のジャヤセーナとともに、舎利骨(しゃりこつ)を見に行った。

あるいは大きくあるいは小さく、大きいのは真珠ぐらいで紅白色に光り輝き、肉舎利は豌豆(えんどう)大で、赤色で光沢があった。

無数の人々が香花を奉献し、礼拝が終わると、その舎利は塔中に還しておくことになっていた。

その日の夜半、ジャヤセーナは法師(玄奘三蔵)とともに見た舎利が大小さまざまであったのを論じ

「私がほかの所で見た舎利は、みな大きさは米粒ぐらいのものであった。

ところがここで見たのは、非常に大きいものだ。

そなたはあれを見て疑わなかったか?」といった。

法師(玄奘三蔵)も、

「いや、じつは私も果たして本当の舎利かどうか、疑わしいと思っていました」と答えた。

するとしばらくして室内に灯火がないのに部屋の内外が非常に明るくなった。

怪しんで外に出てみると、舎利塔の中から空高く光を発し、飛炎天に沖して五彩に輝いていた。

そしてあたりには香気がみなぎった。そこで二人は人々に

「舎利に大神変が起こった。」と言った。

書籍『玄奘三蔵 西域・インド紀行 慧立 長澤和俊訳 講談社学術文庫』205頁~206頁 引用。

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次に、真言密教の第五祖、不空三蔵様(705年~774年、生地はインドもしくは唐国)が釈尊の仏舎利を禮敬する意を述べた文章に舎利禮門(しゃりらいもん)という経文を紹介する。

真言宗や曹洞宗などの宗派では法要、日々の勤行において舎利禮門(しゃりらいもん)を読経する場合があります。

その全文は以下の通りです。

舎利禮門(しゃりらいもん)

一心頂禮(いっしんちょうらい)
萬徳園満(まんとくえんまん)
釈迦如来(しゃかにょらい)
真身舎利(しんじんしゃり) 
本地法身(ほんじほっしん)  
法界塔婆(ほうかいとうば)  
我等禮敬(がとうらいきょう)   
爲我現身(いがげんしん)  
入我我入(にゅうががにゅう) 
佛加持故(ぶつかじこ) 
我請菩提(がしょうぼだい)   
以佛神力(いぶつじんりき)  
利益衆生(りやくしゅじょう)  
発菩提心(ほつぼだいしん)  
修菩薩行(しゅぼさつぎょう) 
同入園寂(どうにゅうえんじゃく)  
平等大智(びょうどうだいち)  
今将頂礼(こんじょうちょうらい) 

とお唱え致します。

仏舎利を祀る霊験功徳は多くの経典に説かれているが、その多くの経典のうち、代表的な経典、大般涅槃経と悲華経と蓮華面経において、仏舎利について次のように説かれている。

以下、書籍『守護仏の奇蹟 桐山靖雄著 平河出版社』『守護霊の系譜 桐山靖雄著 平河出版社』参照する。

大般涅槃経にいはく、

『天界に住む神々と、僧侶、在家の仏教徒は、仏舎利を得たら七つの宝で出来ている瓶に盛り、これを都城の内なる道地において七宝でできている塔を建立して仏舎利を供養するならば、生きとし生ける一切衆生に大いなる功徳をもたらし、三界に生存する三有の苦しみを離脱し、涅槃の安楽に至らせるであろう。

仏舎利を供養するということは、まさに生ける仏を供養することなのである。』

悲華経にいはく、

『衆生の福尽きて、三災(刀兵、飢饉、悪疫の三つの難)まさに現れ、経巻地に没して、衆生みな死に瀕する時が来る。

この時にあたって、仏舎利、金剛際より出でて、大虚空に昇って、種々の花を雨らす。

その花の中にもろもろの珍宝、名衣、百味の飲食を雨らす。その花の中に声を発して、法を説く。衆生、聞いてみな菩提心を発(おこ)す。』

蓮華面経にいはく、

『舎利の光明はるかに奈利(地獄)を照らす。

罪業の衆生、この光を受けて抜苦与楽すること、称計するべからず。』

書籍

『守護仏の奇蹟 桐山靖雄著 平河出版社』

『守護霊の系譜 桐山靖雄著 平河出版社』参照。

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ブッダが説いた「分かち合う事の重要性」と業報思想

西暦2020年の現在、全世界の人口の約1パーセントよりもさらに少ない、極めてごくわずかな少数の人たちが世界中のすべてのお金の約半分以上の桁外れな莫大なお金を所有、占有していると聞く。その中には一個人で数兆円、数十兆円もの資産、いわゆる一人の人間が小さな国の国家予算とほぼ同額のお金を所有し、一生かかっても使いきれない程の莫大な、桁外れな莫大な額のお金を所有する人がいる。

一方、それとは逆に、生まれてからこのかた十分な食事も満足に取れず、餓死したり、栄養失調に苦しみ、住む家すらなく、人知れず亡くなっていく人々も世界には多くいる。

仏教の開祖お釈迦様、ブッダ釈尊は仏教の聖典パーリ仏典「サンユッタ・ニカーヤ」(南伝大蔵経)において分かち合う事の重要性を次のようにお説きになられている。

「穀物も財産も金も銀も、またいかなる所有物があっても、奴僕も傭人も使い走りの者もまたかれに従属して生活する者どもでも、どれもすべて(死後の世界 来世に)連れて行く事は出来ない。全てを捨てて(死後の世界 来世に)行くのである。

人が身体で行ったもの、つまり身体で行った善き行為の報い、身体で行った悪しき行為の報い、また言葉や心で行ったもの、つまり言葉で行った善き行為の報い 言葉で行った悪しき行為の報い  また心で行った善き行為の報い、心で行った悪しき行為の報い等 それこそが、その人自身のものである。
人はそれ(自己の為した身体と言葉と心でなした業)を受け取って(死後の世界 来世に)行くのである。
それは(死後の世界 来世で)かれに従うものである。影が人に従うように。
それ故に善い事をして功徳を積め。功徳は人々のよりどころとなる。」

さらに、仏陀は次のようにお説きになられている。

「この世でもの惜しみをし、吝嗇(りんしょく)、ケチで乞う者をののしり退け他人が与えようとするのを妨げる人々、かれらは地獄、畜生の胎内、閻魔の世界に生まれる。

もし人間に生まれても貧窮貧乏の家に生まれる。

そこでは衣服、食物、快楽、遊戯を得る事が難しい。

愚かな者達はそれを来世で得ようと望むがかれらはそれが得られない。

現世ではこの報いがあり死後には悪いところに落ちる」

「この世において人たる身を得て気前よく分かち与え、物惜しみをしない人々がブッダの真理の教えとに対し信仰心があり、修行者の集いに対して熱烈な尊敬心をもっているならばかれらは天界に生まれてそこで輝く。

もし人間の状態になっても富裕な家に生まれる。

そこでは衣服、食物、快楽、遊戯が労せずして手に入る。

他人の蓄えた財物を他化自在天のように喜び楽しむ。

現世ではこの報いがあり死後には善いところに生まれる。」

パーリ仏典サンユッタ・ニカーヤ(南伝大蔵経)及び漢訳仏典雑阿含経において ブッダ(仏陀、等正覚者)はこうお説きになられている。

「悪行(悪い行為)をした者は肉体が滅んだ死後に苦悩・災いの世界、不幸な状態、煉獄(劣った世界 地獄 餓鬼界、畜生界)に生まれる。」

「信仰もなく貪欲で利己的で悪い思いを抱き、誤った主義に生きて敬愛の心がなく、僧侶や托鉢をする人を嘲(ののし)り罵(あざけり)り心に怒り心を抱き食を乞う者に誰かが与えようとするのを邪魔する者。

このような人が死後恐ろしい煉獄(劣った世界 地獄 餓鬼界、畜生界)に生まれる。」

以上、書籍「ブッダ 神々との対話 サンユッタ・二カーヤⅠ 中村元訳 岩波文庫」引用。

書籍「南伝大蔵経 第十二巻 相応部経典一 大蔵出版」参照。

 

書籍「南伝大蔵経 第十二巻 相応部経典一 大蔵出版」参照。

地獄 獄卒絵

 

さらに、パーリ仏典において仏陀(ブッダ)は業報思想、いわゆる善因善果、悪因悪果の思想について自分自身、及び弟子たちの瞑想体験に基づき次のように説かれている。

「(修行者が修行により)心が安定し、清浄となり、浄化された、汚れの無い、小さな煩悩を離れた、柔軟で、活動的であって、(そのもの自身が)堅固不動のものになると、かれ(修行者)は生き物達の死と再生について知る事(死生通)に心を傾け、心を向けるのです。

そして、かれ(修行者)は、その清浄な、超人的な神の眼によって生き物達の死と再生を見、生き物達はその行為に応じて劣った者にもなり、優れた者にもなり、美しい者にも、醜い者にも、幸福な者にも、不幸な者にもなることを知るのです。

すなわち、生き物達は、身体による悪い行い、言葉による悪い行い、心による悪い行いをなし、聖者達を誹謗し、邪悪な考えを持ち、邪悪な考えによる行為を為す。

かれらは身体が滅びて死んだ後、悪い所、苦しい所、破滅のある所、地獄に再び生まれる。

一方、この者達は身体による良い行いを為し、言葉による良い行いを為し、心による良い行いを為し、聖者達を誹謗しないで、正しい見解による正しい行いを為している。

故に、かれらは身体が滅びで死んだ後、良い所である天界に生まれ変わった。

とかれ(修行者)は知る。」と説かれている。

「原始仏典 第一巻 長部経典Ⅰ 翻訳 中村元 森祖道 橋本哲夫 浪速宣明 渡辺研二 春秋社」参照。

 

   書籍「国訳一切経 印度撰述部 阿含部七 大東出版社」参照

   書籍「国訳一切経 印度撰述部 阿含部七 大東出版社」参照

 

『四分律経典 第三十一巻』 『国訳一切経 律部二 大東出版社』参照。

『四分律経典 第三十一巻』 『国訳一切経 律部二 大東出版社』参照。

『四分律経典 第三十一巻』 『国訳一切経 律部二 大東出版社』参照。

ところで、インドではお釈迦様が出生される数千年も前よりヨーガという文化的宗教が存在します。

そのヨーガについて書かれたヨーガ根本経典の中に業、カルマについて書かれた以下の章句がある。

「行為の結果には二種ありと知るべし。

天界と地獄とである。

天界はさまざまであり、地獄も同様である。

功徳ある行為の結果は天界であり、罪の行為の結果は地獄である。

万物の創生は行為の束縛によって成るもので、断じて他の何者でも無い。

天界においては生類は種々の楽を受け、地獄界においては耐え難い苦を受ける。

悪行の力で苦が生じ、善行の力で楽が生ずる。それ故に、楽を望む者はいろいろな善行を励んで行う。」

ここで説かれている行為の束縛とは業、すなわちカルマのことである。

前生において行った行為の内容によって、必然的に今生の運命の内容が定まるという思想はインドの根本思想の一つで、仏教もまたこの思想を受け継いでいる。

天地創生(天地創造)もまた生物全体の業の集計した力によって成されると考えられている。

以上、書籍「続・ヨーガ根本経典 佐保田鶴治著 平河出版」参照。

さて、仏教の行事には盂蘭盆会という行事があります。

この行事は餓鬼界に落ちて苦しんでいる餓鬼を供養する為の仏教行事です。

餓鬼界とは生前もの惜しみ心が強くケチで人に親切でなく布施をしたりせず悪い事をした者が死後に生まれ変わっていく境涯であります。

餓鬼界には食物がほとんどなく空腹で苦しみ仮に食べ物があっても食べ物を食べようとすると火になって燃えてしまったりする。

そういった餓鬼界で苦しんでいる餓鬼達に食べ物を供養したり食事が出来るように餓鬼達を救う為の行事を盂蘭盆会や施餓鬼供養といいます。

餓鬼へのご供養をする為のご真言が仏教経典には書かれている。

真言には無量威徳自在光明殊勝妙力等の餓鬼を供養するご真言があるが施餓鬼の経典として有名な「仏説盂蘭盆経」「仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼」等の経典に詳しく記載されている。

書籍「国訳一切経 印度撰述部 経集部 第十四巻 大東出版社」参照。

書籍「国訳一切経 印度撰述部 経集部 第十四巻 大東出版社」

白隠禅師(はくいんぜんじ)の施行歌(せぎょううた)

仏教やジャイナ教、ヨーガの教えに布施、施しを勧める教えが存在する。

その教えの根本には、因果応報の思想、いわゆる善因善果、悪因悪果の思想、

いわゆる、善い事をすれば未来においてその善い報いが自分に返ってくる。

その逆に、悪い事をすれば未来においてその悪い報いが自分に返ってくるという思想がある。

仏教国の日本において、江戸時代、禅宗の中の一つ、臨済宗に白隠禅師という高僧がいた。白隠禅師は臨済宗中興の祖と言われ、また、500年間不出の高僧とも言われた程の高僧であった。

             白隠禅師

その白隠禅師は自身の説く教えの中に、布施を強く勧める教えを歌にして多くの人々に布施の重要性を説いた。

以下、白隠禅師が説いたとされている施行歌を紹介する。


施行歌(白隠禅師作)

今生富貴する人は

前世に蒔きおく種がある

今生ほどこしせぬ人は

未来は極めて貧なるぞ

利口で富貴がなるならば

鈍なる人はみな貧か

利口で貧乏するを見よ

この世は前世の種次第

未来はこの世の種次第

富貴に大小あることは

蒔く種大小あるゆえぞ

この世はわづかのものなれば

よい種えらんでまきたまえ

たねを惜しみてうえざれば

穀物とれたるためしなし

田畑に麦稗(むぎひえ)まかずして

麦稗取ったるためしなし

麦稗一升まきおけば

五升や一斗はみのるぞや

しかればすこしの施しも

果報は倍倍あるものぞ

いわんやほどこし多ければ

果報も多しと計り知れ

それゆえお釈迦も観音も

施しせよとすすめたり

さすれば乞食非人まで

救うこころを発すべし

おのおの富貴で持つ宝

有ればあるほどたらぬもの

多くの宝を譲るとも

持つ子が持たねば持たぬもの

少しも田畑ゆずらねど

持つ子はあっぱれ持つものぞ

我が子の繁昌祈るなら

人を倒さず施行せよ

人を倒して持つ宝

我が子にゆづりて怨となる

人の恨みのかかるもの

ゆづる我が子に沈みきる

枡や秤や算盤や

筆の非道をし給うな

つねづね商いするひとも

あまり非道な利をとるな

死んで三途に入ることぞ

その身は三途に落ち入れて

屋敷は草木が生い茂る

非道は子孫の害となる

親の悪事が子に報う

世間に数々あるものぞ

一門繁昌することは

親が悪事をせぬゆえぞ

もし又親にはなれなば

ますます重恩思い知れ

子を慈しむ親心

あらい風をも厭ひしぞ

それほど親に思われて

親を思わぬ愚かさよ

親に不幸な人々は

鳶やカラスに劣りたり

娘むすこをしつけるに

惜しむ宝はなきものぞ

親の後生のためならば

その金出して施行せよ

飢え死ぬ人を助けなば

これに勝れる善事なし

たとえ満貫長者でも

死んで身につく物はなし

妻も子供も銭金も

捨てて冥途の旅立ちぞ

冥途の旅立ちするときは

耳も聞こえず目も見えず

ゆくえしらずに門をいで

闇を闇路に入ることぞ

その時後悔限りなし

兎に角命ある限り

菩提の種をうえたまえ

命は脆きものなれば

露の命と名づけたり

今宵頭痛がし始めて

九死一生なるもあり

強い自慢をする人も

暮れに頓死をするもあり

今日は他人を葬礼し

明日は我が身の葬礼ぞ

然らば頼み無き娑婆に

金銀蓄え何にする

富貴幸いある人は

貧者に施しせらるべし

貧者に施しせぬ人は

富貴で暮らすかいもなし

狗でも口は過ぐるぞや

飢饉貧者を助くべし

慈悲善根はそのままに

家繁栄の御祈祷ぞ

慈悲善根をする人は

神や仏にまもられて

天魔外道はよりつかず

然れば祈祷になるまいか

よくよく了見せらるべし

恵み施しならぬとは

余りどうよく目に余る

飢え死ぬ貧者を見ぬふりに

暮らす心は鬼神か

慈悲善根のなき人は

子孫繁栄長からじ

宝はあまりなきものぞ

施行で借銭し初めよ

それこそ真の信心よ

上たる人をはじめとし

頭立ったる人々は

われもわれもと共々に

厚く施行に身を入れよ

貧者の命救うなら

広大無辺の善事なり

平生貧者に敬われ

身につく果報はあるまいか

人に食い物すつるのを

好んで拾って食う者は

前世に種まきたらぬゆえ

是非なく袖乞いすることぞ

かかる有様見ながらも

おのおの仁心起こらぬか

とにもかくにも人として

信心なければ人でなし

この節信心おこらねば

まったく牛馬にことならず

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